はてなキーワード: 千金とは
げに一刻も千金の👺
dorawiiより
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20歳まで浮いた話がひとつもない非モテ・陰キャ(陰キャなのは今も同じ!)
大学で一目惚れした子にすげー頑張ってアタックし、20歳にして彼女ができる
これって、よく考えたら、一切無駄のない、ほぼ最強の恋愛遍歴じゃないですか?
なんかこう、5人とか10人とか元恋人がいてさ、恋愛強者です、恋愛に詳しいです!みてえな雰囲気を出してる奴らいるけど、アイツらって普通に5回も10回も恋愛に失敗してる雑魚なわけじゃん
俺は1発合格してるわけじゃん
少なくともここまでのところ、実は最強なのって、俺じゃねえか?
俺はなんかさ、20年非モテをやってたせいで、非モテ論争があるとどうしても非モテサイドに肩入れしてしまうし、実際に今だって全然外見はキモいし内面もキモいから、モテるかモテないかでいうとまったくの非モテということになるんだろうけど、そんなんどうでもよくて、だって彼女は俺を好きでいてくれてるわけじゃん
激モテと言ってもいい
なんか恋愛経験を誇ってる、恋愛浪人たちよりもさらに上の、恋愛においては達人レベルっつうか、もっとも上の地平にいると考えていいくらいなんだ
地に伏せよ、愚民共 余こそ王なるぞ
そういう気持ちで生きていきてえな
元増田です。これをやったら一攫千金なんてアイディアは俺にはないよ、あったらやってるw
ただ日本の自動車産業と電化製品産業は外貨を稼いで日本経済を支えてきたわけだし、任天堂やアニメ産業みたいにソフトパワーも大事だし、パナなんかは今でも電池周りは頑張ってるみたいだし、そういう大きな市場でちゃんと日本の大企業(かベンチャー)はもっと戦っていく必要がある。特に技術系はもともと強いはずなのに、スマホの存在感もないしAIの存在感もないし、大きな潮流にはことごとく乗り遅れてる。
ただそういうスケールでかい話だけじゃなく、個人個人が英語をまず片言でも勉強すればAI翻訳を駆使してある程度インターネット上では仕事ができるようになる。
ソフト開発でもデザインでも営業でもサポートでも良いからフリーランサーとして海外から案件取ってくるのはできる。
ECはファッションでもグッズでも日本伝統工芸でも何でも、日本で仕入れて海外に売るっていうことはできる。
海外向けのWebサービスやアプリを作って小さな起業をしたっていい。
なんでもいいけどそれらを「まず日本人向けに作って、伸びてから海外を考える」じゃなくて最初から海外市場だけを視野に入れて英語だけでビジネスをやる。 円安なんだからむしろ今は追い風なはずだし。
これをする人が今後10万人でも出てくれば、成功する人も出てきてその成功事例が後発の日本人の後押しになったり、日本国内で雇用を生み出し始めたり、そこから色々変わっていくと思う。
メジャーやけど抜けてるのもあるやろうけどそこは勘弁してな
格闘漫画の金字塔というか日本で「格闘漫画」と言えばまずはこれ
刃牙シリーズはその後も続くけど個人的には作画も話もこの頃が一番好き
古流武術の継承者が様々な異種格闘技と戦って地上最強を証明するために戦っていく漫画
ありとあらゆる格闘漫画の中でもこの修羅の門の蹴り技描写が一番カッコええと思ってる
ちなみに「修羅の門」ってタイトルは恐らく夢枕獏先生の格闘小説「獅子の門」から取ってると思われる
主人公の先代達の戦いが描かれる歴史スペクタクル巨編・修羅の刻も面白いで!
前述の刃牙や修羅の門と比べると青年誌のヤンジャン掲載という事もあってか絵柄も内容も劇画っぽい
他の格闘漫画で扱いが悪い事が多いムエタイがめちゃ強かったり寝技や組技の描写に力が入ってるのが印象的
厳密には格闘漫画というよりはボクシング漫画やけどこれも面白い
修羅の門が蹴りやとすると一歩はパンチの描写が滅茶苦茶カッコええ
最近は掲載ページが少なかったり休載が多い事で読者の不満が多いけど
鷹村VSホーク戦と戦後編まで数十巻以上熱さと面白さをずっと保ってたのはほんま凄いと思う
純粋な格闘漫画として読むにはギャグの描写が多すぎてノイズになるんやけどそこを加味しても滅茶苦茶面白い
他の格闘漫画と比べると絵柄がリアル寄り?なのと「戦いが始まるまでの駆け引き」が重視されてるのが珍しいかも
ベルセルクで有名なヤングアニマルで連載していた路上格闘物の漫画
前述した漫画と比べると登場するキャラの強さがどちらかというと現実寄りで路上での戦いに重点を置いてる
登場する人物の殆どがアマチュアという事もあって「プロの格闘家キャラ」が作中最強格だったりするのが面白い
はじめの一歩もそうやけど後世のボクシング漫画に多大な影響を与えたんやろうなと今読んでも分かる
途中でダレるパートもちょっとあるけど大体全編に渡って面白いから読んでも損は無いと思う。
設定的にもグラップラー刃牙の影響を多大に受けてるんやろうな…って感じやったけど実際に刃牙とコラボやった
アニメが二期まで製作されてるけどCGの出来がええしバトルも迫力あるし視聴出来るなら見て損は無いと思う
原作は絵柄が大分人を選ぶけどマンガワンのアプリで基本無料で読めるから興味があるなら是非読んでほしい
ちなみに続編のオメガは現在も連載中やけど、個人的に新主人公がアシュラの王馬さんと比べると魅力無いかな〜って思った
これぞ名作、これぞ日本の異種格闘技大戦物漫画の元祖ちゃうやろうか?
空手家・大山倍達がヤクザと戦ったりプロレスラーと戦ったり牛と戦ったり熊と戦ったり…
とにかく現代の「格闘漫画」でお馴染みの要素は大体この漫画でもうやってる
作画はホラーの名手つのだじろう版と劇画漫画家・影丸譲也版があるけどどっちも面白い
格闘漫画?と言われるとジャンルを断言出来んけど空手家の主人公が色んな分野に手を出したり様々な相手と戦う漫画やった気がする
40年くらい前の漫画という事もあって最初の方は絵が粗いけどとにかくアクション描写がええ
個人的に格闘漫画における「噛みつき」の強さとそれに対する対策描写はこの漫画の終盤に描かれたバトルが一番スマートやった気がする
面白かった記憶はあるんやけど長くて昔の作品って事もあって詳細はよく覚えてない…
続編のコータローが柔道の世界で戦う「新コータロー」、忍者との戦いに巻き込まれる「コータローL」も面白いで!
ほんま未完なのが惜しまれる…
超人的な身体能力のキャラも必殺技も登場しないしとにかくリアルな「MMA」を描いてるんやと思う
「リアルな格闘技の試合」みたいなバトルを見たい人向けの漫画やないかな
同じ人が描いてる無敗のふたりってMMA物もコミックDAYSで読めるけどそっちも面白いわ
親指を隠す独特の握り「鉄菱」を真似たジャンプ読者を数多く生んだと言われているらしい
面白いんやけど主人公が空手の大会に参加して戦うパートが長かったという事もあって「柔術家」としての面は全体から見ると控えめやったのが惜しい
打ち切りという事もあって中盤~終盤の展開が駆け足気味でラストも尻切れとんぼやけどLINE漫画とかで無料で読めるしオススメしたい
夢枕獏の格闘小説をグラップラー刃牙の板垣恵介が漫画化した作品
グラップラー刃牙と比べると登場する格闘家の強さがどちらかと言えば現実寄りなのが特徴的
刃牙が好きなら間違いなくこっちも合うと思う
刃牙で言うならグラップラーからバキくらいの時期の面白さをキープしてたのはほんま凄いと思う
刃牙がピクル編とかの時期でちょっと失速したかな…って時でもずっと面白かったの凄い
特にトーナメント編とかあれ原作から改変しまくっててほぼ漫画オリジナルみたいなもんやったのに殆どの試合が面白い
日本で一部の世代に八極拳ブームを巻き起こしたと言われる拳法漫画
これも間違いなく面白いんやけど途中から失速したような印象が今でもある
仁・義・礼・智・信の尊さが作中で説かれてるのにそこら辺一切守ってない李書文先生が間違いなくブッチギリ最強キャラなのに少し皮肉な物を感じる
嘘喰いの作者が描くマフィア・アウトロー要素強めのヤンジャン系カポエイラ漫画
この漫画読んでからそれまでの格闘漫画でかませ犬扱いが多かったカポエイラに対して見る目が変わった
主人公がカポエイラ使いやけど仲間に様々な格闘技の使い手が揃ってるから実質異種格闘技物の漫画やと思う
ちなみに嘘喰いもギャンブル漫画やけどキャラの格闘描写が最高に素晴らしい
バトルシーン目当てに読むのも全然有りなくらい
人を手にかけてしまったボクサーの主人公が宿命のライバルとの対決を夢見て海外で傭兵として戦い抜く漫画
ジャンルとしては格闘漫画というより超人バトル漫画寄りやと思うけど主人公での戦場での暴れっぷりが刃牙の範馬勇次郎みたいやった
【ここから加筆】
とりあえず3巻…いや5巻までは読んでくれ!滅茶苦茶面白いから!と言いたくなる漫画
同じ相撲漫画の火ノ丸相撲と違ってこちらは学生相撲ではなく中学卒業後プロになった力士の戦いを描く
バチバチBURST、鮫島最後の十五日と続くけど個人的には無印バチバチが最初から最後まで一番好きやったかなあ…
どんどん人間として成長した鯉太郎の姿が描かれるBURSTと十五日もええんやけどね
他の漫画で言うならジョーがパンチドランカーになった後のあしたのジョーがずっと続いてるみたいな感じで読んでて辛かった…
主人公鮫島が一戦する事に命削ってるのが見てて伝わってくるし…
作者の佐藤タカヒロ先生が急死した事もあって物語半ばで未完に終わったけど、
「ここで完結でも問題ない」と言われる奇跡的なタイミングやったのは本当神がかってたと思う
柔道部あるあるを描く日常漫画…かと思いきや途中から全国大会日本一を目指す本格柔道漫画になった
小林まこと先生の代表作と言えばブームになった「ホワッツマイケル」やろうけど、
柔道漫画の不朽の名作として語られる柔道部物語の方が今やと読んでる人も多いかも?
この漫画全11巻という事もあって非常にテンポが良く、主人公以外のキャラの試合は絶対に回を跨がない
主人公の先輩キャラ鷲尾さんははじめの一歩の鷹村さんやバチバチの仁王さんにも影響を与えたと思われる
ちなみにこの漫画のラスボスはラーメン才遊記の登場人物ラーメンハゲにかけて柔道ハゲと呼ばれる事もあるらしい
今勢いがあると言われている格闘漫画
オールラウンダー廻や無敗のふたりのようにMMAを題材にしてるけど、今MMA漫画ブームが来てるんかもしれん
史上最も"暗い"主人公というキャッチコピーの通り主人公が暗い
性格的にはミステリと言う勿れの主人公や鬼滅の刃のインフィニティ一郎に近いかも。
暗くてネチネチしてるけど変な所で割り切りが良くてカラッとしてるのが変な感じ。
この漫画ほどいじめられっ子といじめっ子が何の確執もなく仲良くなってる漫画他に見た事無いかもしれん
【その他の漫画】
ダンベル何キロ持てる?の作者がダンベルを休載してから始まった裏・女子格闘技物の作品
読んだけど女子が主役の格闘漫画か…って感じでワイは個人的にはあんまり乗れんかった
男同士の殴り合いは好きなんやけど
ケンガンアシュラと同じ作者・同じ世界の作品という事もあってどんな強そうなキャラ出てきても拳願会の闘士に勝てへんのやろなあ…とか思ってまう
ダンベルの人が描いてるから女性キャラは皆可愛いしキャラデザも個性があって魅力的
アントニオ猪木本人は言ってないとされる(アントニオ猪木・談)が梶原一騎節全開やな…ってなる
これ読んでると全然世代じゃない昔のプロレスラーについて詳しくなれたような気がしてええよね
バトルシーンがスピーディーやし見易くてええよね
ワイはまだ序盤の方しか読んでないけど天才拳法家の筈のチンミ先生より強い武闘家が沢山出て来る不思議
これはファンタジー・オカルト要素が強すぎて「格闘漫画」では無いような気もするんよな…
「三国志の時代にタイムスリップした主人公が仙人から学んだ拳法で戦い抜く三国志版北斗の拳」みたいな漫画やと思っとる
途中までは面白かったけど途中で原作者が居なくなってからワンパターンな展開になった漫画って印象があるな…
めっちゃ序盤の瓶で自分の脛を叩き続けて硬く鍛える描写とかは今でも覚えてるで
主人公が仇敵である兄を追い求める王道漫画やったような記憶がある
全5巻で打ち切りという事もあって最後の方かなり駆け足やった記憶があるなぁ
以上やけど今回ワイが挙げた漫画が今の時代やったら殆どスマホのアプリで読めるんやからええ時代よね
TOUGH単品なら結構良い漫画やと思ったけど続編の龍継ぐで前作で積み重ねた事は何やったんや!?ってなったのは正直好きやない
漫画見てて思ったけど、これよくないよね
日本では非常によく取り締まられてるから上手く「割に合わない」になってるけど
海外で誘われたらたぶん「ちょっと楽しそう」と思ってしまうと思う
・一攫千金
・スリル
・一個売るだけでデカい
・商売の楽しさが詰まってる(仕入れ、製造、流通、マーケティング)
これ転売も似た感じあってさ
なんとなく楽しそう感あるんだよね
よくないよな
それか、そう思うのは犯罪係数が高いのか?いやでも結構な割合の人がそう思うと思うけどな、創作になってるくらいだし
それで言えば、例えば「このシマはギャングが牛耳っているから、密売なんかはできない」とかだと個人的には興味が失せる
「すでに市場がある」のがよくないのか?
三菱系企業は戦前から東大、一橋、慶應義塾が強いと言われてきましたが
三菱重工業では伝統的に三菱長崎造船所や下関造船所の関係で九大(九州帝國大學)工学部も強い(三菱重工業第10代社長は九大工卒の増田信行)ですし、京大(京都帝國大學)も三菱系には全般的に強いです。
三菱銀行や三菱信託や東京海上火災保険や明治生命保険の三菱系の金融会社では伝統的に東大と一橋と慶應義塾が強く特に三菱銀行では三菱合資會社社長の三菱財閥四代目の岩崎小弥太(岩崎弥之助の長男)に厚く信頼されていた加藤武男(吉田茂内閣経済最高顧問)の影響で慶應義塾が東大と並ぶ学閥が強いことで有名でした。
戦後の三菱銀行でも加藤武男(慶大理財)、千金良宗三郎(慶大理財)、宇佐美洵(慶大経済・佐藤栄作内閣で池田勇人内閣からの引き継ぎ人事として戦後初の民間銀行出身者として第21代日銀総裁に就任)の3名が慶大卒業生で小笠原光雄(東京帝大法)、中谷一雄(東京帝大法)、田実渉(東京帝大経済)、中村俊男(東京帝大法)、山田春(東京帝大法)、伊夫伎一雄(東京帝大経済)、若井恒雄(東京帝大法)の東大卒業生7名に次ぐ頭取を輩出しています。
三菱商事は伝統的に圧倒的に東大(東京帝國大學)が強く慶應出身の社長は水産畑の第5代社長の三村庸平(慶大経済)社長だけですし、一橋出身の社長は機械畑のブンチンこと第4代社長の田部文一郎社長(東商大)と戦後の混乱期の田中完三社長(東京高等商業卒業で三菱合資會社出身)の二人だけです。
戦後の東大出の三菱商事社長は服部一郎(東京帝大法)、高垣勝次郎(東京帝大法)、荘清彦(東京帝大経済)、藤野忠次郎(東京帝大法)、近藤健男(東大工)、小島順彦(東大工)、小林健(東大法)、中西勝也(東大教養)の8名となります。因みに高垣勝次郎氏のご子息の高垣佑氏は東大経済学部卒業後、東京銀行(戦前の横浜正金銀行)に入行し、上記の若井恒雄頭取の時代の三菱銀行と合併して東京三菱銀行の初代頭取に就任します。
三菱商事の社長には東大や一橋や慶大以外には三菱の岩崎小弥太と縁が深い旧制成蹊高等学校からハーヴァード大学政治学部を卒業した第8代社長の槇原稔や大漢和辞典編纂者の漢学者の諸橋轍次氏の御曹司である上智大学経済学部を卒業した第7代社長の諸橋晋六や早稲田大学理工学部を卒業した第9代社長の佐々木幹夫や京都大学経済学部を卒業した第12代社長の垣内威彦等もいてアメリカのハーヴァード大学やカソリックのイエズス会経営の上智大学卒業の社長もいる様に東大卒業者と慶大卒業者に昭和時代にはほぼ頭取の卒業大学が限定されていた三菱銀行に比べると結構、外国大学や早慶以外の私大等バラエティに富んでいます。
三井系は戦前の三井銀行は財界三田閥の慶應義塾出身者の中上川彦次郎(福澤諭吉の甥)や池田成彬(中上川彦次郎の女婿)の強い影響力でかなり強い慶應閥の銀行でした。
戦後の三井銀行(戦前には第一銀行と合併して帝國銀行)及び三井グループのドンと言われた佐藤喜一郎は戦前の三井銀行では慶應義塾大学に次ぐ学閥だった東京帝國大學経済学部卒業生でした。佐藤喜一郎は旧制横浜一中(現在の県立希望ヶ丘高校)、旧制一高、東京帝國大學経済学部卒業のエリートで当時の池田成彬と並ぶ三井銀行の実力者だった東京英和学校(後の青山学院)出の米山梅吉の紹介で三井銀行に入行します。
戦後の三井銀行でも慶大出身の社長(頭取)は柳満珠雄(慶大理財)や板倉譲治(慶大経済)や神谷健一(慶大経済)と東大出身の佐藤喜一郎(東京帝大経済)、田中久兵衛(東京帝大経済)、関正彦(東京帝大経済)、末松謙一(東大経済)の4名に次ぐ3名を輩出しています。
三井銀行では戦前は池田成彬と並ぶ実力者だった米山梅吉(後の三井信託社長)が青山学院の前身の東京英和学校の出身者であったので其の米山梅吉の強い引きで三井銀行に入行した青山学院高等科卒業の万代順四郎も慶應出や東大出との出世競争に打ち勝って三井銀行の頭取を戦前に務めています。※銀行では戦後は頭取と呼ばずに社長と呼称しています。
しかしながら三井財閥の持株會社だった三井合名會社と並ぶ中核企業だった三井物産は鈍翁・益田孝の三田閥偏重の学閥排除の目的から意識的に一橋の高等商業学校や東京高等商業学校や東京商科大学を三井物産の幹部社員候補として意識的に重点的に優先採用して来たので戦前から戦後のある時期までは三井物産は完全な一橋の如水会が最大の学閥となる総合商社でした。
戦後の三井物産でも名物社長と言われた三井物産再統合の立役者・新関八洲太郎や『ハヤブサの達』こと水上達三、『根アカ経営論』の八尋俊邦等は皆、一橋の東京高等商業学校や東京商科大学の卒業生です。
戦後の三井物産の東大出の社長は池田芳蔵(東京帝大経済)、江尻宏一郎(東京帝大法)、槍田松榮(東大工)、安永竜夫(東大工)の4名で京大出の社長は熊谷直彦(京大法)と上島重ニ(京大経済)の2名で慶應出の社長は今の堀健一(慶大経済)の1名だけです。
一橋(3)と東大(4)と京大(2)と慶大(1)以外の三井物産の社長の学歴は長崎高等商業学校(長崎大学経済学部)卒業の若杉末雪と東京外国語大学外国語学部ポルトガル語学科卒業の清水慎次郎と横浜国立大学経営学部卒業の飯島彰己となります。
住友系は戦前の財閥持株会社だった住友合資會社が戦前には今の東大の東京帝國大學や今の京大の京都帝國大學や今の一橋大の東京商科大学や今の神戸大の神戸商業大学の旧帝大と旧商大グループを意識的に幹部社員として優先採用してきたので今でも東大、京大や一橋大や神戸大が人脈的に強い傾向があります。
戦後の住友銀行頭取は野田哲造(東京帝大法)、鈴木剛(京都帝大経済)、堀田庄三(京都帝大経済)、浅井孝二(神戸高商)、伊部恭之助(東京帝大経済)、磯田一郎(京都帝大法)、小松康(東京帝大経済)、巽外夫(京都帝大法)、森川敏雄(東大法)、西川善文(阪大法)となります。
戦後の住友銀行の頭取の学歴は京大4名、東大4名、阪大1名、神戸大1 名となります。
三菱財閥や三井財閥の銀行や商社に多く見られた一橋や慶應義塾出身者は住友銀行頭取では皆無となります。
文系は戦後派の阪大も住友系には強く西川善文元三井住友銀行頭取(後にゆうちょ銀行社長)の様な個性的な人材を輩出しています。
こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。着想を紙に落さぬとも※(「王+膠のつくり」、第3水準1-88-22)鏘の音は胸裏に起る。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自から心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺縑なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。
時として、人より深く潜れる人がいる
それは精神的な身体の頑丈さが故なのだろうか、精神的な肺活量の多さが故なのだろうか、あるいは向こう見ずさが故なのだろうか
あるいは、暗闇を眼差すその瞳が故なのだろうか
人や世の暗い所
醜さや、理不尽さや、妬み嫉みや
目を逸らしたり、逸らさなかったりしながら、一つ一つを拾っていく
ひたすらに自分というレンズを通して世界を、自分に潜って、潜って、潜っていく
あるいは、触れてはならないような深い所まで潜ってしまう
瘡蓋を剥がしてまで、膿を出すが如く
「向き合え、向き合え、分からないことは罪なんだ」とばかりに
そして、いつかその深さに呑まれて戻って来なくなる事がある
深い闇に魅入られて、目も心も奪われて
死の世界の美しさに惹かれて、その向こうに彷徨ってしまう事がある
あちらに行ったきりで、帰ってこれなくなってしまう
リボ払い機能も一緒についてきたが「悪魔の発明」らしいので、一度も使ったことがない。
1.01の365乗は37.8になるけど、0.99の365乗は0.03になる。
毎日1%ずつ増えれば1年後には37倍になるが、1%ずつ悪化すればほぼゼロ。
得をする方向で複利を使うには、NISAとかiDeCoとかいうのをやっておくのがいいらしい。
銀行の預金金利は年利0.1%しかないから、いくら複利でもほとんど恩恵が得られない。
Twitterでバズっていた「普通の人が資産運用で99点をとる方法」という記事を流し読みする。
数式と図がやたら多い。
記事の URL を貼って、これでいいんだよみたいな涼しい顔してツイートしてるやつ、
お前ら本当に全部読んでるの?
でもまぁ、NISAでオルカンやS&P500を買って放置するのが賢いってことなんだろう。
資産運用会社の調査によると、最も成績が良かったのは「亡くなっている人」、
次いで「運用しているのを忘れている人」だったらしい。
プロのトレーダーですら勝ち続けるのは難しいのに、素人が個別銘柄を追いかけて勝てるわけがないよな。
さっき調べたらこの話のソースは不明らしいけど、どう考えても事実だろう。
具体的にアメリカのどの会社がどのくらい成長しているのかは知らないが、
アメリカ版の東証みたいなところで取引されているGoogleとかAmazonの株を含む株式市場全体が長期的には大きくなっていっているってことだろ。
長期的にこのトレンドが続く保証があるのかどうかは知らないが、
政府も NISA をやれと言ってるし多分大丈夫なのだろう、そうであってくれ。
でも、それでオレの年収がいきなり倍になるわけじゃない。
ドラム式洗濯機で時短したいけど、ワンルームの狭い洗面所には置けないし、
そもそも独り身には高すぎて買えない。
いくら時短になるとはいえ、元を取るまでに何年かかるんだろう。
Twitterを開くと、まともに働いている人間はみんなNISAをやっている気がする。
書店に行くと『普通の人が資産運用で99点をとる方法』が書籍化されて平積みされていた。
やらないと損することはあっても、やっても得するってことはないってことだよな。
資産運用をはじめる前は前向きな期待があったけど、いまとなっては年金とか国保みたいに手取りを食う要素でしかない。
みんなが俺みたいなら納得できるけど、世の中には「金持ち」というのがいるらしい。
親が金持ちで相続しただけならわかるけど、そうじゃない人は何をして金持ちになったんだろう。
資産運用をはじめた頃は一攫千金を目指して怪しいビジネスに手を出す人を馬鹿にしてた。
でも、いまならそういうものにすがりたくなる気持がちょっとわかる。
でも勇気がないから、せいぜい俺の人生は宝くじを買って外すだけの人生なんだろう。
まぁ、80点くらいではあるだろう。
そうであってくれ。
もし90年代後半や2000年代前半にエンジニアとして活躍できていたら、夢があった
インターネットが爆発的に普及し、新しいサービスが次々に生まれた時代
ちょっとしたアイデアを形にするだけで、世の中に大きなインパクトを与えられた
2007年にiPhoneが登場してスマートフォン革命が起きた頃、エンジニアは世界を変える存在だった
小さなチームでもアプリを作れば一攫千金のチャンスがあり、成功すれば名を馳せることができた
逆に、もうちょっと遅く生まれていれば、AIを活用する側に回れた
技術はより洗練され、単純なコーディングなんてAIに任せて、より戦略的でクリエイティブな仕事に集中できる
エンジニアとしての価値は「コードを書けること」ではなく、AIを使いこなすことにシフトしていたはずだ
でも俺は違う
技術は中途半端に発展し、エンジニアの仕事は増え続けるように見えて、実際はAIにどんどん奪われている
最近Cursorを使ってみて、自分レベルのエンジニアはもう必要なくなることを確信した
コードを書いているのは俺のはずなのに、実際はAIに指示を出しているだけのような感覚になる
このままいけば、俺のキャリアなんてあと数年も持たない
エンジニアという職業は消え、スーパーエリートか、AIに振り回される下請けかの二択に分かれる
もう何を頑張ればいいのかわからない
AIの進化に抗うこともできず、新しい道を探すこともできず、ただ無力感だけが積み重なっていく
もし90年代後半に生まれていたら、IT黎明期の成長を享受できたかもしれない
もし2000年代生まれだったら、最初からAIを前提にしたキャリアを築けた
この先どうすればいい
そんなこと誰にもわからない
俺のキャリアは終わるのか
俺は完全に詰んでいるってことだ
本稿は、13歳になった君にこれからの人生を生きる上での考え方の土台や心の支えとなる思考的枠組みを網羅的に記したものである。
観念的でメタな内容が多く具体的なことについてはあまり書いていないが、それは君の人生の選択肢を狭めないためである。
具体的なことについてはその時々に応じて人に教わったり、自分で文献に当たったりしながら方策を模索して欲しい。
もちろんお父さんも協力は惜しまない。
人生を過ごすとは「何か」を成し遂げることである。まずは「目標」を持つこと。目標があれば「何をすべきか」=「手段や道筋」は自然と定まる。
歴史上、偉人と呼ばれる人々は皆、高い理想と大きな目標を抱き、それを目指して全力で努力をした。目標は、その時点で可能な限り高く大きく設定すること。最初は、例えば「貧困をなくす」「世界平和を実現する」「地球温暖化を防ぐ」「子どもたちを笑顔にする」などの抽象的なもの、漠然としたもの、夢のような目標で良い。後から変わっても構わない。というより、人生において目標はどんどん上書きされるものだからである。
ポイントは、まず「自分が想像する理想の未来=目標=ビジョン」を思い描き、そこからそのための「手段=ミッション」を考えることである。(これを上から下への思考法という)
「ビジョン」は感覚的、直感的、創造的なものなので右脳で捉えるものと言える。一方で「ミッション」は、抽象的でぼんやりとしたビジョンを具現化するための方法を、左脳を使って計算や分析、論理的思考で精緻に組み立てていくものである。
多くの人は与えられた「手段」から始めてしまう。とりあえず言われたから「勉強」する。とにかく「お金」が必要だから働く。なんとなく環境に悪そうだから「ビニール袋」を使うのをやめてみる。などである。勉強も、お金も、ビニール袋をやめることもすべて「手段」であり、それ自体が「目標」ではない。
「電気自動車があれば地球環境が良くなるかも?」ではなく、「地球温暖化を止める、そのためには何をすべきか?」という問い(イシュー)から入る習慣を身につけること。これはすべての課題解決のための基本的な姿勢である。
そのためには、視野を広く大きく持たなければならない。物質(モノ)、出来事(コト)、人間(ヒト)などはすべて、「多面的」、「俯瞰的(ふかんてき)」、「時間的」にとらえるクセを付けること。その裏側や側面はどうなっているのか、他のモノやヒトとの関係は? 昔はどうだったのか、10年後にはどうなっているだろうか? 世の中の多くの物事は複雑で、いろんなものと影響し合っており、時間とともに変化する。一義的、一面的、一時的な見方で正しい評価はできないと常に肝に銘じること。
受験や就職、大きな買い物、仕事、恋愛、結婚など人生の重要な決断をする時は、一歩引いて、客観的に、様々な立場や状況からモノ・コト・ヒトをとらえ、十分に考えること。
その際、ひとつ注意すべきなのは人間の物理的感覚、時間的感覚、記憶はとにかくあいまいでいい加減なものだということである。『10cm』は自分が思ったより短かく、『10分間』は長い。その逆もある。人の『過去の記憶』は都合よく修正される。正しい判断のためには科学的、客観的な「根拠」に立脚することが求められる。日記をつける、ちょっとしたメモを残す、時間や度量衡(どりょうこう)は道具を使って正確に測る、何かを分析する際は統計やデータに当たるなど、簡単なクセをつけるだけで結果は大きく変わる。
先に述べたように、目標は変化してもいい。というよりも変化すべきである。13歳の時にしか見えない、感じられないことがある一方、20歳になれば見えてくることも、40歳、60歳でしかできないこともたくさんある。重要なのはいつも目標を設定し前進し続ける、上を目指すという「姿勢」である。
人生は長い。5〜6歳で天才的な才能を発揮する子どもも、20代、30代で活躍するスポーツ選手も、70歳で功績が認められる科学者もいる。良いことだけではない。人生のどこでどんな不幸やトラブルに見舞われるかは予測できない。人生には浮き沈み、山も谷もある。どんな天才にも挫折はある。災害や戦争など自分では回避、制御できないことも起きる。
『良いことばかりは続かない』という覚悟は必要だ。しかし『悪いことばかり起こるわけでもない』。現状を悲観してばかりではダメだし、現状が順調であってもそれに安穏(あんのん)としていてはならない。常にトラブルに備えつつ、そして決して希望は捨てないこと。
おそらく、君の人生はお父さんやお母さんが生きてきたそれより厳しい時代を生きることになる。しかし、目標を一段高いところに置けば、現状に迷い悩んだ時にもぶれることはない。未来を信じて、希望を持って進むことができる。
「成功」への最大の近道は「人間関係(人脈)」だと断言できる。「実力」でも「運」でも「お金」でもなく「人脈」である。いい学校に行く、いい会社に勤めるのもすべていい人に出会うためであると言って良い。
成功の最大の秘訣は「人脈=人の縁」であり、人と人が出会って起きる化学反応が「奇跡」を起こす。
重要なのは、奇跡を自分で起こすことはできないが、奇跡が起きる「確率」を上げることはできるということである。単純な話、「機会」が増えれば「確率」は上がる。サイコロで六の目を出すのに一回振るのと六回振るのとではどちらの可能性が高いかは考えるまでもない。
人との良いつながりを広げるための小さな可能性を積み上げることがチャンスを引き寄せる。良い人には出向いてでも会いに行くこと。無駄かもしれないと思うような「小さな機会」を大切にすること。
『人は環境によって作られる』これは絶対的な真理である。高尚で、得るものが多く、社会的に正しい環境や居場所に自らを置くよう意識して行動しなさい。善良な人間と付き合えば善良になるし、朱に交われば赤くなる。学校には「校風」、会社には「社風」がある。
自身が意図しないこと、コントロールできないことで大きく運命が変わることもある。それを完璧に防ぐことは難しいが、「確率を下げることはできる」。
気をつけなければならないのは、「人としての善悪」は頭の良さや肩書や金持ちかどうかとは関係がないという点である。会社の社長にも教師にも医者にも政治家にも科学者にも宗教家にも、悪人や変人はいる。それを見抜く眼力は、多くの人間を実際に見ることで養われる。つまり「機会」が重要だ。おそらく君が想像する以上に人間は「多様」である。良い方にも悪い方にも突き抜けたとんでもない人間が存在するという現実は認識しておいた方が良い。
出会う人間を自ら選ぶことは難しいが、付き合う「距離感」は自分でコントロールできる。付き合う人や、身を置く場所や環境は自分で決められる。できるだけ「良い環境」で時間を過ごし、おかしな場所、コミュニティには近づかないこと。
たった一滴の赤いインクが落ちてピンク色に染まった水を元に戻すことはできない。大切なのは自分のコップにインクを落とさないように気をつけることだ。
「エントロピー増大の法則(熱力学の第二法則)」というものがある。エントロピーとは「無秩序さの度合い」を示す尺度である。放っておくとエントロピーはどんどん増大し元に戻らなくなる。これは物理空間の森羅万象すべてに当てはまる普遍の法則とされる。水に拡散したインクが自然に水とインクに分離されることは絶対にない。トランプをシャッフルするのは容易だが、偶然きれいにカードが揃うなどということはまず起こり得ない。机の上や部屋はどんどん散らかるが、自動的に整理されることはない。社会的な混乱の広がりもエントロピーの増大である。エントロピーの増大を制御し「秩序」を保つためには人の意志と行動と力が必要である。
人と人との関係も同様で、意識して制御する必要がある。良い人と出会うことが良い環境への扉を開く鍵であり、良い環境に身を置くことがより良い人に出会う条件である。この好循環を自ら意識して作り出すこと。
井の中の蛙は池を知らず、池の小ブナは大海を知らない。大海原や大空に出て様々な出会いを経験することは君を大きく成長させる。
もう一度言う。『人は環境によって作られる』
お金がある事は必ずしも人を幸せにしないが、お金がない事は確実に人を不幸にする。そういう意味でお金は重要である。
その日その日の生活がやっとという状態では先のことが考えられなくなり目標を見失なう。そうするとどんどん人生の選択肢が狭まっていく悪循環に陥る。
金はどん欲に稼ぐ必要がある。ただし「正しい心」は忘れずに。
お金を稼ぐときには、ギャンブルや宝くじのような一攫千金は「まず起こり得ない」と肝に銘じること。0%ではないがあまりにも期待値=確率が低く、選択肢に含めて物事を考えるには無理がある。確率論に基づいて冷静に考えれば理解できることである。一攫千金を前提に物事の計画を立ててはいけない。
怪しげな儲け話も同様である。誰かから「うまい話」を持ちかけられた時は、それは「あなたのことを思って」の話ではなく、相手が「自分のために考えた」話だと受け止めること。うまい話の裏には必ず別の悪い話、ヤバい話、落とし穴がある。
確かに「成功し、大金を手にした」という人は世の中に多数存在する。だがそれはほとんどの場合「塵(チリ)が積もって山になった『結果』」である。着実に金を稼ぐには「塵のような稼ぎをどん欲にかき集める」ことが必要だ。1円、10円のような「塵のような稼ぎ」を生み出すことはそれほど難しくはない。ただしそれを「どん欲にかき集める」ためには知恵と努力が必要になる。
『100万円の商品を1個売る』より、『100円の商品を1万個売る』方がビジネスとしては堅実である。100万円の商品が1個売れなかったらそこで終わりだが、100円の商品が9,999個しか売れなくてもあまり影響はない。『100円の商品を1万個売る』より『100万円を一発で当てる』ことの方が何倍も難しいが、多くの人はそれを逆に考えてしまう。『一発当てる』ためには運が必要で不確実性が極めて高い。しかし「塵をかき集める」ことは自分の努力でなんとかなるということを理解すること。
近い将来、君は世の中に無数にある仕事や事業の中から何かを選んで生活の糧を得ることになる。何をすべきか迷ったら「人からの感謝」を対価として得る仕事を選ぶと良い。
野菜が欲しいと思っている人に野菜を作ってあげることは素晴らしいことである。困っている人を助けてあげれば感謝されるだろう。スポーツや芸術で人々に感動を与えることも意義のある仕事だ。それが「世の中の役に立つということ」である。『いい世の中』はそうやってできている。
しかし、投資やギャンブルで稼いでも誰からも感謝されることはない。つまりそれらは「仕事」にはならない。ギャンブルは論外としても、投資は今の時代には資産形成のために必要(そういう仕組みが前提の社会になってしまっている)なので否定はしないが、少なくとも「生業(なりわい)」にすべき仕事ではないことは知っておいて欲しい。
人間の欲求には際限がない。1万円あれば1万円使うし、1億円あれば1億円使いたくなるのが人間である。これは抑えることが難しいし、無理に抑えこむと精神的にも疲弊しQOL(Quality of Life、生活の質)が低下する。
この課題に対する古来よりの解決策はただひとつ。収入から「天引き」することである。給料であれ何らかの収益であれ、収入があったらその10~25%くらいをすぐに使えないような形で貯蓄に回しておく。
「天引き」が蓄財のための最も効果的な方法であることは、ユダヤ人もイスラムもメソポタミア文明も華僑も日本の本多静六という人物(明治の造園家であり東大教授)も提唱している「お金を貯めるための基本中の基本」である。(逆説的だが、租税公課や組織に必要な費用の類はだいたい給料から天引きされる。その理由をよく考えるべきである)
人間は9000円しかなければ9000円しか使わないし、1万円あれば1万円使ってしまう。その理由は消費社会の仕組みがそうなっているからだ。時計には1000円から1000万円以上するものまである。自動車も同じ。毎日飲むお茶、毎日使う紙にもいくつもの価格が設定されているように、世の中のありとあらゆるものには価格の上中下(日本では松竹梅)が存在する。お金があるからといってその分高いものを買っていると際限がなくなる。この欲求はお金がある限り続く。それが人間の本質なので努力や気合いで抑制するのは難しいし、何より楽しくない。だから「欲求」を抑え込むのではなく、「お金」の方を制限しなければならない。
そのために最も有効な方法が「天引き」である。人間は9000円しかなければその内でやりくりをするのである。それで困ることはほとんどない。資本主義とはよくできたもので、モノ・コトの価格には上には上があるように下には下もあるからである。
「天引き」のための具体的な方法は色々ある。最も簡単な方法は「定期預金」や「財形貯蓄」を銀行に申し込んでおくことである。今の時代なら「(安定した)投資信託」も選択肢に入るだろう。初任給をもらうと同時に始めることを勧める。
次に、天引きした後のお金で「やりくり」をするための基本的な「生活の知恵」を記しておく。
高額のものを買う時は、その価格に「本質的な価値」があるかどうかを見極めること。
高級車も普通車も、飛行機のエコノミークラスもビジネスクラスも、「移動する」ための時間は変わらない。どんな時計も「時刻を知る」という性能はほとんど同じである。どんなカバンでも「物を運ぶ」という役割は変わらない。もちろん機能以外に別の価値(デザインなど)を認めることは人間が文化的な営みを行うために必要なことだが、消費社会においては高価な価格の価値の大部分は「欲望」=「欲しいと思う気持ち」を揺さぶるために人為的に生み出されたものだ。
その価格差は、機能や性能によって生じているものなのか? 人間の心理的な欲望を巧みに刺激するために付けられたものなのか。物を買うときは「本来の機能=目的」を基準にして価値を判断するとぶれない。
基本的に日常生活品を買うときは「今ある物を使い切ってから買う」こと。流通が高度に発展した現代日本においては(災害などの例外的な事象は別にして)無くなってから買っても不自由することはない。
経営学における重要な概念として、「在庫」と「廃棄」には「維持」と「損失」という大きなコストがかかっているという考え方がある。物は「置いておくだけ」でお金がかかっているという感覚を徹底して身につけることが重要である。
特売だからとか念のためにとかいう理由で安易に「在庫」を増やしてはいけない。「無くなってから買う」が原則である。1日程度のブランク(空白)が生じたとしても、ほとんどの場合なんとかなる。文房具も、食料品も、日用品も、服も、本も、ゲームも、前のものを使い切り、無くなってから次のものを買う。これで無駄遣いは随分と減るはずだ。(繰り返すが非常時への備えは別である)
それからこれは私の経験則だが、衝動的に「欲しい!」と思ったけど買うかどうか迷ったものは、1週間〜一か月程度我慢してみる。ほとんどのものは熱が冷めたように関心がなくなる。ただし「売る側」もしたたかで、「期間限定」や「数量限定」といった手法でこちらに考える隙を与えない。冷静な判断のためには、やはり「それをいつ、どこで、どのくらい使うか」という「在庫管理」を常に正確に行うことが肝要だ。
あらゆる在庫を管理するためには「整理整頓」が重要である。身の回りのものは整理整頓に努め、いつでも数量や状態を把握できるようにしておくこと。
整理整頓には各分野に体系化された「技法」がある(代表的なものとして図書館の本の分類法である日本十進分類法(NDC)や日本工業規格(JIS)、ISO、公文書管理規則、生物の分類と同定法、見える化など)。早いうちに機会を作り、習得しておくことを勧める。
ちなみに、このような「一生使える知識や技能」は習得が早ければ早いほど人生において得られる利益が大きくなる。大人になってから「こんな便利なもの、方法、知識があるとは知らなかった」と後悔することは多い。
金銭出納帳を付けることも重要である。帳簿をつけない企業、組織など存在しないことを考えれば、出納管理は必須の Permalink | 記事への反応(0) | 21:00