はてなキーワード: 大学とは
幼馴染の友人の話をさせてほしい。
友人、増子と出会ったのは小学生の時。同じクラスで漫画やアニメが大好きなオタク同士、すぐに意気投合した。
同じ中学に進み、二人で美術部へ。オタク女子として二人そろって腐女子になり、毎日推しカプトークに勤しんだ。交換ノートはイケメンキャラの模写で満ちていて、絵を描く楽しさに目覚めたのもこの頃だったと思う。
自然と二人で漫画家に憧れるようになった。イケメンがたくさん出てる漫画を描きたい、それがアニメ化したら最高だね。漫画家になるには絵がうまくないと。じゃあきっと美大に通った方がいいね。二人で通えたらいいね。そんな話を増子とした。
結果として増子は美大に行かなかった。行けなかった。
親が厳しく就職ができなさそうな大学に行かせる気はないの一点張り。一方自分の親は子供がやりたい事を自由にやらせたいがモットーで、特に何の問題もなく許可が出た。
二人で美大に行けなくなったのは残念だったが、少し優越感を覚えた。自分は特別な人生を選ぶことを許された側なんだと。
高校は増子と違うところへ進学した。
画塾に通い始め本格的に美大受験への準備を進めていく。楽しい事ばかりではなかったけれども、好きな事を武器に大学へ行くという希望の前では、その辛さだって耐えられる。受験も忙しくなり漫画やアニメもあまり観なくなったし、増子とは話す機会もなくなっていった。次に彼女と会ったのは美大生になってからだった。
増子とは大学に進学して数か月経ったくらいでお茶の約束をした。増子は受験が大変だったこと、今は親に勧められて資格勉強を始めたことを話してくれた。堅実な人生設計を語る増子に、自分はやはり一般的な社会人人生を選べそうにない、増子が羨ましい、と告げた。羨ましいのは本当だったが、自逆風自慢も入っていたのは真実だ。
帰り際、増子から大学生になり自由時間も増えたので同人活動を始めた、とTwitter・Pixivの交換を求められた。
家に帰り、ROM専として使用していたPixiv垢から増子へマイピク申請をしたら愕然とした。ヘロヘロの線で描かれた下手くそなイケメンキャラ達。中学美術部の画力なんて大したことないのは知っていたが、少なくともあのころは私と同じくらい描けていたはずだ。美大受験を経たことで私の方が圧倒的にうまくなっていた。
増子がオリジナルの漫画も描いて出版社に投稿したが箸にも棒にも引っかからなかったと言っていたのを思い出したが、こんな絵では当たり前だ。友達だから伝えなかったがはっきり言ってへたくそだった。
Twitterを開くと増子には崇めている同人作家がいるようでしきりにその人のイラストを神絵と褒めていた。自分からするとぱっと見の線だけ綺麗だがデッサンが崩れており何がいいのかわからない。
もう美術部だったころの私達には戻れない、と寂しい気持ちになったものの、同時に意地悪な気持ちも目覚めてしまった。すぐに中学時代に増子とはまっていたアニメのキャラのイラストを描いてPixivに投稿。増子が描いた流行りのBLカプを題材にした漫画より、自分の懐かしアニメの一枚絵の方が閲覧数もいいね数も圧倒的に上なのを見て満足した。
当の増子は私のイラストも神絵と褒めてくれたが、デッサンの狂った同人作家を褒めた同じ口で褒められたのは正直イラっとした。
高校の時に忙しくなって卒業した漫画やアニメはそのまま再熱することもなかった。私の周りの人たちだけかもしれないが、結局漫画やアニメは「サブ」カルチャー。漫画なんてわざわざ美大を出る必要のない画力で成り立つし、それを享受する読者は美術がわからない一般人。編集部にこき使われるブラックな職業、という風潮。
それに進学してわかったことだがそれなりの美大を出ていればそこそこ安定した職だって得られる。なのに漫画なんて水商売を選ぶ人間は馬鹿のやる事だ。増子がゴミみたいな同人作家を褒めるのを目にしていた私もその気持ちは理解できたし、就職は漫画もアニメも関係ないデザイン会社へと決めた。
親は大喜びだった。子供には好きなことをやらせたいと美大進学を許してくれたが、内心不安だったらしい。会う人全員に娘は美大卒でデザイン会社で働いている、と自慢をしていた。
美大受験の時と同じく、デザイナーだって楽しいことばかりではない。それでも自分の腕一本で生活費を稼げているというのは自分に自信を与えるのには十分だった。
ふと、増子が気になり彼女のTwitterを覗いてみた。名の知れた企業に入ったと風の噂に聞いていたが毎日ノルマに追われ、パワハラ上司からの𠮟責も多く、大変そうな様子が見て取れた。その時、自分だけ美大進学を許された時と同じ優越感を覚えてしまった。
自分はこれからも好きなことで食べていく、増子は好きでもないことに一生疲弊して生活費を稼がないといけないんだ。
それから数年後、中学時代の同窓会が開催された。増子とは大学生以来会っていないが、その他の友達も長い間連絡を取っていない。何をしているんだろうとワクワクしながら出席をした。
当時の友達は皆自分とは全く違う道を選んでいた。銀行員、NPO職員、営業職…。なんだか難しそうな世界だ。そういえば増子は今何をやっているんだろう、まだノルマに追われているのかな、と思っていると急に「漫画家になった」と言った。同人活動を続けていく中でスカウトされ、連載が軌道に乗ったところで会社は辞めたらしい。親は泣いていたけれどもアニメ化も決まったんだ、と増子は笑顔で述べた。
周りがざわつき始め「おめでとう!」と増子が祝われる。それはそうだ、業界が違う人間の仕事内容なんて説明されても正直よくわからない。私だって銀行員の仕事内容はわからなかった。でも素人にも漫画家は何をやっているか想像がつくし、アニメ化で拍がつくのも理解できるらしい。
私ちゃんと増子ちゃんはクリエイティブ業なんだねと同級生の一人から言われ、あいまいにほほ笑んでおいた。増子と同じにしてほしくないと本気で思ったが、友達の前で言うことではないのはわかっていた。それでも少しの意地悪心が抑えきれず「最近はAIで漫画描かれてて大変らしいね」と言ってしまった。
笑顔で皆と別れた後、本屋へ寄って増子の言っていたタイトルの漫画を探す。アニメ化の棚のところにちょこんと置かれているのがみつかった。ゲボが出そうになった。
ふ ざ け る な !
増子の絵は相変わらずへたくそだった。以前よりは上達しているがデッサンも何もなっていない。これで漫画家として食べているなんて甘えている。同級生の皆もそうだ、この程度の絵を描く人間と私を一緒にしないでほしい。何がおめでとうだ。私は死ぬ思いをして絵を描いてきた。画塾が辛くても泣きながら通ったし、講評に怯えながら作品制作をした。就職だって一般大学生より大変だった。
ぬくぬくと安定した正社員の職を得ながら趣味で描いたようなクソ漫画でクリエイターを名乗るな!
怒りが収まらず単行本は買わないまま帰宅したが数日経つと少し落ち着いてきた。
増子の漫画が電子コミックサイトで無料立ち読みができることに気づき、気まぐれで読んでみることにした。もしかしたら話は面白いのかもしれない。
これも結論から言うと面白さが理解できなかった。それどころかへたな絵と意味不明なストーリーで漫画家を名乗る彼女にさらに苛立ちを感じ、口コミで最低評価を押しておいた。
でもあれから少し経った今となって思う。
増子の絵はへたくそだ。でも漫画家になってアニメ化をするという幼い頃の夢を叶えた。
私は漫画家になる夢の過程として美大へ進学して、その後他の目標をみつけ方向転換をした。自分の選択に悔いはないが、子供の頃の夢を叶えられなかった側の人間だ。
思い返すと美大は変な人間がたくさんいた。その中には別の道を進んでいたはずなのに、神の手に導かれるように違う道に進まされ「何か」になってしまう人間がいる。
美大に入ってすぐ自分はそちらの側の人間でないことを思い知らされた。私は美術を嗜んでいるだけの普通の人だ。
そして、漫画というフィールドで増子は「なってしまう」側の人間だった。
親に反対され一般の大学に入り、安定した職業を選んだ。忙しい間に同人活動を続けて漫画家デビューを果たした。スカウトで目に留まることも、そこから連載を勝ち取ることも、人気が出てアニメ化まで進むことも運の要素が絡んでくる。でも彼女はその運をつかめる人間で、漫画家になってしまった。
と、ここで夢に破れた自分を憂うのであれば綺麗な物語だが、結局これは現実だ。
漫画の世界だったら私は美大進学をしたものの、ものづくりは好きでないと気づき美術の道を諦める。増子のアニメは大ヒットし国民的漫画家として悠々自適の生活をする。
でも現実の私はやっぱりものづくりは好きだし、自分の選択が間違っていたとは思わない。今さらお堅いサラリーマン生活なんてできるとは思わないし、今大学生に戻ったとしても、漫画家は目指さない。
増子のアニメはたいして話題にならないまま終わった。今も細々と漫画家を続けてているらしいが、大ヒット漫画家にはなれないまま毎日の生活費を稼ぐのみらしい。
結局私は何かになれなかった人間だ。もし自分が増子の立場だったらものづくりを仕事にはできなかったと思う。
増子はなってしまう側の人間だ。でもこれからもへたくそな漫画を描き続けるだろうし、中学時代に語ったような大手雑誌に載っているイケメン漫画は一生連載できないまま終わるだろう。
夢を叶えた友人が、羨ましいもののああはなりたくはないなと思った。
6時17分、電動歯ブラシの音が寝室に反響する。洗面台の左端から15cmの位置に置かれたコップの水面が、微細に振動していた。オートミール40g、プロテイン12g、アーモンドミルク200ml。抽出比18:1のコーヒーは、温度計が93.0℃を示した瞬間に注ぐ。食事中、ルームメイトが「また同じ朝飯か」と言ったが、揺らぎは統計的誤差を生む。火曜日の朝に味の分散は不要だ。
午前8時。ホワイトボードには昨晩の計算式の断片が残っている。今日扱うのは、タイプIIB超弦理論の背景場に対する∞-層圏的修正モデル。モノイダル圏上の局所化関手をファイバー束の形で再構成し、非可換モジュラー形式の層化とホッジ双対性を同時に満たす条件を探す。通常のホモロジー代数では情報が落ちる。必要なのは、∞-圏の内側で動く「準自然変換」と、その自己準同型の導来空間だ。これをLanglands対応の派生版、すなわち「反局所的鏡映関手」にマッピングする。結果、弦の張力パラメータに対応する変形空間が、ホモトピー群πₙの非自明な巻き付きとして現れる。誰も確認していないが、理論的には整合している。ウィッテンですらこの構成を明示的に展開したことはない。そもそも導来層圏のモノドロミーを操作できる研究者自体が数えるほどしかいない。僕はそのわずかな孤島のひとつに立っている。
昼、ルームメイトが昼食を作っていた。キッチンのIHプレートに油の飛沫が残っていたので、座標系を設定し、赤外線温度計で範囲を確認してから清掃した。隣人が郵便物を取りに来た音がした。彼女の足音は毎回規則的だが、今日は左のヒールの摩耗音が0.2秒ずれた。おそらく週末に靴底を交換したのだろう。観測可能な変化は記録しておくべきだ。午後は大学のセミナー。話題はM理論の代数的拡張、だが発表者の扱っていた「微分層上の非可換コサイクル」は粗雑すぎる。導来圏の階層化を考慮していなかった。帰りの車中、ノートPCでホモトピー型タイプ理論を使って自作の演算モデルを再計算した。
帰宅後、友人二人が旧式のTCGのデッキを持ってきた。新パッチでエラッタされたカードの挙動を確認するための検証会だ。デッキの構築比率を1枚単位で最適化し、サイドデッキの回転確率をモンテカルロ法でシミュレートした。相手のコンボ展開が不完全であったため、ターン3で勝負が決した。カードの裏面の印刷ズレを指摘したら、彼らは笑っていた。テーブル上に置かれたスリーブの角度が4度傾いていたので、直してから次のゲームに入った。
夜。隣人が新刊のコミックを持ってきた。英語版と日本語版で擬音語の翻訳がどう違うかを比較する。onoma-topeic rhythmの差分は文脈ごとに変動するが、今回は編集者がセリフのテンポを原文に寄せていた。明らかに改良された訳。印刷の黒インクの濃度が0.1トーン深い。紙質も変わっている。指先で触れた瞬間に気づくレベルだ。
23時。寝具の方向を北北東に0.5度調整し、照明を2700Kに落とす。白板の前で最後の計算。∞-層のモノドロミー作用素が、ホッジ-ドリーニュ構造と可換する条件を整理する。導来関手の符号が反転した。ノートを閉じ、部屋の温度を22.3℃に固定する。音は一切ない。火曜日が静かに終わる。
今までずっと素の値を使ってた
テストでも1点くらいしか引かれないし、最悪そのままでも丸してくれる
https://x.com/tokoroten/status/1985399656957034601?t=ngKxYe5c2hhdYJ_bjeToEw&s=19
「なるほど〜」と思ったが、グラフを見た時、自分が一応大学卒業はしたが本当にギリギリ故に、一般的に学士レベルと言われる基礎すら身についてるか怪しく、もう殆どAI未満になってることに気づいて顔がなくなった
大学に入って、自分が当たり前だと思ってたこと、例えば移動はタクシーとか家族で外食するのは基本ホテルとか家族カードを渡されてるとか、そういうのが当たり前じゃないって気付かされて逆に恥ずかしい気持ちになってそういうことを隠すようになったし周りの環境も絶対あるはずなんだよね
だから、なんとなく誕生日カードありがとうってLINEを送りました。
文面上の彼女は、高校時代と何一つ変わらない可愛らしさをしていました。
高校時代にイケメンと付き合っていたので(破局済み)、大学に行ったら早々に彼氏ができるかと思っていたのですが、実はできていなかったようなのです。
彼氏は欲しいのだが、(理系なので)ちょっと忙しいのと、精神的に少し安定しないから、と言っていました。
少し悲しかったんです。僕は彼女のことが好きでしたから。でも大学も違うところに行って、もちろん僕は独り身なのですが、僕は彼女に釣り合わないことを知っていたので、せめていい人と知り合って幸せに付き合ってて欲しいと思ってました。でも、彼女もまた独り身でした。
外に空気を吸いに出たら、月が綺麗でした。写真に撮って送ろうかと思いましたが、写真に撮ったら光が変になってUFOみたいになっちゃいました。
そういうことだったのかなとも、少し思うのです。
プライベートで誰も殴り合いなんてしたくないし、得することもないって分かってるんだろうな
仲間を引き連れて脅す想定か、一方的にボコるシーンしか考えてないやつばっかりだよ実際
だからワイは男ならタイマンしろ、仲間いないとこで一対一になってみせろって言うと誰も手を出してこない
言うだけなら強いけど、やるとなったら責任取れないってやつがほとんどなんだよ
まあワイ自身も暴力礼賛じゃないし、ぶっちゃけ面倒くさいだけだから殴り合いはしたくない
小学から中学でレスリングやって、大学で格闘技サークル入ってたからタイマンになっても何とかなる自信はあるけど、だからってケンカを勧めるつもりもない
タイトル、主語がでかくなってしまった。だけどなんとなく皆感じていることだと思っている。
自分は高校卒業まで都内区部からほとんど出ず、大学でド田舎の山の中に4年、就職で戻ってきて今に至る。このド田舎生活4年間がなければ、自分の傲慢さは永久に剥がれなかったんじゃないかと思っている。
頭では日本全国に人間が住んでいることはわかっていた。実際に行くまで本当に人がいることがわからなかった。
同級生があちこちの山の中に住んでいて、片道1時間歩いて登校していた話がここで初めて現実になった。今は熊が話題だが、その危険が本当に身近なことを知らなかった。
閉塞感も凄まじかった。四方を山と急流に囲まれ、公共交通もろくに発達しておらず、1人1台の自家用車がないと買い物すら困る。都内に気軽に行けないなんてもんじゃない、行く手段がとんでもなく限られていた。
当時の自分は「何故こんな不便なところに人間が住むのか?」と理解に苦しんだ。ただ人間慣れるもので、4年もいればそこそこ環境には困らなくなった。慣れるまでに3年10ヶ月くらいかかったけど。
そんなこんなで4年間過ごし、帰ってきた今自分は再び「田舎」が生活の場であったことを忘れかけている。
熊のニュース見てもあんまり響かなくなってしまったし、人口減少で様々なサービスが縮小される話を聞いても「ふーん」としか思えなくなってしまった。
多分外野からやいのやいの騒いでいる人間、大半はこんな感じなんじゃないかな。その土地で暮らすことを知らず、知ろうともせず、今の環境に甘んじている都会人。自分はまあ、おつむが弱いから忘れていってしまったけど、都会の人間が都会に戻ってきたら多分こうなっちゃうと思うんだよな。
でも田舎で生活した期間があったから、まだ「田舎に共感すること」自体は忘れていないと思う。
ああ熊大変だよね、自分も生活してたとき大学構内に出ちゃったことあったな、みたいな。
「ふーん」としか思えなくなっても「そういえばあの時ああだったな、今はこうなってるのか」って変換はできるというか。
結局愚か者は経験からしか物事を学べないんだから、何事も経験が必要だったってお話でした。
上手く最後がまとまんなかった。
40代半ば、既婚子無し
30代前半で結婚した時、どうにも子育てと仕事の両立が無理だと思って子無しを選択した
子供がいなくても夫と2人で楽しくやれるよねという淡い期待もあった
結婚して10年以上経ち、夫とは仲が悪いわけではないけど良いわけでもないというか、お互い仕事が忙しくてそんなにゆっくり話も出来ていない
内心無能だなと思ってた同期や部下も、漏れなく子育てと仕事の両立をしてる
大学の同級生のインスタとかを見ても、みんな子供や家族との楽しそうな日常を上げてる
なんだよ子育てって辛くて死にそうになるもんじゃなかったのかよ
みんな産後鬱からの離職とか離婚とかそういうのばっかりじゃなかったのかよ
でももう子供を安全に産める歳は超えちゃったし、 どうにもならない現実がある
もっとみんな辛そうにしてくれれば、自分の選択を肯定出来るのに、なんでみんなそんなに幸せそうなの?
子供にババアって言われたけど、ムカつくより大きくなったなーって気持ちとか言ってんじゃねーよ
みんな不幸になっちゃえよ
めい 名城大
めい 明治学院
じ 上智大
あ 愛知大
り 東京理科大
あ 愛知学院大
けい 慶應義塾大
どう 同志社大
なん 南山大
G 学習院大
M 明治大
A 青学大
R 立教大
C 中央大
H 法政大
あ 愛知淑徳大
わせ 早稲田大
ちゅう 中京大