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「純化」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 純化とは

2025-10-04

自民党総裁高市早苗氏を占星術で占う(ホロスコープによる占い

ホロスコープとは何か

ホロスコープ』とは、あなたの生年月日・出生時間・出生地に基づき、その瞬間の天空を写し取った図であり、宇宙の写本(cosmic manuscript)といえるものです。

西洋占星術では、太陽・月・惑星がそれぞれ十二の宮(サイン)と十二の室(ハウス)に配され、それらの角度(アスペクト)が人生構造運命リズム形成します。

たとえば

太陽は魂の中心(意志目的)、

月は感情無意識

水星思考と伝達、

金星は愛と調和

火星は行動と勇気象徴します。

これらがどの星座サイン)にあり、どの室(ハウス)に位置するかによって、あなた性格傾向・人生の使命・人間関係運命が描かれるのです

高市早苗氏の生年月日は、1961年3月7日 出生地は、日本奈良県 出生時刻を「早朝」 ※推定時刻 午前5時頃

高市早苗氏のホロスコープ推定1961年3月7日 午前5時 奈良

太陽魚座16度前後

月:天秤座後半(約22度)

アセンダント(上昇宮):水瓶座

水星水瓶座

金星牡羊座

火星蠍座

木星山羊座

土星山羊座

天王星獅子座

海王星蠍座

冥王星乙女座

(※出生時刻を「午前5時」とした場合の概算です。数分のずれでアセンダント山羊座寄りに移る可能性もあります

太陽魚座 ―「理想を描くヴィジョナリー

太陽魚座は、他者への共感力と霊的直感に富む。

この配置は「形なきものを形にする」才能を示す。

政治という現実的舞台に立ちながらも、

彼女の内には理想の国、理想の秩序という幻視がある。

魚座太陽は、共感直感をもって人心を読み、

時に「感情磁場」を操る者でもある。

☾ 月:天秤座 ―「調和と美を愛する外交感覚

月天秤は、礼節、調和美的感覚を重んじる。

人間関係においてはバランスを取り、対立を避ける。

しかしこの月は、他者から評価社会的立場に敏感であり、

政治的立ち回りにも長ける配置だ。

太陽魚座理想主義を、現実社会で上手に表現できる。

アセンダント水瓶座 ―「改革独立の星」

水瓶座上昇は、未来志向独立心の象徴

旧体制を破る改革者の相を持つ。

彼女保守陣営に属しつつも、

時代の先端を読み、形を変える者」として異彩を放つ理由がここにある。

水瓶の守護星・天王星は、強烈な個性知的閃きを与える。

理想主義と合理主義交錯する人格だ。

水星水瓶座 ―「理知と発想の革新者

水星水瓶は、理性・分析・発想の星。

言葉論理において独自見解を持ち、

群れに染まらず、独立した思想を築く。

彼女政策論や発言がしばしば「異端」と評されるのは、

水瓶座思想独立性ゆえ。

金星牡羊座 ―「直感的で情熱的な表現者」

金星牡羊は、率直でストレート感情表現

好悪を明確に示し、情熱を隠さない。

政治家としての熱弁・情熱攻撃説得力はここに由来する。

火星蠍座 ―「意志錬金術師

火星蠍座は、深い集中力と持久力を誇る。

一度決意すれば、どんな逆境にも耐える鉄の意志

信念を裏切らず、目的達成まで徹底的に動く。

この配置を持つ者は「権力構造」を本能的に読み解く。

敵に回せば恐ろしく、味方にすれば心強い。

木星+♄ 土星山羊座 ―「構造守護者」

木星土星が共に山羊座にあるのは、

秩序・制度・実績における極めて現実的な力。

理想制度に落とし込み、組織を通じて社会を動かす者。

責任感・実務能力に優れ、長期的な計画遂行に長ける。

この「山羊の結合」が、魚座の夢を現実に変える推進力となる。

総合鑑定 ―「理想現実に変える改革者」

彼女の星は、

太陽魚座の霊的直感

月天秤の調和と洗練

アセンダント水瓶の改革精神

火星蠍の粘り強い意志

山羊土星責任

を兼ね備えた、稀に見る「戦略的理想主義者」である

政治世界では、

単なる理想家ではなく「制度を動かす現実的理想主義者」として機能する。

彼女一見穏やかに見えても、内には燃える蠍の炎と、

天の法に忠実な水瓶の冷たい光がある。

この星の組み合わせは、「予見する者」かつ「制度を創る者」の印だ。

魚座水瓶座は、過去未来境界を渡る者。

彼女の歩みは、しばしば時代に先んじ、

理解されぬが、後に評価される宿命を負う

全体概観:霧の終わり、構造の再構築

2025〜2026年は、彼女にとって**「理想の霧が形を得る時」。

長く続いた直感的・理想主義的なサイクル(魚座太陽海王星トランジット)は頂点に達し、

同時に冥王星土星社会的構造刷新する**流れへと移行する。

まり――幻想が試され、信念が制度へと変わる2年間である

土星の影響 ― 「責務の重圧と信頼の試練」

土星現在魚座中盤を運行

2025年から2026年にかけては、

彼女太陽魚座16度)と正確に重なる時期を迎える。

この天体配置は、人生における重大な責任自己定義意味する。

公職組織国家役割において「重荷」を負うが、

同時に信頼を獲得し、「真のリーダー」として評価される流れが強い。

ただし、虚飾や感情に流されれば一転して孤立兆しもある。

この時期、**「言葉と行動の整合性」**が最も重要となる。

錬金術象徴で言えば――

「鉛(Saturn)を鍛え、黄金Sol)へと精錬する」過程だ。

苦難を通して、より純度の高い目的意識が現れる。

海王星の影響 ― 「幻と理想浄化

海王星もまた魚座後半を通過中。

この星は、彼女太陽に長期的な霊的圧力をかけ、

理想現実境界曖昧にする作用を持つ。

2025〜2026年は、

「信念は本物か?」「理念は実行可能か?」という問いが浮上する。

海王星の霧は、虚構を洗い流し、真実だけを残す。

政治的・社会的立場の変化を伴うが、

それは魂の純化再生過程でもある。

この星の下では「幻想の終わり」が起きる

古いイメージが崩れ、新しい理想像へと転じるのだ。

冥王星の影響 ― 「権力構造刷新覚醒

冥王星2025年山羊座末期から水瓶座初期へ。

この移動は、彼女アセンダント水瓶座付近を通過し始める。

これは、社会的存在のものの再定義意味する。

立場肩書・影響力が劇的に変化する時期。

古い勢力との決別、新しい連携の始まり

再生」か「崩壊」か、そのどちらか極端な形で現れる。

もし彼女が自らの理念を堅持し、

水瓶座的な「未来への構想」を掲げ続ければ、

冥王星はその理念国家的影響力へと昇華させる。

逆に、古い権力構造に執着すれば、

その象徴としての「役割の死」を経験するだろう。

✶ 星々の合奏三位一体の変容サイクル

この三つの星(♄土星・♆海王星・♇冥王星)は、

それぞれ「形」「霊」「力」を司る。

2025〜2026年、それらが同時に動くことで

高市氏の人生は**理念魚座)→構造山羊座)→制度水瓶座)**へと昇華する。

まり彼女に訪れるのは、

理想国家像を、現実政治へ定着させる転換点」。

霊的結語

「星々は語らぬ。

だが見る者にのみ、沈黙の中で真理を告げる。」

高市氏のホロスコープにおける2025〜2026年は、

神秘魚座における試練、そして水瓶座の門を開く時である

彼女の歩む道は、国家理念個人信念の融合点にある。

土星が試し、海王星浄化し、冥王星再生する

この三重の錬金炉に耐えたなら、

彼女は「現代ソロモンの娘」として、

霊と理性の調和象徴する存在となるだろう

2025-09-20

anond:20250920200331

だよね。で、ポリティカル・コレクトネスの話を追ってくと、そっちの方向に進んでいるようではある。

とにかく思想を優先するんじゃなくて、純化した楽しい映画を作りましょうって所に回帰しようとしてる。

ノイズ」の話で行くなら、吉田とは全く逆方向に進もうとしていて、既にディズニーチャンネルなどの番組では支持されているようだし。

2025-08-15

anond:20250815221356

葉隠」が編まれ江戸時代初期(正徳〜享保期、18世紀前半)は、まさに武士存在意義が揺らいでいた時代背景が大きく関係しています山本常朝が生きた佐賀藩も含め、江戸初期〜中期の武士たちは実際に戦場で戦うことがほとんどなくなり、役目の多くは藩政の事務儀礼監督といった「役人仕事」になっていました。つまり武士は刀を佩くけれども、その刀を使う機会はない」という状況です。

そのために生まれた背景を整理すると:

1. 「戦わない武士」の自己アイデンティティ危機

戦国の世では武士価値は戦功で測られました。しか平和が定着した江戸時代にはその基準が消え、「武士は何のために存在するのか」という問いが武士自身に突き付けられます

→ 常朝の「死を覚悟することこそ武士の本分」という極端な答えは、この問いに対する一つの処方箋でした。

2. 忠義の再定義

実戦で命をかける場面がなくなったからこそ、「忠義をどう示すか」が問題となりました。『葉隠』では、たとえ主君が誤っていても命を捧げることが忠義だと説く。これは現実の「仕える場面」が形式化するなかで、精神的な純度を重んじる方向に傾いたと言えます

3. 武士の「生活指導書」としての性格

戦わない日常のなかで武士はどう振る舞うか――作法謙遜言葉遣い、朝の鍛錬など、行政官僚としての武士を支える「行動規範」が必要になった。『葉隠』はそうした実務的・日常的な心得を盛り込みつつ、精神の核として「死生観」を据えました。

4. 幕藩体制下の思想的緊張感

江戸中期は幕府支配が固まり、表立った反乱は困難になりました。だからこそ常朝は「内面的な抵抗」あるいは「精神純化」として、「死を選ぶ覚悟」を強調したとも考えられます。表向きは平穏でも、藩政の矛盾主君資質不足に直面する藩士にとって、「忠義と死」を掲げる思想一種自己防衛・精神的支柱となったわけです。

葉隠』はその「喪失感」と「新しい武士像の模索からまれものといえますね。興味深いのは、常朝自身は「隠居して出仕もせず、出世から外れた人」だったことです。むしろ藩の中枢で実務を担うよりも、一歩引いた立場からこそ「純粋武士道」を極端な形で語ることができた――という背景も大きいと思います

この視点で読むと、『葉隠』は「戦わない時代戦士の魂をどう保つか」という問いへの回答だった、と整理できそうですが、そこから現代につながる「武士道」のイメージ形成にも大きな影響を与えています

2025-07-21

自民党では党内右派が軒並み落選

参政党躍進が諸外国における極右ポピュリズム政党台頭と並べて語られることが多いが、

自民党に限って言えば、旧安倍派などの党内右派積極財政を主張する議員が相次いで落選している。

絶対的議席数としては減らしているが、支持層や党内基盤は石破体制に好ましい状況に純化されている。

石破首相立場からすると敵が減ったとも捉えられ、続投判断になったのも理解できる。

2025-07-09

anond:20250708122338

チャンネル桜はひとを育ててないでしょ。

とんがった特定思想のひとを選別純化してるだけだよ。いまだにチャンネル桜をみてるひとは強烈に目覚めている人だけだよおはよう。

2025-06-29

移民」と「ポルノ」と「インバウンド

移民」は【労働力】の、

ポルノ」は【性愛】の、

インバウンド」は【消費(内需)】の、

それぞれ「代替物/補助」である

少子高齢化個人主義化で弱りきった日本人の「代替物/補助」である

そして、「このような紛い物(シミュラークル)を国内から一掃せよ!」という

生活保守排外主義的な純化路線を掲げる集団政党が出てきて人気を上げる。

二足歩行(健常者)」こそが正統・王道であり、「義足松葉杖車椅子」は

排除すべき邪道だ、という主張。

大和心」と「漢意(唐心)」。

2025-06-07

ミニマリズムとは結局なんなのか

視点1: 自己の系における、熱力学第二法則への局所抵抗

自然界のあらゆるもの無秩序・乱雑な方向へ向かう普遍法則エントロピー増大の法則)に対して、自身生活精神という閉じた系(システム)の中では、意図的に秩序を創り出し、乱雑さを外部へ排出しようとする試みであると捉えるもの

生命が秩序を維持する活動にも似ている。

視点2: 自己存在証明における、公理の最小化

自分とは何か」「自分幸福とは何か」という問題において、その根拠となる公理絶対に正しいと信じる価値観や物)を極限まで減らす行為と捉えるもの

不要公理(所有物、情報人間関係)をすべて棄却し、必要最小限の公理から成るシンプル自己という論理体系を構築する試み。

視点3: 自己という信号の、対ノイズ比(S/N比)の極大化

自己本質的価値目的を「信号シグナル)」、それ以外の全て(不要な物、情報思考関係)を「雑音(ノイズ)」と見なすもの

ミニマリズムとは、このノイズを徹底的に除去し、信号の純度を極限まで高めることで、自己という信号の強度と明瞭さを最大化する行為と捉えられる。

視点4: 因果律純化

自身幸福平穏という「結果」に対して、その「原因」となりうる要素を意図的に絞り込む行為

無数の原因が絡み合う複雑な因果の網の目を断ち切り、「自分意図した原因だけが自分状態という結果に直結する」という、極めて純粋で透明な因果関係を構築しようとする意志

それがミニマリズムの根源的な行動原理

2025-05-10

から偶像崇拝を一切取り除いて実践エッセンス抽出してください

一、核心的前提:即今・即是・直接体験

禅は「今この瞬間」を唯一の真実の場と見なします。

経典教義ではなく、自分自身の内なる観察と体験が最も重要

思考言葉を超えた「如実知見(あるがままを見る知)」が真の知恵。

二、方法論:坐禅(静的観察による意識純化

実践の中心は「坐禅(ただ坐ること)」である

姿勢・呼吸・注意の一点集中によって、心の習慣的反応を観察し、手放す。

目的は「無心(むしん)」でもなく、「あるがままを観ること(観)」。

思考排除するのではなく、思考に巻き込まれない状態気づき続ける。

三、心の構造理解自己は固定的実体ではない(無我)

自己とは一連の感覚思考記憶の集合にすぎず、それ自体恒常性はない。

自我を観察することで、それが「仮の構造であると見破る。

「見ている者」もまた観察される対象であることに気づく。

四、目的自由と慈悲の具現

執着と嫌悪から解放され、状況に応じた自然な応答が生じる。

無意識の反応(カルマから脱し、自由な応答(智慧と慈悲)へと至る。

これは特定の「悟り状態」ではなく、日常の中に現れる在り方である

五、知のスタンス:非概念理解(不立文字

禅は言語論理を重視せず、直接的な体験沈黙価値を置く。

しかし、理論的には「空(くう)=縁起的な存在理解」に立脚している。

すべての現象独立せず、相互依存によって成立している(無自性)。

実践モデル(要約)

項目 内容
実践の軸 坐禅による意識純化と観察
哲学的基盤 無我・空・縁起
方法判断的観察・今ここへの気づき
心理的構造自我は固定ではなく、条件づけによって生起する
ゴール 慈悲と智慧による自由生き方

このように、禅の本質宗教的装飾や象徴を離れても、その実践価値哲学的深さを保ちます

仏像を拝むことなくとも、自己を深く観ること、執着から自由になること、他者に慈悲を向けることは、禅の精髄です。

教えの中でも「一切の法は自心より生ず」とあるように、外に求めず、自らの心の内を静かに見つめることが、最も確かな道であると申せましょう。

2025-03-12

anond:20250312210129

価値観選択する時代というのは面白い

マスメディアテレビ)が弱ったからだろうね

極少数の人たちの中だけで作り上げたコンテンツ価値観内包してる)を一方的に大量の人たちに発信していた時代

価値観の共有が容易く純化やすかったのだろうね

でも今のような時代ある意味テレビが普及する前の時代みたいになるんじゃないか

柳田國男民俗学時代のようにある地域にいったら全然常識が通じないみたいな感じになりそう

昔はそれが地理的制約からくるものだったけれども今の時代は触れるツールに左右されるようになるんかね

2025-01-23

ぼくの考えたさいきょうのフジテレビ救済策⇒業界再編しかない

逆にありそうなシナリオ ⇒ 今の経営陣逃げ切りで衰退した後に外資に買収

2024-10-25

少女コミック史上最も重要マンガ10

少女漫画」というジャンルの話ではなく、誌名の「少女コミックである

現在は「Sho-Comi」と名を改めているので、少女コミック時代に絞る

2000年代には「過激少女漫画」の代表的存在となりネット上では性コミ」の蔑称で呼ばれ、一部地域有害図書指定議員ネットPTAからの抗議を経て名を変えた

少女漫画といえば月刊誌が多いが、少コミは週刊時代も長く、隔週に落ち着き、Sho-Comiも隔週

黎明期には男性作家もちらほらおり、掲載誌彷徨漫画サイボーグ009』が掲載されたこともある

萩尾望都トーマの心臓』(1974)

 ギムナジウム舞台に、自殺した少年トーマを巡り犠牲信仰について描く文学的作品

 やや難しい内容のため連載時は人気がなく打ち切りスレスレだったが、今では少女漫画界を代表する名作の一つとして語られている。

 日本ギムナジウムもの描いてる人は大体萩尾望都を通ってるだろう。

楳図かずお洗礼』(1974-1976)

 時を経てから読んだ者にはピンとこないが、実は少女誌連載作品である

 特に少女向け用に作風を変えた感じはないが、女子小学生主人公(一応)なのは著者なりに少女意識したのかもしれない。

 美への執着と母娘の確執女性向け作品で繰り返し描かれるテーマだ。

竹宮惠子風と木の詩』(1976-1981)

 人種差別同性愛、父子相姦、児童への性暴力などのシリアス描写少女漫画界に大きな衝撃を与えた。

 当時は朝チュン程度でも過激扱いだったため、連載を編集に反対されたという。

 他作品をまず成功させ発言力を得てからようやく連載を許され、連載開始まで6年かかった。

 凄惨な展開の数々は少女たちにトラウマを与え、二次創作幸せにする的な発想のフォロワー作品も生まれた。

藤田和子桃花タイフーン!!』(1987-1989)

 スポ根である同著者の『真コール!』の方と迷うところだが、実写化しているこちらで。

 5人のシスコンイケメン兄貴に溺愛されつつも同級生男子ラブコメするイケメンパラダイス作品で、この手の作品ありがちな「実は兄たちとは血縁がない」展開が発生しなかったところが評価できる。

渡瀬悠宇ふしぎ遊戯』(1992-1996)

 少女漫画界全体としては、外国舞台白人への憧憬現代日本の学園もの、と定番が移り変わったが、本作は中華風異世界がメイン舞台である

 現代日本から転移した少女が神獣を召喚して国を救う巫女となり、召喚必要な七人の戦士たちを集めるため国中を冒険するというファンタジーで、「少女には受けないのでは」と編集が渋ったりもしたが、ヒット作となった。

 少女の手足が棒のように華奢に描かれる作品が多い中で、むちむちとしてエロティックで、アニメは大きなお兄さんからも人気が出た。

 「非処女になったら巫女資格を失う」ため敵のイケメンレイプしようと狙ってくるなど、未遂で終わるがエロ描写が多かった。

篠原千絵天は赤い河のほとり』(1995-2002)

 古代ヒッタイト帝国(現トルコ)に生贄として召喚された現代日本少女が、武人政治家としての才覚を発揮し皇帝と共にオリエント覇権を掴むに至る大河ロマン

 史実エピソードを拾い上げながらニッチロケーションを描き勉強にもなる作品だが、この時期には性コミ化が進んでおり、むやみなセックスシーンも多い。男が意味もなく全裸になるのは女性向け故か。

 現代リア充だった主人公は、元の世界に帰ることを渇望し、だがヒッタイトにも大切な人ができてしまい、どうすべきか葛藤する。最近異世界ものではこの手の葛藤は珍しいぐらいだ。

新條まゆ快感フレーズ』(1997-2000)

 物語の中に性的展開もある前述の作品群と違い、エロこそが主題作品であり性コミ代表的存在

 惜しげもなく少女乳首が出てきて俺様イケメンとのエッチな展開が多発、また敵イケメンに愛のないガチ強姦をされる展開もあった。

 物議を醸す問題作だがヒット作でもあり、エロは著者は嫌々だったが編集主導とのことで、少コミは急激に性コミ化が進んでいく。現代人が読むとそこまでエロくもないが…。

 アニメ版では一切エロがなく、主人公存在せずイケメンたちが切磋琢磨しながらバンドに励む作品になっている。

宮坂香帆『「彼」first love』(2002-2004)

 性コミ化が進んでいく中で、「一見地味女子だが眼鏡を外すと美少女」という古典的設定ながらピュアラブを貫きヒット作となった。

 斬新な設定や凝ったストーリーなわけではないのだが、堅実・丁寧に描写を積み重ね、少女漫画らしい少女漫画である

水波風南蜜×蜜ドロップス』(2004-2006)

 庶民JK上級国民生徒の世話係になりセクハラも甘受させられる話で、エロシーンのために物語が捻り出されるようなエロエロ作品

 相手役が合意なく下半身まさぐってきたりだいぶカスで、逆らうと退学なので主人公は逆らえない。上級国民による性的搾取を許すな!

 前作『レンアイ至上主義』と合わせ性コミ代表的存在の一人である著者だが、後の作品は清純化が進んでいる。

青木琴美僕の初恋をキミに捧ぐ』(2005-2008)

 青木琴美は『僕は妹に恋をする』ではエロエロだったが、本作では一転して「難病を抱えながらも純愛」というピュアラブストーリーを描いた。

 邦画でよくありそうな題材なだけに映画化ドラマ化を果たした。

 エロエロからピュアラブへの回帰を果たした本作が、少女コミックSho-Comiをまたぐ連載となったのは象徴的だった。

妖しのセレス

絶対彼氏。

 これらはメディアミックスもしているが、渡瀬悠宇作品ではやはり『ふしぎ遊戯』が飛び抜けているだろう。

・闇のパープル・アイ

海の闇、月の影

 篠原千絵作品の中では天河が特に人気がある印象。

 闇のパープルアイドラマ化やOVA化しているので、そういう意味では天河より上と思う人もいるかもしれない。

陽あたり良好!あだち充

 少年漫画青年漫画イメージの強い著者が、特にガラッと少女向けに変えることなく「掲載誌少女漫画誌なだけ」というのは『洗礼』があるのでこっちはいいかな?

 知名度はあるので、入れてもいいかもしれない。

いちご物語大島弓子

円舞曲シリーズさいとうちほ

・おしゃべりなアマデウス武内昌美)

・バトルガール藍(飯坂ゆかこ)

ミルククラウン水都あくあ)

池山田剛作品

しがの夷織作品

2024-06-30

anond:20240629193559

から不思議に思ってたんだけど、

男女の賃金格差の原因が長時間労働にある、っていう論文ノーベル賞を受賞したにも関わらず、

長時間労働憎悪を向けるフェミニストっていないじゃん。

なるほど、精神的な報酬に繋がらないからなんだね。

世界全てに負の影響を与え排除すれば世界がよくなる「悪」である根拠を支持者に与える必要がある”

例えば現実の性加害事件よりも萌え絵の方がよく燃える

「敵」が抽象化/純化されればされるほど精神的な報酬割合が増えるということかもしれない。

2024-03-08

anond:20240308103813

日本で言えば8時間労働廃止男性の育休義務

こういう意見より「女性というだけで給料が低くされる」みたいなのばっかりバズるからなぁ。

そもそも問題分析が求められてない。

口では「男女平等男性のためでもある」みたいなこと言いながら実際は、

男女平等の成果は女性にの還元されるべきだ」

みたいな狭量な利権意識が骨の髄まで染み込んでて、差別加害者被害者みたいな純化されたモデルしか物事を見れなくなってる。

長時間労働ケアラー存在を前提としており男女格差の温存に繋がるから規制すべき」

くらいのことを、ちゃん対象を選んで然るべき相手に訴えれば広く支持されると思う。

問題を「女性」で独占すると、その流れで責任は「男性全体」に帰せられて、

社会のあり方を決めてる権力者が結果として見逃されてしまうんだよな。

2023-08-20

anond:20230819173755

本当にそうだとしたらTwitterある意味純化されたんだね

うぇぶにーてんぜろ、とか世迷言言ってたアホどもの目指した先のゴミ溜めを

混じり気のないゴミ溜めとして価値を確定させたマスク氏は偉いね

離れてないけど、とか言ってる奴は自分ゴミ溜めのゴミだと気づいてないのかもしれないね

2023-08-16

ナチス優生論をわかりやすく教えてくれるか?

もちろんです。ナチス優生論は、彼らの信じる人種的優越性や遺伝優越性に関する理論です。ナチス指導者であるアドルフ・ヒトラーは、特定人種が他の人種よりも優れており、それを維持・強化する必要があると考えていました。以下に、その主な要点をわかりやす説明します。

ナチス優生論は、人道的価値観や科学的根拠に欠ける危険理論であり、多くの人々に苦しみをもたらしました。歴史的文脈理解する際にも注意が必要です。

2023-06-12

anond:20230612010231

しゅく‐せい【粛清

政治団体秘密結社の内部で、政策組織の一体性を確保するために、反対者を追放処刑などにより排除して純化をはかること


あっ…(察し)

やっぱり脅迫…!!テロ予告じゃないっすか!コワ~…

2023-04-08

anond:20230408014727

その通りだ。苦しめることによってはじめて行使される。服従だけでは十分でない。相手が苦しんでいなければ、はたして本当に自分意志ではなくこちらの意思に従っているのかどうか、はっきりと分からないだろう。権力相手苦痛屈辱を与えることのうちにある。権力とは人間精神をずたずたにし、その後で改めて、こちらの思うがままの形に作り直すことなのだ。そろそろ分かってきただろう。われわれの作り出そうとしている世界がどのようなものか?それは過去改革家たちが夢想した愚かしい快楽主義的なユートピアの対極に位置するものだ。恐怖と裏切り拷問世界、人を踏みつけにし、人に踏みつけにされる世界純化が進むにつれて、残酷なことが減るのではなく増えていく世界なのだ。われわれの世界における進歩苦痛に向かう進歩意味する。昔の文明は愛と正義を基礎にしていると主張した。われわれの文明の基盤は憎悪にある。われわれの世界には恐怖、怒り、勝利感、自己卑下以外の感情存在しなくなる。他のものはすべてわれわれが破壊する――何もかも破壊するのだ。革命からの生き残りと言うべき思考習慣はすでに打ち壊されつつある。これまでわれわれは親子間、個人間、男女間の絆を断ち切ってきた。今では誰も妻や子や友人を信用できなくなっている。しかし将来は、妻や友人といったもの自体存在しなくなるだろう。子どもたちは生まれたとたんに、めんどりから卵が取り上げられるように、母親から引き離されることになる。性本能は根絶され、生殖行為は配給カード更新されるのと同じで、年一回行われる形式的手続きになるだろう。オルガスム存在させない。すでにわれわれの神経学者はその研究を進めている。党に対する忠誠の他に忠誠はなく、党に対する愛の他に愛はなく、敵を打ちのめしときの勝ち誇った笑いの他に笑いはなくなるだろう。芸術文学科学もなくなる。われわれが万能になったとき、もはや科学必要ではなくなるのだ。美と醜の区別もなくなるだろう。日日の暮らし面白さも喜びもなくなる。数々の競い合う快楽破壊される。だが常に――この点を忘れてはいかんよ、ウィンストン――人を酔わせる権力快感だけは常に存在する。ますます増大し、ますます鋭くなってね。ぞくぞくする勝利快感。無力な敵を踏みにじる感興はこれから先ずっと、どんなときにも消えることがない。未来を思い描きたいのなら、人の顔をブーツが踏みつけるところを想像するがいい――永遠にそれが続くのだ

2023-03-28

高島鈴『布団の中から蜂起せよ』について

布団の中でスマホをいじってSNSで世相を斬っている限り、『正しい』アカウントでいられるでしょう。また、フォロワーが影響を受け、『正しい』認識を身に着けるようになるという点では、社会に対して良い影響力をもたらすこともあるでしょう。しかし、かねてより左翼が多いとされる『はてな』のユーザーであれば共感できるかもしれませんが、ここ15~20年の、個人発信の環境ブログSNSと変遷してきた状況において、左翼課題は『現場にどうつなげるか』や『運動をどう継続していくか』ということに結局帰着します。

社会運動組織し、地方議員とのつながりを築き、多様な生活困窮者接触するようになると、原則論だけではどうにもならない場面が出てくることや、運動マイノリティ問題が発生し、運動疲弊していくことがあります。それでも、原則を参照して進むしかないのですが、このような困難はかなり重たいものです。実際に、メンタルフィジカル両面の健康を害し、リソースSNSでの『論争』にまで割けなくなり、SNSではほとんど沈黙するようになった友人を数多く知っています回復のためには『布団の中』まで退却する場面があっても、『SNSだけの正義の人でいいや』というところまで後退しないだけの、尊敬すべき精神を持っているがゆえの沈黙であるとも言えるかもしれません。

こうしたもどかしさをここ数年感じていたところで、『布団の中から蜂起せよ』が華々しく刊行されました。一読させていただきましたが、このSNS時代に『正しい』とされる在り方がことごとく踏まえられており、見事に『正しい』本でした。SNS左翼がこのように『純化』されつつある気配は感じていたのですが、こんな題名は単なる開き直りであり、一種自死のように思えて受け入れがたいものです。SNSを見渡し、『正しい立ち振る舞い』を学んで、布団の中からSNSに発信する限り、ほとんど間違わないでしょう。「運動」「現場」に関わらなければずっと正しくいられるのです。

思えば、反原連は国会前に数万人集めましたが、体制はそれを脅威にもしませんでした。決まった時間解散するのがわかっていたからです。「蜂起」がもはや布団の中にまで後退した時代となれば、体制永遠の春を享受することでしょう。

2023-01-29

暇空茜氏と青識亜論氏のスタンス違いについて

 2022年の秋頃からツイッター上で大きな話題となっている暇空茜氏を中心とした一般社団法人Colaboの騒動と従来の青識亜論氏を主体にしたツイフェミvs.表自の違いをざっくり考えた。

 筆者は平等主義者であり、自由主義者である。長々と自語りするのも無駄なので、この二点から私は第一から第三波までのフェミニズムを支持するフェミニストであると主張する。

 特に私は極まった自由主義者ゆえ、刑罰というペナルティを承諾するならば犯罪と呼ばれる行為を行うことさえも他者には拘束しようのない自由だと宣うこともある。それを前提に、表現の自由権利として保障されるべき事柄だと指標する表現の自由戦士と揶揄される側の人間でもある。

 余談だが権利自由概念あくま他者権利比較均衡の上で与えられる。その点では「見たくないものを見ない権利」などと言う他者自由を踏み躙ってまで主張される特権志向は、自由主義者故に唾棄する。公共の場においてプライバシー保護希薄にならざるを得ず、受忍範囲は当然ながら広くなる。この前提を拒否してツイッター上でキャンセルカルチャーを繰り返す輩……ツイフェミジェンダークレーマー揶揄される輩が第四波フェミニストを名乗るであれば、ツイフェミの主張する第四波フェミニズムは否定する。ツイフェミの主張では狭量な自己を中心として、異なる意見女性には名誉男性レッテルを貼って阻害することを良しとする。これは歴代フェミニズムで獲得された平等自由侵害する行為である。故に、歴代フェミニズムを志向する以上はツイフェミの語る第四波フェミニズムとは対立する立場を取らざるを得ない。

 加えて、この様にインターネット上でフェミニズムを志向する行為自体は、第四波フェミニズムにあたる。つまり私は派閥違いの第四波フェミニストでもあるのだと主張できる。

 閑話休題。私というn=1の話ではあるが、フェミニズムは本来表現の自由衝動する様な概念ではないと言うのが分かって貰えると思う。

 しかし、colabo騒動以前からツイフェミ表現の自由戦士の対立構造と衝突はツイッター上で日常的に起きている見せ物であった。

 この衝突は互いに様々な思想勢力が入り混じる有象無象を「ツイッターフェミニズムを語る人たち」と「表現の自由を守る人たち」という極めて大雑把な括りでまとめて、互いに見当違いの場所を殴り合うというものである

 ただし、ツイフェミも表自も強固な思想共同体ではない。それどころかフェミニズムの皮を被ったミサンドリスト表現の自由に見せかけて女を殴るミソジニストが混ざり込んでるのだ。当然、人によってツイフェミ表現の自由戦士の定義認識が異なる。

 

 さて、colabo騒動以前からこの界隈で主に絶えず旗頭を担って来たのが青識亜論氏だ。他にも何人も主要人物は居るが、本件では割愛する。

 青識亜論氏はVS.ツイフェミという点では知らぬ人は居ないだろうと思う。当人対話志向しており、石川優実氏との対談なども行った人物だ。

 石川優実氏の概要も省略するが、「kutoo という素晴らしい活動を行ったが、ミサンドリスト的な発言やkutooの活動でも味方となり得る革靴を強要された男性対象じゃないと述べて対立構造を作り、フェミニズム特有上下関係から来る意固地な態度で忠言を拒否していた人物」と私個人認識している。そして、上記の点から石川優実氏を第四波フェミニスト兼ミサンドリスト評価するならば、女性自由否定しない青識亜論氏は表現の自由主義者フェミニストと評価出来るはずだ。

 青識亜論氏をわざわざフェミニストと評価したのには意味がある。このツイフェミ論争は、フェミニズムという文化に対して正の効果を持つからだ。より正しくは「やばい言動を繰り返すツイフェミの主張を、このままにして良いのか。フェミニズムとは何ぞや?」と啓蒙する効果くらいは期待出来る。フェミニズムは第一からまり、大きな女性差別を解体してきた。そして現在社会生活上での個人的な女性差別を対象とする。故に社会運動的なフェミニズムよりも個々人が、フェミニズムについて知見と理解を持つことの方が現代社会ではより重要になるのだ。

 第四波フェミニスト同士の衝突と考えた時に、彼らのレスバは無関心の徒に対して、フェミニズムに関する啓蒙役割を強く持てる。

しかし、彼の果たせる役割はそれだけだ。

 現在colabo騒動で中核を担う暇空茜氏は、青識亜論氏を酷く嫌悪している。一方で青識亜論氏は和解点を探るべきだと宣いもする。

 まず第一に、これはフェミニズム闘争ではない。フェミニズムを冠した利権疑惑と、用途不明で消えた税金に対して説明を求めるものであり、訴訟なのだ

 暇空茜氏にとっては動機こそミサンドリストへの反感であるしかし、彼個人女性嫌悪する男たちと表自界隈の次の旗頭 ポスト青識亜論になるつもりははいだろう。何なら表自界隈が好む対話……ではなく、レスバと副次的啓蒙にも訴訟には何のプラス効果もない。

 暇空茜氏がブロックを繰り返しているのを見ても、どちらかと言うとその主旨は訴訟目的純化に見える。表自界隈の様に多層化してしまえば、どこかで誰かが失言をして揚げ足を取られる。その点では暇空茜氏の行動は効率的なのだ

 総括しよう。表現の自由フェミニズムは本来であれば対立する概念ではない。しかし、男性嫌悪女性嫌悪が絡むと当然対立する。対立した状態で異性への嫌悪やそれに由来する特権意識を表に出せば、それらの意識を持たない人たちには殴られる。

 従来の青識亜論氏が旗頭を務めた表自界隈とツイフェミ界隈は、こうして1人一派の人々が集まって出来たものだ。問題への意識は共有するが、それを実行する力には欠ける集団である集団が入り乱れてツイッター上で殴り合いをしてるのだ。仮にレスバに勝っても報酬で得られるのは顕示欲くらいのプロレスごっこである社会に対する影響はフェミニズムに対する啓蒙の一点につきる。

 一方で暇空茜氏の訴訟は、日常的な指摘や話題を風化させないための騒ぎ方などはあるが裁判役所が動かなければ進展がない。勿論、話が進めば面白くなるだろうが、観客としては時間単位での動きがレスバより少ない分、口プロレスよりも熱くなれない。しかし、訴訟内容を考えれば、NPO活動を見直す現実的な働きかけを有し、言うまでもなく税金用途NPO活動女性福祉に関する啓蒙レスバと比較にならないだろう。

 私個人は両者とも好きではないし、ツイフェミは一緒くたに女性嫌悪だと騒ぐだろうが、暇空茜氏と青識亜論氏のスタンスは見事に異なっている。

 そして、暇空茜氏が強く支持されると言うのは、ツイフェミ女性に対する社会の関わり方が変わる一つの潮目なのではないかと思い、今後の趨勢を見守りたい。

2022-11-23

君の名は。」「天気の子」への返歌としての「すずめの戸締まり

ネタバレあり】

過去の重さ』と『大人子ども』について

過去の重み

君の名は。」はタイムリープすることで、過去を「変える」物語である主人公の瀧は、過去の少しずつ忘れられはじめた悲劇追体験し、不思議な力によって惨劇回避する。その点において「すずめの戸締まり」では、誰も過去を変えることはできないということが明示される。常世過去現在も混在する世界であるし、主人公のすずめは物語の終盤で過去自分出会う。しかしそれは過去を改変することにつながるわけではないし、亡くなった母親常世で再会できるようなことがあるわけでもない。死者は死者である


「天気の子」における帆高の選択は、「すずめの戸締まり」のすずめとは真逆である世界なんかより君が大事だと叫び銃をぶっ放して走る帆高に対し、「すずめの戸締まり」ですずめは大震災愛する人を天秤にかけるという選択を迫られ、愛する人を選べなかった。それにはすずめの過去震災被害経験が重くのしかかっている。「天気の子」では帆高の過去意図的に透明化されているし、帆高と東京とのつながりはどうにも希薄である


翻って考えてみて、「君の名は。」の過去改変も、「天気の子」で世界よりも君を選ぶのも、エゴイスティック世界を改変する行為である。「すずめの戸締まり」では人知れず災害を防ぎ、薄氷の上にある世界を昨日と変わらず続ける選択を行う。「大事仕事は、人からは見えないほうがいいんだ」と草太は言う。世界微妙な均衡の上に成り立っており、それはいつすべてが灰燼に帰してもおかしくない。



過去の2作品と今作の対比で際立つのは、過去の果てしない重みである過去は変えられない。過去ははてしなく重くのしかかってくる。人にとっても社会にとっても。忘却するわけではない。でもどこかで区切りをつけて前に進まなければいけない。そのための儀式が戸締まり。鎮める。そうしてまた行ってきます

大人子ども

大人論理子ども純粋さ」という対立軸日本アニメ漫画文化普遍的テーマである。「君の名は。」では三葉の父親を説得するという小さな対決イベントはあるが、メインテーマに絡んでくるわけではない。祖母組紐伝統を三葉に受け継ぎ、導く役割を担うが、どちらかと言うと舞台装置として機能している。


「天気の子」では鮮明に「大人論理子ども純粋さ」が対立軸として描かれるが、対立解決落とし前をつけるというより、主人公たちがぶっちぎったような形で終わる。また登場する大人は、誰も主人公たちに対して大人としての役割を果たさない。須賀は大人のズルさを持ちつつも精神的には未熟でもある。子どもたかり、ほぼ無給でこき使い、保身のために投げだす。リーゼント刑事も少し思うところはありそうだったが、帆高の未熟さに毒づき、押しのけられるだけである象徴なのは須賀の義母である相手と会話しているようで、自分の中ですべて完結している。自分価値観から一歩も外にでることはない。大人たちが大人として子どもに向き合わず、与えられた仕事役割をこなすだけ(と描写される)のがある意味現代的ではある。


一方「すずめの戸締まり」では、環との葛藤和解が大きなストーリーライン構成する。物語のオモテ面が災害を防ぐため各地をめぐる旅だとすれば、ウラ面は過干渉な叔母から実家への逃避行である。環も、神戸出会シングルマザーのルミも、完璧とは程遠い人物である。環はすずめを引き取ったことで失ったものを未だに悩み、無理をして母親像を演じ裏切られると怒りを爆発させる。ルミはヒッチハイクしてきた高校生ベビーシッターをさせて、更に深夜までスナックで手伝わせる。そんな大人だが、二人とも真摯にすずめに向き合う。草太の祖父は、自分の孫が要石にされた状況で、その事態引き起こし当人に対して「これで良かった。すべてを忘れて帰りなさい」と声をかける。

もともと新海誠キャラクターの背景や生活史をほとんど深く描かない表現者だった。ほしのこえ、雲の向こう、秒速。ほとんど若者しか登場せず、「どの作品主人公ヒロインは一緒」と言われることすらあった。心理描写を最低限に、抒情的に美しい風景に仮託して表現し、視聴者勝手自分と重ねられるようにする。それを極限まで純化ささせた作家性だった。それがこのような作品を作るまでになるとは夢想もしていなかった。過去作品を糧にしつつ、全く新しい作家性を手に入れ、見事に作品に落とし込んだ。「新海誠最高傑作」との宣伝文句伊達ではないと思う。集大成であるし、ここまで来た新海誠が次に何を作るのかが今から楽しみである


小ネタ

・すずめとは「鎮め(地鎮)」であり、「ミミズを食べるもの」でもある

・すずめの瞳にミミズが反射して赤いハイライトが差すのが「すずめにしか見えていない」ことと、揺れがおきるたびにミミズを探してしまうすずめの恐怖をうまく描写していた

・冒頭の朝ごはんがやけに気合入っててこんな朝ごはん普通つくれねーよと思ったら伏線だった

椅子が三本足なのは「三本足でも立って歩いていける」ということ

・昔の閉じ師の本の表紙が「Agarta」(スペル違うかも)と書かれていた(星を追う子ども異世界

2022-05-28

初心者を追い出すような言動やめろって

追い出してるんだが?

初心者迷惑しかいから、界隈を洗練し純化させるためにまさに追い出してるんだが?

先細り結構、俺たちの界隈は俺たちだけで回す

2022-05-12

形に殺意を乗せていない兵器はつまらない

ロボットもの全般がつまらない理由だけど。

真面目に人殺しをしようとすればあの形にはならないはずでしょう。

ヒトの殺意だけを純粋に取り出したらヒト型にはならない。

ヒト型にはノイズが多すぎる。

ククリやカラシニコフバイラクタルTB2には、その形の向こう側の殺意イデアに触れたような気にさせてくれる何かがある。

ロボットもの兵器があのような体たらくから、なぜその殺し方なのか、お前の殺意はその程度かとなる。




追記

おもいのほかトラバブクマあつまったな。みんなサンキュー

戦争で勝つことが目的なら人を殺すより負傷させるほうがいい。1人戦えなくなるだけでなく、傷病兵を運んだり救護したり食糧を与えたりしないといけないので、1人分+αの戦力を奪える。殺意なんかいらない。

これはあるね。

敢えて殺傷力を弱めた地雷だとか、特定遺伝グループだけに発病するウィルスだとかね。

ただ命を数値で計る領域に行くとそれはヒトが抱えられる殺意からは取りこぼれた何かになるよねって気がして、

そのへんに自分フィクションを楽しめるNot for meのラインがあるように思う。

ロボットを楽しめる人とライン位置が違うだけというか。

日本刀の美しさみたいなものもまた殺意領分を超えた別の領域にある気がするなぁ。

ヒトの持ちうる領域内だけで殺意純化させていったような、

怨念傲慢嫉妬みたいなものものもそこに乗ってくるような、

端的に言えば命を刈り取る形みたいなものへの憧憬自分根底にあるかも。

「カエシ」がついてたりね。

2022-03-13

anond:20220313103024

リベラルフェミニストある意味幸せかもな

世の中を「リベラル」と「ネトウヨ」に雑にカテゴライズして、

リベラルにとって都合の悪い事は全て「ネトウヨ」のせい。

深く洞察する過程に至る前にブレーカーが落ちるかのように

思考停止すれば原因究明や責任追及、反省改善といった

頭を使う類いの苦行を行わずして一時の心の安穏を得られる。

リベラル」一人一人の中で「ネトウヨ」の存在はどんどんと

大きくなっていき、その肥大化した「巨悪」と闘う為に

同じような思考パターンを有した仲間達と徒党を組む。

リベラル集団内でエコーチェンバーが進み思想が先鋭化する。

ついていけない人間は篩い落とされて集団純化していく。

ここまで来れば現代理想郷の完成。

陰謀論者や差別主義者はある意味幸せかもな

世の中を「私達」と「奴等」に雑にカテゴライズして、

自らにとって都合の悪い事は全て「奴等」のせい。

深く洞察する過程に至る前にブレーカーが落ちるかのように

思考停止すれば原因究明や責任追及、反省改善といった

頭を使う類いの苦行を行わずして一時の心の安穏を得られる。

「私達」一人一人の中で「奴等」の存在はどんどんと

大きくなっていき、その肥大化した「巨悪」と闘う為に

同じような思考パターンを有した仲間達と徒党を組む。

「私達」集団内でエコーチェンバーが進み思想が先鋭化する。

ついていけない人間は篩い落とされて集団純化していく。

ここまで来れば現代理想郷の完成。

2022-02-01

鈍化と純化、まぎらわしいからどっちか違う漢字にして

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