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「自由意思」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 自由意思とは

2025-10-20

自由恋愛国民結婚を壊し、フェミニズム自由恋愛を壊した

このことから導き出せるのは、現在人類繁栄は"間違って"おり

"正しく生きれば"人類の総数というものもっとシュリンクすべきであるということである

子孫繁栄のために個人意思を半ば無視して結婚させることは正しくなく、

個人自由意思に任せて恋愛することすら加害性があるので一方的告白などは控えるべきであるということであれば

"偶々"両者が加害性なく互いに惹かれ合った(健康な)者同士のみが子孫を残すことが"正しい"という形になり

それがどれくらい確率が低いことであるかを考えれば"正しい"人口は、おおよそ

現在の1000分の1くらいになるのではないだろうか。

数字自体はドチャクソに適当だが正直もっと低い可能性もある。

2025-10-09

選挙人質取るのってアウト?

人質の命より自由意思を優先すればいいだけだから何の問題もないよな?

2025-10-03

anond:20251003142751

女は家父長制の陰謀によって奴隷ジェンダー押し付けられてるから

家父長制のくびきから脱してジェンダー自由に選び取るやで

っていうのがフェミニズムのわりと土台の理論

自由意思でジェンダー決まる、それ以外は陰謀

ジェンダー選択尊いので最高プライオリティ尊重必要

 

そしたらオカマ野郎精神障碍者性犯罪者

「僕も女性ジェンダーです!性的対象女性です!」とかハックしだしたので

フェミニストトランスの争いになったわけやんな 

anond:20251003142159

けど自由意思によってジェンダーを決定できないなら

フェミニズムも土台が否定されてない?

2025-09-16

本当に公平な立場で「話し合い」が行われたのだろうか。

それは果たして自由で、本人の意思に基づいたものだったのだろうか。

時間をかけて話し合いました」と言われることがある。しかし、往々にして圧力をかけた側はそのことに無自覚であり、自分たち平等議論していると勘違いしている場合がある。実際には、時間をかけて脅迫し、相手を折れさせただけかもしれない。

「広義の強制連行」論

たとえ本人が、自由意思でその道を選んだようにみえときでも、実は社会的抑圧、しがらみによって本人の意思に反した言葉を発することを強制させられているのではないだろうか?

強制力としての一つ

ミルの『自由論』で提唱された「危害原則」は、「個人自由は、他人危害を加えない範囲で最大限に認められるべき」というもの

逆にいえば、他人危害を与えうるばあい自由制限することは認められる。

例えば、アメリカ大学での「危害原則」の乱用による表現および思想の自由制限

問題は、「危害」の定義意図的曖昧にされている点。事実検証可能だが、規範に関する問題検証が困難。

そのため、「それは誰かを傷つけるかもしれない加害だ」というレッテルを貼られると、その非対称性によって「加害ではない」と証明することが極めて難しくなる。

また、それを証明しようとすること自体セカンドレイプなど加害であるレッテルが貼られる。

思想と討論の自由の成立には、真摯さが前提。しかし、片方には正しさの探求ではなく思想強要の実績は講演など金銭的なインセンティブがある。


これはポリコレに反する、あなた差別主義者になりたくないでしょ。

それならば私の意見に従うべきだ。

2025-09-14

anond:20250912001818

ワイは風俗好きやけど、嬢の自由意思で対価を得てやってるならただのお仕事やないか

ワイはデスクワーク普通リーマンやけど、別に好きでもない仕事人生時間を切り売りしてるけど、給料のためにしゃーなしと自分意思でやってるから人身売買されてるとか思わんで。風俗もおんなじ同じ。

2025-09-04

ソープランド法律のすり抜け理由なんかワロタ

ソープランドの仕組み

赤線1958年廃止されると、旧遊郭地は「特殊浴場」に転換。

名目は「入浴サービス」で、男性客は“お風呂に入る”。

その後、お風呂場で“偶然”恋愛関係になり、性交するのは自由意思という建前。

実態売春ですが、「店が斡旋したのではなく、男女が自由意思恋愛関係になった」という体裁で法をすり抜けています

これを「自由恋愛方式」と呼びます

ちょっとワロタ

2025-09-02

自ら生み出すことできない

創造ではなく 模造

複雑で繊細な機械

外部の情報刺激を 組み合わせる機械

たった一つの衝動支配されてる機械にすぎない

自分精神を満足させたいという 衝動です

心が満足するような選択をする

自分精神安心するような

女の子を助けた

自分お金自分安心を買った

社会的称賛がほしいという衝動

命を懸けた決闘

退陣環境こそが

外部から影響をうける機械

外的影響を鍛錬とよび

人間自由意思はない

英雄主義 栄光

設計通り動く機会

自分ではどうすることもできない現実を受け入れたうえで

人間はいったいどう生きればいいのか

存在意義を掲げて

賞賛 をあびる これは機械植物にはない

この世のすべての物事

人間創造物ではないのに

それを自分の手柄だ

自分の実力だ

誇らしげに誇るのはおかし

誰もが気質や 環境支配されて生きてるだけ

単なる装飾品を基準

互いの価値評価あい

一喜一憂するのはおかし

設計通り動く機械なのだから

だれもが今ある現実をあるがまま受け入れ

素の自分のまま生きていくしかない

人間とは何か マークトウェイン

2025-08-28

最近フォロワーがよく言っているやつを調べた

私は所謂オタクと呼ばれる人間で、X(旧twitter)で毎日イラストなどを眺めてはリポストいいねを繰り返している。

ある日、私がいつものようにXを漁っているとそれが流れてきた。

モブエリしか勝たん」「モブエリ最高」

一瞬?と思ったが何となく察した。これはフォロワーさんがプレイしていたゲーム、「ブルーアーカイブ」のキャラなのだと。このコンテンツモブ女の子結構可愛いらしく人気がある、おそらくそれだろうと。

じゃあ「エリ」の方はおそらくモブじゃない子なのだろう。エリカとかエリコとかそんな感じの名前の子なんだろうと予想し、では見てみようと検索をかけてみた。

普通に後悔をした。

まず私自身、百合と呼ばれるコンテンツは嫌いではないし、むしろ好きな方だ。女の子同士の友情が少しずつ愛情へと変質し、ゆったりと距離が近づいていくあの時間は、たまらなく好きだ。男女間の恋愛とはまた違う味があり、定期的に飲料としてゆったりと摂取したくなる。桜に味があるとしたらこんな味なのだろうと言う、温かさと甘さを感じられる、それが百合の良さだと個人的には感じている。

では、これはなんだろう。

見たのは1枚のイラスト。おそらく「エリ」と呼ばれてる方の女の子がそのイラストの中心にいる女の子なのだろう。如何にも魔女っ娘みたいな見た目をしていて可愛いなと思った。

続いてその周りの女の子フォロワーが正実モブ正実モブとか言って黒いセーラー女の子を愛でていたのをよく覚えており、それと同じで目元が見えないからおそらくこの子らがモブなのだろう。

そしてそのモブたちがこのエリと呼ばれる女の子を左右から挟み、何かに誘っているイラストだった。おそらくまあそういうことなのだろうが、真ん中のエリという女の子内向的性格なのだろう、全くと言っていい程断れていなかった。

私は、これを見て1つだけ思ったことがあった。

「これは、いじめのそれではないか?」

そもそもいじめというのは、強いもの徒党を組んで弱い者に暴力を振るう事ではない。特定の誰かに精神的、肉体的な負荷を与え続けて心身疲労を蓄積させ、自尊心を失わせる、これがいじめなのである

では、これはなんだろう。おそらくこのエリという少女自分達の要求を断れないのをいいことに、そういう関係を迫っているのか?

気が狂いそうになった。同時に胃がきゅーっと痛くなった。作品雰囲気性的であるとか、そういうのを感じられる余裕が一切なくなった。私はキャラクターに対して感情移入をしてしまいがちなタイプだという認識があるのだが、これを見て感じたのは圧迫感だった。非常に息苦しかった。

もしかしてブルーアーカイブというコンテンツはいじめを助長するコンテンツだったのか?いやそんなわけがない。私のフォロワーが凡そ正気とは思えない狂い方をしているのに、そんなコンテンツである可能性は皆無であろう。ではこれはなんだ?なんでこんなものが?Xで「モブエリ」と検索をかけてみると、皆気が狂ったようにこれを摂取している様子が見られた。どうなっているんだこのコンテンツは?

どうしても気になったかフォロワーに頼んで、今このエリと呼ばれる女の子が出ているというイベントシナリオを見せてもらった。どうやらそこで出た概念らしい。

見たところ、普通に会話をしているようだった。エリという少女はなんかやたら言葉が詰まっているのを見るに人見知りなのだろうかとか、そんなことを考える様子はなかった。

普通に良い関係ではないか。エリという少女側が何やら苦手意識を持っているのが気になったが、どうやらこれは他者へ対する劣等感嫉妬心といった負の感情の影響らしく、彼女を入手する事で見れるストーリーではそういった部分がある程度緩和されているように見えた。なるほど、エリと仲良くしたいクラスメイトちょっと受け気味だが否定的ではないエリ。良いではないか、これを摂取したい。

じゃあ、今Xで見ているこれはなんだ?このユーザーたちはこれを極限まで曲解して、内気な少女徒党を組んでいじめるのが好きなのか?わかっているのか?それはいじめなんだぞ?他者から自由意思を奪い、苦しめる最低な行為なんだぞ?

勿論それが全てではないことくらいはわかった。ちゃんと見ていれば、上で私があげた「エリと仲良くしたいクラスメイトちょっと受け気味だが否定的ではないエリ」というまさにそれらしいシチュエーションが目についた。いいではないか、これの延長線としてゆっくり関係を築いていく百合、これが見たい。

正直なところを言えばもう思い出すのも気持ちが悪いため、執筆はここまでになるだろうしこの単語を目にするのもこれが最後になるだろう。この「モブエリ」というのを好んで摂取しているユーザーがもしこれを読んでいるなら、今一度よく考えてほしい。君たちが摂取しているそれは、いじめに該当する行為だ。勿論、漫画アニメにおけるいじめのシーンを見て何も思わないというのならば最早君たちにかける言葉はない。だがもし、そういうもの忌避があるユーザーは今一度よく考えてほしい。それはいじめなのだいじめ助長なのだ。「何を言っているんだろう」と思う者もいるだろう。どうか考えてほしい。君たちは、レズ摂取しているように見えて、いじめ助長しているのだと。どうかその認識を、胸に抱いて欲しい。

2025-07-29

というか性風俗産業従事したことを「自己責任」にしてよかったんだっけ

性風俗産業従事しているのは自由意思によるものとは限らない

理想的被害者として振舞ってないからといって被害感情がないとは限らない

過去封印してないからといってそのことを後悔してないとは限らない

・性被害を受けた人間がむしろ性的に奔放に振舞うこともよくある

あたりはフェミニストが良く言ってたことじゃない?

三上さんも性風俗産業搾取された被害者であることを考えないとダメじゃない?

AV出演歴を隠してないからといってそのことを受け入れてると思っちゃだめじゃない?

実例を上げると石川優実さん

#フェミニストが脱いじゃだめですか タグのまとめ #KuToo

https://posfie.com/@kame4477/p/ztrsPAb


2019年頃はハッシュタグまで作って自分主体的グラビア仕事をしてたとアピールしてたのに

石川優実さん「私がグラビアをやってた時も風俗で働いていた時も私の自由意志で選んでやっていたことになるんだな。あんしんどい精神状態の時のもの自己決定権といわれるのはつらい」

https://posfie.com/@saitamacolabo/p/zrRcudG


2022年には実はそうではなかったことを明かしている。

このようにトラウマというものは非常に複雑で他人が外から見ただけで判断できるものではない。

三上さんのAV出演を自己責任スティグマ扱いしてる人は三上さんのトラウマを抉ってるかもしれない可能性を考えてる?

2025-07-04

anond:20250704204922

アニオタアニメ観たくなくなるような社会環境を整備するわ。← アニメ観る自由意思尊重してるか?

女の主体性を慮った結論が「主婦

anond:20250704094831

https://anond.hatelabo.jp/20250704092430

似たエントリにまとめてレスします。

ポイントはここにあると思う。

出産主体若い女性にある

若い男性の子作りモチベとか、どーでもよくって、出産若い女個人自由意思だけで決まるものというリプロダクティヘルスライツの考えを真っ直ぐに支持してるんだよね。

なのに結論は、家庭に入るとかい昭和主婦像の加速。

フェミニズムから導出されたアンチフェミニズムという矛盾

…混乱を解く鍵は、男女共同参画にある。

昔打ち出された男女共同参画は、女性社会を支える責任を負う、というスローガンだった。

責任って言い換えれば負担だ。

男女平等ならいいんよ。

でも、少子化解消の責任若い女性だけに負わせてること、それが問題だと思う。

若い女性が責任を負ってくださいね、国は最大限サポートしますよ、というのはフェミニズム的には許せない。

子どもを育てるのは「権利」、「子ども産んでもいい」「育ててもいい」じゃなきゃダメ

2025-07-03

選択夫婦別姓制度をめぐるメモ

選択夫婦別姓制度をめぐる議論が盛んである

ChatGPTと哲学的議論したところ、思いがけず興味深い展開になったのでメモっておく。

選択夫婦別姓議論は、単なる法律修正にとどまらず、私たち「家族」や「個人」、「自由」についてどのように理解し、どのように他者と共に生きていくのかという、深い倫理的問いを私たちに突きつけている。これは、制度の整備によって個人自由拡張することを目指しつつも、そのことによって新たな葛藤排除が生まれうるという、自由のものの逆説的性格に由来する問題である日本においては、明治期以降、戸籍制度の下で夫婦は同姓とされてきた。それは「家」を単位とする社会制度の表れであり、制度に従うことは“当たり前”とされていた。戦後民法は大きく改正されたが、戸籍構造根本的には変わらず、「1戸籍=1氏」の原則が続いている。この形式一見中立に見えても、現代社会においては多様な家族形態女性社会進出国際結婚の増加などに対応しきれておらず、「選択夫婦別姓」への要望が強まっている。

一方で、反対の声も根強い。その中には、「戸籍制度一貫性が失われる」「家族の一体感が損なわれる」「子どもの姓をめぐる混乱が起こる」などの制度的・情緒的な懸念がある。とくに、「一つの戸籍なかに複数の姓が存在すること」への違和感は、「家族とは何か」という問いと直結している。反対派の主張として説得的だと思えるのは、制度改正にかかる行政コストが得られる利益に比して高すぎるとの主張である

選択夫婦別姓制度における「自由」と「コスト

ただ、こうした議論のなかで、見過ごされがちなもう一つの問題がある。それは、「選択的」であることが、すべての人にとって自由であるとは限らないという逆説である改革に伴い、精神史的あるいは文化的意味で目に見えない傷を残すことになりかねないことに気が付いた。これはもうひとつコスト問題といえるだろう。

選択肢が増えることは、確かに一部の人にとっては歓迎される。しかし、これまで「自明なこと」として受け入れてきた選択しか知らない人にとっては、「選ばないこと」すら“選んだこと”として扱われるようになる。その結果、「なぜあなたは同姓を選んだのか」と問われること自体が、新たなプレッシャー説明責任となり、無言のうちに選ばれていた価値観を「語らされる」状況が生まれる。

W・ベックは「リスク社会」のなかで、近代社会における制度技術の発展が新たなリスクを生み出し、個人がそのリスク自己責任管理選択することを求められる状況を「第二の近代」と呼んだ。家族制度の再編や個人化の進行は、まさにその一端であり、個々人が従来の慣習に頼ることなく、「選択しなければならない自由」のなかに放り込まれている。

選択夫婦別姓制度も、こうしたリスク社会における制度の一つと見なせる。個人自由の拡大は、必ずしも解放ではなく、「選ばなかった理由を問われる不安」や「所属根拠を失う不安」といった新たな社会リスクを伴う。それゆえ制度設計においては、ベックの言うような“制度化された個人化”が生む影の部分——すなわち、自由責任の過剰な個人化による孤立不安——をも視野に入れる必要がある。

自明性の喪失」がもたらすアイデンティティ不安

この現象は、韓国2008年に導入された「個人単位戸籍制度家族関係登録簿制度)」の議論にも通じる。韓国では長らく「戸主制度」が存在し、家父長制的家族観が法制度にも深く根を下ろしていた。2000年代に入り、女性団体や若年層から批判を背景に、家制度的枠組みを廃止し、個人単位とする新たな制度へと移行した。しかし、それによってすぐにジェンダー平等が達成されたわけではない。

しろ制度改革後に見られたのは、「選べる自由」が広がった一方で、「選ぶことを求められることの重さ」が可視化されたこである。これまでの夫婦同姓制度では、「姓は変えるもの(主に女性が)」という文化が、慣習として“疑いなく受け入れられていた。

ところが選択肢が生まれると、たとえ同姓にしたとしても、「それは自分意思か?」「配偶者強制されたのでは?」「女として主体性があるのか?」という「選択の真偽」を問う視線生まれる。これは日常選択に、政治性と倫理的自己確認を持ち込む構造でもある。

たとえば、韓国の若年層においては、恋愛結婚出産の三つを放棄する“Sampo世代(三抛世代)”という言葉流行し、さら結婚出産恋愛に加え、家族男性との関係異性愛自体拒否する「4B運動非婚・非出産・非恋愛・非性愛)」が広がった。これらは、制度改革の先にある、よりラディカルな文化的実践であり、「選択肢があること」そのものに抗する自己防衛的な態度とも言える。4B運動担い手たちは、単に従来のジェンダー規範拒否するのではなく、「社会的な所属関係」そのもの解体する動きを見せている。たとえば、4B参加者たちは、「家族説明しなくていいから、恋人もいらない」「自分の性を自分管理する」といった語りをSNSで共有し、連帯承認を得ている。ここには、制度の外にとどまることによってむしろ自己尊厳を保つという新たな主体性表現がある。ベックのいう「選択強制」への拒絶反応韓国社会でこうした形で現れているのは興味深い。

沈黙する自由」のジレンマ

こうした言語化をめぐる現象は、日本ではすでに1970年代から表現としての萌芽が見られた。たとえば中川五郎の《主婦ブルース》(1969年)は、まさに「沈黙自由」と「自明性のなかに生きることの苦しさ」を逆説的に描いたフォークソングである選択自由すら与えられず、「女とはこういうもの」として役割に組み込まれ存在叫びが、ブルースという形式で“語られる”ことによって、沈黙が破られるという構造になっている。中川五郎の歌は、現代フェミニズム運動文化的系譜のなかで、語られなかったものを語ることで、社会の“自明性”を暴き出した初期の詩的実践と見ることができる。

一方で、この作品は、主婦という存在社会的変革の外側に置かれ、家の中で沈黙していること自体が、政治意味を持つという問題を描き出している。作品中の主婦は、学生運動に参加する息子から沈黙共犯だ」と責められるが、自らの言葉で「家庭が一番」「まじめに生きるのには疲れたわ」と語り返す歌詞がある。息子の視点は、60年代70年代左派運動ベトナム反戦学生運動階級闘争)の倫理に基づいている。「沈黙共犯」とはサルトル実存主義倫理象徴する言葉だ。

「まじめに生きるのには疲れたわ」という母の言葉に現れるのは、正しさからの逃走である政治主体でもない、声高に抗議しない、けれども一日を必死に生きる――そういう「声なき多数者のリアリティである。この「疲労言葉」は、政治正義言葉ではすくい取れない主体感情的深度を表しており、母として、女性として、主婦として生きる複雑な立場が凝縮されている。ここで描かれる沈黙は、単なる服従無知ではない。むしろ言葉を発することに慎重であるがゆえに沈黙を選び、その沈黙をもって自己尊厳日常を守ろうとする姿勢である。この沈黙には、語らないことによってしか保てない尊厳と、自己存在の最終的な防衛線が込められている。

しかし、「語らないことを自分意思で選ぶこと」を歌を通じて語るところに沈黙自由ジレンマがある。

このような表現は、フェミニズム文脈においてしばしば見落とされがちな、語らない主体論理可視化する重要な契機となる。また、このような「語らないこと」の倫理は、寺山修司詩作にも見られる。たとえば阿部定事件主題にした作品群では、語られすぎた欲望暴力物語の外側に、語られないままの沈黙が配置される。寺山にとって、語ることによって自己が立ち上がるのではなく、語らないことによってこそ輪郭を与えられる主体存在するという逆説が重要であった。とりわけ彼の詩や戯曲に描かれる女性像(娼婦、母、乙女)は、しばしば制度の外に佇み、語られずにいることによって、むしろ社会暴力性を照らし出す存在として描かれる。

沈黙のうちに自己選択を成立させる女性の姿は、語ること・主張することを通じて自我を立ち上げてきたフェミニズムの流れとは一線を画しながらも、それを内側から補完しうるもう一つの可能性として位置づけられる。《主婦ブルース》と寺山修司詩作は、「語らなければ存在しない」という制度圧力に対し、「語らないままに存在し続ける」ことが、制度に対する対抗的な主体性のあり方となりうることを提示していた。

この観点から見ると、制度設計においては、「語る自由」と同様に「語らない自由」「沈黙する権利」をいか尊重するかが問われることになる。

他者との関係において自我がどのように成立しうるか

このような非対称性問題は、他者との関係において自我がどのように成立しうるかという哲学的問いへと接続される。具体的には、制度によって「語らないこと」が許容されるべきかどうか、また沈黙する者をいか制度の中で位置づけるかという課題が生じる。

ここで参照されるべきは、社会学者チャールズティリーが論じた「カテゴリー的不平等(categorical inequality)」の概念であるティリーによれば、社会制度はしばしば人々を特定カテゴリーに分類し、その分類を通じて資源権利へのアクセス構造的な差異をもたらす。選択夫婦別姓制度をめぐる議論においても、「姓を選ぶ/選ばない」という区分制度的に固定化されると、それ自体が新たな社会境界を生む可能性がある。たとえば、同姓を選んだ者が「伝統を守る保守的立場」とされ、別姓を選んだ者が「変革的/進歩的」な立場と見なされるなど、個人選択無意識のうちに政治的・文化的ラベリングを受ける事態が生じる。これは、選択自由があるからこそ、逆に選択内容が新たなアイデンティティ指標となり、当人意思とは無関係社会評価区分根拠とされるという新たな境界である。そのため、制度設計には、カテゴリー化の力学が生む潜在的排除不利益への慎重な配慮が求められる。

こうした哲学的社会構造的な視点を踏まえたとき制度は単に選択肢を増やすだけでなく、語らない自由沈黙をも制度内に位置づける必要がある。ここから先は、倫理制度交差点において、いかにして沈黙や非選択尊重うるかという、より深い次元議論となる。

まず、レヴィナスは『全体性無限』において、自己他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がると主張した。そこには、相互的なやり取りが前提ではない、倫理の根源的な非対称性がある。つまり、語られない他者沈黙に対しても、応答を要請される私たち姿勢倫理の出発点であるとされるのである。こうした観点は、他者沈黙承認する制度設計必要性と深く響き合う。

次に、ルイ・アルチュセールの「呼びかけ(interpellation)」論もここで参照されうる。アルチュセールによれば、個人国家装置制度的言説によって無意識のうちに「呼びかけ」られ、主体として構築される。つまり、たとえ沈黙していたとしても、制度文脈の中ではすでに何らかの立場を“呼び出されている”のだとされる。この点においても、制度に対する無言の従属を単なる自由意思として解釈することには注意が必要である

その一方で、他者承認を通じて自己意識が形成されるという構造を体系的に提示したのが、ヘーゲルの「相互承認」の思想であるヘーゲルは『精神現象学』において、自己意識が確立するためには他者から承認必要とするが、その承認一方的では成立せず、双方が自己表現しあう関係の中でのみ可能であると論じた。この相互承認は、対等な他者関係における自己確立を前提とする点で、自由平等理念哲学的に基礎づける重要モデルである

しかし、現代社会においては「自己を語らない」ことでしか自らの尊厳を保てない人びとも存在する。そのような状況では、ヘーゲル的な相互承認モデルでは十分に説明しきれない現実がある。むしろ、語らない他者沈黙をもそのまま承認し、語る/語られる関係から降りる自由までも包摂する必要がある。このときヘーゲルの構図はむしろ出発点として捉え直されるべきであり、「語らないことを承認する」ための制度想像力は、まさにそこから展開されねばならない。

これら四人の思想家が示唆するのは、制度主体関係性における多層的な緊張であるティリーが指摘した「カテゴリー化」の力学は、制度いかにして人々の行動範囲構造的に規定するかを示し、レヴィナスはその構造を超えて、倫理は常に非対称な他者関係から始まると主張する。アルチュセールは、制度的言説によって主体無意識に構築されてしまメカニズムを暴き、ヘーゲル承認関係対称性を通じて自由の実現を構想した。それぞれの理論は、一面的には矛盾しあうようにも見えるが、選択夫婦別姓制度をめぐる今日の状況においては、むしろ互いに補完的である。すなわち、制度個人いかに分類し、語らせようとするか(ティリーアルチュセール)を見抜きつつ、語られない者との関係倫理を見出す視点レヴィナス)と、語りの対称性に基づく自由モデルヘーゲル)を柔軟に組み合わせることで、私たちは初めて、「語ること」と「語らないこと」がともに尊重される制度設計可能性を構想することができる。

理屈はそうだ。しか果たして、語らない自由保障制度設計に組み込めるだろうか。社会における和解を考えたとき制度の再設計ではなく、制度外の深慮が求められるのではないか伝統・習慣との調和を目指したE・バークのような保守の考え方のほうが示唆的だ。また、文学的まなざし有効な力になるだろう。

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2025-06-01

X(旧Twitter)は悪?

「X(旧Twitter)は善か悪か?」に対して、カバラ観点からは「善」か「悪」かという二元的なラベル物事判断するのではなく、「潜在的な修復(תיקון, Tikkun)の可能性」や「神的意図の現れとしての役割」で評価します。

1. כלי ואור – 器と光の関係

あらゆる人間創造物、特に技術インターネットSNS含む)は「器(כלי)」に過ぎず、その中に「光(אור)」が入るかどうか、そしてそれがどう活用されるかが問題

Twitter/Xは、大衆の「意識(מודעות)」や「意見(דעה)」をリアルタイム流通させる強力な器です。

2. עולם התיקון – 修復の世界

カバラでは、世界は「壊れた器(שבירת הכלים)」からまり、そこに「神の光」が再配置されるプロセス必要とされる(=ティクン)。

Xという媒体は、偽情報ヘイトスピーチ・ナルシズムの増幅という「קליפה(殻)」的要素を持つ一方で、真実の発信・祈りの共有・慈善活動喚起など、「אור של חסד(慈愛の光)」を広める可能性も内在します。

3. עץ הדעת טוב ורע – 善悪知識の木

SNS知識を共有する「エツ・ハダアト(善悪知識の木)」に似ており、使い方により善にも悪にもなりうる。

これは「自由意思(בחירה חופשית)」の表れでもあります。つまりXをどう使うかによって、その性質が変わります

Kabbalistic Keywords とXの関係

概念解説 Xにおける可能
תודעה (意識) 集合的意識の高まり社会問題可視化国際的意識の共有
תיקון (修復) 破壊された関係誤情報是正真実対話理解プラットフォーム
קליפה (殻・負の力) ネガティブな影響 誹謗中傷誤情報暴力的言説
אור חסד (慈悲の光) 善意あるコミュニケーション募金・励まし・希望拡散

まとめ

すべての技術は、私たち自由意思の鏡です。

Xは、世界破壊にも導きうるし、Mashiach(メシア意識)を早める手段にもなりうる。

問題はその“תודעה”──意識の焦点にあるのです。

内なる修復をもって臨むならば、Xもまた、光の器に変容するのです。

 

X(旧Twitter)は「善」でも「悪」でもない。

それは「器」であり、使用者意識選択(בחירה חופשית)により、「壊れた器」を「修復された器」へと変容させるポテンシャルを秘めた中立的存在です。

2025-05-26

学生時代講師バイトが楽すぎた

地方から集まる浪人生向けの寮があるんだけどさ

そこの寮の常駐講師バイトがあったんだよ

けど、別に浪人生自由意思で聞きたいことがあったら、その講師室に来て質問するって形だった

しかも、浪人生はみんな別で通ってる予備校があるから

わざわざ寮に常駐の講師になんかほとんど聞きに来ないんだよね

から、本当に講師室にいるだけって感じで、ずっとパソコン持ち込んで遊ぶ時間として使ってたんよな

それで時給2000円だったから世の中ちょろいなって思ってた

昔みたいにそんな感じのバイトならやりたいなって思っちゃう

仕事なんてやりたくないしさ

2025-05-14

anond:20250514140809

それはマジでそうなはずなんだけど

自由意思を残しとかないと創意工夫とかが生まれないジレンマなんよな

2025-05-10

卵子冷凍四半世紀』

彼女初潮を迎える前に、卵子はすでに冷凍されていた。言っておくが、これはその手の陰謀論人権派弁護士が好んで噛みつくような話ではない。いや、もっとずっと先の、制度倫理技術ビジネスが見事に結託した、光り輝く未来の話なのだ

彼女は七歳だった。乳歯がまだ二本、ぐらぐらしていた時期だ。自治体生殖工学企業提携した「未来母体プログラム」のモデルケースに選ばれ、彼女の卵巣からは未成熟の原始卵胞が摘出され、培養成熟処理されたのち、液体窒素に沈められた。あのとき医師彼女に語りかけたという。「おめでとう、これで人生設計自由が一つ増えたね」と。

それから十数年。彼女は25歳、性格は粗いが有能な企業戦士になっていた。上司パワハラにも同期のメンタル崩壊にも目もくれず、彼女成果主義荒野を突き進む。生理はもう五年以上止めてある。ホルモン制御薬の進化で、排卵情緒もきれいさっぱりオフにできる。急な海外出張? 喜んで。月経痛もPMSも、妊娠リスクも、何もないからだ。

恋人はいない。いや、必要なかった。なぜなら彼女には、15歳のとき大学の後輩で色狂いだった男の精子が、すでに確保されていたかである

男は淫乱だった。性に飢えていた。卒業後には梅毒だのクラミジアだの、保健所データベースを賑わせるような生活突入していったが、高校二年のとき、彼もまた、将来の自由のために自らの新鮮な精子を凍結していた。そう、性病蹂躙されようが、冷凍庫の中の彼は純粋無垢精子のままだったのだ。けけけけけけけけけけけけけけけけ。

そしてある朝、彼女は言った。「使うわ、今日。」

それはコーヒーを淹れるようなテンションだった。彼女タブレットで「精子バンクNo.4869(当時17歳感染)」を選び、「卵子ファイル#A-07(7歳時摘出分)」を指定し、マッチング後はAI培養技師確認を経て、都内の出生ファクトリーへ送信。人工子宮ユニット#11での培養が始まった。

出産予定日は230日後。だが彼女にとって、出産とはイベントではなかった。人生計画における「フェーズB-2」にすぎない。赤ん坊は高機能チャイルドケアシステムに預けられ、乳児からビジネス・ブレークスルー大学付属保育アカデミー英才教育を受ける。母親産後休暇も育休も取らずに出社。労働繁殖がついに完全に分離された瞬間であった。

自分身体で産むなんて、原始的すぎて無理だわ」と彼女は言った。誰も反論しない。もはやそれは自由意思ではなく、デフォルトなのだ

かつて「結婚とは家族を築くための契約」だった。しかしいまや、家族とはプロジェクト一種である。繰り返し可能で、アップデート可能子どもを持ちたくなければ持たない選択肢も、持っても育てない選択肢も、持った子を一時中断して再開する選択肢さえも、全てが「選べる」のである

男は後に言った。「俺の精子、使われたって知って、ちょっとしかったよ」

それを聞いて彼女は目を細めた。「ああ、あなたね。ありがと。でも別に会う気はないわ」

子どもはすくすく育ち、画面の向こうでにこにこと笑っていた。母子関係デジタルクラウド上で管理され、週に一度AI感情フィードバックを送り続けてくれる。

彼女は次の海外出張の予定を確認し、タブレットを閉じた。

すでに次の「フェーズC-1」が始まろうとしていた。

入院中にチャチャッとGPTに作ってもらいました。

2025-04-21

anond:20250421100359

石川優実さんなんか2019年には「#フェミニストが脱いじゃだめですか」なんてタグ作ってまで女が自由意志グラビアヌードをやって何が悪いって言ってたのに

3年後の2022年には

石川😡

@ishikawa_yumi

私がしんどいなと思うのは、「本人の意思尊重」に基づいて話をしてるんだったら、私がグラビアをやっていた時も風俗で働いていた時も全て私の自由意思で選んでやっていたことになるんだなって感じるからなんですよね。

あんしんどい精神状態の時のもの自己決定権と言われるのはつらい。

2022-05-14 11:16:01


から(´・ω・`)

もはや三毛作だよ(´・ω・`)

2025-03-28

anond:20250328020510

陰謀論というか、、、手数料高めのファンド作るのは自由で、法律の許す限りの営業のもとなら、買い手の自由意思なので…… 日本でそういうファンドしか買えなかった(カルテル的に)、というわけでも、ない。

2025-03-19

anond:20250318222638

世の中には未だ男性差別女性差別が残っていて男女平等ではないと感じていた

こちゃんと言語化できてる?

法律が不平等なのと、法律平等だけど違反者がいるのと、法律平等だけど個人自由意思で男女差があるのと、全部別の事象からね。

あと思考実験として、持病や本人に責のない事情仕事休みがちな男性社員に無欠席の社員と同じ待遇を与えるべきと思う?

唯一の正解はなくて、弱い男性女性と同等に優遇するか、弱い男性女性と同等に賃金カットするかを組織ごとに選ぶしかないんだけど。

2025-03-05

フェミニズムバグ

フェミニズム思想を突き詰めて考えると、女性自由意思自己決定権を最大限に尊重するということである

しか女性自由意思尊重した結果、どうなったか

大多数の女性たちは「自分指導地位管理職になりたくない」と考えていることが分かってきた。

女性自由意思尊重するという建前を取っている以上は、その考えは優先されなければならない。

フェミニズム女性地位向上を目指した結果、女性地位は低下して、男性優位社会が昔以上に強大になったのはバグを通り越して笑い話だ。

2025-03-02

レゲエダンサーコンパニオン女性認知の歪みから解放するのがフェミニズムの使命

フェミニストからすると、レゲエを踊るときセクシーな動きをしたりコンパニオンをやったり水着撮影会に出演したりAVに出演したり売春したり萌え絵を描いたりするのは本当の自由意志ではなく、今の日本社会グルーミングされた結果の認知の歪みでしかない。

この日本社会には『システロ男が性を消費するのは当然だ』という構造があり、そのような構造の元にグルーミングされて、レゲエを踊るときセクシーな動きをしたりする人やコンパニオンAV女優や性風俗嬢や看板娘やラウンドガールレースクイーンキャンペーンガール萌え絵を描く女性はそのような職業をすることを「自由意思で選んだ」と錯覚させられている。

ちゃんと『システロ男が性を消費するのは当然ではない』という社会構造を構築して、その上でもそのような行動を選んだ人だけが真に自由意思で選んだ、認知が歪んでいないではない人だよ。

こういうことを書くと、「お前の認知が歪んでいないという保証はあるのか」と言う人が出てくるんだけど、

「今の日本社会には、『システロ男が性を消費するのは当然だ』という構造がある」それは間違いなく事実だ。

それに乗っかっている人は認知の歪みの可能性が否定できない。一方でそれに逆らっている人は間違いなくそのような構造による認知の歪みを受けていない。自明でしょ?

https://anond.hatelabo.jp/20250301013230

2025-02-17

anond:20250217121710

偽計はわかってるっぽいか威力営業妨害について書くと、威力をもって営業妨害したら駄目だね。

威力とは、人の自由意思制圧するのに足りる勢力を示すことをいい、威迫的な行為によって相手プレッシャーをかけて怯えさせることです。暴行脅迫がわかりやすいですが、それらに至らない程度の威迫行為であっても、広く認められます

ってことなので小声でこの店の商品買わない方が良いと思うますー。ならセーフかもしれないね

ただ、その他の条例に引っかかる可能性はあります

2025-02-15

anond:20201104013753

現代人は、自由意思自由意思放棄しているよな。

これは実は、SNS情報過多に対する能動的な適応戦略他者感情を「借用」することで、無限選択肢から最適解を効率的に得られる。感情アウトソーシングとでも呼ぶべきか。

ただし、この「借用」には危うさも潜む。感情労働者に依存する社会は、感情のもの市場化・商品化を加速させる。やがて私たちは、アマゾン感情を買い、メルカリ中古の感動を売る時代を迎えるのかもしれない。

皮肉なことに、こいつ自身もまた、この現象を「自分で」分析できているという矛盾に気付いていない。これは感情の借用から逃れられない世代が、逆説的にメタ認知能力を獲得した証。

新しい認知の形が生まれつつある。それは必ずしも「堕落」とは限らない。むしろ情報過多時代における人類進化の一段階。

2025-01-23

anond:20250123164727

企業海外投資家がフジテレビ引退したジャニタレ説明を求めたが

説明責任を果たさず、自由意思によって引退選択しただけだぞ

フジテレビの方は調査しまーすって回答してるな

 

繰り返すが国民アイドルが持つファン数とジャニオタの狂信はすごいので

本人の自由意志で復活したくなったらいつでもYouTubeとかで余裕の復活が出来るぞ

どう見ても彼女らに需要あるし

なので本人にまだ芸能人やる気あるなら実質ただのおやすみだろ

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