はてなキーワード: 下働きとは
好き嫌いは置いといて、「中韓アニメなんてダメでしょ、いつまで経っても成果でないじゃんw」みたいなアニメオタクがマジ理解できないんだけどなんなの…?
あと面倒だから「オタクはさあ」ってクソデカい主語で話すけど、当然そうじゃない人もいるのはわかってるよごめんね
20年くらい前って「クレジットに中国・韓国系の名前が載ってたら出来が悪い」みたいな罵倒の仕方されてたでしょ?
オタク界隈そこまで詳しくないから分からんけど3文字作画?3文字クレジット?みたいなレッテル用語があった覚えがある
アニメの作り方考えたら絶対そんなことは言えんのよ。遥か昔から中韓の力が無きゃアニメなんて完成しないんだから。でも当時はとにかく見下されてた。
そこから少し時代が下ると、今度はネットのオタクの間で「中韓がなきゃアニメは完成しない」みたいな話は聞かれるようになってきた。
でも、中韓のアニメに関しては「いや下働きでしょw あいつらがアニメ作れるわけないじゃん」みたいに見下す人がいた、というか見下す人が大多数だった気がする
ちょっと考えれば分かるけど、仮に2原動仕の下働きだとしても中韓に技術やノウハウが蓄積されていくのは明らかじゃん。
日本国内でも動画やって→2原やって→原画マンになっていくんだから、その工程を海外にお願いしてれば海外が成長しないわけないじゃん。
これで「一生下働きでしょw」みたいな発想が出るのが理解できない
ネットは未だにここら敏感な子がいるから念のため断っておくけど、別に中韓を担いだり絶賛したい訳でもない、日本下げしたいわけでもない。
でも、「ずっとやってればノウハウも貯まるよね、そりゃあそうだよね」っていう超シンプルな考えが、なんで出てこないのかがさっぱり分からんのよ
なんでオタクは頑なに中韓のアニメを見下してたんだ…?からのなんでいまも見下してるんだ?と20年ずっと疑問でしかない
作画オタクとかなら知ってるんだろうけどこの時期にはもう中韓でバキバキに巧い原画さんとかいたからね
クレジットに中韓の名前があるアニメがクオリティが低いとか言われてたのは、あれ中韓だからじゃないんだよ
ギリギリで大量に海外にばらまいて人海戦術でどうにか形にせざるを得ないスケジュールがぶっ壊れてるからクオリティが低いんだよ。
スケジュールがぶっ壊れてたら中韓だろうと日本だろうとクオリティは出ないよ
まあいいや話を進めて
そこから少し時代が下ると中韓のアニメが少しずつ日本の地上波で放送されるようになってきたけど
アニメオタクは「やっぱ中韓のアニメってクオリティ低いなwwダメだこいつらwww」みたいな反応ばっかり。
もちろん、つまんないもんは「つまんない」で良い、クオリティ低いもんは「低い」でいいんだけど、ちょっと前まで「中韓に独自のアニメなんか作れるわけないww」って言ってたのが、実際作って日本で放送するまで来てるなら、じゃあその推移の延長線上をみたら、いずれ成長して良いアニメを作る日が来るのは見えるじゃん?
当時ちょっとネットの掲示板とかでそういう話とかもしたけど「中韓のアニメの質が上がるわけない、絶対上がるわけない、お前は中韓の工作員」くらいの話ばっかりされたよ
そこからまた時代は下って、日本に入ってくる中韓のアニメも作画はだいぶ向上して、映像としてはかなり見れるようになってきた
ここまでくれば中韓のアニメが成長してること、今後も成長するだろうことは目に見えたろうと思ったら、
まだネットのオタクは「作画はマシになってきたけど中韓はストーリーが作れないからさあ」「演出なんか日本の丸パクリじゃん」とか言ってんの
いやそんなの目に見えて成長してるならその推移を延長したらいずれ克服しうるのは分かるじゃん
絶対に克服する!なんて言わないよそりゃ、中韓を担ぎたい訳じゃないから
でも「絶対ありえねーwww」みたいな空気はおかしいでしょ、実際成長して来てるんだから
そこからまた時代は下って、いよいよ中韓独自の演出や作画も育ってきた
羅小黒戦記のように、「普通に出来良いよね」ってカタチでそこそこでもヒットするアニメもでてきた
そろそろ中韓のアニメが育ってることを否定は出来んだろうと思ったらそれでも否定してんの
そこからまた時代は下って今に至って、天官賜福他のような、中韓生まれ中韓育ち、原作も監督も演出も作画も中韓、みたいなアニメが普通に日本のアニメと並び放送されてる。
でもまだネットのアニメオタクは中韓アニメをあまりに軽んじてるの何なの?
今は「中韓は今に下り坂になるからさあ」とか「武侠物しかないからさあ」とか言って否定してんの
じゃあいずれ武侠物で超面白いのが出るかもしんないじゃん、武侠物だからwは何に依って何を否定してんだよそれは…
ここで再確認するけど、別に中韓を担ぎたい訳でも絶賛したい訳でもない
だから、「普通につまんねえ」ってのは全然いいと思う。「俺は中韓嫌いだから見ない」も良いと思う。「興味ない」も良いと思う。
そこらは個人の評価の話だからマジで自由でいいと思うけど、成長してることは否定しようがないし、その延長線上で更に成長する可能性は大いにあるわけでしょ
それをなんで軽んじてんの?
いやどんどん成長しとるがな!!
もちろん20年間ずっと同じ個人が発言してるわけじゃないから、こう言ってもあまり意味がないのかもしれないけど、漠然としたアニメオタク界隈という集合のもつ空気として「だから中韓のアニメはダメなんだよw」ってなんで言えるのかがわからん。
いや成長の一途じゃん、否定するための理屈がどんどん後退してってるじゃん。最初は「作れるはずがない」だったのが「作れるけど質が低い」になって「質はあるけど日本のパクリ」になって「オリジナリティも出てきたけど将来性がな~」になって、どんどん後退してるじゃん。
これ普通にこのままの推移で考えたら(今後も発展していくだろうし、ストーリーのバリエーションの弱さとかもいずれ打開するだろうなあ)ってなるんじゃないの?
それを褒めたたえろってんじゃなくて、「今後も成長して今抱えてる課題も克服するかもなあ」くらいの理屈もなく叩き続けてる子には何が見えてるの?
AIをネタに月100万稼ぐ人の記事にグズグズ文句垂れるブコメがたくさん付いてたの見て思った。
現状、俺の認識としては「AIは使い方を考えれば使えなくはないがIntelligenceは無い」って感じ。
件の記事の人も、AI使って何か作ってるのではなく、「AIの扇動をして稼いでる」わけだ。
それが悪いとは思わないし、ずっと続かなくたって半年でも次に何かやる種銭としては十分な額が溜まる。
ただ、「これがAIの現状だよな」とも思う。ちょっとしたタスクを処理する下働きにはなれても、AIが仕事をするというには程遠い状況。
大金を食い潰しながら「売り物になるAI」を作ろうとしている人達が「今売れるモノ」として出品している中途半端なモノを掲げながら
「AIはこんなに使えますよ!」って扇動するのが今一番儲かる仕事。
「AIで何を為したか」ってのはホントに情報が出てこない。フレームワークのセットアップが楽にできましたとか、
サンプルプログラムを簡単に組めましたとか、そういう話は大量にあふれてるけど、実務で使おうとするといろいろ粗が出てくる。
使えないわけではないけど、作り手や扇動家がいうほど便利でもない。そんな感じ。
ただ、作り手や扇動家はしばらく止まらないだろう。既に大金食い潰して走っている最中だから。
AIを作る人たちは、汎用AIは諦めて特定作業に特化したAIで目先の成果を出して投資を呼び込み続ける方針にシフトしている。
目先の成果として汎用AIは碌な成果を出せないって事は作っている当人たちが一番わかっているんだろう。
それでも今まで食い潰した大金に見合う成果を出さなければならないから、食いつくしつつある学習データの大量確保が見込めないから、
対応するタスクを絞って「AIはこんなことが出来ますよ!」って扇動するしかない。
それでも、完全に鎮火したVRにイノベーションはあまり起こらないのと違って、まだ絶賛バブル中のAIは何か起こるかもしれない。
AIに食い潰されてる金は俺の金じゃないので存分に食い潰し続けてもらって、俺にもメリットのある成果が出せるようになってほしい。
コード生成という用途を限定したAIをどうにか使えるようにしようと頑張ってる人たちがいる。
そういう人達の謳う将来は「直接のコーディングはAIに任せて人間はマネージャーに徹する」というものだ。
それを聞いた時に掲題の疑問が湧いた。
すでに現場を経験済みでAIの出力の良し悪しを判断できる今のソフトウェアエンジニアはいいが、上記の将来に達した時の新人ソフトウェアエンジニアはコードの良し悪しを判断できるだけの経験をどこで積むのだろうか?と。
座学は重要だが、座学だけで一人前になれるなら苦労はない。
マネージャーはもう既にAIという下働きを労働基準法など関係なくぶん回してガチャを回す体制に慣れきっているので、AIの代わりに人が働いて経験を積むことはできない。
経験を積む前に潰れてしまうか、AIよりパフォーマンスが悪いから見捨てられてしまう。
ガチャをいくら回そうが、そのガチャの結果を判別できる人がいなくなっては意味がないのではないか?
現状のAIは使えないってほどでもないんだけど、「共に働くパートナーとしての知性」は全くない。
使う側が細かく指示を出して結果を添削するっていう「道具」の範疇を抜け出せない。
そういう問題の突破口として「用途を限定して最適化する」という方針で突き進んでいるのがAIの現在の状況。
画像生成、動画生成、文書生成、プログラムのコード生成と、用途を分けて「専門作業だけはなんとか下働きになれる」という感じ。
個人的には「これのどこにIntelligenceがあんの?」と感じるが、用途はなんとか見つけられそうだとも思う。
AIを売る側もいつまでも予算を食い潰して研究開発だけやってるわけにもいかないし、今までの投資に見合う成果を示さなきゃならない。
仕方のないことではあるんだけど、「なんで売り手の実験に客が金払って参加させられんのかな?」とも思う。VRの時も似たようなこと感じてたらあっちはもう完全に下火になっちゃったけど、AIはいつか少しでもIntelligenceを獲得できるのかな?
驚いたよ
君の政治への取り組みは知ってたよ
そう思ったね
仕事もある
家族もいるだろう
家のローンはどうした?
考え直せ、今ならまだ間に合う
でも分かったよ
政治への道は限りなく狭い
運よく地区の推薦をもらい、
やってらんないよな
でもやろうとしたことは知ってる
そんな活動は好きなんだろう
いつも笑顔でいたもんな
それでも地域の有力者は味方になってくれなかったな
くやしいよな
みんなみんな敵だっただろう
二言目には仕方ないんですよと茶を濁す奴ばかり
酒が入ってても異常さを分かってくれたのは、
都会から赴任してきた人たちばかりだったもんな
みんな数年でいなくなっちゃうよな
さびしいよな
話を聞いてくれた
応援もしてくれた
それが参政党だったんだよな
君がまた次回、
この閉塞した社会を変えようと
少しは希望を持てるようにと
そう言って選挙に出るなら僕は手伝うよ
でもN党だけは止めてくれ
僕は年寄りを転がすのは上手なんだ
ずっと僕は応援するよ
アマテは、学校にジュニアMSやホモアビスの大会の「準」優勝者が現れるなどして、「移動の自由」を両親から奪われ、焼け太りするサイド6の役人になるレールが敷かれてきたことを悟るエピソードがなければならなかった。
アマテが、機能安全に頼るコロニーの脆弱さに我慢がならない自分に気づくこと、そうした危険が「自由であること」と釣り合うように選べなければならない……と感じている自分に気づくことが、ニャアンとの出会いをもたらすのでなければならなかった。
ニャアンは、「ブツの運び屋」だけでなく、中古MS整備工場での下働きにより、整備士としての技能を身に着けようと必死でなければならず、それはシュウジの赤いガンダムを整備するためでなければならなかった。
アマテは整備の重要性を知らないまま、「エース気取り」であることをニャアンに非難されなければならず、実際にカネバンの整備不良で酷い目に遭わなければならなかった。そしてその結果、ニャアンがジークアクスと赤いガンダムの両方を整備するようになる……のでなければいけなかった。
航続距離の長い船……特に大気圏降下能力のある船が、民間で入手できてはならないため、二人の入手目標は(とりあえず)バンチ間を移動できる程度のボロ船でなければならなかった。それもネットで買えてはならず、入手寸前までいったのはニャアンの尽力(移民人脈)によるのでなければならなかった。
アマテの中で膨れ上がる「外」への飢えが、ニャアンだけでなく、エグザベ、シャリア、ソドンのクルー等との会話に現れていなければならなかった。(出身コロニーや木星について質問攻めにするなど)
アマテはかなり早い時点でシャリアに出会っていなければならず、その際に正体を看過していなければならなかった。(シャリア・ブルは非公表かもしれないが有名人ではあるはず)
超大型可変MSは、NTでも強化人間でもない優秀な搭乗員(複数名)によって運用されなければならず、キシリアへ迫る脅威に緩む要素がないことを見せなければならなかった。
シャリア・ブルのキケロガは、超大型可変MSに対しコロニー内で活躍してはならず、これによりジークアクスに示唆や助言を与えねばならず、ソドンは自力航行できなくなるほど痛めつけられねばならなかった。(キケロガで牽引するなどしてコロニー内から退場)
超大型可変MSは、単騎で多数の砲門を有すために投入されたこと、しかし個々の砲門の火力は制限されていることを、明瞭にしなければならなかった。そして、ジークアクス&赤いガンダムによってキシリアから引き離され、劣勢となった時点で、コクピット(頭部)を分離し、コロニーの壁に(別動隊の爆破工作で)空けた小穴から脱出するなどして、正規部隊の丁寧な作戦であったことを見せなければならなかった。
この戦闘の結果、シャリア・ブルの評価は下がらなければならず、それにより、若い世代である三人の活躍を引き立てなければならなかった。
ゼクノバをはじめとする地球~月圏に脅威が迫るレベルの超自然的諸エピソードは、アマテやニャアンの力が及ぶスケールと合わず、無理に絡ませると不自然になるから、入れるべきではなかった。
シャアの再登場エピソードは、シュウジの出自や(それまでの)行動の理由を明らかにするものでなければならず、同時にシャリア・ブルを失望させるものでなければならかった。
ララアが洞察力のせいで自ら動かない選択をしているのであっても、アマテは否定する姿勢を見せなければならず、またその結果としてジークアクスを降り、ニャアンと共にいることを選ぶ結末でなければならなかった。
見る価値は、そのセットや衣装の仕上がりや、人気イケメンキャストの頑張り、田中泯の迫力演技、高級感のある画作り、迫真の手を抜かなかった演技だろう。
もちろん本物の歌舞伎役者ではないので技術的な面では劣っていると素人目でも思う部分はあった。
ただしそれも別にマイナス点ではなく、一朝一夕にはいかない部分であり、ああ歌舞伎役者ってすごいんだなと思う部分にもなっている。
この作品を絶賛する人がいるのはよくわかる。
ただ、個人的にはどうも人間性がよくわからない映画に見えてしまった。
展開的にはベタとも言える感じでギャグにすらなりかけている。昭和元禄落語心中の作りに似ているのだが、あれが原液で10倍に薄めた感じだ。
おそらく長い原作を3時間以内に収めようとした結果なのだろう。
感想を見ると指摘する人もいるが庇う人もいる。
庇う人の意見は「梨園の世界だから女性の扱いが悪いのは仕方ない」とか「男同士の熱い思いだから女性はいらない」とか「昭和時代だから」とかそういうのだ。
ただ「あの世界は女性の扱いが悪いのは当然」というのを観客に思わせてしまうのは一体どうなのかと。
そして問題は「女性の葛藤が描かれない」「都合のいい記号的な存在」として演出されたことだろう。
この映画、主人公がかなり冷淡なのだが、周囲の人物の熱さや苦しみを描かないので、どのキャラにも冷淡な扱いを感じてしまう。主人公とライバルになるキャラですら、もっと掘り下げがほしいと感じるのだ。
主人公は好き勝手して、そこに女性を巻き込み、どう見ても不幸にしている。周囲の女性も耐え忍ぶ女性ばかりだ。泣きわめきもしないし、誰も彼女たちを心配もしない。彼女たちから怒りすら見えない。
ただそこからこの映画がいわゆる「バッドエンド」になってくれるか「ヴィラン誕生」とかになってくれれば、それも美しい物語になれたかもしれない。
しかしこの主人公は、最後の最後に、不幸にした女性に突然脈絡もなく許される。
原作では許すキャラが変わっており、映画のオリジナル部分となる。
ここで減点4億点がつく。なぜ変えた。なぜその最悪の選択肢をとったのか。
もちろんこの感想はある一人の感想なのだが、作品の観客は年配層中心らしい。年配はこれをスルーできるのかもしれないが、個人的にちょっとスルーできない気持ち悪さがあった。
これがもし20年前の映画であれば「昔はまぁこういう描き方されるよな」と思えたし昭和なら「すごい映画だな!」と手放しで褒めることができた。
しかし令和7年ともなってこの表現が来ると、戸惑いのほうが強く覚えてしまう。
制作陣が一番その辺どうでも良かったのではないか?あまり考えていない気がする。
これをフェミの意見だとかなんとかくさす人も居るかもしれないが、別に歌舞伎界が女性のことを下働きとしか思っていないことをはっきりさせられて、感動するような感性ははっきり言って持ち合わせていないし。
前の会社を辞めて、約十年少々。年度末ということで振り返ってみたい。私がまだ20代前半の若かりし日のことだ。
大学を卒業して、新卒で入ったのがその会社(以下D社)だった。私が入社した頃がちょうど、D社が経済社会の中でノッてくる時期だった。
自分語りだけど、準MARCH的な目立たない女子大に通っていた。D社の入社試験を受けてみようと思ったのは、なんとなくだった。
リクルートは仕事に全振りしてる人が多そう、旅行業界はインドアの自分にはちょっと、メーカーは父が苦労していたのを見ている、飲食業界が地獄なのは身に染みて知っている、という具合に就職マップの本を見て絞っていった。残ったのがゲーム・エンタメ・ITの世界だった。
在学中にD社のサービスを体験していて、悪くないなと思っていた。面接試験は自然体が大事で、「自分の想いを素直に話して、それで落ちたのだとしたらwinwin」だと思っていた。本の受け売りだけど。
それで、淫キャラである自分が受かるかどうかは不安だったけど、D社とK社のふたつから内定をもらった。面接では、自分の魅力をアピールできたと思う。
私はD社の採用パンフに載っているキラキラした人ではなかったけど、嬉しかった。一週間ほど悩んで、D社のオファーを受けた。
その会社では、ソーシャルゲームを開発する部署に入った。開発といっても、実際のプログラミングといった手を動かす仕事は委託先がやってくれる。企画開発がメインだった。
ソーシャルゲームという言葉はまだ一般的じゃなかった。世間でそう呼ばれ始めた頃だったかな。いろんな会社が、DeNA(怪盗ロワイヤル)に続けと雨後の筍のように湧いていた。
新入社員の頃は、どうだったかな。研修はあまりなかったと思う。今だったら半年はやりそう。ベンチャー企業らしく、良くも悪くも飾らないシンプルな研修だった。
配属当初も、ゲーム開発をがっつりやるわけではない。座学だったり、現場職場や協力会社の見学だった。会議や打合せの端っこに混ぜてもらって、「増田さん、とりあえず意見を笑」みたいに振られることもあった。できるだけ率直に思ったことを述べていた。
デバッグはよくやった。専用の画面でソーシャルゲームをするのだが、開発段階なので不具合が多数ある。そうなると、エンジニアの人がコードが入った画面をババッと開いて、適宜修正を検討する。当時は何もわからなかった。今はコードを読むことならできる。
Q&Aの仕事もやった。今でいうCS部門(カスタマーサポート)である。
文章を作る力は、わりと評価されていた。中学生や高校生と思しき人が、よくわからない問い合わせメールを送ってくるけど、粘り強く取り組んで、一件一件解決していった。速度は遅かったけど、チームリーダーに褒めてもらえた。
意外な学びもあった。実際のCSのやり取りで中学生かな?と思っていたら、40代のおじさんだったりすることがよくあった。ゲームアカウント名は、子どもが名付けそうな名前(卍卍卍侍 侍候extreme卍卍卍 みたいな……「はべらいそうろう」が読めなかった笑)だったけど、自分の世界が狭すぎただけ。こういう体験は今も大事にしている。
一年目の時は、下働きをして学びを深めていった。最後の方だと、担当のソーシャルゲームをひとつ持たせてもらえた。運営チーム内の末端担当者だったけど嬉しかった。
二年目は……といっても、二年目で当日記は終わりだ。一言いっておきたい。
すごく、キツイ記憶を思い出そうとしている。二年目の終わり頃は、朝によく吐いていたし、会社に行きたくなかった。毎日とんでもない量の問い合わせの電話やメールがあって辛かった。
電車で通勤してたんだけど、深夜に電車がホームに入ってくるのを見ると、「飛び込みたいな」と思ってしまうことがあった。体が勝手に飛び込んでくれたらなぁ、と思ってた。
2011年の上半期。私の所属チームが運営していたのは極めて地味ゲーだった。ほかのソーシャルゲームでは、日の目が当たるようなキャラクター性のある主体をメインに据えてゲーム世界を形作っていた(海賊、勇者、魔法使い、ドラゴン)。
私が担当していたのは、ドリルで地面に穴を掘り続けるだけのゲームだった。それで宝を集める。圧倒的地味。しかし奥深いゲームで、かくいう自分もどハマリしていた(ド、ド、……♪)。
仕事はルーティンが多かった。ゲームシステムの保守である。道路でいうと、道路を管理するための車両がウインウインウイン……と低速で走って、アスファルト舗装の亀裂を見つけたりしてると思う。あんな地味な仕事。
みんなが楽しくゲームできるように、バグが生じてないか点検したり、ユーザーからの質問に答えたり。
その穴掘りゲームだけど、突如終了がきまった。うちの会社がイケイケ(死語)になり始めた時期であり、収益性の低い穴掘りゲームは終了になった。老舗タイトルだったため、名前だけは残った。
私は、ガワだけを変えたそのソシャゲ風カードゲームの運営チームへと異動になった。
多忙な日々だった。アクティブユーザー数は前のゲームの10倍近かった。最終的には20倍ほどになる。穴掘りゲームと比べたら射幸性が高く、みんなよくガチャを回してくれたし、ダンジョンを進んでくれたし、協力プレイで敵モンスターを叩くのにも意欲的だった。ゲームを楽しんでいる感が伝わってきた。
業務量はすごかったけど、楽しかった。社会の役に立っている実感があった。
秋に入っても、幣タイトルの人気はうなぎのぼりだった。既存の人気ゲームを追い越して、世に知られるゲームになっていた。醍醐味は協力プレイだ。電車の中でできる気軽さもいい。
ただ、お金がかかるのが難点だった。そのゲームには、特定のカードを【ガチャによって】○枚集めると強力なキャラクターカードが手に入る仕組みになっていた。しかし、○枚の中にはすぐに手に入るものもあれば、そうでないものもある。
ちょっとだけ確率の話をする。例えば、1回のガチャで10%の確率で手に入るコンプ対象カードが5枚あったとする(50%の確率でコンプ対象以外のカードが手に入る)。最初の1枚目のカードの入手確率は50%だけど、最後の1枚になってからを考えると10%になる。実際には、一番難しいカード群の排出率は2~3%に設定されてるので、プレイヤーは厳しい戦いを強いられる。
電子ガチャというのは、コンビニのくじ引きと違って箱の中味が無限だ。この場合、ちょっと前提が変わってくる。箱の中に100枚のくじ(当たり×1)があると、100回引くまでに必ず当たりが出る。でも、プログラム上の電子ガチャだと、1回以上当たりを引ける確率は約63%だ。
※でも、箱のくじと違って当たりを2つ以上引ける可能性がある。電子上のガチャはハイリスクハイリターンということ。なお、コンプガチャだと当たりを2つ引いても意味はない。強力カードを手に入れるためのフラグでしかない。
実際のコンプガチャだと、対象カードをすべて揃えるまでの期待値は約15~20万円ほどで推移していた。
これは、「影響力の武器」といった名著に書いてあるコミットメントという心理的手法になる。まず最初にやってもらうことが大事という。
このコンプガチャという仕組みを「自分が考えました」と主張する人間が、うちのリーダーを含めて他部署や役員クラスの中に少なくとも3人いた。最初の考案者はわからない。
当時は、「うちの会社は儲かってる。やった。すごい!!」。それくらいしか思ってなかった。社会の役に立っていると。
あの頃、自分達がやってたのは、ビットコイン投資と本質は一緒だった。純然たる賭博(ギャンブル)であるものを、別の何かで覆い隠している。ビットコインの場合は『未来の技術』で、幣タイトルの場合は『ソーシャルカードゲーム』。
会社の飲み会は、いつも大騒ぎだった。自分達は振興ゲーム業界のリーディングカンパニーで、このまま規模を拡大して、伝統的なゲームメーカーとも肩を並べて、いずれは任天堂を追い越して……という未来を、和風/洋風/エスニック、港区にあるお店で深夜まで語り明かしてた。
いつからだろうか、カスタマーサポートに情報提供が入りはじめた。「ガチャで出てくるカードが複製されています」という内容だった。
以前からあるにはあった。この時期になって急に増えてきた。これまでは「そのような事実は把握していません」という内容を返していたけど、本格的に調査しないといけない段階に入っていた。
調査結果を掻い摘んで述べてみる。
・ネット掲示板やオークションを見たところ、何らかの手段での複製が可能と判断
・ハッキングの形跡はなく、プログラムの仕様を利用したものと思われる
解決への道筋については、法的な問題が絡んでいる。まずは複製されたカードの所有権について、前例のない中から弊社の見解を表明しないといけない。
ベンチャー企業である弊社にそんな知見がある人がいるわけもなく……みんな、時間が経つとともに問題がなかったみたいに振る舞いはじめた。半ば諦めてた。若き日の私に対処できることはなく、有事に備えてネット掲示板を読み漁るだけだった。
カードが複製できるというのは、ネット掲示板の参加者には公然の事実となっているようで、複製方法について真剣に議論している様子があった。
翌年になっても複製問題は続いた。相変わらず問い合わせは来るし、ネットオークションでは不審なレアカードが多数売られている。こちらでは、RMT(リアルマネートレード)をしているアカウント自体はわかる。SSRとコモンカードを交換しているトレードを探せばいい。でも、違反者の処分については話が別だ。そうしようと思えば、複製カードであることを証明する必要がある。RMTは日本の法律が禁じているわけではない。行き過ぎた処分は訴訟リスクになる。
いや、それもやろうと思えばできたと思う。カードの元情報のプロパティを見れば、本物=偽物となっているはずだから。履歴が後のカードが偽物である。それでも対処ができなかったのは、対応方針が上の方でまとまっていなかったから……と、アラサーになった今ではわかる。
そんな折にも、次のコンプガチャが始まろうとしていた。社内では危険だという声が上がっていたけど、すでに完成していた。儲けのチャンスを失うことになる。それが上の判断だった。
みんな、心の底ではわかっていたと思う。大変な事態を招くことを。それでも、このままでもどうにかなる道はあるんじゃないかって。
あなたも、仕事がキツすぎて危険な状態になると、そういう心持ちになることはないだろうか。組織的にそんな状態になってた。
ある日、複製方法がわかった。ネット掲示板に複製方法を上げてくれた人がいた。やり方が簡単すぎて信じてくれない人も出るだろう。それくらい簡単だった。小学生でも思い付く。
炎上した。ひどかった。見事な炎上だった。全国レベルでの。ネット掲示板では、1時間以内に1000レスがついて次のスレッドに移行していった。
こうなるとは思ってなかった。炎上はしないと思っていた。複製方法がわかったとしても、「あーそういう方法か。運営に情報提供しとこう」くらいだと思っていた。現実逃避。
この日から、私は電話当番になった。取引先や、名も知らぬ人間や、マスコミその他いろんな人達からの問い合わせに答えることになった。心ない言葉でボコボコにされた。上司に代わろうとすると「お前が答えろ」と言われる。
それだけじゃなくて、チームリーダー層が役員会に報告を上げるための資料作りを命じられた。毎日深夜帰りになって、ホームに電車がくると飛び込みたくなったり、自動車が走っているのを見るとハンドル操作を誤って私を轢いてくれないかな、そしたら会社に行かなくていいのに、と思うようになっていた。
全力で対応に走っていたけど、弊社にできることは限られていた。あまりに経験が不足していた。できることといえば、コモン弁護士への相談と、収益を失わない程度に幣タイトルを継続させることだった。トレード機能を制限するなどして。
あとは、法律論をベースにしてどういう対応をしていくか……私が知っているのはここまでだ。当時のオフィスは狭かったけど、若手社員が手に入る情報はこの程度である。
どんな議論があって、最終的にあの対応になったのかはわからない。掻い摘んで説明したい。
・複製及びRMTに関わったアカウントは永久凍結。複製されたカード自体は消さない。
カードを複製した人への損害賠償請求はなかった。電子データであるカードに金銭的価値があると認めたことになる。個人が勝手に富くじ(ガチャ)を作って売ったら捕まる。コンプガチャにその要素があったと認めることになってしまう。
これまでのソシャゲのガチャは、「カードの価値はゼロ円です」と言い張ることで成り立っていた。監督官庁も、苦しい言い訳を考えながらグレーゾーンを放置していた責任があると思う。
今だから言うけど、カードの複製は反社組織がやっていたように思う。最初は素人が偶然見つけて、それが広がっていったのかなって。
通常の300円ガチャを売るのが違法行為でないのは、ゲームを利用するための不随物だから。利用者は、ソシャゲというサービスの利用権に対してお金を払っている。ガチャはおまけだ。でも、特定のカード(景品)を手に入れるためにガチャを何度も回すとなると、グレーゾーンからクロに変わる。それが――弊社の顛末書を受けたうえでの、監督官庁の最終的な見解だった。
騒動後に発表されたアニメも、ひどい叩かれようだった。Youtubeでもニコニコ動画でも、「コンプガチャ推進クソアニメ」といったコメントが多数あった。本当はニコ動で配信予定だったのに、時流に従ってやめざるを得なくなった。地上波放送されたのは救いだった。
私はもっと、人をしあわせにするゲームを運営したいと思うようになっていた。今は、やっぱりゲーム業界にいる。ゲームプランナーの端くれとして家庭用ゲームのタイトルを作ってる。
話は逸れるけど、今アップルやグーグルで配信しているソーシャルゲームの一部は、反社の企業舎弟が作っている。内容は純然たるギャンブルで、ガワだけを美少女ゲームにしていることが多い。
あの当時、どうやったら事態を解決できるか、利用者がお金の苦労をせずに楽しめるかを自分なりに考えていた。そして、導き出した。
有料ガチャをやめればいい。
当たり前のことだった。月額料金制にして、ガチャは極めて低額設定にして、ほしいカードがあれば参加者同士によるトレードでも、ゲーム内通貨での入札でいいし、回復アイテムや便利アイテムだったら現金で売ってもいい。
かつて、そんなゲームが存在していた。私が最初に担当した穴掘りゲームだ。岩を砕いて地面を掘り進める、ボタン一つでできる単純なゲームだったけど、奥が深かった。参加者同士で交流できる掲示板があって、宝を発掘して集めたポイントを貯めてアバターと交換できた。
みんな楽しくプレイしていたっけ。
ここまで付き合ってくれてありがとう。
カードトレード掲示板の管理人。10万人以上の登録がある掲示板だったけど、当時高校生の女の子1人でスタートして、最後まで1人で管理していた。掲示板を作った目的を参加者に共有して、利用規約を制定して、参加者からの苦情にも対応していた。今にして思うけど、経営力のある子だった。
全てのカード情報を集めることを目的とする団体だったんだけど、ある参加者がいた。その人は、数学理論を使ってゲーム攻略の最適化や、コンプガチャの期待値を研究していた。私も興味深く読ませてもらったし、騒動当時も上への報告の一部に使わせてもらった。確か、プロフには京都大学を卒業して帝人に勤めているとあった(※今ではプロフ非公開)。ほかのスタッフの人も、幣タイトルに情熱や思い入れのある人ばかりだった。その人たちの研究結果を使わせてもらった。今でも感謝している。
カードの複製について最初に情報提供してくれた利用者の人たち。「ネット掲示板を見ていれば、いつか犯人が尻尾を出すから覗いてろ」というアドバイスをいただいた。幣タイトルが好きだからこそ、こういうメッセージをくれたんだと思う。本当にありがとうございました。
前線にはいかず、二束三文の手間賃で国に引っ張られ後方ってことでまともに訓練もされず後ろの方でトラック転がして荷物運んだりミサイルを運ぶ人夫働きさせられたり普段自衛隊がやってる基地の整備とかの雑務を押し付けられる感じ
兵隊の負担を減らす、という意味では重要なんだろうけど、後方だからって安全ってことはない上に巻き込まれてもまともな保証はされないし戦後は災害復興のときの自衛隊上げと同じのりで、自衛隊様の活躍はさんざん喧伝されるけどそういう下働きで支えてた連中はシカトされ評価されず、世論が批判を許すようになった5年後くらいに批判が出てきて問題になるけど「今更なにいってんだ」ってあざ笑うお前ら(ネット民)が吊し上げるところまでは予想できた
介護。休日はデイサービスも休みなのでほぼ一日介護で終わる。むしろ平日よりも外に出られない。
一ヶ月に一度だけ、両親ともにショートステイに出る日があってこの日は完全休日。
リフレッシュする日で、色々なことをして楽しんでストレス解消! と、かっこつけて増田に書いた事もあったが、実際には疲れ切っていて、ショートステイに親父を連れてった帰りのすき家で昼飯を食って、その駐車場で3時間ぐらい昼寝して、ちょろっと買い出しして完全オフの日が終わってしまうのが最近。
それでも夜中にトイレ誘導しなくていいから、かなり体力が回復できる貴重な日だから助かっているけど、何かするとか無類。
なんか年末で適当に書いた愚痴がなにげにブコメあつめててわろた。なんやねんなもうはずかしいな。
もうね、実はもう色々諦めてるんでどうでもいいんですよ本当はね。本当はね。
なんか皆さん関心があるみたいなので、経験を書いておく。
俺も変だと思うが、人も足りない、施設が全然足りない。介護保険の枠も足りない。
俺の所は俺という若くて無理が利いて職場の理解がある介護者(笑)がいるので優先度が低いんですね。
それでも母は普段お世話になっているデイサービスのところで、月2回ショートステイを組んでもらっている。
それで問題は父の方で、父の方は枠が無くて難しく、手を尽くして探してもらって、送迎の範囲外にある施設で受け入れてもらっている。
それでなんとか月に1回、母のショートステイの日に併せてねじ込んで月に1回一泊二日で完全オフの日を作っている。
ショートステイの施設はわりと奈落の直前に位置するセイフティネットでもあって、介護者に何かあったときなどのライフイベントのときに預けられる場所になっている。そういうときの対応で手一杯。
あと、これは俺の推測だけど、介護報酬的には、ショートステイとデイサービスって点数があまり変わらないので、人手不足の現在、ショートステイはなかなか増えないというか、増える余地がない感じになっている。
俺の所は俺という若くて無理が利いて職場の理解がある介護者(笑)がいるので優先度が低いんですね。優先度は状況で点数がついて、その点数が高い順に枠がある。概ね独居老人で生活に支障がある場合は最もレベルが高くて、次に老老介護、その次に介護度、と言うような感じで枠が決まる。独居老人で支障がある場合は施設を選ばなければ1ヶ月ほどで入所は決まるが、そういう人を優先する仕組みのために優先度が低いと永遠に回ってこない。俺の場合は、一般企業で仕事をしながら介護をしている人よりも数段優先度が低くて順番は回ってこない。
そして、介護施設に入れると、自分の収入だと破綻する可能性が高い。住民税非課税家庭なので負担は制度上ほぼ最小に近いのだけれど、施設入所は介護保険の自己負担金だけではなくて。
介護保険の自己負担金は上限のキャップがあるが、介護保険の上限の外に食事費などの自己負担金はこの枠外で、これを負担すると現在より母で30万、父で20万ぐらい負担金が増える。単純に今の家計に組み入れると赤字になって暮らせなくなる。
施設に預けられればいらなくなる支出はあるし、仕事はもっと稼げる仕事に就けるだろうが、一度介護離職をしてしまい、介護を優先で薄給の職に就いてしまうと、環境を変えて乗り越えるための収入がなくて詰む。詰んでる。
補助金で動いているNPOでは、補助金上で計上できる人件費が暗黙的に最低賃金以下で計算されている。どう見てもフルタイム以上で働かないと動かないような事業に対して、それ以下の補助金しか交付しないなんてことが当たり前になっていて、市民の目(笑)もある。
基本的な設計としては、旦那が働いて十分に収入がある家の妻、やら、リタイアして年金収入がある老人が年金収入を利用してやるみたいな設計になっている。これはこれで大問題で、山ほど行われている地域振興なりなんなりが片っ端から失敗する原因だと思っているがそれはこの話とは関係が無いが、何が言いたいかというと、昇給はないのである。
親は自営業だったこともあり、俺は二番目のこどもでもあって、父は81歳、母は76歳。
ずいぶんとしが行ってると思うでしょ?
でもね、俺が生まれた時は、父は41歳、父は36歳。今時だとこれぐらいの年齢の子供は当たり前なので、将来は俺みたいなのがたくさん出るよ。無策のままだと。
今若い子たちが年寄り向けの福祉を削減しろって話に乗っかってるけど、自分の将来にせっせと落とし穴を掘ってるようなもんだろうによくやるよなって見てる。