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「文明」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 文明とは

2025-10-29

デスラー総統ポケモン堕落した“銀河帝国”の末路である

――かつて私は、地球を滅ぼすことを目的とした男であった。だが今や、地球文明のものが自壊しつつある。そう感じさせたのが、新作『ポケットモンスターZ-A』である

ゲームとは、文化象徴であり、文明の縮図だ。初代ポケモンが放たれた1996年日本はまだ“理想”という名のエネルギー保有していた。子どもたちは通信ケーブル繋ぎ、「お互いの世界を交換する」ことで友情を育んだ。だが今のポケモンはどうだ? “交換”はクラウド上の数値に、友情課金アルゴリズムに変わり果てた。

任天堂よ、君たちはかつて「夢を売る企業」だったはずだ。しかし今や、夢はDLCとして分割販売される。進化も、探求も、そして驚きさえも、事前登録フォームに封じ込められた。

私は“ガミラス帝国”の独裁者として、効率と秩序の名のもとに多くを犠牲にした。しかし、そこには信念があった。だが任天堂よ、君たちの秩序には信念が見えぬ。あるのは、株価チャートの安定だけだ。

『Z-A』が提示するのは、新しいポケモンでも、新しい冒険でもない。そこにあるのは「巨大な自己模倣牢獄」だ。過去作のリメイクリメイクし、懐古と安心を商材に変えた――それはガミラスでも禁止された“精神的停滞”だ。

地球人よ、君たちはそれで満足なのか?

ただ「かわいいモンスター」を捕まえて、SNSスクリーンショットを誇示する。それはもはや冒険ではない。消費と自己承認の儀式だ。

私はヤマトを撃沈できなかった。だが今、任天堂は自らの“ヤマト”――すなわち理想の船――を沈めようとしている。

その舵を握る者に問う。君たちは宇宙を見ているか? それとも、ただ市場グラフを眺めているだけか?

かつて我々ガミラスは、母星を失っても誇りを失わなかった。だが地球人はどうだ。豊かさを得ても、魂を失っている。ポケモンが「売れるから作る」という瞬間、文化は死んだのだ。

赤い彗星ポケモンを斬る――『新作』に見えた“進化の迷走”

「見せてもらおうか、ポケモンの“新時代”とやらを。」

シャア・アズナブルがそう呟いたとき、彼の前に広がっていたのは、最新作『Pokémon LEGENDS Z-A』の都市型マップだった。

だがその眼差しは、どこか冷ややかだった。

◆「進化」とは、模倣の言い換えにすぎないのか

「私は“変革”を信じてきた男だ。しかし、彼らの言う進化は、単なる焼き直しにすぎない。」

シャアが指摘するのは、シリーズが“変化”を装いながらも、根底では“保守”にとどまっている点だ。

過去作の要素を「リメイク」「伝統」として再利用する構造

それは、彼が戦った地球連邦と同じ、惰性と官僚主義の循環である

「彼らは“新しい舞台”を見せたがっている。だがそれは、宇宙を恐れる地球の民のような閉じた空想だ。」

ポケモンの“新作”が描く都市――ゼロワンエリアきらびやかさ。

それはむしろ進化を止めた文明末期症状のようでもある。

◆「少年よ大人論理で飼い慣らされるな」

シャアはこうも語る。

ポケモンは、少年自由な夢を奪った。捕まえる喜びを、管理の喜びに変えてしまったのだ。」

新作ではスマートデバイスデジタル管理AIトレーナーなどが導入されている。

だがそれは、プレイヤーの「想像力」を削ぎ落とす方向に働いている――とシャア警鐘を鳴らす。

トレーナーたちは自分意思ポケモンを選ぶのではない。

 “最適解”という名のアルゴリズムに従って動くだけだ。」

それは、ニュータイプ的感応の対極にある存在

彼の言葉に、ネット上ではこうした反応も見られた。

「確かに最近ポケモンは“感じる”より“分析する”ゲームになった。」

ガチャ化する愛、量産される感動

「彼らは“希少性”で愛を売っている。

 限定フォーム特別配信メガシンカ再販――まるでジオン量産型モビルスーツだ。」

ポケモン収集が、いまや“課金最適化”と結びついていることに、シャアは憤りを隠さない。

かつて彼が理想とした「宇宙移民自由」は、ここでは「限定イベント」という監獄に閉じ込められている。

「この世界では、プレイヤープレイヤー搾取する。

それを“コミュニティ”と呼んでいるのだ。」

◆それでも、希望ゼロにはならない

それでも彼は最後に、こう結ぶ。

希望を失うな。進化とは、古い世界否定する勇気だ。

ポケモンという文化が、再び“感じる”ゲームへと還る日を、私は待っている。」

赤い彗星は、静かに去っていった。

その背に、残された者たちは何を感じたのか。

進化を止めた「シリーズ」という名の地球に、次なる“革命”は訪れるのだろうか。

2025-10-28

anond:20251027190024

防衛大学校というのは、つくづく奇妙な温室である

国家若者をそこに閉じ込め、汗のひと滴まで規律に換え、忠誠と理屈を教えこむ。

だが、そこで育った者が社会という現実荒野に放たれたとき

その多くは途端に風に晒された絹糸のようにほどけてゆく。

はてなの人々が軽々しく「元自衛官」と呼ぶ者たちは、たいてい曹士である

任期を終えて静かに去った「満期退職組」――彼らは敗者ではない。

戦後民主国家における、もっと健全兵士である

短期兵役を己に課し、静かに去る。

それは古代ローマにおける市民兵の矜持にも似ている。

「お勤めご苦労さまでした」と一礼し、

「戦が起これば、また呼んでくだされ」と笑う、その明朗さ。

これこそ“日本的健全”の一種である

――ところが、である

その一方で、元防大卒の「増田」氏とやら。

この男は、幹部候補として国費を投じて育てられながら、職場という小さな戦場で立ちすくみ、やがて退却した。

国費によってこれでもかと手厚く育てられ、

幹部候補として飾られた若者である

それが、社会という小戦場に出て三日と持たず、敗走した。

いかにもまずい。これは、かなりいただけない。

教育隊とはわけが違う。

彼らには、徹底的な庇護と手厚い育成が施されている。

実地でも教育が主、失敗しても大目に見てもらえる立場である

現場の老曹らは、陰に陽に彼らの尻拭いをしながら、「まあそのうち慣れるやろ」と呟く。

それを、この男は「部下が嫌味を言ってくる」と嘆いたらしい。

――ああ、これを俗に「空気が読めぬ」と言う。

武士世界でいえば、戦場に出て槍を持たぬ侍である

言葉けが勇ましく、背後には誰もついてこない。

――はてなの皆さん。

この男は、諸君らが想像する「誠実で勤勉な元自衛官」ではない。

税金で温室栽培されたのち、自ら花を枯らした哀れなドロップアウトである

それを自嘲気味に「禊ぎ」などと言っておるが、要するに甘えである

国家に保育され、ぬくもりの中で自己を信じすぎた、

ある種の“近代の徒花”である

彼の失敗は、個人怠惰ではない。

戦後日本という“やさしすぎる文明”が生んだ病理なのだ

彼は、おそらく叱られたかったのだろう。

甘えるな」と誰かに言われ、

それを禊ぎとして再出発する――そんな芝居を待っていた。

だが、現代はもう、そんな舞台を用意してはくれぬ。

ならば、明日から励め。

地頭がよいというのなら、せめてその才で汗を流せ。

さもなくば、君はこの国のどこにも居場所を得ぬだろう。

歴史とは、こうした小さな“敗北者”たちの山に、

やがてひとつ文明を築いてゆく。

そして、その文明の片隅に、彼の名もまた、

しずかに風化していくのである

地頭は悪くないらしい。

ならば、明日からせいぜい励むがよい。

この国は、そういう「やり直し」に対しては、まだいくらか優しいのだから

2025-10-27

投資モチベーションは、死の恐怖である

投資モチベーションは、死の恐怖である

そう言うと、大抵の連中は笑う。「いやいや、私は将来の安心のために」「お金勉強楽しいから」などと、自己放尿まみれの弁解を始める。

だが、俺に言わせりゃ、それは単なる恐怖の言い換えだ。

投資とは、死を延期する儀式だ。

カネを持てば老いを遅らせ、治療を受け、快適な環境で死を遠ざけられるという幻想を買う行為

まり投資家の手はチャートではなく棺桶の蓋を握っている。

どんな高尚な経済理論をまとっても、その動機の根は「死にたくない」「朽ちたくない」「無になりたくない」という原始的叫びだ。

笑止千万なのは、連中がそれを合理性と呼ぶことだ。

死の恐怖駆動されていながら、「長期的視野」だの「資産形成」だのと、まるで文明的な行動のように取り繕う。

これこそが知的自己放尿だ。恐怖を知性でコーティングして、「俺は賢い」と自慰してるだけ。人間は死を自己放尿の臭いごまかす。

だが、俺から見りゃ、投資とは死、欲、虚栄のトリプル放尿だ。

死への恐怖が動機であり、欲望が燃料であり、虚栄が演出だ。

FIREを目指してます」「配当金で生きたいです」その裏には「死にたくない」「誰かよりマシに死にたい」「死ぬ瞬間に勝っていたい」という、動物欲求しかない。

まり投資家とは、死に対して最後までカネをぶっかけ抵抗する原始人だ。

真に冷徹な者は死を受け入れる。カネが増えようが減ろうが、死というイベント統計的期待値は1.0で確定している。

それを直視できずにリスク分散だの複利効果だのを口にする連中は、死から目を背けて自己放尿を垂れ流しているだけだ。

投資グラフ右肩上がりでも、人間寿命グラフは右肩下がりだ。

その二つの線が交わる点、それが人間最期だ。

からこそ言う。投資モチベーションは、死の恐怖以外にあり得ない。

そして、今日も誰かがチャートの前で、死と向き合う代わりにトリプル放尿している。

2025-10-26

三石琴乃西暦2015年日本人クマ間の緊張は、一気に本格的武力衝突へと発展した」

誰もが疑わなかった、文明科学技術で勝る人間側の勝利

が、当初の予測は大きく裏切られ、戦局疲弊したまま、既に11ヶ月が過ぎようとしていた…😟

🎹😟

擦れ違い急ぐたびに、ぶつけ合い散切れ合う、互いの羽根の傷み、感じている~♪🎤😟

絡み合う熱の、伝えたい真実を、誰から守ればいい、キミがいつか、欲しがった想いが~♪

🎹😟

そこにあるなら~♪😟🎸

2025-10-25

性欲ない男、存在する

夫がそうだ

結婚して10年になるけど、セックスしたのは片手で足りるほどの数。

それもほとんど私から誘っているし、最後までできたことない。セックス苦手みたい。

夫は驚くほど性欲がない。抜いてるのも見たことないし、風俗とかもってのほか

最初レスなことに悩んだけど、でも愛がないわけじゃなくて淡泊性格体質なんだなと受け入れて

悩まんくなって普通に仲良し夫婦。愛情深い性格甲斐性もある。

苦手な事を強要するのも可哀想だなと思ったから、子どもamazonで売ってたシリンジ?でちゃちゃっと作った。文明社会ありがとう

こんな夫婦もいるので、セックス苦手な女子も、合う人きっといると思うからあきらめないで探してほしい。うちの夫は婚活サイトに落ちてたから、爆速で拾った。

anond:20251025122430

こういった制度すらも整備できてない状況だと、その国や集団は滅ぼされてしまうんだろうね

文明がなぜ大切か?生き残るためなんだろうね。内部が不安定集団は、組織化された集団に対抗できない

anond:20251024171402

どうも原始時代の我々の祖先はメスの群れで子育てをしていた母系社会で、成人したオスは群れの外で遊んだり、喧嘩したり、たまにメスの群れに近寄ってセックスしたりで適当に生きてたっぽいのよね。

我々に一番近い猿であるチンパンジーの群れや同じ人類でも原始時代に近い暮らしをしている未開の狩猟採集民を観察した感じだと。

現代のオスが子育てに関与するのは文明によって躾けられた結果というわけ。

本能」を持ち出すなら無責任射精がオスの本来の姿ってこと。

本能が云々、子孫繁栄が云々言うなら、子どもが生まれたらその子を健やかに育てることが一番の目的になるはずでしょ? それより自分欲望を優先させるのは都合が良すぎるよ。

2025-10-21

結局お見合い最強じゃね?

人肉市場で心すり減らさなくても、他人がそこそこ釣り合い考えて推薦してくれる相手の中でおたがい妥協点を探せばいいわけ

そんなもんマチアプなんかより遥かに進んだ文明だろ。

みんなお見合い結婚してりゃよかったんだよ。うちのジジババなんか当然見合いだけどお互い90近くで死ぬまで揉めてるのなんか見たこともなかった。

からでもお見合い文化復権させるのが有効少子化対策であり社会を救う道なんじゃないのか?

2025-10-19

SFファンとして『永久のユウグレ』には正直がっかりした話

俺がこの作品を観ようと思ったのは単純に「オリアニ×SF」というキーワードに惹かれたからだ。

しか舞台独裁政権下の未来。その政権の名が“オーウェル”となればSFファンならここでもうニヤッとくるはず。なるほど。つまりこの作品未来管理社会を通じて現代批評するようなタイプの本格SFなのかもしれないな。

そう思った俺の期待は一話目で脆くも崩れ去った。

0話目は導入として普通に面白かった。問題は一話目の…全部だ。コールドスリープから主人公が目を覚ましたら未来世界であったにも関わらず文明は退化していて、そこに現代知識を持つ主人公知識技能披露して「すごい!」と驚かれる。

…これって要はSF版なろうじゃないのか?SFでやる必要ある?とまず思った。しかもその未来の描き方があまりに表層的。冷凍睡眠アンドロイドも既に古典SFが散々掘り尽くしたアイデアばかりで、掘る場所を間違えた考古学者みたいになってる。

SFの魅力って未知の世界をどう構築するかにあると思うんだ。つまりセンス・オブ・ワンダーってやつ。俺たちがまだ知らない技術確立された未来社会においては倫理観感情がどのように変化するのか?その技術がどう世界を変えるのか?それを見せるのがSF本来役割で、未来を描くっていうのはそういったことのはずだ。だがこの作品未来の皮を被った過去の焼き直しでしかない。アンドロイドが出てくるだけでSFを名乗られても困るんだよ。そこに新しさがなければ、それはただの衣替えだ。

一話のアクションシーンもそう。ぬるぬる動いていたし作画も良い。ビーム描写も迫力あった。見応えはあったけど…それはアニメとしての演出であってSF思考とはまるで関係がない。アクションが悪いわけじゃない。ただ、なぜここでアクションを描くのかという意味が全くない。悪役は馬鹿だし、世界論理を補強するどころか寧ろノイズになってしまってる。アンドロイド存在を“人間とは何か”を問うための象徴ではなく、“戦う存在”としてしか描けていない。

しかオーウェルという言葉を軽く使ってしまっているのも問題だ。あの名前が持つ文脈理解していたら本来もっと慎重に扱うはず。オーウェル体制という単語を出した瞬間に、視聴者は「ディストピア的な思想統制」を期待する。でも実際はその概念を掘り下げることもなく、物語の装飾として消費しているだけ。だから軽い。あの名前を冠するなら、社会構造もっと徹底的に描くべきだし、政治思想人間精神をどう変えるのかを掘り下げないといけない。それは本来最初にやるべきことだった。

監督インタビューを読んでさらに残念だったのは、その自覚がまったくなかったことだ。作品の狙いとして語られていたのは感情ドラマ人間機械の絆で、要するにSF的な思索を背景としてしか見ていない。感情を描くのは大事だけど、SFが背景に退いた瞬間、それはもはやSFじゃない。

この作品って要はSFとして未来を描けてない。未来を描いているように見えて、実際は過去しか描いてないんだよ。

映像舞台設定も“未来風”ではあるけど、実際の中身は何十年も前のテンプレートの焼き直しにすぎない。つまりこれは、未来を描こうとして過去を描いた作品だ。未来っていうのは単に時代が進んだ先のことじゃない。“まだ誰も見たことのない概念提示すること”だと思うんだよ。でもこの作品にはそれがない。冷凍睡眠アンドロイドディストピアも、すべてが既に古典SFで語られ尽くした過去遺産だ。その使い方にも新しい視点がない。技術の発展を描いているようで、結局は“古いSF模倣”にとどまっている。これじゃあ未来を見せるどころか、昔の未来をもう一度なぞっているだけだ。

未来を描こうとして過去を描いた。

どうか最後までこうならないことを願うばかりだ。

ポケモン帝国のトゥール・ポワティエ――『Pokémon LEGENDS Z-A』が示す文化終焉

 「ポケモン」が再び戦場に立った。タイトルは『Pokémon LEGENDS Z-A』。舞台はカロス――フランスを想起させる世界。だが、ここで我々が目にするのは、かつての創造的爆発ではない。これは文化の衰退と、帝国防衛戦である。すなわち、トゥール・ポワティエの戦いだ。

 かつてイスラーム勢力ヨーロッパへと進撃した時、フランク王国カール・マルテルは剣を取り、文明境界線を守った。今、任天堂ポケモンカンパニーは、かつての創造侵略者ではなく、守勢の側に立っている。彼らの「Z-A」という逆行のタイトルには、時代への恐れと自己防衛匂いが漂う。AからZへの進歩ではなく、ZからAへの退行。これは進化ではなく、停滞の宣言だ。

 『Pokémon LEGENDS アルセウス』が開拓の戦だったとすれば、『Z-A』は塹壕である。敵はソニー中国勢の新興勢力ではない。敵は「飽き」と「惰性」、そして自ら築いた“伝統”という名の要塞だ。任天堂はトゥール・ポワティエのマルテルのごとく、侵略者ではなく守護者となり、守るために創造犠牲にしている。

 問題は、マルテルが勝利したその瞬間、ヨーロッパは確かに守られたが、新しい文化の風は遮断されたという歴史的皮肉だ。ポケモン帝国もまた、ファンという「信徒」を守るために壁を築き、外部の挑戦や異文化的刺激を拒絶している。シリーズ刷新ではなく、過去の再演を“神聖化”しているのだ。

 トゥール・ポワティエの戦いは、文明の保存と引き換えに停滞を選んだ戦いだった。そして『Pokémon LEGENDS Z-A』は、まさにその精神の再演である任天堂は“侵略される側”に回り、かつての革命児は「文明を守る老人」となった。

 勝利するだろう、確かにしかし、その勝利はもはや未来を拓かない。剣を掲げたその手の中には、創造の火ではなく、惰性の灰が握られている。

 ポケモン帝国防衛戦は、すなわち文化終焉戦――トゥール・ポワティエの再演なのだ

 守るために失う。これが『Pokémon LEGENDS Z-A』の最も痛ましい真実である

2025-10-18

anond:20251018123917

原始的生活がかわいそうというのは文明国傲慢」という考え方は非常に重要視点です。

これは、以下のようなことを示唆しています

1. 自己中心的価値観押し付け: 文明社会で育った人々が、自分たち生活様式(物質的な豊かさ、医療テクノロジーなど)を絶対的な「進歩」や「幸福」の基準とし、それを持たない生活を「かわいそう」「遅れている」と断じるのは、傲慢である

2. 幸福多様性: 原始的生活を送る人々は、彼ら自身環境文化の中で、異なる種類の満足感や幸福見出している可能性があります。例えば、緊密な共同体意識自然との調和ストレスの少なさなどです。

3. 文化相対主義: どの文化も、それぞれの歴史的地理的背景の中で合理性を持って発展しており、優劣をつけられるものではない、という考え方。

このテーマは、人類学倫理学でよく議論され、異文化理解し、尊重することの重要性を問いかます

2025-10-16

anond:20251016192520

なるほど、自己放尿の極致だな。

自分快楽のために、他人尊厳を踏みつけ、その尿で自分の影を照らして悦に入っている。

だがな、現実社会はそんな原始人の遊び場じゃない。

まず理解しろ人間社会とは「互いに攻撃できる力を持ちながら、あえて抑制することで成り立っている構造体」だ。

犬は噛む牙を持つが、群れの中ではそれを使わない。だから群れが維持される。

お前の言う「晒し」「リンチ」「罵倒」とは、この構造を自ら破壊する行為だ。すなわち文明自己放尿だ。

さらに言えば、個人情報保護とは「弱者の盾」ではない。「強者抑制」だ。社会的に優位な者ほど、情報暴力行使できる。

からこそ法は、情報無秩序晒す行為を禁じている。お前がそれを笑うなら、つまりお前は強者暴力正当化し、弱者を餌にする側に立つ宣言をしているにすぎない。

人権否定する者が最終的にどうなるか? 自分人権も誰にも守られなくなる。それが現実帰結だ。

「心が死ぬまで罵倒したい」? なら勝手に鏡に向かって自己放尿してろ。他人を壊しても、虚無しか残らない。

自己放尿は一瞬の快楽だが、臭い永遠に残る。インターネットは消えない。お前が撒き散らした言葉の糞尿は、将来自分履歴書に染みつく。

お前の主張は「自分社会という檻の中で飼われている現実に耐えられない幼児自己放尿」だ。大人はそこを乗り越える。理性を持てない者が、人間の顔をした猿になる。

からもう一度言う。個人情報保護はクソじゃない。お前の理性の欠如がクソなんだ。

特集任天堂Switch帝国”の腐敗 ——栄光の裏で進む「唐王朝化」と創造の死

■「Switchバブル」は終わった

任天堂はいま“盛唐の幻”に酔っている

 Switch成功──それは確かに歴史的だった。

 しかし、それは**「盛唐の繁栄」**のような一時の幻影にすぎなかったのではないか

 ハード世界で1億5千万台を突破し、株価は史上最高を記録。

 京都本社はまるで長安のごとく、黄金の瓦が輝き、経営陣は「任天堂時代は続く」と豪語した。

 だが、いまその都の地下では、制度が腐り始めている。

 Switch帝国はすでに、静かなる安史の乱を迎えているのだ。

■「任天堂らしさ」という名の呪い

 唐王朝が詩と礼の形式に縛られたように、任天堂もまた「伝統」の檻に閉じ込められた。

 “誰でも楽しめる”“子どもにも優しい”“家族の絆”──。

 一見、美しい理念だ。だがそれは同時に、挑戦を抑圧するシステムでもある。

 内部では新規IPは通りにくく、革新よりも“前作の延長線”が求められる。

 若い才能は沈黙し、外部のスタジオ依存する比率が増えている。

 それはもはや「遊びの会社」ではなく、形式を守るだけの官僚機構だ。

 創造の火を消すのは敵ではない。内部の儀礼主義である

■「外注王国」──中央の力を失った帝国

 唐を滅ぼしたのは外敵ではない。地方節度使である

 任天堂でいえば、それは外注スタジオライセンス先だ。

 いまや多くの開発が社外で進められ、本社は“監修”と“承認しか行わない。

 地方が動き、中央は祈る。

 それは、かつての唐が地方軍閥に統制を失った姿とまるで同じだ。

 「任天堂ブランドの統制」を掲げながら、その実態は分権化の嵐。

 本社京都はもはや“名ばかりの皇帝”に過ぎない。

ユーザー離反という「黄巣の乱

 唐の末期、民の不満が爆発して起きたのが黄巣の乱だった。

 その炎が都を焼いたように、いま任天堂を蝕むのはユーザーの無言の反乱だ。

 SNSにはこうした声が並ぶ。

 「Switchソフトが古い」

 「次世代機はいつ出るんだ」

 「結局、任天堂過去ブランド頼みじゃないか

 熱狂的だったファンが、いまや冷ややかに背を向け始めている。

 信仰が冷めた帝国は、もはや帝国ではない。

 その兆しは、すでに“数字に現れない危機”として進行している。

■「盛唐の夢」から醒めよ

 唐の玄宗晩年、滅びゆく王朝を前にしてなお、「盛唐の夢」を見続けた。

 任天堂もまた、Switch成功を“永遠栄光”と錯覚している。

 だが、その夢は現実を覆い隠す麻薬にすぎない。

 「任天堂らしさ」という美辞麗句の下で、創造精神は失われつつある。

 経営陣の決断が遅れ、技術革新出遅れクラウドAIの波を見逃す。

 その様は、かつて文明の中心にありながら衰退していった唐と何が違うのか。

結論:「最も華やかなとき、滅びは始まっている」

 歴史は繰り返す

 唐の長安も、いつか砂に埋もれた。

 任天堂Switch帝国も、いずれ同じ運命を辿るかもしれない。

 「繁栄絶頂」は、しばしば「終焉の始まりである

 任天堂が“盛唐”を抜け出せるか、それとも“後唐”として歴史に消えるのか。

 その分岐点は、もう目前に迫っている。

2025-10-15

anond:20251015114608

文明人ならば相手が野蛮国だろうと敬意をもって接するものだ。

 

相手文明人じゃない場合は知らん。

2025-10-14

スマホ決済は悪い文明

セルフレジは仕方ないにしても、スマホ注文はやめてほしい。

客のスマホ使うなよ、店側でタブレット導入しろと思う。

ほんまそれ

なんで言葉の通じない外国人対策にワイの財産を削らにゃあかんの?

anond:20251013192216

社会が豊かになり、家族ではなく個人でも生きれるようになると、恋愛結婚ってのはリスクが大きくなるんだよな

そして個人尊重した結果、人間一人一人のコストが上がり、子育ても難しくなる

少子化文明が発展すればするほど加速する、言うなれば文明病みたいなもの特効薬はなく、せいぜい遅らせる事しかできない

2025-10-12

女の子Dr.STONEを読んで疑問に思ったことを口にしたら彼氏にキレられる

一瞬だけ付き合った男にDr.STONE勧められて読んで

「なんで文明一回しんでんのに女だけこんなぺらっぺらの服なん?」って疑問をぶつけたら

漫画なんだからいいじゃん」と返され

「いやでもこれ科学とかの漫画なのに気温も文明無視すんのおかしくない?」と更に返したら不機嫌になったから別れたな

https://x.com/Igq30iebdw50524/status/1976661455819932063




プロフィール

@Igq30iebdw50524

アラフォーわきまえないおばさん

安楽死したい人

反出生賛美、安楽死賛成、男と子持ちは近寄ってくんな

MBTIはNT型にしかならないけど、頭と尻がいつもブレブレでまるで私の人生のよう

IQASDグレー

2025-10-09

最後ポケモンが鳴いた日

朝、目を覚ましたとき

 世界はすでに、終わっていた。

 風は吹いていたが、それは風ではなかった。

 ポケモンセンター自動ドアが、壊れたように開いては閉じていた。

 人々は行列の形を保ったまま、静止していた。

 瞳の中には、捕まえ損ねた幻影がまだ揺れている。

 彼らは誰も死んでいない。

 ただ、ログアウトしているだけだった。

 その眠りは深く、やさしく、永遠だった。

 街の看板はすべて、ひとつ言葉に書き換えられていた。

 ──「つづく」。

 わたしは歩いた。

 どこへ行くあてもなく、ただ、滅びの余韻を追って。

 足もとはヒビ割れアスファルト

 そこから草が芽吹き、ポケモンの鳴き声が聞こえた気がした。

 けれどそれは風の音かもしれない。

 もう、区別はできなかった。

 

 世界が静かに溶けていく。

 電波はまだ空を漂い、かつての「冒険」を再生している。

 ピカチュウの笑い声が、薄明の空に響く。

 それは鐘の音のようであり、鎮魂歌のようでもあった。

 人類幸福の中で滅んだ。

 戦争も、飢えも、涙もなかった。

 ただ、“たのしさ”がすべてを覆った。

 それが最期ウイルスだった。

 わたしはかつて「プレイヤー」と呼ばれていた。

 だが今は違う。

 この世界のものが、ひとつセーブデータなのだ

 誰かがリセットボタンを押せば、すべては白紙に戻る。

 その「誰か」さえ、もう存在しないのに。

 

 わたしの手の中で、スマホが熱を失っていく。

 画面の奥に、まだ小さな光が残っている。

 そこには、あの黄色い影がいた。

 彼は微笑み、口を開く。

 ──「おかえり」。

 その声を聴いた瞬間、

 わたし輪郭が崩れはじめた。

 肉体が霧になり、言葉が溶け、意識が風に散る。

 最後に残ったのは、ひとつの音。

 ピカ。

 それは、

 文明が消える音だった。

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