はてなキーワード: 利他とは
女が利他という前提がとてもとても信じられない
俺の劇場を俺のルールで上演するためには嘘だって平気でつくぜ。
ミリも思ってないけど動かなくなった舞台装置には油をささなきゃ動かないからな。
みたいな。
それで頭のいい男なんかは親切や誠実を装って相手を支配、操作しようとする。
ちなみに周りの女性はみんな心から相手に誠実であろう、利他であろうとする、自責的な人ばかりだ。
なんでだろう?
> 九州人かな?
御明察。
九州男児が嫌で東京の男と結婚したのに結局舞台の脇役にされとるってわけ。
先日息子が「ママだいすき!」
というのでちょっと様子を見てたら
「…僕のこと嫌いってことね…!」
「ママもだいすきよ、なんかあった?」
「そうそう、そんなことがあったの…」
と私は『優しいお母さん』という役割を演じたのだった。
[B! 生活] マイナンバーやクレカが入った財布を落とし、警察で遺失物届けを出しつつ利用停止手続きしてたら、見覚えのある財布を持った男性が交番に入ってきて、「それ私のです!」となった話
https://togetter.com/li/2605154
〜〜〜〜
自分は見つけたら財布届ける方だけど、
ただの偏見だけど、拾った財布届けたら「あんた私の財布から現金抜いたでしょ!!」って女性から詰められそうと思ってた
実際そうやって詰められたら、滅茶苦茶悲しいけどしょうがないかな……と思っちゃうかも
AEDの時もそうだけど、(自分は眼の前で人が倒れてAED何処かにないかと探したら先に他の人が持ってきてた経験ある)
自分だったら実際、自分の上着脱いで垂れ幕みたいにして胸は隠すと思う
それによって自分が裸になっても(それがSNSなんかで流れても)気にしないと思う
で、助けた後に両手を前に出して「逮捕して下さい」って警察に言う
助けてくれてありがとう、と言われても、(貴方は警察に通報しない人なんですね、よかった)と考える
ここまでの気概じゃないとこのご時世利他行為はできない、特に女性に対して
〜〜〜〜
自分は発達障害で、ロールシャッハテストをカウンセリングの先生と行ったことがあるんだけど
テストの解説で、自分が性欲が強いことを見透かされて、ゴミみたいな目で見られながら解説をされた事を未だに覚えてる
自分は性欲が強くないと生きていけなかった(発達障害が診断される前の二次障害の鬱とかに無理やりシコって死にたい気持ちを抑えてたから)
会社の飲み会の時に、有無を言わさず新人の女性に拒否された事もつい最近だ
その飲み会の後1日引きずって仕事の時頭にちらついて離れなかった
その新人の女性は年下で、その日初めて会って、挨拶もあんまり返してくれなくて、
飲み会でも場を作るようなちゃきちゃきした感じで、自分の隣の空席の後その人だったけど目は合わせてもくれない
自分と言葉を交わそうとするのは避けられてるのは無茶苦茶分かった、悲しい
その女性は既婚者みたいだし、(既婚者でも未婚者でも)自分から行くことは(まして職場では)ない、でも、その女性には自分がコミュ障に見えて避けられたんだなと思う
〜〜〜〜
いや、認識がズレてたんだろうね
世の中の人の9割は冷たい、自分が利他行為をしても返してくれない人が9割なんだと
特に女性は理不尽にジャッジして拒否してくるし、それが普通なんだと
何かを褒めたりして、それを返してくれる人は稀で、そういう人を大事にしなきゃいけない
自分にとってはこれが一番難しいかもしれない(拒否られていると分かっていたのにその後輩の姿勢が良いことを褒めて微妙な返事をされた)
>人は自分の本音がよくわかってないし、聞かれたなりの「正解」を選ぼうとしてしまう。
元のこれを突き詰めると、最近新書とかでよく出てる脳科学の説では
行動が先に決定して後から理由を脳が作り出してる(要約というか雑まとめ)みたいなところ思い出す
(自由意志の有無みたいなものと絡んでくるから東洋系の人は諦めてて、西洋系がキャンセル権は自由とかで粘ってる 閑話休題)
反射みたいに即動くというのは大前提で、質問に答えるとかも基本反射でできる(疲れてる時、酔ってる時、慣れた質問)
そこに訓練で一旦保留して考えるという処理を割り込ませることは可能(キャンセル権と似たようなもの)人類はこれであれ
常にこれをやってて疲れるという人が結構いることが可視化されてきてるしできないじじいなども相変わらず
本音なんて行動というところではその場の得をとるのが野性というか本質で、次にその行動が未来に及ぼす影響を考えて(利己)、周囲の目を気にして(結局利己、そのうち利他検討も入ってくるが)……みたいに自制がどれだけできるかで変わって
行動するのではなく聞かれたケースだと時間に余裕があるし緊張状態でとか、慣れてない、しっかりしようとする意識があるとかで普段やらない(人はやってない)ルートでの回答を出してる(自分なりの正解)から実感とはほどとおいものが出力されるんだろうな
親切って利他の精神、他人のためにやるもの、って純粋に思ってますか?
筆者はそういう場合も多いだろうけれど、違う場合もよくあるだろうな、って思ってます。
その後者の例、ってこういうことだと思う。
1.困ってる人を見つける。
3.だから、(困っているはずのあなたは)私が指示したとおりの行動をしなさい。
という
2.他人をコントロールして自分の意図通りに行動させたいという「支配欲」
によって行われてる親切だと思う。
一番、頻繁に起こるミスマッチの例
2.席を譲ろうとする
3.断られる
席を譲ろうとしたら
「ありがとうございます。でも次の駅で降りるので」
みたいなパターンですよね。
あれなんかは、
という理由もあるだろうし、
なのが断る理由かもしれませね。
親切というやつがなかなか難しいのはこれですよね。
あと、そもそもこの親切は果たして利他なのかどうか?というのは自分でもよくよく考えないとわかりません。
席を譲って他人を座らせるなんてことは、自分の利得を他人に譲るのだから利他であるのは間違いありません。
同じ霊長類の直鼻亜目のゴリラ・チンパンジーは人類の言葉を使って会話ができるので、文化の質と深さが人間の本質ですか?って聞いたら、たぶん怒られる
ゴリラ・チンパンジーと人間の違いは、身体構造なので、身体構造が人間の本質ですか?って聞いたら、それもたぶん怒られる
ちなみに愛情と余裕を持って育てた実験ラットは、そうではない実験ラットと違う反応を示すんだと
つまり、利他性や社会規範といった概念は人間特有のものではない模様
一例: Third-party punishment-like behavior in a rat model | Scientific Reports
でも考えみたら、たぶん人間特有と思われるものがあったんだわ。それは"演出"だ
人間以外の動物も他者に合わせて演技をするが、人間以上に演出過多な生物はたぶんいない
「連続的なグラデーションの中で、ある臨界点を超えたとき、私たちが生命と呼ぶ特性が現れる」のと同じように、
「演出がある臨界点を超えたとき、私たちが人間と呼ぶ特性が現れる」って感じなのでは?
書いたよ
不作為責任 は「合理的介入可能性+職務的・契約的義務」が前提。全員に一律課すなら、実効性 を奪い普遍免罪を招くパラドックスが生じる。
行為者>教唆・共謀>傍観、重層化することで 優先的資源配分(制裁・再発防止)が可能になる。全てを同じ穴と叫ぶのは、体系を潰して怒りを拡散させて自己放尿してるだけ。
「死ね」が許容される文脈は被害の表出として理解されても、免責ではない。
トーンポリシング批判は「丁寧語を強要し議題をそらす行為」への指摘であり、言語行使が影響を持たないという免罪状ではない。
歴史的・構造的パワー差に乗るヘイトと、下位者の憤怒は同列でない。ただし構造分析はフリーパスではない。侮蔑語の常用が社会変革に資するかは 経験的に検証されねばならない。
「おじさん=潜在二次加害者」という総括の背後には、救われなかった過去の自分や友の痛みがある。
怒りの炎で凍傷を温めたい気持ちは理解する。だが方向を誤ればただの自己放尿だ。
ウィイイイイイッス! どうも〜█████で〜す。
えー、今日はですねぇ、あのねぇ、なんか、ま、ちょっと考えさせられる記事?っていうのを見つけたんですよ。
ほんで〜、まぁ僕もね、普段から色々、こ、社会のこととか考えてるんで、えー、今日はみんなと一緒に、その記事を読んでいこうかなぁと思いますぅ。はい。
えーっと、なになに…タイトルが…
『偽善が嫌いな俺の、利己(りわたくし)と利他(りほか)についての結論』
スゥゥゥ…利己(りわたくし)と利他(りほか)…ですか。なんか、も、いきなり難しい言葉が出てきましたけどもぉ…まぁ、読んでいきましょうかね。
あー、なるほどね。こ、これはねぇ、僕も分かりますよ。
いますよね、そういう人。口では「みんなのために」とか言うんだけど、こ、行動が伴ってない人。
スゥゥゥ…結局、自分が良く見られたいだけなんですよねぇ。
僕が昔、ちょっとだけやったバイト先にもいましたよ、そういう先輩が。なんかね、店長の前だけ良い顔すんの。スゥゥゥ…ああいうのは、良くないと思いますぅ。はい。
人間って、本質的(ほんねてき)には利己的(りわたくしてき)だ。
自分のために生きてる。
まぁ、そりゃそうですよ。うん。
ただねぇ、僕みたいに、こうやってYouTubeで発信してる人間は、ちょっと違うかなぁと。
最初はね、まぁ自分のために始めたとこもありますけど、スゥゥゥ…今となっては、もう見てくれるみんな、視聴者さんのためにやってますから。
だから、この筆者さんとは、ちょっと、き、境遇が違うのかもしれないですねぇ…。
ただ、ここが面白いところなんだけど、
人はその「利己(りわたくし)」を突き詰めていくと、自然と「利他(りほか)」にたどり着くことがある。
ん? スゥゥゥ…
『利己(りわたくし)を、と、突進していくと、利他(りほか)に…』
えー、どういうことだろう…
自分のことばっか考えてると、なんか、人のためになるってことかなぁ…?
スゥゥゥ…ちょっと、こ、言ってる意味が、む、難しいですねぇ。
たとえば、
好かれたいから、優しくする。
スゥゥゥ…まぁ、そういう人もいるかもしれないですけどもぉ…
利己(りわたくし)から生まれる利他(りほか)こそが、本当の優しさだ。
見せかけの利他(りほか)より、よっぽど人間らしくて信用できる。
えぇー…? そうなんですかねぇ…。
スゥゥゥ…僕は、違うと思いますけどね。
やっぱ、こ、根本に「人のために」っていう気持ちがないとダメですよ。
僕の動画もそうですけど、僕が楽しむのが第一…じゃなくて、みんなが楽しんでくれるのが第一なんで。
スゥゥゥ…この人は、なんか、こ、根本的なところを、ま、間違えてるんじゃないかなぁと思いますぅ、はい。
そんな「利己的(りわたくしてき)で正直な優しさ」の方が、ずっとあたたかい。
うーん…まぁ、言いたいことは、なんとなく分かりますけどもぉ…。
スゥゥゥ…でも、やっぱ、ちゃんとした、り、理想を持つべきですよ、人は。
こういう、なんか、諦めたみたいな考え方は、僕は好きじゃないですねぇ。
なんですかね、これ。アニメの、ひ、必殺技の名前かなんかですかねぇ…。
まぁ、こういう名前を、け、掲載するってことは、ちょっと、まぁ、変わった人なんでしょうねぇ。
スゥゥゥ…まぁ、僕から言わせてもらうと、この人はまだ、人生経験が、た、足りないんじゃないかなぁと。
もっと、こ、腰を据えて、ちゃんと社会とか、他人と向き合えば、僕みたいに、こ、自然と「人のために」っていう気持ちが、め、芽生えてくると思うんですけどねぇ。
スゥゥゥ…まぁ、僕の動画を見て、ちょっと勉強し直した方がいいかもしれないですね、はい。
おう、ワイや。子持ちや。
ガキおるってだけで、なんやもう人生の重みちげーな?とか思っとる奴、甘いで。
ワイはそのガキを使ってある「実験」やっとるからな。マジやで。
その実験いうのが、
「クッソ気持ち悪いくらい愛してるって言い続けたら、ガキは人生強くなる説」
や。
いやほんま、毎日やで?
朝起きて「愛してるで」
飯食って「今日も最高やな」
寝る前「お前はワイの誇りや」
たぶんガキの脳みそも「もうええて…」ってなってると思う。
なんでそんなことしとんねんって?
ワイも何回か詰んだと思ったで。ほんまに。
でもな、「昔、親からめちゃくちゃ愛されとったな」って思えたら、
ほんで今、ウチのガキに「自分で自分のこと好きやで」って言わせるとこまで来た。
勝ちや。ワイの完全勝利や。
ただな、時々思うねん。
「これ、ガキのため言うよりワイの自己満ちゃうんか…?」って。
ガキが幸せになる→ワイ嬉しい
ガキが不幸やと→ワイしんどい
……あれ?これってワイのためでは?
でもええねん。
結果がええ方向行っとるならもう全部オッケーや。
だいたいの「愛」には裏があるんや。
「見返りなんて求めてないよ(チラッ)」ってやつや。
見え透いんじゃボケ。
けどまあ、ワイはワイなりにやっとるつもりや。
ガキの記憶に「クソ暑苦しい親父おったな」って残ってくれたらそれでええ。
生きてるだけで価値あるとか、そんなん建前や。
せやけど、「自分は愛されとった」って感覚は、たぶん人間にとっての防御力+99みたいなもんやと思うで。
「愛してるで」って。
もう言いすぎて口癖なっとるけどな。
少し前から頭痛がするようになっており、毎日の作業時間としては残業無しのフルタイムくらいのものですが体調が万全でないこともあってしっかり休息をとることができない影響が響いているのかなと自覚してます。
うちのエリアを担当して下さっていたヤマト運輸のお兄さんは少しの間みかけなくなり久しぶりに配達にきたと思ったら髪の毛が全て真っ白になっていたことに驚くしかありませんでしたが、そのような激務に耐えられる理由は家族のためでしかありえないでしょう。
その理由とはもちろん大好きで心地の良い妻さんであったり問答無用で可愛い子どもといった精神的なところもあるでしょうけど、もっと肉体的な奥底にあるものとしては女性の体臭といったものが男性に与える影響は長い独身を経てみなければわからないことでもあります。夏が本当に暑くなってヘアスタイルにも影響がありそうなほどですが、やはり髪の毛を毎日洗うのは負担が大きく、レジ待ちなどで以前よりも女性の体臭を感じられる機会が増えているのではないかと思います。そういったものは理屈や感情抜きで男性の精神を昂揚させる効果があると思っており、それが同じ空間で過ごすこと、代表的には同じベッドで寝ることで男性としては朝まで無意識的にでも幸せ物質を補給できているのではないかと考えます。それが男性にとっての幸せな感覚とか自信に繋がるのだと思いますが、それのない独身男性がきついフルタイム労働に耐えるのは難しいのではないかということが、昨今の不就業者と未婚率との隠された原因ではないかと思ったりします。
しかしいずれにしてもフルタイム労働が如何にきついものかであり、それに耐え続けることによる悪影響を考えずにはいられません。家族のために働くことは必要なこととはいえ我々は資本家の養分になるために生きているのではないということに怒りがふつふつと湧き起こります。最低限生きていくために必要な住居費用にしても、日本人の敵である維新やミサワホームが何の縁もゆかりもない金髪碧眼国家から自然に成る木を大量輸入していることなどは、どれだけの搾取が行われているかという一例に過ぎないでしょう。
そういう我々自身も気をつけなければならないことは、車のランクや住宅の外観に費用をかけすぎることであり、車に用いられる鋼板はリサイクルに限度があることから一定量は使い捨てにされている現状があるでしょう。であるなら我々は使い捨てにされ続けるが故にいつまでも石炭や鉄鉱石を燃やし続けることによる温暖化によって主食が採れなくなるという、見栄によって自らの首を絞める経済システムにどっぷりと浸からされているという現状を認識する必要があり、そのように認識したうえで現状で良いと思うならそのようになるしかないですが、現状に問題があると思うのなら自らの意識を変えるための発想の転換が必要であり、具体的には一億円のスーパーカーのようなものこそ世の中で最もダサく、建物外観に必要以上に凝って散財を煽ったりすることに癌のような気持ち悪さを認識していく必要があるでしょう。
我々は意味もなく生きているわけではなく命を繋いでいく使命を帯びていますが、その先にあるものを考えるなら「どのように」生きていき、どのような未来のビジョンを持つかということも生きることと同様に重要なことです。
現状の世界で富や権力を握っている者達のように刹那的に生きていくことをヒエラルキーの頂点とする生き方を目指すだけなら不幸の再生産を延々と続ける結果となり、子の世代なら直接支援するなどでそれによる悪影響を認識し辛いところはありますが、孫やもっと後の世代のことを考えなければならない事態に至っていることは明白です。
ですので我々はそのような問題意識をもつのであるなら、端的には毎年のように発売されモデルチェンジされる自動車の外観=鉄板プレス構造=ブリキ缶の意匠などに魅入られたりせず、特に男性はアイデンティティの一部とするようなことはあってはならないのです。たかがヒトの、それも白人の造ったようなものがアイデンティティの一部になるなどということは自らを家畜の地位に貶めるようなことでもあります。管理される家畜ではなくヒトであるためには外観などではなく構造を徹底的に分析し、どのようにすれば生活が楽になり、同時に未来も確保されるかを考えねばならず、であるなら外観などは野暮ったいものになるのが必然です。
白人は子にトリックオアトリートのようなプログラムを入力する必要のあるロボットでありながら動物のような特徴という気持ち悪い生物でありながら映画には向くといった特徴もあるのは確かですが、その白人は男性優位社会でしか繁栄しないことは黒人との混血の進むアメリカが証明してくれており、それについて疑問に思う方もおられるかもしれませんが、その疑問はそのまま白人男性の権威的、序列主義的性質に向けられて然るべきものです。それを最も端的に現わす出来事がダイアナ妃の事故死です。
日本でも不可解な死は起きており、言わばサタンによる「裏切り者」への死の制裁でしょう。
我々の強いられてきた労苦を子孫に受け継がせないためにはサタンから受益(利己主義)してきたものを少しずつでも手放していく=本当の意味での社会貢献(利他)が必要です。
あなたの中に「すごいものを作りたい!」という情熱があることは素晴らしいことです。
しかし、それが執着になり、心を苦しめているならば、その執着を和らげる方法を探ることが大切ですね。
仏教では「執着(タナー)」は苦しみ(ダンマ)の原因の一つとされています。
特に、自分の価値を「すごいものを作れるかどうか」に結びつけてしまうと、思い通りにいかないときに苦しみが生まれます。
執着を手放すことは、「やる気をなくす」ことではなく、心を自由にすることなのです。
「すごいもの」とは何でしょう? たくさんのスターをもらうこと? 多くの人に使われること? それとも、あなたが心から楽しめるものを作ること?
もし「他人の評価」が軸になっているなら、それは無常(アニッチャ)なものです。他人の評価は変わり続けます。それに振り回されると、心は安定しません。
GitHubでの創作が「結果を求める手段」になっていませんか?
仏教では「現在の行い(カルマ)こそが大切」とされます。結果を気にしすぎると、今この瞬間の学びや喜びを見失ってしまいます。
→ 「すごいものを作る」のではなく、「作ること自体を楽しむ」と意識してみてください。
今は「すごいものを作りたい」と思っていても、未来のあなたはまた違う価値観を持っているかもしれません。
「今の自分の気持ち」も移ろいゆくものだと理解すると、そこに執着する必要はなくなります。
もし「すごいものを作りたい」という気持ちが苦しみを生んでいるなら、「他の人が少しでも便利になるものを作る」という視点に変えてみてはいかがでしょう?
✅ 「何を作るか」より「作る時間を味わう」
✅ 「結果」ではなく「今この瞬間の学び」にフォーカス
あなたが「すごいものを作りたい」と思う気持ちは、決して悪いものではありません。
ただ、それが苦しみを生んでいるなら、少し肩の力を抜いてみるのもよいでしょう。
子供の頃は虐待を受け、学歴なんて身につける余裕はなかったが、色々あってどうしても医者として働きたくなった。
これまで無駄遣いもせずに暮らしてきたし、機関の奨学金もこれまで使ったことないから一応借りれるはずだし、節約すればやっていけるという判断で医学部受験することに決めた。
一般的には医学部再受験って言葉でイメージされるような年齢だが、大学に行ったことはないから「医学部受験」だ。
私立の医学部に行けるような金は当然ないから、国立一本勝負だ。
予備校に使う金も当然ないので2年くらい自力で勉強して、共通テストもボーダーを超え、最近二次試験を受けてきたところだ。確実に受かってるとは言えないが、合格確率はそれなりにあると思う。
直接世話になったわけではないが、参考書の出来が良いから勉強中にあまり困らなかったという意味で予備校講師に感謝している。
落ちてたらどうしようとか、受かってたら所持品の何を捨てて何を持って行こうなんて思いながら一服してたら、とんでもないニュースが飛び込んできて目を疑った。
そんなことになったら今までの全ての計算が狂う。
6年間ストレートで卒業してもお金が足りなくなるかもしれない。
3倍という案がそのまま通らなくても、6年で必要な額が200万とか増えるだけでも十分深刻な問題だ。今でも6年間の清貧を覚悟して臨んでるんだ。
そもそも子どものいる家庭だって、貧乏だけどたまたま子どもがすごく頭が良くて応援している、国立ならなんとか行かせられる、そんな家庭いくらでもあるんじゃないのか。
子どもの二次試験バッチリだったよ!ってLINEを家族全員で大喜びしてたのに、このニュースのせいでどうしようどうしようって困っている家庭が今、日本にたくさんあるんじゃないのか。
はてなでこんな事言うと上位受験生は金持ちばっかとか言われそうだが、地方医学部なんて特別な「課金」をされなくても狙える範囲の、地道に知識を積み重ねれば答えられる問題なんだ。
地域枠奨学金の入学後採用などを勧められるかもしれないが、診療科も勤務先も自由に選べないのは俺にとってかなり辛いことだ。
9年その地域に縛られるのはまだしも、そこに制限があると自分が目指している医師像から遠ざかってしまう。
別に金のために医者になりたいわけじゃない。俺なりの理想があって、俺なりの利他精神があって、社会にどういう風に貢献したいというのがある。
直美や自由診療なんて絶対にやらない。いくら待遇や「コスパ」とやらがよくても俺の理想はそこにはない。
上からお前は今足りないこの診療科から選べ、この僻地に何ヶ月行って次はこの病院で何年やれ、そんなことを何もかも指図されながらやりたいんじゃない。
俺が今までの人生で得た観点から、俺ならではの問題意識で医療に取り組みたいからわざわざ10年修行しなきゃいけない方向にキャリアを変更しようとしてるんだよ。
いや、100%正直に言えば、学歴コンプ解消みたいなのも10~20%くらいはあるかもしれないよ。そりゃね。
学歴なくて不便に思うこといっぱいあったしね。
でも偏差値が上だから偉いみたいなしょうもないマウント取りに使いたくて医学部に入りたいわけではない。
むしろたかが学力だけで人間に上も下もないだろと主張するために欲しいだけだ。
とにかく頼むから無闇に授業料いじらないでくれないか。高額療養費の変更にも疑問があるが、本当にそこからいじらないといけないのか?