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「否定形」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 否定形とは

2025-10-31

まあこんなもんだろ

プロンプト】

「頑張ってライブやってこい。ただし羽目だけは外しすぎるなよ」

この台詞日本語表現として変じゃないですか?

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シンキング結果】

いいえ、この台詞日本語として特に変ではありません。むしろカジュアルな会話で自然に使えそうな表現です。以下に理由説明します。

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人間様の解説

  • 「羽目を外す」は一体の慣用句であり、「羽目」は具体物ではない。状況全体に関する表現である。羽目は外すが他の何かは外さないとかいうことはありえない。よって「羽目だけは外しすぎるなよ」はやや珍妙であり、「羽目外し過ぎるなよ」「あまり羽目外すんじゃないぞ」などが適切である

────────────────────

地味に嘘つかれて疑わなかったら気付かない。

2025-10-08

日本語難しすぎ。こんな言語喋れるようになるわけがない。

「洗う」は否定の「ない」をつけると、「洗わない」と語尾がワ行の音になるのはなぜ?

これは、現代日本語に残る歴史的言葉の変化の名残です。

端的に言うと、「洗う」の「う」は、昔の日本語ではワ行の音として扱われていたためです。

## A Special Rule for Verbs Ending in 「う」

まず、現代語のルールとして、「う」で終わる五段活用動詞を「~ない」の形にするときは、「う」を「わ」に変えるという決まりがあります

• 言う → 言わない

• 使う → 使わない

• 思う → 思わない

「洗う」もこのルールに従っているわけですが、なぜこのような特別ルールがあるのかがご質問ポイントですね。

## The Deeper Reason: A Relic of Old Japanese 📜

その理由は、日本語歴史にあります

昔の日本語歴史的仮名遣い)では、これらの動詞は「う」ではなく「ふ」で書かれていました。

• 洗う → 洗ふ (arafu)

• 言う → 言ふ (ifu)

• 使う → 使ふ (tsukafu)

これはハ行(ha, hi, fu, he, ho)の活用をする動詞でした。動詞を「~ない」の形にするとき活用ルールに従って語尾をア段の音に変える必要がありました。

ハ行のア段は「は (ha)」ですよね。そのため、昔はこう活用していました。

• 洗ふ (arafu) → 洗はず (arahazu) or 洗はない (arahanai)

• 言ふ (ifu) → 言はず (ihazu) or 言はない (ihanai)

その後、時代が下るにつれて、言葉の途中にある「は(ha)」の音が、発音やすいように「わ(wa)」の音へと変化していきました。

変化のまとめ

1. 昔の形: 洗ふ (arafu)

2. 昔の否定形: 洗はない (arahanai)

3. 発音の変化: 「は(ha)」の音が「わ(wa)」になる

4. 現代否定形: 洗わない (arawanai)

そして、辞書に載っている基本の形も、洗ふ(fu) の発音が 洗う(u) へと変化し、現代の書き方になりました。

このように、「洗わない」の「わ」は、元をたどればハ行の「は」であり、その発音が変化して残ったものなのです。

「遊んでる」という言い回しとき、「遊ぶ」の語尾が「遊ん」に活用で変化しているのか ?

はい、その通りです。「遊んでる」という言葉において、「遊ぶ」が「遊ん」に変化しているのは動詞活用の一環です。

詳しく解説します。

1. 「遊んでる」の元の形

まず、「遊んでる」は「遊んでいる」の話し言葉口語)での省略形です。

2. 「遊んでいる」の成り立ち

「遊んでいる」は、動詞「遊ぶ」と、補助動詞「いる」がくっついた形です。 動詞接続するため、「遊ぶ」は「て形」と呼ばれる形に活用(変化)しています

3. 「遊ぶ」の「て形」への活用

動詞「遊ぶ」の「て形」は「遊んで」となります。 この「遊ぶ」→「遊んで」という変化が、ご質問の核心部分です。

この活用は「音便(おんびん)」と呼ばれる、発音やすくするための特殊な音の変化です。具体的には「撥音便(はつおんびん)」と言います

活用プロセス:

1. 遊ぶ (asobu) の連用形「遊び (asobi)」に接続助詞「て (te)」がつく。 → asobi + te

2. 発音やすくするために「bi」の音が「ん (n)」に変化する。(これが撥音便) → ason + te

3. 前の音が「ん」になった影響で、後ろの「て (te)」が濁って「で (de)」に変化する(連濁)。 → 遊んで (asonde)

このルールは、「~ぶ」「~む」「~ぬ」で終わる五段活用動詞共通しています

他の例:

• 読む (yomu) → 読んで (yonde)

死ぬ (shinu) → 死んで (shinde)

• 呼ぶ (yobu) → 呼んで (yonde)

まとめ

「遊んでる」の「遊ん」の部分は、動詞「遊ぶ」が「~ている」の形に接続するために活用(音便)した結果です。文法的に正しい変化と言えます

2025-08-26

「得意じゃない」って表現が苦手

○○が苦手だ」を「○○が得意じゃない」に言い換える表現が近年広まりつつある。

私はこれに強~烈な違和感を覚えている。

 

は? 普通だが? ……って思うじゃん?

 

しかに、「歌が苦手だ」、「長距離走が苦手だ」などを「歌は得意じゃない」、「長距離走は得意じゃない」などに言い換えるのは至って普通だ。違和感はない。

では、「パクチーが得意じゃありません」、「柑橘系のにおいが得意じゃない」、「筋肉質の男の人は得意じゃない」ではどうだろう?

こういう言い方をする人、確実に増えてます

まあ、これに違和感を感じない人も多いんでしょう。だって増えてるんだから

けど私は、「じゃあ逆に〈パクチーが得意〉ってどういう状態!? 栽培が得意なの!?」ってなる。

この違和感の根源を、ちょっと探っていこうと思う。

 

言葉の成り立ちで言うと、「苦手」はそもそも自分にとって扱いにくい人や物」を指す言葉で、仏教語として平安期に日本に入ってきた言葉らしい。「おれ増田課長は苦手なんだよなあ」のタイプ。これをタイプと呼ぼう。

やがて(おそらく江戸後期くらい)、苦手という言葉対象が「自分が上手にできない行為」に広がる。「水泳は苦手だ」のタイプ抽象物を擬人化・擬物化しているのでちょっと修辞的な表現である。「野球人生だ」みたいな暗喩にも少し近い(正確には違う)。これをタイプと呼ぼう。

さらに近現代になると、「嫌い」 「好みではない」の意味でも「苦手」が使われるようになった。今回の「辛いものが苦手」 「ホラー映画が苦手」のやつである。「嫌い」 「好みではない」とそのまま口に出すとニュアンスが強すぎるので、言い換えてニュアンスマイルドにしている。これをタイプと呼ぼう。

タイプCの使われ方はタイプAととても似ているが、タイプAには「好き/嫌い」の判断はなくとっつきにくいだけであるのに対し、タイプCは明確に「嫌いだが嫌いとは口に出しにくいケース」にだけ使われる。

そして、「得意だ」は「その行為を上手にできる」という意味なので、対義語が「得意」になるのはタイプBだけである。「水泳は苦手だ/得意だ」は両方とも成り立つ。タイプAやタイプCでは本来は成り立たないはずだ。しかし今、タイプCの対義語としての「得意」が新たに登場した。「得意」は、「好き嫌いという文脈においてポジティヴなほう」を表す言葉というポジションを得たのである。これは辞書にはまだ載っていない用法だ。

 

言葉は生き物なので、時代とともに新たな意味用法を獲得していくことはよくある。新しい「得意」は、「パクチーが得意じゃない」のように否定とセットで用いられるのが普通だった。しかし近年ではいよいよ肯定形として「レバーが得意です」のように使われることさえ出てきた。「苦手の対義語」として登場した用法なので、この「得意」は「問題なく食べられる」の意味なのか、「好物だ」なのかは今イチ判然としないが。

 

この一風おかしな「得意」が成立した背景をもう少しだけ掘り下げてみたい。

 

タイプCの「苦手」は「嫌い」のマイルド化、つまり婉曲表現だと述べた。

「嫌い」だと直接的すぎるし、「好きじゃない」(対義語否定形)と婉曲にしてもまだ表現が強く感じるのだろう。

(ちなみに対義語否定形で使うとニュアンスが弱まる。「ヘタ」よりも「上手くない」のほうが少しニュアンスが弱い)

そこで、好きか嫌いかをはっきり言わない「苦手」に言い換えれば、少し丁寧な感じが出るし、出された料理に対しても「嫌い」よりも失礼がない、ということを誰かが発見したのだろう。

そもそも食べ物好き嫌いはそれがあることじたい少し恥ずかしいことなのだ。アレルギーを除けば何でもおいしく食べられることこそ「大人として成熟した味覚」だとする社会通念がある。「ピーマン嫌~い」と口に出すのは子どもっぽい仕草とみなされている。「苦手」は、失礼さや子どもっぽさをわりとナチュラルに糊塗してくれる便利ワードだったのだ。

 

しか婉曲表現には耐用年数がある。

ニュアンスを薄めたくて婉曲に表現していたことも、長く使われるうちにやがて婉曲効果が薄れ、本来意味と直結してきてしまうのだ。

「嫌い」を曖昧にぼやかしていたはずの「苦手」も、婉曲効果が薄れてくると再び「嫌いだ」と言っているも同然になってしまう。使用を避けたくなってきたわけである

どうにか別の言い回しができないか

「好きじゃない」でニュアンスを弱めるのはどうか。いや、好きか嫌いかをはっきりさせたくないのだからこれは使えない。

そこで咄嗟に捻り出したのがタイプBの対義語否定形、「得意じゃない」だ。ワンチャン気持ちは通じるっしょ、いちおう対義語だし。

そういう経過じゃないかなあと思う。

2025-07-15

anond:20250715181526

ひらがなカタカナは読めてるから、そういう問題じゃないと思う

「いけにあひるが6わいました。2わいけからあがりました。いけにあひるはなんわいるでしょう?」

例えば、「6わ」の「わ」がわかってない。

私も説明できない。

英語で、one slice of watermelonといってねだってくることがあるので、それみたいなもの説明しようとしたけど、親の私の英語力がなくて無理だった。

なんだろうか、「わ」って。

羽という漢字もしらないだろうし、なんで羽という漢字を「わ」と呼ぶかってのも説明できないし、そういうもんだとしか

「あがりました」

の、「ました」も理解できないと思う。

語形変化がダメ

「すわる」は理解できても、「すわって!」は理解してない。

「走らない!」みたいな否定形も無理で、「とまる!」って言わないと通じない。

から、「あがる」「あがった」「あがりました」、こういう違いはわからないと思う。

「いけから」も無理だと思う。

算数以前に国語力の問題なんだけど、どうやって日本語をおしえていいかわかんない。

そもそもなかなか机に座ってくれない。

ゲームはできるから、やる気を出せば算数はできるんだろうけども。

2025-07-08

dorawii

日本語でおk」とは日本語になってないという意味だそうだ。

まり、ただ何かある事実を言っているだけであり、少なくとも意味通りには何かを命令されているわけでも要求されているわけでもないことになる。

そうすると「そうなんだ」で終わってしまわないか

もしここに日本語以外で書いてはダメというルールがあるなら、暗に日本語で書けという含みも生まれ得るかもしれない。

しかしそのようなルールはない。

から心の中で「そうなんだ」と思う以外にこちらのやるべきことが見いだせない。

それどころかこれは評価なのか非難なのかさえもわからない。つまり喜んでいいのか悲しむべきなのかさえわからない。

「平凡ではない」と言われたら喜ぶ人もいるだろう。つまり形式的否定形からといって意味合いとしてネガティブであると言うことはできない。

日本おkと言われてどのような感想を持てばいいのかわからないものだ。

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2025-06-08

anond:20250608173730

多分、常温では送れないものをいいから送ってくれと、食い下がるやつがあまりに多いんだろうな。

あと経験的に「出来ません」と否定形から入ると余計にムキになるやつが多いから避ける、とか。

まあ何にしろ、その仕事プロがやっていることには意味があることも多い。

2025-05-14

anond:20250514104335

全然違わない話すぎるな」という日本語には、いくつかの不自然な点があります。以下に具体的に指摘します:

全然違わない」の使い方:

全然」は通常、否定形と組み合わせて「まったく~ない」という意味で使われます(例:全然からない)。しかし、「違わない」はすでに否定形を含んでいるため、「全然違わない」は「まったく違わない」という意味になり、強調された否定表現としては正しいのですが、文脈によっては冗長に感じられる場合があります

この場合、「全然違わない話」は「まったく違わない話」、つまり完全に一致する話」や「同じ話」と解釈できますが、話し言葉としてはやや不自然に聞こえることがありますもっと自然表現としては「全然違う話じゃない」や「完全に同じ話」などが考えられます

「話すぎる」の文法的問題

「すぎる」は通常、形容詞動詞に付いて「~しすぎる」という意味を表します(例:大きすぎる、食べすぎる)。しかし、「話」は名詞であり、名詞に直接「すぎる」を付けるのは文法的おかしいです。

「話すぎる」は「話が多すぎる」や「話しすぎる」のような意味意図している可能性がありますが、どちらにしても「話すぎる」という形は不自然です。「話が多すぎるな」や「似すぎてる話だな」など、意図に応じて別の表現にするべきです。

全体のニュアンス意図

この文は、恐らく「全然違う話じゃない、めっちゃ似てるね!」のようなニュアンスを伝えたいのかもしれません。しかし、「全然違わない話すぎるな」はその意図曖昧で、聞き手にとって何を強調したいのかわかりにくいです。

たとえば、「全然違う話じゃない、超似てるな!」や「完全に同じ話じゃん!」のように、意図を明確にすると自然になります

修正

以下のように言い換えると、より自然でわかりやす日本語になります

全然違う話じゃないねめっちゃ似てる!」

「完全に同じ話じゃん!」

「似すぎてる話だな!」

全然違わない、そっくりな話だね!」

結論

全然違わない話すぎるな」は、「全然違わない」の冗長さと「話すぎる」の文法的な誤りが主な問題です。意図を明確にし、文法的に正しい表現に直すと、より自然日本語になります文脈話し手意図に応じて、適切な言い回しを選ぶとよいでしょう。

2025-05-10

最近スポーツ選手芸能人インタビューでよく使う「感謝しかない」という言い方は否定形であまり印象がよくないので「感謝けがある」という言い方に変えていきましょうね

2025-03-06

anond:20250306161757

否定形を使わずに「業務開始には上記指摘箇所の解消が必要です」って書くだけで

全然印象が違うのにエンジニアってバカだなあ

2025-02-20

anond:20250219152228

あれらと同じような構成で、ただただ陰謀論否定してく、みたいなチャンネルないのかなぁ

否定形式がよいのか、単純に関連知識解説……で面白みや説得力が出るのならシリーズ化してしまえば

ネタが尽きるのかなぁ 切り口変えたら何度でも擦れるか

結局、自分たちしか知らない、わりと最新情報注意喚起欲求が生まれる、みたいなあくどさがないとなのか

本編煽るだけあおって、続編で丁寧に解説するとか(続編みないとセンセーショナルだけど実害は少ない)

2024-10-09

努力すれば誰でも勉強はできるようになる」というJKに何と言えばいい?

スポーツ結構できる

両親が毒親なため貧困虐待暴力もあり、家事もして弟妹の面倒も見ていて通学時間は2時間以上

そんな状況で東大に行けるくらいの地頭の良さを持つ、科目によっては駿台模試で超上位に入るくらいに

まり努力は誰よりもしている

あと学校は周りが上級国民の子ばっかで秀才しかいない

 

この状況下だから努力をすれば何とかできる。何とかできないのは努力してないから」という発想になりやす

「何でその人は大学に入らなかったの?」「何で努力しなかったの?」というような言い方になる

将来が非常に不安なのでその考えはやめてほしいんだが、環境環境なだけに理解してもらうのは難しい

一度家庭教師でもしてもらえたら分かるんじゃないかと思うが

 

私も旧帝大は出てるので「努力たからでしょ」と言われるが、私は他の人ほどちゃん努力できたと思ってない

でも「努力たか成功したんだ」と思われる、これを否定するの難しい

 

というか、どんな人ならこの論法否定できるんだろうか

いや、めちゃくちゃ努力したうえで失敗した人なんて山ほどいるから、やっぱ人生経験が足りてないのか

あるいは「努力でなんとかできる」と信じたいがゆえの主張なのか

 

「一日8時間勉強したら誰だっていい大学くらい入れるでしょ?」をどうすれば否定できるか

あれかな、スポーツに例えればいいかな、「一日8時間野球やったら皆がプロ野球選手になれるのか?」とか

でも「プロ野球選手にはなれなくてもかなり上手くなるでしょ」と言われたら程度問題から否定しづらい

とにかく努力信仰は嫌な奴になるだけだからやめてほしいんだが

このまま東大やら慶応やら行ったらそうなってしまいそうで心配

 

___

 

あと否定形で会話するのと、相手の考えを先回りして勘違いして外すのも直したい

うちの親父みたいだ

こういうのって自分中学生くらいの頃に母に諌められた記憶がある

2024-07-25

anond:20240725184301

あ、その用法じゃないね

それは発音微妙な差のやつやん?

そうじゃなくて、「たまってる仕事しやな」とか、「宿題ちゃんとしやなあかんで」とかのわざわざ感出る表現のやつ

あれ奈良じゃない?

と、思ってあのレイプマン見直したら、出てた用法は、「明日、朝待ち合わせしやん?」だった

あ、これわざわざ感の「しやな」じゃなくて、三重とかの否定形のほうかも

大阪中心部だと「待ち合わせせえへん?」一択で、「しやん?」は絶対使わないんだよな

「しない?」の意味で「しやん?」なわけで、大阪弁だと否定はへんだから「せえへん?」なわけよな

そういえば三重否定のやんはちょっと広がってるって記事読んだことあるから若者に浸透してきてるってことかも?

2024-04-12

誤用だと言われていたけど誤用じゃなかった言葉

爆笑

本来意味は「大勢が笑うこと」なので一人で笑うときに「爆笑」を使うのは誤用である、とされることもあったが、実際には「爆笑」という語が使われはじめた昭和初期からすでに一人で笑う場面でも用いられていた。「大勢が笑うこと」説のほうに根拠がない。

的を得

「的は射るもの」なので「得る」は誤用である、とされることもあったが、もとを辿れば「不失正鵠」すなわち「正鵠を失わず」という慣用句であり(正鵠=的の中心)、それが「正鵠を失う」と肯定形で使われるようになり、その対義語として「正鵠を得る」という言葉が生まれ、そして明治末には正鵠を的に置き換えた「的を得る」や「的を射る」といった表現が出てきた、といったややこしい変遷があったもので、少なくとも「的を得るは誤りで的を射るが正しい」とはされなくなっている。

汚名挽回

汚名返上して名誉挽回すべきだ」とされることもあったが、もともと「挽回」という言葉は「回復」などと同じく「(悪い状態から)元に戻す」という意味なので、「病気回復する」などと同様に「不振挽回する」「衰運を挽回する」など、マイナス意味言葉と組み合わせて用いられることも多く、よって「汚名挽回」についても誤用でないとされる。「汚名挽回する」という表現明治末にはすでに見られる。

全然〜〜だ

全然」は「全然〜〜ない」のように否定形で受けなければならないので「全然〜〜だ」というような書き方は誤用である、とされることもあったが、実際には明治の頃から否定を伴わない形で多く使われており、「否定で受けなければならない」というルールには根拠がない。

敷居が高い

本来は「後ろめたいことがあって相手に会いづらい」という意味なので「高級店に入りづらい」などの意味で使うのは誤用である、とされることもあったが、この表現の要点は「後ろめたい」よりも「相手に会いづらい」という部分であり、そこから考えれば「高級店に入りづらい」などもあくま自然な応用の範疇で、誤用と言えるほどの意味の飛躍はない、とされるようになった。

役不足

本来意味は「能力に対して役目が軽すぎること」なので「役目に対して能力が不足している」という意味で使うのは誤用である、とされることもあったが、そもそもは「役に対して不足(=不満)を言う」という意味であり、「こんな難しい役目は私には無理だ」と不満を言うことも「役不足」の範疇だった。「彼には役不足だ」などと言って不満を含まない用法本来の使い方でない、とは言える。それも明治末にはすでに例があるので最近まれ用法ではない。ちなみに「役者不足」という言葉最近造語であると言われることもあるが、こちらも少なくとも昭和初期には現在意味での用例がある。

他には?

2023-11-24

否定形」でしか会話できない人

これって単純にコミュ力が低いと思うんだよな

 

会話パターンっていくつかあると思っていて

それをたくさん持ってて、使い分けできる人がコミュ力高いんだと思う

 

否定パターン

議論批評向き、より芯を食った意見を言ったほうが勝ちみたいな感じ、はてなとかもこれ

難易度は並

 

肯定パターン

相手共感していき、相手気持ちよくしたり、場を和ませるのに使う

使いすぎると嘘くさくなるのでテクニカルである

難易度は低かったり高かったり

否定形に慣れてる人にとってはかなり難易度が高い

 

肯定補強、否定補強

肯定した上で具体例をこちから示す

否定した上で反例をこちから示す

 

一部肯定・一部否定

賛同部分と否定部分を分けることで、否定部分を狭めていく会話

議論に向いている

難易度は高い

 

提案

磯野、野球しようぜ!

 

他にもたくさんある

 

そういえば俺の親父も否定しかできないコミュ障だった

まず否定し、◯◯は◯◯なんだと断定するだけ

マジで会話がそこで終わる

そりゃ友達も居ないわ

俺も居ないけど

 

ていうか年をとると否定形でしかコミュニケーションできなくなる人いない?

あれってプライドが高いのか脳が萎縮してるのかどっちかだと思うんだけど

ブコメにも大勢いるよね否定しかできない脳が萎縮した奴ら

2023-09-05

三大「否定形しか使わない動詞

  • 解せぬ(解せる)


あと二つは?

2023-05-20

否定形

「なぜ〇〇しないのか?」とは言っても「〇〇してくれないか?」とはなぜか言わない。

2023-05-08

「透明の反対は不透明」←納得いかない

「透き通らなくなる」って意味の「濁る」って動詞があるのに何で名詞では使われないんだ

「混濁」とかの名詞にもあるように「汚れる」ってニュアンスを含んでいるからだろうか

「汚れる」だと「最初は奇麗だったけど、汚くなった」という変化を伴っちゃうもんな

不透明」はあくま状態で、最初は「透明」だったものが「不透明」に変化したと決まっていないしな

何か気になるなと思い、「不透明 英語」で検索したら「opacity」って語句があるらしく、

英語だとやっぱり「透明+否定形」で語句を作っているのではなく、不透明という意味専用の言葉がある

「opacity」の意味不透明、混濁以外に曖昧愚鈍というものがあるそうな

はっきりしないみたいな靄のイメージなんだろうか

寝る前に頭にうかんだもやもやを書いたし、今日はもう寝ることにする

2023-05-05

anond:20150214223556

否定神学は「対象を直接語れないから迂回して色々語る」のではなく「対象を語れないという否定形を持って語る(対象は○○でない×n)」ものです。

まったく理解していないのにインテリぶってジャズ講釈に援用するのは片腹痛いですよ。

2023-05-04

苗字の読みがあやしいとき

濁りません(否定形)と言われるより、濁ります肯定形)と言われたほうがうれしいので濁らない読みで確認しがち

2023-01-30

友達が居ない人目線記事はよく見るけどその周りの友達目線の話

友達が居ない人間関係が続けられないと発言している友人の近くに居て、実際傷つけられたことがあるし、相談されたこともある。

疲れ切ってしまったので愚痴がてらまとめたいと思う。

そういう人たちは本当に些細なことが積み重なって人間関係は崩れていく。友人が増えるたびにそういう人たちの優先度は下がっていく。

例えば誕生日プレゼントを返さないとか、傷つけるような発言を平気で言うとか、言葉選びがおざなりなど様々だ。

突っ込まれそうだけれど、もちろん誕生日プレゼントを必ず返せとかさないから許せないという話ではない。

返されなくてもその人の生活が豊かになるならそれでいい要らなければ捨ててほしいと思って渡している。

けれど普段からおざなりに扱われている相手にそんな祝福をするような気持ちで居られるだろうか、「何を選べばいいのかわからない」と言い訳をして何もしないくせに、

自分誕生日には祝われないと委縮する相手に消耗させられるばかりだ。

少々愚痴っぽくなってしまったが、

そういう人たちは大抵「人を傷つけたくない」と思っている、一般的なやさしい人だ。

意図して攻撃的な発言をしているわけではない、自分が正しいと思っているだけなのだと思う。

自身の正しいの理論上に相手を巻き込もうとしてるから結果的に消耗させるのだ。

______________

そういう人たちに向けて以下に今までおこなった返答を載せていく、参考になれば幸いだ。しかしけして友人が居るのが良い事、正しい事とは思わない。

その上で今いる大切な友人を失いたくないと思っている人に届くと嬉しい。また、関係性と時と場合によるということも留意してほしい。

自分が正しいという前提で話さな

相手には相手の考えがあって行動していることを理解する

言葉の受け取られ方を想定して一言ワンクッションを挟む

否定形をなるべく使わず言い換える

・今考えた言葉を伝える意味はあるのか考える

______________

自分が行っていたそういう人たちと会話する時に気を付けている事

・全部肯定する

自分が正しいと思って話をしているため対等性を保つためにまともに会話するとものすごく疲れるため表面上の関係でも良い場合は全肯定するのが一番

距離を置く

→そういう人たちが友達が居ないと言う所以でもあるが、心を守るためなので仕方がない。

・褒める

→そういう人たちが一番求めてるのは自身への肯定であることが多かったため褒めると満足してもらえる。

_______________

対等で居るために疲れるタイプ問題が多い気がする。多分私自身も心の中で競ってしまっている部分があって結果そういう事に疲れてしまっているのだと思う。

けれど相手自分尊重しないのにどうして相手尊重しないといけないんだろうと思ってしま自分も居る。

私は友人の為になら自分にできることを尽くして上げたいと思えるほど慈愛に満ち溢れてはいないけれど、幸運にも優しい友人に恵まれている。

参考になるかはわからないし私は私で心に余裕を持ちたいと思うがどうか、相手も人であり、思想があるということを尊重してほしい。その人自体理解しようとしなくていいから。

2022-12-08

anond:20221208055054

まずそれ「どこへ行っても〜が見られる」って定型文を覚えるためのものから

英語って例文にある名詞を別のものに変えたり、否定形疑問形に変化させて覚えるよね

例文をそのまま丸ごと覚えるだけじゃ足りないか

 

風車オランダを別の名詞に切り替えて発声したり書いたりする勉強するのが普通だと思うんだけど

名詞だけに注目して汎用性がないから丸暗記しても意味がないって当たり前じゃん

汎用性があるのは名詞以外だよ。

 

真面目に授業受けたこともなければ

真面目に勉強したこともないだろ。

2022-11-26

ネットでたまにみかける動詞否定形の後ろに「やで」をつける文

そんなこと、俺はしないやで。

俺はテレビなんて観ないやで。

あれってどこの言葉

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