はてなキーワード: どん底とは
まず予防線を張らせてもらう
あまりにも情けない話なので友人知人にはとても話せないし、かといって医者にわざわざ話すような内容でもない
更にはネットにはありふれてて面白くもなんともないただの自称弱者のなんのヤマもオチもない身の上話にすぎない
でもどっかで吐き出したい。まとまってすらいない。ただそれだけの記事
まぁポエムみたいなもんだと思ってくれ
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俺はアラサーで童貞というネットには掃いて捨てるほどいるごく普通のいわゆるキモオタである
10歳ぐらいの頃に同学年ほぼ全員と上下1学年の約半数以上から汚物扱いを受け見事に社会不適合者になった
1クラス約30人で1学年2クラスだったから、だいたい100人強ぐらいには嫌われてた計算になる。まぁ数字はどうでもいい
きっかけは自覚のある範囲だとやや太り気味で運動が苦手だったとかその辺だろうと思われる
例によって自覚のない何かもあっただろうが、当時の絵に書いたようないじめっ子連中とは当然もうつながりは無いので確認のしようはない
最初こそただの爪弾き者くらいの扱いだったのが、俺がロクに抵抗しなかったばかりにどんどん風潮は大きくなっていき、
最終的にはあまりの嫌われっぷりにイジメらしいイジメすら起きなかった
誰も俺には近づきたがらないし俺の使っている机や道具類も等しく汚物扱いだったので、イタズラに触ろうとする人間なんかまずいなかった
無論そんな環境で心地よく過ごせるはずもなく、教師や親に相談したこともあったが、返ってくるのは決まって「考えすぎ」の一言
そんなわけ無いだろという気持ちもありつつ、特に跳ねっ返りでもなかった俺は割と素直にその言葉を飲み込んでしまった
結果できあがったのは「俺が辛い思いをしているのは自分の考えすぎ=自分のせい」である
加えてクラスの人畜無害枠だと思っていた子からもやんわりと拒絶されたことで完全に自分自身を含めた人間不信に陥る
一挙一動、身動ぎ一つですら何を言われるか分かったものではない状況を乗り越えるために身につけたのは、
休み時間は動作を最低限にできる読書に費やし、やむを得ず移動等が必要になった時は可能な限りこちらから距離を取る
相手に嫌な顔をされるのは俺も嫌だったし、徹底的に嫌われ者としての義務を果たした
最終的に不登校に行き着き、数ヶ月の後説得に負けて登校したらなんかみんな大人しくなってた。学級会でもあったんだろう
それ以降は大学に至るまでそんな扱いを受けることは無かったが、俺の対人関係の価値観は完全に歪みきっていてまともに友人も作れなかった
唯一小学校の頃から気にかけていてくれたやつはいたが、普通に友達も多いやつだったので自然と疎遠になった
そいつは気づけばLINEのアイコンで赤子を抱いていたのでまぁ、そういうことだ
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今ではだいぶマシになったけどそれでも根本的に自分が信じられなくて、そのせいで人も信じられないクズであることは変わらず
特に当時比較的イジワル路線だった男性陣よりも、心の底から嫌悪感をあらわにしてきた女性陣に対する距離感というのは完全に壊れている
いくら歪んでいるとはいえ俺も一応ヘテロ男性ではあるので、女性を好む気持ち自体は普通にある
ただし俺の中にある異性とのコミュニケーションの最適解が「そもそも関わろうとしない」になってしまっている
他人にとって俺と関わることは不幸であるという価値観がどうしても抜けず、本当にその人のことが好きなら好きになってはいけないみたいな訳の分からん事になってる
理屈としてそんなコミュニケーションはおかしいと理解はしているが、あのとき向けられた憎悪にも近い嫌悪の感情がこびりついて離れない
一度嫌われ者になると挽回は非常に困難で、そんな状況では自発的な行動は逆効果であると感覚的に学習してしまっていることから、基本的には相手方から仲良くしようと歩み寄ってくれるのを待つことしかできない
だというのにせっかく褒められたりしても素直に信じられず、自分から距離を取るような真似をしてしまう
挙げ句に完全に擦り切れた自尊心故に自己顕示欲も強い。本当に救いようのない人格である
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だが、一時期から自分自身ではなく自分の作り出したものを間接的に評価してもらうのは割と素直に受け入れられる事に気づいた
幸いインターネット環境はありデジタルにも強い方だったので、文字なり絵なり、パソコンでできる創作は色々試した
結果、趣味同士のコミュニティになんとなく加わることに成功した
ネットには俺みたいなはぐれものが多くいたし、特に親しくならずともふわっとした関係でいられたので大変居心地が良かった
その辺を駆使し続けてなんとか15年くらい自我を維持してきた結果、この数年で急に親しい友人が増えた
幸か不幸か、嫌な人間を見る機会は大変多くあったためそれらを反面教師にすることで、表面上は割とまともな人間に見えるようになっていたらしい
とてもありがたく嬉しいことなのだが、まともに人間関係を築いてこなかったために考えたり覚えたりすることがものすごく多くけっこう大変だった
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そして交友関係が増えると自然に目に入るようになるのが色恋沙汰である
つい最近まで上記のような人生を送ってきたために、自分はもちろん他人事ですらその様な事象とはほぼ無縁だったが、じわじわと俺の認識に入りこんできた
そのあたりはとうに諦めたつもりでいたのだが、そもそも現実の出来事と認識できていなかっただけのようで、急に焦りのようなものが出てきた
挙げ句、割と付き合いの長かったやつがいつの間にか同棲を始めていたなどのイベントも重なり、いよいよ自分の化けの皮が剥がれ始める
これまた幸か不幸か、ちょうどなんとなく関係の良い異性が一人いた。焦りもあって生まれて初めての告白をしたところ、通ってしまった
かつての汚物扱いをそのまま引きずっていた俺は、この期に及んで人間に戻れる可能性を見出してしまったのである
まぁその後のことはなんとなくお察しの通り、こんな状態からいきなり異性とまともに関われるはずもなく
自分を好いてくれる人間などいるはずがないという強迫観念に打ち勝つことができなかった
逆に、自分が誰かを好きだと思う気持ちへの疑いすら拭いきれなかった。自分から告っておいてあまりに失礼である
それまで思い込みの側面が強かった自分の不出来さを、実例をもって実感と成した。ある意味では収穫だった
そんな誰にでもあるようなイベントを、三十路になってようやく初体験することになった
これをまだ可能性があると見るか、最初で最後のチャンスをフイにしたと見るか、その辺りはまだ咀嚼できていない
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これだけ恵まれているというのに心の自傷行為をやめられないのも結構つらい
いかなる希望も絶望の種にしかならないと、浮かれかけた心を自分で痛めつけてどん底に沈んでいく行為なのだが、これが妙に心地よくてならない
ここ10年ほどは鳴りを潜めていた悪癖なのだが、また出てきてしまった
ともかく、人間には戻れなかった
この様なことを言うのは仲良くしてくれている人たちに物凄く失礼なのだと頭では理解しているが、それでもこういう物言いをしないと心が耐えられない
もし俺が本当に人間なのだとしたら、この不出来さを説明できない。ありえないことだと
人間になりそこなった何かなのであればまぁ、はじめから社会から外れたところに居ると思えるからまだマシ
結局のところは努力も何もかも足りていないのだろう。全くしていない訳では無いが、客観的にはそういう結論になると思う
だが幾度となく努力に裏切られてきた経験が、あの頃からボロボロのままのメンタルに重くのしかかってくる
それも考え方の問題なんだろうが、俺の一番の問題はその考え方の部分がなんかおかしくなっちゃってるところなので困っている
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ここまで書いてちょっと冷静になれた
医者にわざわざ話すような内容でもないとか言ったけど、これはもしかしたら話していい案件かもしれないな
お目汚し失礼しました
俺のことは忘れてくれ
日米関税交渉が一段落した。もう終わったのでただの復習になってしまうが、合意内容の「米国産米の輸入枠拡大」などで勘違いをしている人がいるのでこれまでの日本の米に関する関税政策を整理しておこう。
まず、戦後の日本政府は米を含む農産品の自由化をしたくなかった。海外産の米と価格競争したら農業政策の根幹の農家保護が崩れてしまう。
敗戦で台湾、朝鮮半島、満州から大量の引揚者が戻ってきたが、この人らも農業で吸収するつもりだった。八郎潟の干拓もそうだし、成田空港問題の元の三里塚も引揚者に開墾させた土地だった。「先祖代々の土地じゃないから収用しても農地への執着は少ないだろう」とか思っちゃったのだな、国は。実際は死ぬ思いで引揚てきて(実際は思いどころか仲間は大勢ソ連に殺されてる)、ゼロから開墾したので猛烈に土地に執着があったんだな。
兎に角、米農家の安定は戦後農政の根幹であり、尚且つ自民党の岩盤支持者だから絶対解放したくない。
WW2戦後、ブロック経済が形成された事がドイツ、日本を中心とした国を経済的に圧迫して生存圏主張→戦争に至ったので、国連はGATTを発足させて関税をはじめとした先進国同士の貿易障壁を取っ払っていこうという事になった。それで工業産品の関税はどんどん撤廃されていった。
日本は焼野原のどん底からの再スタートなので復興後にこの流れに合流した。
さてそれで1986年からGATTウルグアイラウンドがスタートする。歴史とか政治経済の授業でウルグアイラウンドの名前は聞いた事あるだろうけど、それはこのラウンドが現在の状況を決定づけた重要なものだからだよ。
ウルグアイラウンドではサービスや農業の自由化を目指したのだが、これが全然まとまらない。どの国も農業の解放はイヤだったからだ。どの国も日本と同じ農政環境で、農家を不安定にさせたくない。
そもそも工業は家庭内手工業→問屋制→資本化と進んできたのに対し、農業は領地→プランテーション(資本化)→個人経営農家+農協という風な流れなので自由化すると元の搾取構造を復活させる危険もあるワケ。共産主義がまだ死んでなかった時代はプランテーションの搾取構造が革命の原因にもなっていたわけで。
だからそういう構造の違いを無視して自由化をゴリ押しするのはグローバリズムがイデオロギー化してる証左だ!という批判も出てきた。
そのようなわけでウルグアイラウンドは完全紛糾。
2.品目毎にミニマムアクセス(最低輸入量)を設定して各国はその量までは無関税か低関税で輸入しなければならない
これで、各国はそれまでの輸入禁止措置は出来なくなった。更に低関税か無関税で一定数の農産品を輸入しなければならなくなった。
そのミニマムアクセスの輸入量は国内消費量から計算されて、最初は4%。毎年その枠を上げていって最終的には8%まで上げる。
ただ、ミニマムアクセスを超えた分には高関税を掛ける事が出来るから価格競争に晒される分は4~8%でしかない。あと、自由化と言ったって生モノなので輸送時間とコストから競争にならないものもある。例えば日本であればモヤシやトマトを外国から海運するのは無理があるわな。
そういう訳で、ウルグアイラウンドの結果ミニマムアクセスなどが定められたが、それは自由化に反対する国が多くて妥協に妥協を重ねた結果であるってこと。
ミニマムアクセスが定められても、輸入量が伸びなければミニマムアクセス量に届かない場合も多々あある。そういうのは別に放っておいてもいい。
でも米の場合は多分そうはならずに市場価格に影響を及ぼしそうだ。
そこで日本政府はミニマムアクセス枠の米を全て買付けして枠を最初から押さえてしまう事にした。だから無関税で米を輸入できる民間業者は居ない。
更に、このMA米は一粒も市場に流さずに、全量を食品メーカー、飼料メーカーに売り払う。お煎餅とか柿の種とか味噌、醤油の原料になってるってことだね。あと日本酒。米菓や醤油、味噌、日本酒は日本的な食品だけど、メーカーによってはアメリカやタイ、中国の米が原料なのだ。
実際は商社系の問屋に卸してメーカーに販売という形をとってて、伊藤忠、丸紅、日本通運、神明の4社が長期契約してる。中小メーカーや酒蔵メーカーはそこから買う以外に月例販売という形で入札している。
このMA米の量なんだが、最初は42万トン、前述の通り増やしていって今は77万トンとなっている。
というわけで、これは実際は自由化を押し付けられたのに国家貿易と統制経済をやっているというのが輸入米の内のMA米の実情なのだ。共産主義の統制経済のこと知ってる人なら、中国鄧小平前やソ連の計画経済の輸入公社に似てるな、と思うかも知れない。外国通貨が国内計画経済に影響を与えないように必ず国家が間に入るのとかそっくりだ。
MA枠を超えた部分の関税率は341円/1kgという高関税をかけている。因みに関税計算もMA枠も玄米が基準になってる。玄米を精製すると1割消える。だからカルロース米5kgは玄米だと5.55kg、これには関税が1894円かかってるってことやね。2800円だと67%が関税ってことやね
今回の日米合意はこのMA米の枠もMA枠を超えた分の関税率もいじらず、その枠内での米国産米の比率を増やすという合意になっている。
だけど海外的にはちょっと問題ある。タイや中国、豪州から一定数買うという事になってるわけで、そっちに影響出るのではないか?特にタイは日本が米騒動になる度に大量に輸入していて、その度に悪影響を与えている。
生産者や政府には金が入るから良いだろうが消費者としては市場から米が消えて高騰するのだからやってられない。って訳でその度に迷惑をかけているのでまたしわ寄せ行くのではないかと今回も心配するところだ。
あと、MA枠では一般的なうるち米の他、餅米もタイから輸入して食品メーカーに売り払っている。おかきとかああいう米菓に使用される。
アメリカ米に枠を取られて餅米が減ると、おかきなどの原料費が上がるかもしれない。
・MA枠はGATTウルグアイラウンドで決まったが農産品自由化が紛糾した苦肉の妥協策
・米のMA枠は政府が全量買いして加工原料として売り払っている
・今回の交渉では日本側はウルグアイラウンドで定められたMA枠を超えて低関税で輸入せよという要求に抗った
・MA枠内でのアメリカ産米の比率を上げて輸入量増やすことで合意した
・普通は輸出国比率を自由にいじる事は出来ないが実質国家貿易なので可能
アメリカ政権側はどうせ国際取決めもMAと関税の関係とかも分かってないだろうし「増やします」と言われて日本側を屈服させたと考えているのかも。頭ハッピーセットでよろしいことである。
戦後70年談話 全文
終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。
百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。
戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。
平成二十七年八月十四日
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「ちょっと嫌なことがあるだけでどん底の気分になる」状態は、臨床心理学や心理療法のさまざまな枠組みで理解・説明できます。
それぞれのアプローチには少しずつ異なる理論や視点がありますが、共通して「感情の調整がうまくいかない要因」に着目します。以下に主要な心理療法の枠組みごとに説明します。
1. 認知行動療法(CBT)
自動思考:嫌な出来事が起きたときに、自動的に「もうダメだ」「自分には価値がない」といった否定的な思考が浮かび、それが気分のどん底を引き起こします。
全か無か思考(白黒思考):「少しでも悪いことがあると、すべてがダメ」
過度の一般化:「これがうまくいかないなら、他のこともうまくいかない」
CBTでは、こうした認知を意識的に捉え直し、現実的・柔軟な思考に修正する訓練をします。
早期不適応スキーマ:幼少期に形成された「私は愛されない」「他人は信頼できない」などの深い信念(スキーマ)が、現在の状況を過剰に否定的に解釈させます。
例えば、ちょっとした批判や拒絶が、「見捨てられるかもしれない」というスキーマを刺激し、極端な感情反応を引き起こす。
スキーマ療法では、これらの根本的な信念や感情的な反応パターンに働きかけます。
感情調整困難(emotional dysregulation):小さなストレスでも感情が激しく揺れやすいという特徴があります。
これは境界性パーソナリティ傾向などに見られることがありますが、性格の傾向としてもあります。
DBTでは、感情に圧倒されないための「マインドフルネス」「ストレス対処スキル(スキル・トレーニング)」などを用います。
未解決の無意識的葛藤:小さな出来事が、過去の心の傷や葛藤を刺激し、予想以上の感情反応を生む。
たとえば、「無力感」や「見捨てられ感」などが、現在のささいなストレスで再活性化する場合があります。
この枠組みでは、なぜその反応が起きるのかを自由連想や関係の中で掘り下げていきます。
安定した愛着を得られなかった場合、「他人に否定されること」や「小さな拒絶」が非常に強く感情的な打撃となる。
嫌なこと=「関係が壊れる」「自分が価値のない存在だと証明される」と感じやすく、どん底気分につながる。
愛着スタイル(回避型、不安型など)の観点からも説明されます。
心理的柔軟性の低さ:不快な出来事や感情を「受け入れられない」ために、それらを排除しようとしてかえって苦しむ。
嫌な出来事が起きる → 「こうあるべきだったのに」と過度に反応 → 感情に巻き込まれてどん底に。
ACTでは、感情や思考と距離を取る「脱フュージョン」、価値に基づく行動に焦点を当てます。
補足:なぜ「どん底」にまで振れるのか?
感情の調整力の不足
80年代後半のバブル形成、そして90年代のバブル崩壊から「失われた10年」といわれる時期を経過して世紀をまたいだ日本経済の大停滞は今日明らかに転換点を迎えている。
日本の経済的な停滞の主要因が日本銀行の金融政策の失敗にあり、事実上の株価、地価、そして為替レートの動向を重視する資産価格ターゲットを採用していることがその「失敗」の内実である。そして財政再建路線を重視する財務省(旧大蔵省)の財政緊縮や不良債権問題を伴う金融システムの不安定化は、この日本銀行の政策失敗に付随する二次的な経済悪化の要因であった。そしてこのような日本銀行の政策の失敗は多くの論者の指摘することになり、いまでは一定程度の理解を獲得することになっている。
他方で、日本経済は一時期のどん底から回復し、長い景気回復局面にある。失業率も一時期の5%台真ん中から4%台まで減少し、銀行の不良債権問題は事実上消え去り、消費や設備投資なども堅調に推移している。これらは日本経済の停滞を象徴している大規模なGDPギャップが明らかに縮小に向かっているシグナルともいえる。一部のマスコミやエコノミストたちはこの景気回復を「神武景気」以来などと表現しているが、最悪期で150兆円に達したGDPギャップがようやく縮小に向かった“だけ”であり、これらのエコノミストたちの景気への認識は徒な誤解(景気の過熱?)をもたらすだけに安易なものである。しかしいずれにせよ日本経済は現状では最悪期を超えているのは事実である。
そして日本銀行を中心とする「政策の季節」を私たちは迎えている。8,9日にある日本銀行の政策決定会合において、5年ぶりに日本銀行のいわゆる量的緩和政策(日銀の当座預金残高をターゲットにした金融緩和政策)を解除するという観測が強く、市場やマスコミを含めてほぼ確定事項となってしまっている。日本銀行が量的緩和政策の早期解除を本年の4月に行い、その際に批判が強ければなんらかの量的な指標(インフレ参照値と呼ばれるもの)を導入して行うことは、一部の“親日銀派”のエコノミストたちが昨年の夏ごろから口にしていたことである。
ところで先に簡単に述べたいが、いわゆる「インフレ参照値」とはなんなのだろうか? 私はこの「インフレ参照値」の導入をすすめるエコノミストは“偽り”であることを自ら公言し、日銀がこれを述べることは随意な裁量政策と無責任主義の反映を自ら表明しているとしか思えない。なぜなら言葉通りならば、金融政策でインフレ率を「参照」するという凡庸な中央銀行に求められるごく当たり前のことをいっているだけなのか? もしそうならば確かに日銀にとっては画期的なことなのかもしれない。なぜなら先に述べたようにわが非凡なる日本銀行はこの10数年もの間、どうも資産価格をターゲットにした政策を運営してきたように思えるからだ。とはいえ、当たり前のことを当たり前ならざる組織に実行させるにはやはり強制もしくはなんらかのインセンティブデザインが必要であろう。しかし「インフレ参照値」には実際にはそのような工夫はない。参照するかしないかの強制もインセンティブデザインもなければそのような参照は本当には行わない(いままでも行ってきたとはいいがたいためそのような行動を採用するインセンティブは不在)というのが経済学の常識であるし、また世間の常識でもあろう。
今回の量的緩和解除にはこの「インフレ参照値」に類した試みが喧伝されるに違いないが、いずれにせよ現行の日銀法にはインフレ率を重視する、すなわち現在であればデフレを問題視するインセンティブ構造が決定的に不在である。そのようなインセンティブなき「インフレ参照値」を声高に主張するものは、日本銀行に捉われた亡者であるか、少なくとも経済学の理解には遠い。(続く)
20XX年、地球温暖化の影響で海水温が上昇し、巨大な人食いサメ「鮫帝国」が誕生した。鮫帝国は、日本列島を占拠し、人々を恐怖に陥れた。
そんな中、かつてガソリン値下げ隊を率いていた男、小沢一郎が再び立ち上がった。彼は、かつての仲間たちを集め、最新鋭のハイブリッド潜水艦「ガソリン値下げ号」を建造。
小沢一郎率いるガソリン値下げ隊は、鮫帝国に奪われた日本を取り戻すため、壮絶な戦いに挑む。
「ガソリン値下げ号」は、東京湾から出撃し、鮫帝国の根城である富士山を目指す。途中、鮫帝国の攻撃を受けるが、ガソリン値下げ号の最新鋭兵器「ハイブリッド魚雷」で応戦し、次々と鮫を撃破していく。
富士山に到着したガソリン値下げ隊は、鮫帝王との最終決戦に挑む。鮫帝王は、巨大な体と強力な攻撃でガソリン値下げ号を追い詰めるが、小沢一郎の機転と仲間たちの連携により、ついに鮫帝王を撃破する。
ガソリン値下げ号に搭載された最新鋭兵器。ガソリンと電気を動力源とし、通常の魚雷よりも高速で強力な攻撃が可能。
物語には、民主党政権時代の政策や出来事を彷彿とさせるシーンが多数登場。
ガソリン値下げ隊のメンバーは、それぞれの個性を活かして活躍する。
鮫帝国との戦闘シーンは、迫力満点のアクション描写で描かれる。
この物語はフィクションであり、実在の人物や団体とは関係ありません。
ええ、皆さん、お話しましょう。あれは、忘れもしない、あの恐ろしい鮫帝国との戦いの記録です。私が、鳩山由紀夫が、その一部始終を語りましょう。
時は20XX年、地球温暖化の影響で、信じられないような事態が起こりました。巨大な人食いザメ、「鮫帝国」が現れたのです。彼らは、日本列島を我が物顔で占拠し、人々を恐怖のどん底に突き落としました。
そんな時、立ち上がったのが、あの小沢一郎先生です。先生は、かつてのガソリン値下げ隊の仲間たちを集め、最新鋭のハイブリッド潜水艦、「ガソリン値下げ号」を建造したのです。そして、私が、そのガソリン値下げ号の操縦を任されたのです。
小沢先生は、そう私に言いました。私は、その言葉に胸を熱くし、再び日本のために戦う決意を固めたのです。
ガソリン値下げ号は、東京湾から出撃し、鮫帝国の根城である富士山を目指しました。途中、鮫帝国の猛攻を受けましたが、菅さんの開発したハイブリッド魚雷で、次々と鮫を撃破していきました。
そして、ついに私たちは、富士山に到着し、鮫帝王との最終決戦に挑みました。鮫帝王は、巨大な体と強力な攻撃で、ガソリン値下げ号を追い詰めました。しかし、小沢先生の機転と、仲間たちの連携により、ついに鮫帝王を撃破したのです。
あの時、ガソリン値下げ号の操縦桿を握りながら、私は心の中で叫びました。
鮫帝国を打ち倒した私たちは、日本を取り戻し、再び平和な日々を迎えることができました。あの戦いは、私たちガソリン値下げ隊の、そして日本の、誇り高き歴史の一部なのです。
ええ、本当に、あの戦いは、忘れられない思い出です。
就職率がどん底だった世代よりもその前の世代(バブル崩壊世代)の就職率はリーマン世代よりもマシだったくせに氷河期を振りかざして
「ゆとり」と面と向かってメチャクチャ馬鹿にしてきたから本当に嫌い死んでくれ未だに「死んでくれ」って思ってる絶対に許さないからな
はっきり言ってやるよ「ゆとり」煽りしてきた人間なんか氷河期世代以外には居なかったからな
リーマンショック世代はその後に景気が良くなったから転職市場では有利だったし一番悲惨なのは氷河期!としつこいやつもいる死ね
氷河期が団塊を叩きバブルを叩きゆとりを叩きZを叩いて氷河期同士でも勝ち組負け組で叩きあいをしているその性根の醜さが全方位から嫌われるという結末で締めくくられることを祈ってるよ
難易度が高すぎてプレイヤー人口がほとんどいない塔を登る系クソゲーを唯一クリアした主人公。11年越しのエンディングを見たら、なんと現実世界にそのクソゲーの塔が出現!ゲーム世界の人物たちが現実にも侵食しはじめてきて...。
ゲーム世界の知識を使って最強を目指しつつ、世界の危機とか、陰謀に立ち向かっていくマンガ
メディアミックスを考えるなら次はこの作品がバズると思う。名前が俺レベと似ているけど、中身は全然違うしコメディよりの明るい作風なので、いろんな人に受けると思う
序盤は知識チートで最強スキルを独占したり、特殊なイベントキャラや歯向かう敵を下僕にしていく唯我独尊プレイが爽快!
ただ中盤以降敵対組織とか、守るべき仲間みたいなのが増えてくるとちょっとずつその力の使い方について考えるようになっていき、最新話付近だと頼れる主人公という感じに成長していく。
他にもライバルやヒロインたちもそれぞれ強化イベントがあったりして、キャラの個性がしっかりしている。なによりキャラデザがいい
あまりにも設定が膨大なマイナー長期連載なろう系小説をただひとり読み続けた主人公。電車の中で最終回を読み終わり感傷に浸っていると...なぜか電車が急停止。先ほどまで読んでいた小説「滅亡した世界で生き残る3つの方法(滅生法)」の冒頭シーンが現実に出現したのだ!おそいかかるモンスターと、崩壊していく世界。巻き込まれた人々の運命やいかに!!
ウェブトゥーンで一番面白い作品はなにかといえば間違いなく名前が上がる作品
アニメ化企画も進んでいるようで楽しみ。しっかりクオリティの高いアニメにしてくれれば俺レベ並にバズる可能性は高い
この作品の魅力を一言でいうなら、設定の作り込みがすごいこと!
たとえば、この世界には主人公キムドクシャの他に、原作滅生法の主人公も存在している。原作小説はReゼロのようなループもの+上位存在たちが主催するデスゲーム的作品で、序盤の原作主人公はなにかいやなことがあるとすぐに死んでやり直そうとするクソ効率厨なのである。それでいて、原作主人公は俺様唯我独尊系のクソなのでドクシャ陣営と度々衝突する。本作はこのダブル主人公の奇妙な協力関係や、時にはライバルな感じで進んでいくのが面白い。
もう一つ面白いギミックで言えば、知識チートものではあるけど、主人公以外にも断片的に知識を持っているリアルの人々がいる。途中下車組と呼ばれる原作途中でリタイアした人々や、なぜか自分以外読んでいないはずの原作の結末を知っている人物がいたり、こうした人々も生き残るために好き勝手動くので展開が読めない。
今回紹介する作品は全体的に人間関係を丁寧に描写しているものが多いが、この作品はとりわけそのあたりが魅力。
また展開が大胆なのもおもしろポイント!序盤はサバイバルホラー感が強いが、なろうっぽい成長パート、濃密な人間ドラマ、インフレ能力バトル、なんかSF的な敵とのバトルなど、多種多様な展開になる。テンポもよいので読み進める手がとまらないよお
300年前にラスボス手前で無念の瀕死状態に陥った賢者こと主人公。コールドスリープの魔法で治療のため眠りについたら...なんと300年の時が経過していた。しかもなぜか別人の少年の体に転生していたのだった!世界は一見平和を取り戻したように見えるが、どうもラスボスは倒されていないっぽいし、何人か自分の正体を知っているらしき勢力がいたりと謎は深まるばかり。
仲間たち一行のその後の痕跡を追いつつ、前世で成し遂げられなかった伝説の賢者を目指して学園に入学したり、謎の勢力と戦ったりするマンガ
初見は「一人だけ生き残ってしまった勇者パーティのお話」と聞いてフリーレンっぽいなと思ったけど、読んでみると違った感想になる。フリーレンはエルフ特有の時間の流れとか無常についてのテーマ性を感じる。
この作品は世界にたった一人だけになってしまったけど遠い過去にあったあれこれは確かに存在していて、それが今の自分を形作っているんだ的な、人の営みの美しさみたいなのがよりフォーカスされている。
この作品の当面の目標は、勇者が残した手紙を読むために、学園の学年トップを目指すというもの。それにあたって修行したり青い若者たちと触れ合いを通して少し大人の視点で見守ったり、年相応に成長したりしながら、かつての⚪︎⚪︎が暗躍しているのがわかったり...という感じ。日本のマンガにかなり近い作風なので、ウェブトゥーン初心者におすすめ!!
全人口のほとんが熱中しているとんでもないフルダイブMMOに人生をかけたおっさん主人公は、思うように成り上がれず借金で破産。人生のどん底にいた。そんなある時、なぜかそのMMOのサービス開始直後に回帰する。今世ではゲームの全ての称号を独占して最強のプレイヤーになってやる!的なお話
ゲーム攻略の解像度が高いのが好み。ゲームバランスを崩壊させるチート装備が存在するわけではなく、かつてのガチ勢たちが攻略した結果判明した最強デッキとか組み合わせを独占していくので、この装備がどう強くなっていくんだろう?と興味を引き立てられる
またこのゲーム世界はRMTが公式に存在するので、ゲームを攻略するたびにどんどん社会的にも成功していく。現実とゲームの二軸で話が進んでいく感じは日本のマンガだと珍しいかもしれない
主人公の行動原理は大好きなゲームで最強になりたい!で一貫している。そのために寝る間も惜しんで攻略するし、将来ゲームやe-sports業界に悪影響を及ぼしかねない事件や企業にも喧嘩を売っていく。ゲームを通して友情が芽生えたり、かつての〇〇とも和解したりと人間的な成長も魅力。ゲームっていいなぁ!
ある貴族は大量に産んだ子供を地獄の特訓の末「猟犬」こと冷酷無比な兵士へと育てて力をつけていた。主人公はかつてそれなりに強くなったが貴族のオトンに殺されて死んでしまった。なんか生き返ったので、今世では最強の存在となって偉大なるオトンに復讐したる的な話
回帰ものばっかりな気はするが、その中でも復讐・中世世界観でかなりダークな作品
でもモンスターとかはでてくるし、剣と魔法の世界観なのでちゃんとファンタジーしてる。わりとサクサク人が死ぬ
この作品もかなりテンポがよくて、まだ100話未満の連載話数だけど結構話が進んだな感ある。個人的には余計なサブストーリーで人物の掘り下げとかをするくらいなら本筋をガンガン進めてほしい派なので、こういう目的に向かってまっすぐ進んでいく感じの話はかなり好み。
全知的な〜並に章ごとの場面転換が大きく、最初は領地での成り上がり編、次は〇〇編、学園編、みたいな感じでいろんなストーリーがある。そういう多面的な作風はラノベっぽさもあるかもしれない。ストーリーは全然違うんだけど、どことなく無職転生っぽさはやっぱり感じる。
無職のしがないゲーム中毒者の主人公は、大好きなオンラインゲームの中ですら雑魚中の雑魚としてNPCにこき使われる毎日だった。ある時伝説級の転職書を見つけたことでゲーム世界で初めての伝説級ジョブ(めっちゃ強い鍛治職人)プレイヤーとなった。本来なら難しいクエストをクリアしないと手に入らないげきつよアイテムを鍛治できるようになり、最強装備でどんどん成り上がっていく的な話
珍しい鍛治職人もので、 オリジナリティの高い作品となっている。登場人物がとにかく多いし、基本的にみんな性根が善良なので、なんというか俺つえー系作品なんだけどどことなく品性がある...?感じの作風。ちなみにウェブトゥーンに珍しく性的描写がある。(エ口くはない)
若干の説教くささであるとか、かなりクセの強い戦闘スタイルの人がいるとかで、人気の割には若干人を選ぶ感じはする。あとは最新話までである程度の目的は達成するので、自分はちょっと読むのに疲れてきた感はある。
とある放置系ソシャゲの世界ランカーだった主人公は、あるとき謎の存在とゲーム中で出会い、ゲームの世界へと引き摺り込まれてしまった。実は今までゲームだと思っていたのは、いろんなマルチバースから連れてこられた人々がガチで生きている世界だったのである。しかも主人公はまさかの星1雑魚キャラ...。死にものぐるいの特訓で生き残りながら、このゲームの謎に迫るといった話
設定が新しいし、世界観がシビアすぎるので登場人物がコロコロ入れ替わるのが最高。マルチバース世界によっては剣と魔法の世界からやってきたキャラも大勢いるが、主人公は地球のふつーのイケメンで特殊な能力を持たないのも面白い。
放置系ソシャゲなのである程度はゲームキャラたち手動で決められるが、肝心な意思決定には画面外のプレイヤーの協力が必要だったりする。この画面外のプレイヤーがへっぽこ初心者プレイヤーだったり、引退の危機だったりで一筋縄ではいかなかったりする。
ひたすら生き残るためにクエストを進めていく感じのストーリーで、今後はどうなるかはまだわからないけど、続きがかなり気になる作品ではある。
お使いデビューなんか海外じゃまずやらないし、海外の方が20倍くらい過保護で窮屈なんじゃねーかなあ。
プロムを境に親離れする儀式があるわけだけど、そこからはっちゃける人が珍しくない。
法的に縛られれて仕方ない面はあれど、自己主張と自己実現が重視されて他人への尊重と協調が圧倒的に足りてない。
自立した精神とは程遠い、合法的に親の反発にできるとなったら、もう聞く耳キャパは残ってないはあるある。
能力ある人だけが勝ち取り、中途半端な人はどんどん行き場がなくなっていき、ドゥーマー化する。悲観的で自発的に動けない。学ぼうとしても難しい。日本はある程度平均化して、そこまでどん底格差は少ない方で教育コストというデメリットはあれど相当マシだと思ってる。
ただ、制度からあぶれる人物はやっぱり出てくるので、対策するより、そういう人はいるって前提で語られちゃうところはあるよね。どこも大変だ。
・そう思ったきっかけ
私のどうしようもない旦那の話。
彼は最近自身のSNSで、SS程度の文字数の作文を皆に公開した。
内容を要約すると”僕は死が大好き。自死は咎められるものではない。死の匂いを感じながら堕落しきるのは人間らしく美しい”みたいな。
正直に言わせてもらう。はぁ?
まず旦那がどんな奴かバックグラウンドを知ってもらう必要がある。
自傷癖があり、頻繁に自殺未遂を繰り返したり、酒癖が悪く私のことを殴り2回捕まったこともある。
今は働かず動画投稿サイトで女ファンにチヤホヤされ、昼間から酒を呑み、家事もろくにせず私の金で酒やらタバコやらを買う生活だ。
なんらかの精神病を患っていると思われるが、本人は一切受診しないし、通ってもすぐ辞める。
曰く、心の闇は薬なんかじゃ消えないから、だそうだ。
動画投稿の撮影をするために外出したり配信する気力はあるが、皿洗いはしない。
そんな人間だ。
それでも必死に支えてきた。
彼が前向きに頑張りたいと、自分を変えたいと言うから私は見捨てず傍で支えたつもりだ。
なのでつい先日離婚した。
そんなろくでなし男が、”堕落しきった生活は美しい”だの、”自殺は咎めるべきでない”だの言う。
おかしいだろ。
いいよな、お前は好き勝手暴れて人に迷惑かけてきたくせに、自分のライフスタイルを愛せて、今もなお継続中なんて。
まず底辺な生活でもお前が生きてこれたのは、私が働いて得た収入や支援があるからだということを忘れるなと言いたい。
これから離れて暮らして一人の生活になった時、果たして同じように自身の生活を愛せるのだろうか、彼は。
そんな甘ったれ男がZ世代の多感な女の子らに対して所謂”メンヘラ”でいることを許容するような発言をしている。
無責任にも程があるだろw
そのまま何も頑張れない君でいい、死にたがってる君は美しいだの綺麗事を並べているのを見ると腹が立つ。
実際、何人もいるフォロワーの女の子からは大絶賛を受けているそうな。
”貴方のおかげで気が楽になりました”
という声が多いらしい。
でも言ってる当の本人を見ろ。
実家から援助を受けたり、私の人生を搾取しながら好きな生き方をしたり、恵まれている環境であぐらをかきながら偉そうにそんなこと言ってるんだぞ。
どう思う?君はもっと酷い環境で辛い思いをしてるんじゃないか?
とにかく許せない。
確かに人生どん底まで落ちて、もがいた時に生きる意味を見つけることもあるからそういう意味では堕ちるのも悪くはない。
しかし、人はいつかそこから必ず這い上がる努力をしなくてはならない。
そして彼は坂口安吾の堕落論を参考に文章を作ったらしいが、どうも自分の都合がいいように捻じ曲げて解釈している気がする。
昨今の風潮として、メンヘラが可愛いだのエモいだの言われる場面が多々あるので、そういう話がウケるのも理解している。
しかし、言っている当の本人は君の人生に何も責任を持つつもりはないし、ただ自分を正当化するために発信しているだけだ。
誰かを救おうという気持ちはもしかしたらあるかもしれないが、それは”貴方のおかげで救われました”という言葉がほしいだけだ。
もしくは、一時のヒーロー発言で本当に一人の人間を救えたと思っている馬鹿者だ。
いいか、人には誰しも辛くて苦しくて死にたくなる時がくる。
そこから逃げたり、他の人や物に依存して紛らわしても何も得られない。
転び方を学んでおかないと、この先大怪我をするし誰も助けてはくれない。
うざいよな、こう言われると。
お前に何がわかるって言いたいんだろう。
答え:何も分からない、知らん。
けど、いつか起き上がれるように、ムカついた感情ごと頭の片隅にそっと置いててほしい。
心が辛いなら赤の他人にすがるのでなく、まず通院してみよう。
繰り返すが、逃げてもいいんだよ、という言葉に惑わされるな。
そこで葛藤して初めて強くなれる。
今死にたがってる人には伝わらないと思うが、生きていれば分かる日がくる。
そしてこのデタラメ男みたいになるな。
簡単に逃げてもいいとか、死にたかったら死んでもいいとか悩んでる人に言うな。
言われた本人はそれを真に受けて、どんどん救えない人間になる。
その前に嫌われる覚悟で、耳が痛い言葉を言ってあげるのも一つの愛だよ。
それでその人が離れていくならそれまでだ。
私は結局彼を救えなかった。
昔の私は、耳障りのいい言葉を並べて彼の性格を受け入れてしまったからだ。
私もろくでなし女だった。
もう同じ失敗を誰にもしてほしくない。
昔の私のように、彼のような人間を産み出す人が増えないように、そして、二度と彼の言葉を信じて堕落しきる人間が増えないように書かせてもらった。
ここまで読んでくれてありがとう。
先に断っておくが、うつ病に一律できる/できないを叩きつける主旨ではない。
いきなり泣いてしまう、いきなり人との会話がうまくいかなくなる(日本語がうまく出せない)、不眠、授業にどうしても行けなくて単位を落としたりもした。
が、お金は欲しかった。実家住みではあっても病院代は自腹だったし、辛うじて楽しめる趣味もあったので、それらへの支払いすらお金に困るのでは逆に心がますます死ぬと思ったからだ。
それで応募したのは、近所のホームセンターのレジバイトだった。接客ははじめてだったが、愛想笑いでパートさんと接し、どうにか仕事を覚えて、夕番に入るようになった。
レジでは客との会話は当然行うが、その中身は案外定型だ。それがよかった。あいさつをして、会員証を確認して、カゴにものを詰めて支払いをしてもらう。お礼を言う。それを繰り返していると時間が終わる。体感時間は長いが、思考力や集中力がどん底でも、定型に落ち着けた業務は淡々と処理できる。
無理な日は休んだ。代わりを探せとは言われないバイト先なのが幸いした。それで、大学の間はずっとそこで働いていた。新人の研修も担当した。たぶん、働けていた。
ここまでだと、結論:うつ病でも接客業はできる!になってしまう。違う。
つまり、「どっちもいる」のである。ネットでままある「○○できるならうつじゃない」は一見説得力がある言説だが、増田が反証である。
そりゃ、重度の状態の人はできない。中度軽度でも、適性によってはできないかもしれない。
当たり前のように言うのだ。ホームセンターでバイトできるならうつじゃないとか、そもそもうつなら働けないはずだとか、同じく「うつ」の人々も。人によって違うのだ。知ってほしい。
今自分は社会人をしていて、一人暮らしもはじまって、薬を飲みながらどうにか働いている。帰って天井を眺めて23時になってたり、気づいたら人生の終わらせ方ばかり考えていたり、安定剤と睡眠導入剤は必須で、ずっと苦しいけど、働くしかないので働いている。
「とにかく休め」とはいうけど、それが環境的・金銭的に無理で働いている人はいると思う。まあそのうつの原因が会社なら100パー辞めて休んだ方がいいけど。
全然違う要因でうつにかかって、それを抱えたままバイト/就職するしかなかった自分は、色々考えると回復のために休むことができなかった。お金ないし。
会社員勤めとか、接客をしてるとか、学校になんとか通っているうつ病とかも、自分以外にも沢山いるはずだ。
そんなのうつ病じゃないなんて言わないで欲しい、勝手に決めて軽視しないでほしい。気を遣えとかじゃなく、そういう人間もいるとだけ知ってほしい。長々と色々書いたけど、いちばん言いたいことはそれだけだ。