はてなキーワード: であるとは
まだ、1枚絵に関しては人間が描いた方が上を行っている。
人間はドット絵によるアニメーションを頑張ってもせいぜい10フレーム程度だが
AIは5秒の歩行アニメーションだけで120フレーム作ってくる。
秒間20フレームのドット絵アニメーションはドット絵を感じさせないが、停止させるときちんとドット絵になっている。流石にこの細かさは人間にはできない。人間が作ると一年を費やしそうだが、AIは数分で仕上げるらしい。
日本銀行は30日の金融政策決定会合で、6会合連続で利上げを見送った。米国の関税政策の影響をなお見極め、高市早苗新政権ともコミュニケーションを図っていく考えだ。一方、高市氏が後継を自任する安倍晋三・元首相の経済政策「アベノミクス」を理論面から支えた浜田宏一エール大学名誉教授はいま、利上げを主張している。大規模な金融緩和を唱えていたリフレ派の経済学者が、「必要なのは金融引き締めだ」と訴えるようになったのはなぜか。詳しく聞いた。
「最大の問題は物価が上がり続けるインフレの放置です。『物価の番人』である日銀はなぜ、利上げをためらうのでしょうか。円安も是正されず、交易条件の悪化で日本人は輸入品を高く買わされる一方、外国人が『安い日本』を買いたたいているような状況を見過ごせません。国民を苦しめ、国家の基盤を揺るがす事態です。金融引き締めが必要です」
「状況が違うのだから、対応が変わるのは当然です。暑ければ冷房を入れ、寒ければ暖房を入れる。ケインズいわく『事情が変わったのに意見を変えない人は愚か者だ』と。第2次安倍政権でアベノミクスを始めた2013年初頭は1ドル=80円台で、製造業はコストカットに追われ、物価が下がり続けるデフレが問題でした。今は1ドル=150円台、インフレ、人手不足で、状況が正反対です」
――物価上昇率は日銀の目標の2%を3年6カ月上回っています。ただ、原材料など供給側のコストプッシュが主因で「一時的」として、日銀は慎重に利上げを進めています。
「国民は一時的だと思っていますか。3%のインフレも3年続けば10%。人件費や家賃なども上がり始め、デフレマインドも変化しているはずです。1970年代の石油ショックや、コロナショックも供給側を起点としたインフレでしたが、実際に価格が上昇すると、需要曲線も上がるのです。『一時的』と見ていて、利上げが後手にまわった例は少なくありません」
「確かに日本では少子高齢化による需要の弱さや、デフレへの逆戻りに懸念もあるのでしょう。ただ、もしそれらが表面化したら、また利下げすればいいのです。日銀は昨年夏の利上げ直後の株価急落がトラウマなのかもしれませんが、政治や市場の反応を過度に恐れて、正攻法である金融引き締めができないようなら日銀は要りません。今すぐ利上げをするべきです」
――高市首相の「金融政策の責任は政府にある」との発言をどう評価しますか。
「同意します。政治家には『難しい』といって日銀に任せきりにしたがる人もいましたが、それではダメです。金融政策は景気や物価、雇用に直結する重要な政策です。私たちが大規模緩和を主張したのは、変動相場制になって以降、米国の金融緩和が円高を通じて日本経済を冷やす構造に、日銀が対応できていなかったからです」
「一方、日銀は膨大な経済データを駆使する金融政策のプロ集団で、政策手段を巧みに操作できるため、その独立性は極めて重要です。だからこそ、政府と日銀は互いの立場を尊重しつつ、よく意思疎通するべきです」
――車利用者の家計を助けるガソリン旧暫定税率の廃止はどう考えますか。
「対症療法にすぎず、筋違いです。インフレの影響は年金生活者や勤労者だけでなく、利上げ時に価格下落リスクを負う株式投資家など国民全体に及びます。国民全体の物価上昇を抑えることが重要で、ガソリン利用者の負担だけを軽減するのは不十分。ガソリンが安くなれば車の利用も増え、かえってインフレを強めかねません。減税は本当に困っている人を助けるよりも、結果的に国民全体の負担を重くする恐れがあります」
「そう単純ではありません。インフレによる税収増は景気の過熱を緩やかにする役割があり、経済学では『自動安定化装置』といいます。バラマキ的な財政拡張はインフレを強めかねません。逆にデフレや不況の時には借金してでも財政出動が必要です」
――アベノミクスは課題もあったと思いますが、いま再設計するならどうしますか。
「第2次安倍政権では雇用を約500万人増やし、デフレ脱却の土台となりました。ただ、賃金や生産性、男女平等では課題も残しました。いま必要なのは『量』ではなく『質』の向上です」
「アベノミクス第3の矢の成長戦略は不十分でした。高市首相が掲げる官民による危機管理投資や成長投資は大いに期待します。特にデジタル分野では、米国や中国のようにデジタル技術で世界規模の付加価値を生み出す力を持たなければなりません。そのためには、記憶力偏重の教育から脱し、議論を通じて創造性や独自性を伸ばす教育も欠かせません」
経済政策の「正解」とは?
――経済政策に「正解」はあるのでしょうか。
「私は過去に重いうつ病を患いました。外から見ていると、医者は病の治し方を完璧に知っているように見えますが、実はそうではないようです。経済政策も同じで完璧な答えはありません。それでも、物価高に苦しみ、『安い日本』と呼ばれる現状に自信を失っている国民にとって、いま本当に必要なマクロ経済政策は何なのか。私は経済学者として考え続けたいですし、高市政権の閣僚も考え抜き、議論を重ね、最善の政策を実行してほしいと願っています」
浜田宏一氏の経歴
はまだ・こういち 1936年生まれ。米エール大名誉教授、東大名誉教授。専門は国際金融論、ゲーム理論。第2次安倍晋三政権で内閣官房参与を務め、アベノミクスの理論的支柱とされた。著書に「21世紀の経済政策」(講談社)や「うつを生きる」(文春新書、内田舞氏との共著)など。
みんなやってる
令和の虎かなんかでもインスタのオートいいね、フォローボットやっとりますねん!って堂々と出てきて
規約違反やろがい!って怒られてた奴がバズってたやん。
それを手動なりマクロなりでやってる代行業者やってる奴らがいっぱいいる
相手が「どんな人なのかな~」って見に来る
→認知ゲットだぜ!
返報性の原理でいいねを返したりフォローした方がいいのかなという心理が働く
→認知ゲットだぜ!
業務用アカウントで「いいね」する行為というのは「エンゲージメント獲得」のための営業である場合が多い
「××コーチング」みたいなスッカスカ有料記事書いてるカスどもが死ぬほどいいね送ってくる
あれってあいつらが買った情報商材にそうしろって書いてあるからなんだよ
フォイー(フォローしてる数)とフォロワー(フォローされてる数)の比率はそのアカウントの価値に関わるから
いるじゃろ、フォロイー4000人、フォロワー3000人みたいなアカウント
そういうの見ると思うじゃん、必死だな(藁)って。
こいつ誰彼構わずフォローしてるなぁって思われるとやっぱ価値が下がる。
※フォローしまくってある程度フォロバ稼いだらフォロー切る営業も当然ある。
それが自分と関係ないFAにいいねするという行為が該当するかどうかはともかく
実際に全然関係ないタグのポストにいいねしてくる公式垢のやつ奴ってやっぱそれなりの数いて
それを「営業やめろよ」とまでは思わなくても「意図は何なの?」とは思う
そいつが同じタグの投稿をしてる同好の士とかならまだわかるし嬉しいけど
全然関係ない興味もなさそうな奴だったらなんかキモいなってなるのはわかる
もちろんスワイプする時の誤タップの可能性だってあるからクレームつけたりはしないけど
ただ業務用アカウントでの文脈のない「いいね」は営業と捉えられることがあるってのは
もし知らないんだったら知っておいた方がいい
まぁそうだよね。
という語が強烈だなと思ってそれ以外の視点を提供したかっただけで、私がやられたら怒るよ。
私なら直接懸念を伝えると思う、「出演者である私の事前許可なく動画を公に投稿し利益を得るのは問題だ」と、場合によっては登場箇所の削除を要求するかもしれない。
「君たちは、笑いながら“壊されている”んだよ!」
かつて“戦うこと”の意味を知った青年、カミーユ・ビダンが、任天堂を真っ向から批判した。
「画面の中で誰も怒らない。誰も、苦しまない。そこにあるのは“快適さ”だけ――だがそれは、魂を抜かれた快適さだ」
彼の言葉は鋭い。だが、その指摘は痛いほど的を射ている。
いまや任天堂は「家族の笑顔の象徴」ではない。むしろ、「感情を均質化する巨大システム」だ。
人間が怒り、悩み、失敗を経て成長する――そんな“生の実感”を、彼らは次々と削ぎ落としていった。
「ポケモンを見てみろ。勝っても負けても、誰も本気で泣かない。感情の振れ幅を、“商品”として最適化してしまった。あれはもう教育じゃない、調教だ」
ビダンは語気を強めた。
彼の目に映る任天堂とは、「消費者を穏やかに“管理”する帝国」である。
“安全な遊び”という名のもとに、怒りや悲しみといった人間の核を削除し、“従順な幸福”を植えつける。
「人間を子どものままにしておくのが、彼らの戦略なんだよ。大人になるとは、感じること、苦しむこと、そして立ち上がることだ。だけど任天堂の世界では、永遠にリセットできる。――それは、生きることをやめることだ」
彼の言葉に笑う者もいるだろう。だが、見て見ぬふりをしてはいけない。
いやまったくその通り。
国際政治の古典大家、EHカーは「国際社会はアナーキーである」との名言を残した。
国際法とは、違反を取り締まる警察がいないのだから、実質的に法ではない。
以下は匿名掲示板のやりとりです。
Aの主張の是非には触れずに、Bの言いたいことの解説だけをしてください。
A.
B.
傘をさすと雨が降ってくると思ってそう
Bの発言「傘をさすと雨が降ってくると思ってそう」は、因果関係と相関関係を取り違えているというAの論理的誤謬を指摘する表現です。
因果関係の逆転の指摘
実際には「雨が降る→傘をさす」という因果関係があるのに、「傘をさす→雨が降る」と原因と結果を逆に捉えている状態を揶揄しています。Bは、Aが「SNSで生きづらさを発信する→女性の自殺が増える」という因果関係を主張しているが、実際には逆で「女性の生きづらさが存在する→SNSで発信される」かつ「女性の生きづらさが存在する→自殺が増える」という可能性を考慮していないと指摘しているのです。
前後即因果の誤謬の指摘
この表現は「前後即因果の誤謬(Post hoc ergo propter hoc)」と呼ばれる論理的誤りを指摘しています。これは、ある出来事の後に別の出来事が起こったことを根拠に、時間的な順序だけで因果関係があると誤って結論づける誤りです。Bは、Aが「SNSでの発信が先にあって、その後自殺が増えた」という時間的順序だけから因果関係を断定していることの論理的問題を指摘しているわけです。
つまりBは、相関関係(2つの事象が同時に起こる関係)と因果関係(一方が他方の原因である関係)を混同してはいけないという、統計的・論理的思考の基本を皮肉を込めて指摘しているのです。
現代の現実的なヒーローを描くという意味では歴代屈指の出来だと思う。
ただ、尺の都合なのか「ヴィジランテ(自警団)」の是非については片手落ちになっているとも思った。
とりあえず、いい加減、ディズニードラマは適当なところで切るのやめろ。
ガンニバルもそうだったし、今作もそう。最低限、何らかの話は終わらせろ。
今作では仲間を奪われ怒りを制御できず自身の考えるヒーローの資格を失い、ヒーローを引退するマット・マードックと、自身の悪心を制御することでニューヨーク市長へと昇りつめるウィルソン・フィスクという対立構造から話が始まり、フィスクの悪心が徐々にあらわになるにつれ、再び怒りを募らせついに復帰するマットが鏡像として描かれる。今作の序盤から終盤にかけてマットとフィスクはほぼ同じ属性のものでは?というエクスキューズが投げかけられている。これは過去作からもある種共通したテーマだった。
しかし、今作では市長として時に脅し、時に煽てながら仲間を増やしていくフィスクに対して、マットは孤立を深めていく。そしてその結果、マットは破れ、フィスクが勝利する。しかし孤独だと思っていたマットにも、ニューヨークを取り戻したいと思っている善良な仲間がいた。彼らの革命が始まる!完!
完!じゃねぇんだわ!という気持ちはあるが物語としてはよくできている。
キャスリン・ビグローならここで本当に「完」にしそう。
フィスクが権力内、そして市民への支持を得ていく過程で利用するのは「顔隠して暴力ふるいまくるヴィジランテ(自警団)ってヤベー奴らじゃね?」という印象操作。これは例えば今でいうなら「移民」であったり古くは「輸出大国日本」であったりという「共通の敵を作り出すことで団結を促す」という手段であるのだが、これを行うことでフィスクは「自身への団結」と「敵の排除」の両方を効率よく行っていく。過去に倣う立派な政治家である。
しかしそれに対してマットは今作ではヴィジランテとしての活動はほぼ全く行わない。
マットがデアデビルになるシーンは概ね4つ。
1~3は「知り合いが危険じゃねーか!!!(ブチギレ)」で、4は自己防衛。
自警団として「世の中の悪を退治する」という活動を行うシーンがほぼない。
マットがデアデビルになるときは終始ブチギレており私怨からヴィランをボコボコにしている。
もちろんこれが「自警団って言ってるけど感情的に暴力をふるっているだけでは」という、アンチ自警団のフィスク側の視点を補強する役割を担っていて、だからこそ市民の信頼を回復するに至らず敗北するというのは理解できるのだが、それにしても作劇的作為を感じすぎるなと思った。
フィスクニューヨークは治安も全然回復してないし、何なら悪くすらなってるのにマットはそれらはおそらく無視して自分に関係のある人が害されるとブチギレて暴れ出すヤベーやつになってるけど、さすがに前まではそこまでのキャラじゃ無かったよね?と感じてしまった。
昨今多いけどやっぱ市井の人々を救うシーンを描かずにヒーローの葛藤を描こうとするのやっぱフェアプレイに反すると思う。そりゃ「仲間を救う」ためだけに力を使うんだったら「ヤンキー」や「暴力団」「マフィア」とは変わらんけど、そうじゃない人だから「ヒーロー」なんでしょ。
今作に登場したフランク・キャッスルならそれでいいけど、マット・マードックはそうじゃなかったはず。もちろん冒頭でイキスギ!ヒーロー暴行伝説!やっちゃって自警団活動に葛藤してるって構成なのはわかるけど、それで市井の人が苦しんでるのは無視して、自分の知り合いならブチギレるってやっぱ違和感があるよ。
とはいえ「デアデビルの新作」として見なければ(まぁそう見ないとフィスクとマットの関係とかよくわかんないんだけど)ここ最近のMCU作品の中では映画を含めても完成度は高いほうだし、ノワール系の作品が好きなら見て損はないと思う。
ただ、マジで「え?ここで?」ってところで終わるので、26年3月にシーズン2があるそうなのでそれを待ってから見てもいいかもしれない。元々全18話だったのをシーズン1の9話で出したって話だから、まさかシーズン2もいいところで終わることはないと思うので。まさかね。
今無職であるが、子育てにはお金がかかる故、仕事を探しているところである。
なお、面接は1ヶ月以上先。
「その日はいっぱいです。」
1ヶ月以上先なのに!?
ファミサポとは、ざっくりと言うと有償ボランティアによる子供の預かり等のサービスである。
「0歳児は小さすぎるので、預かってくれる人はいません。」
え?
じゃあなんで会員登録の時に言ってくれなかったの?
なんかあった時のためにお願いしたいって言ったはずだけど、急に梯子を外された気分になってショックだった。
ベビーシッターは見つからなさそうだし、そもそもシッター料金を見て「一時保育って安いんだな…」と思ってしまった。
預かってくれる人がいないし、面接は諦めようとも思っている。
仕事がしたい。
自分はデスクワーク、フレックス、在宅勤務が可能な仕事。配偶者は丸半日以上職場に拘束される。稼ぎはほぼ同等だが、家事負担は当然私の方が多くなる。
しかし私の仕事は波があり、朝5時台に家を出ることもあれば、帰宅が日付変更線を越えることもある。そんな時は定時性がある程度ある配偶者が、家事の一部を担う。
配偶者は非常に忘れっぽい。例えば「洗濯機を予約で回しておいて欲しい」と頼むと、「予約」が抜け落ちたりする。
はたまた洗濯機をいじっている時に「終わったら洗った皿を仕舞っておいて欲しい」と頼むと、皿は仕舞われていない。
とにかく指示受けの漏れや抜けが多く、日常生活でこれなら仕事はどうなっているのかと不安になる。実際業務上でも抜け漏れはあるらしく、対策は取っているらしい。話を聞く限りでは「職場ではそれなりにデキる部類」らしいが……。
先日、私は朝家を出るのが非常に早い日があった。その前日の夜、冷ました米を冷蔵庫に仕舞うよう頼んで私は布団へ。起きてみれば仕舞われていない米たち。この時季だからセーフだろう、と米は即座に冷蔵庫に仕舞われ、ちゃんと消費した。
「家事の抜け漏れが多いのは理解しているつもりだが、食品は別だろう。この量の米を廃棄することになったら、様々な損失が大きいことを理解して欲しい」
配偶者は私にこのようなことで怒られることが多いことを自覚しており、今回は非常に落ち込んでいるようにも見える。よくSNSで見かけるバケモンと違い、反発したり逆ギレすることはない。傍目には反省しているように見える。
ただ、落ち込んで終わりなのだ。いつものことだ。多分またやる。厳しく言ってもダメ、優しく諭してもダメ。
「脳ミソかち割って見てみたい」だ。
脳ミソを覗いたところで忘れっぽい原因がわかるわけじゃない、そんなことは百も承知だ。個人的にこの一言を言われるのは傷付く。前職で嫌と言うほど経験している。だからまだ言っていない。
日常生活の指示受けがまともにできない人は、どのような思考回路で動いているのだろうか。今まで一人暮らしをしていて、困った経験はないのだろうか(配偶者は困ったことがある)。
悩みは尽きない。
【プロンプト】
「頑張ってライブやってこい。ただし羽目だけは外しすぎるなよ」
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【シンキング結果】
いいえ、この台詞は日本語として特に変ではありません。むしろ、カジュアルな会話で自然に使えそうな表現です。以下に理由を説明します。
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────────────────────
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%B1%E5%8F%AF
許可(きょか)とは、行政法学上、本来誰でも享受できる個人の自由を、公共の福祉の観点から一旦禁止しておき、
個別の申請に基づいて特定の場合に解除する行政行為である。禁止の解除であると言われる。
「個別の申請に基づいて特定の場合に解除する行政行為である。」とあるように
そこで「許容」について調べると
https://kotobank.jp/word/%E8%A8%B1%E5%AE%B9-479984
許容(読み)キョヨウ
きょ‐よう【許容】
という意味だが
そういう言い逃れを防ぐために
・禁止事項の中に「その他、当社が不適切と判断したもの」と明記されている。つまり、企業側の判断次第でどんな作品もアウトにできる。
・ブルーアーカイブも「個人の趣味の範囲に限る」「商用・営利目的は禁止」と書かれていて、さらに「その他、当社が不適切と判断するもの」も禁止項目に含まれている。万能カードのような条項だ。
繰り返すが
公式が個別に審査して不適切ではないと判断したら与えられるものが許可
ガイドラインはファンが公式の許容範囲を推測しやすくするために示された大まかな指針でしかなく
例えばウクライナ・ブチャで女児を犯して殺して地下室に投げ入れた兵士は(どうせ当人もとっくに使い捨てられてこの世にいないのだろうが)、自分のやったことを思い出して後悔しなかったのだろうか。
そういうムチャクチャな虐殺行為というのは強烈な殺意や血の酩酊の狂乱の中で行われるのではなく、疲れた頭で投げやりにダラダラと行われる。
モノクロの集団銃殺の映像。撃たれるために壕の中に進む大勢の女子供と監視役の(そして実行役の)兵士たちは盛り上がらないイベント会場の群衆とバイト係員のようだ。
間違いなく兵士たちはあんまり何も考えてない。思考停止して冷酷な殺人ロボットに成り切ろうとしてるとかではなく、タイミーバイトみたいに「ダリーな。でもまあちゃっちゃと片付けないと」としか思ってないだろう。
宝飾店を営む家に押し入り、家人を拷問して一生寝たきりにしたトクリュウのガキがなんか「俺みたいになるな」みたいな安い反省文を書いて文才が地頭がとX民に絶賛されていた。
そうやって過剰な反省ポーズに酔うことで自分を誤魔化すこともできる。
そもそも罪悪感は、他人に責められるまでは眠っているものだという。
人間は他人を踏みつけても自分はそんなに痛くない。だからこそ“ついつい”レベルでどんな残虐なこともやってしまう。自分から、生きるに差し支えるような悔恨に駆られるほど人間は“人間的”ではないという。
しかしやってる時は大して何も考えてなかったり、自己陶酔の材料にしたり、記憶を捻じ曲げて合理化するとしても、それで一生OKなのかどうか。
子供を殺した感触、何の恨みもない相手の頭蓋を割った感触を時折まざまざと思い出すことはないのか。あるいはその事実は認識しているのに、自分が本当にその時何を考え何を感じていたか曖昧になり、今現在の自分が何ものかわからなくなったりしないのか。
そして、自分が根底から無価値な根無し草のような存在に思えて不安に苛まれる事はないのか。
(明らかに自分に非があって謝れないのってむしろそういうことなのでは。最後のダメ押しになってしまうから)
都合の悪い記憶を脇に押しやり切り捨てようとしても、それは自分の身を切り捨てて小さく削れていくような気がしないのか。
フィクションでは、そういう身を切るような悔悟の描写はゲップが出るほどありふれてる。でもそいつらほぼ間違いなく、法はともかく俺は許すぜと観客が思うような、やむにやまれぬ成り行きで人殺して、それなのに自発的にめちゃくちゃ悩んでるというナイスガイなんだよ。
あるいは反省の挙句、ノミでトンネル掘って諸々チャラになりましたとか、宗教に目覚めたりとか。
またあるいは本当に獣欲に手足がついただけのモンスターも稀には実在する。「血と骨」の親父みたいな。
そんなんはどうでもいいんだ。
単に命令されたからとか誰も見てないからとか私利私欲のために他人に地獄の苦しみを与えた人でなしが(あるいは、ある意味ではひどく凡庸な人間が)、本当に何を考えて、そのあとの人生を送るのかが知りたいんだ。
パフォーマンスでなく、誰にも知られない場所で「自分のような人でなしにはこのくらいの罰がふさわしい」とひとり腹切り刻んで苦しみ抜いて果てたやつがいたとしても、わからないのだが。
私はむしろ人でなしのひとりとして同類の声が聞きたい。あるいは人でなしに人生をゆがめられた人が「人でなしが本当に考えること」に触れて何を思うか知りたい。
もちろんここでじゃないよ。これは長いメモ。
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「罪と罰」読んでないがあらすじとコミカライズは読んだ。結局追い詰められてゲロするわけだが法的な裁きを受ける受けないの話はどうでもいいのである。大虐殺の実行者も命令者も往々にして何の罪にも問われない。そのうえで何を思うかあるいは思わないか。
「撫順帰り」とかで人でなしの大反省文がいくらでも読めるが、あまりにも政治的に汚染されている。全部嘘だとか事実だとかいう話はしていない。
戦争体験を語り継ぐ戦後文化の中で再構成され奇形進化した“芸能”に興味はない。
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集団妄想 「インフレ率を超える賃上げ!」→ 正しい思考「物価転嫁スパイラルでハイパーインフレで日本終了」
集団妄想「物価高対策の積極財政!」→ 正しい思考「貨幣価値低下によるハイパーインフレで日本終了」
集団妄想 「減税しても財源は問題ない!」 → 正しい思考「財政規律崩壊によるハイパーインフレで日本終了」
集団妄想「日本の財政は自国通貨建て国債であるため破綻しない!」→ 正しい思考「貨幣価値低下によるハイパーインフレで日本終了」
集団妄想「円安は企業の輸出競争力を高めるため、日本経済にとっては最終的にプラスに働く!」→ 正しい思考「輸入物価高騰によるハイパーインフレで日本終了」
集団妄想「日本は高度な技術力を持つため、供給力が高まる!」→ 正しい思考「価格上昇のための供給制限でハイパーインフレで日本終了」
集団妄想「日銀の国債無制限買い入れは、デフレ脱却に必須である!」→ 正しい思考「財政ファイナンスの常態化と信認喪失でハイパーインフレで日本終了」
集団妄想「金融引き締めは時期尚早であり、緩和を継続すべきだ!」→ 正しい思考「金融政策の遅れによるインフレ制御不能でハイパーインフレで日本終了」
ちょっと待って! それってコミック・小説系同人だけの話だよね!
コミケは本当のオールジャンルなので、ゲーム音楽コスプレ雑貨評論あれこれはそれぞれで半ホール形成できるのよ!
オリジナル雑貨とコスは依然として女の島であるので、コミックにおける女性向けの存在感が減ってそれ即ちイベントのカラーが変わるかと言えば違うかもしれない
許容はただのお目こぼし
ガイドラインはファンに公式の許容範囲を推測させるために公式が示した大まかな判断基準でしかない
ガイドラインで示されていようと著作権侵害であることに変わりはなく
ガイドライン範囲内であろうと版権が法的措置に踏み切ると負ける可能性が高い
「楽しんでいただけるように」という文言には「明示した基準(許容範囲)を越えたら楽しめなくなる事態も有り得る」という脅しが言外にあるわけだが
それは分かるよな?
やはり、高校選びを誤ったということだろう。
どうせなら偏差値の高いところに入った方が選択肢が広がるなどと、
実績を商売道具にしたいだけの塾の思惑にのせられて、さしたる興味もない進学校に入ってしまった。
進学校に来るからには有名大学を狙っているだろうと勝手に期待され、
ここに来るからには当然予習をこなしているだろうと学習の序盤をスキップされるような学校での生活は、
私は楽しみを覚えることができなかった。
周囲を見渡しても、良い大学に入れば己の価値を証明できるとでも思ってそうな衒学的俗物にしか見えず、
でもガキの遊びかというと全く違う。
キャッチフレーズが A Minute to Learn, A Lifetime to Master。
簡単なのに難しい。1手読みできればそこらでは敵無しだけど、地域の定例会だと3手は読みたいし、もっと読まないと大会上位は無理。
最善手は完全解析されちゃったけどそれは対局の面白さになんの影響もない。
石は白黒の両面だって?
定例会に行くとたまに障害のある人が来る。脳性麻痺があって介護してもらって打つ人もいれば、盲人もいる。盲人用のボードと石があって、手でさわりながら盤面を脳内で構成してるのすごい。
標準は20分持ち秒読みなし(針落ち負け)。なので40分で確実に終わる。
アプリでは5分持ちが主流だったりする。
オセロ連盟のサイトで定例会の案内が出てるから、必要なら軽く連絡とって気軽に行ってみよう。会場代くらいの料金で誰でも参加できる。
連盟主催の大会クラスだと連盟の会員限定のもある。この上位者には世界大会もあるよ。
あとはネットオセロが気軽でいい。スマホアプリだとオセロクエストが定番かな。5分持ちが標準。1分持ちモードがあってすごい人はすごい。
それはマジそう。
黎明期はツクダオリジナルが名前とともにルールとボードを広めるのに尽力して、商標であることが大きくプラスに働いた。
でも今はそんな段階じゃなく、将棋や囲碁みたいな一般名称であってほしい。商標逃れのリバーシと分断されてる場合じゃない。というのが多くのオセラーの意見。
オセロで会おう!
助けてほしかった。散らかった1Kにひとりで、頭の中で言葉が渦巻いていた。どんどん狂気に吞まれていく自分を、理性的な自分が止められずに見ている。
午前2時だ。友達?留年した私以外はみんな社会人だ。彼氏?夜勤だ。母親?母親とは半絶縁中だ。祖母?老体に鞭を打つな。
気が付けばTwitterのタイムラインは随分鈍行になっていて、インターネットすら私を見捨てるのかと引き攣った笑みが浮かんだ。
ふと思い立って、キッチンに向かう。包丁入れのある扉を開けて、三徳包丁や果物ナイフが収納されているのをただ眺めた。手に取ることはできなかった。ただ、眺めながら泣いた。私に自傷癖はない。手も足も綺麗そのもの。痛いのがイヤなワガママ人間なのだ。
前にも後ろにも進めなくて、果物ナイフを手に取ってしまった。咄嗟に理性が働いて、キッチンのクッションフロアにそれを突き立てた。死んでしまう。今夜を超えられなかったら。
滲んだ視界でいのちの電話の番号を検索する。国のもの、市区町村のもの、民間のもの。とにかく誰かに助けてほしかった。
女性のナレーションと共に、電話が切れた。わかった、つながればどこでもいい。
別の番号をタップする。呼び出し音が続く。
お願い、頼むから助けてくれ。せめて、ひとこと電話に出てくれれば。
救われなかった。最後の理性を、誰も受け取ってくれなかった。さっきより孤独な感覚が脳を支配した。
泣いていた。泣いている自分が嫌でもっと泣いた。情けない自分が嫌でずっと泣いた。
検索エンジンを彷徨い続けて、どうしても耐えられなかったら119番してもいいという書き込みを見た。本当に病気の人のリソースを裂きたいわけじゃなかった。だけど、私だって死にたくなくて、生きたかった。
白い床に、果物ナイフが突き立ててある。
――――
作者注と蛇足
これは約1~2年前の日記をサルベージした際に思い出した、人生最悪の夜の話である。
私は躁鬱、正式名称で双極性障害というやつと4年くらい付き合っている。
めっちゃハイな時と、ほぼうつ病状態の時が交互にやってくるなかなか厄介な精神病だ。
今はさすがにここまでひどくない。この文章をアウトプットできているのが何よりの証拠だ。書いていて胸は痛めつけられたが、涙は出てこなかった。
安心してほしい。
サポートがとっくに終了したバージョンのLinuxディストリビューションを入れたPCを、社内のネットワークに接続させて欲しいという相談が、情シスであるところのウチらに上がってきた。
このままだとネットワークに接続できないので、OSを最新版にアップグレードできないと。
もちろんセキュリティ要件の問題から突っぱねたけど、今度はそのLinuxPCのOSアップグレードを手伝ってくれと来た。
えー、なんでそうなる??
そんなん、他のパソコンでISOイメージ落としてきて、DVDかUSBメモリのインストールメディア作ってアップグレードしろっての。
自己責任でLinux使ってるならそれくらいできて当然でしょ。WSL2しか使えないガキじゃあるまいし。
そんで、その部署もその人に任せっきりにしないで助けてやれよ。
そいつがそういうふうに困ってしまうのは、まずはそいつが所属する部署の責任だろ。
なんでこっちに丸投げする??