はてなキーワード: 園子温とは
どんなものであれ、若い女の着けているものは必ず欲情の対象になるということを示す例としてネットで好んで使われてる逸話あるじゃん
「セーラー服はもともといかつい軍人の服を着せて少女を性欲から守るために制定された」という有名な話
デマです
セーラー服を子供が着るようになったのは1846年のイギリスのアルバート皇太子が下士官制服を着たことに由来する
男児の服だったわけだがズボンをスカートに替えて女児も着ていた
1900年代に入ると海を越えてアメリカでも女学生のセーラー服が流行
日本はこれを真似したというわけ
"いかつい軍人の服を着せて少女を性欲から守る"という流れはどこにもない
「メイド服は隠し子問題が起きないように色気のない服として設計された」というバズったツイートももちろんデマ
白と黒のあのメイド服はヴィクトリア朝時代に成立したものだが、これがメイドを性欲から守るためというのは増田の知る限り英語圏の文献を漁っても書いてない
As a general rule, ladies do not like to see their maids dressed in the clothes they themselves have worn - except in wearing a black or a dark-coloured silk - the difference in the social scale of mistress and maid renders this unpleasing.
Cassells Household Guide, c.1880s
ざっくり言うと「女主人は自分のドレスが使用人ごときとカブるのが嫌だから絶対カブらない服を着るように」と書いてある
「エロ」の英雄物語のために、ありもしない「エロの敵」との輝かしい戦いが作り上げられたというわけだ
SONOKOATSUSHI
https://www.huffingtonpost.jp/news/sonokoatsushi/
渥美清みたいに読んだのかな……
HOSHINOHAJIME
https://www.huffingtonpost.jp/news/hoshinohajime/
こっちはなぜなのか……
ともあれ、名前を間違えるのは失礼だと思う。
記事では
>不祥事による降板や自粛が「キャンセルカルチャー」として問題となる事例もあるが、こと園子温の性加害疑惑については、それは決して過剰な反応ではない。
でも監督業続けられないようなことやったの園子温本人だからな?
そして、「性加害を矮小化する映画を容認すること」と「再発防止は必要」は別の話じゃないの?
たとえば教師が受け持ちの児童にグルーミングしてからの性的虐待を働いたとして
そいつがまったく反省の色を見せず、むしろ「ただのスキンシップだったのに、大げさに騒ぎ立てた保護者によって私刑を受けただけの被害者」とかネットに拡散しまくって
そんでまた教壇に戻りますしようとしたら「再発防止」が必要だとは思わんの?
園子温は自分が築いた有名監督という権力を嵩に駆け出しの女優に接近して性的行為を強要した
被害者は多数いる
そして全く反省しておらず、何が悪かったのかわかってすらいない発言を繰り返してる
そいつがまた「有名監督」として映画業界で活動を続けますと言う
園子温を擁護する業界人が「ただの恋愛だったのに、大げさに騒ぎ立てたマスコミによって吊るしあげられたただの被害者」という映画を作ったら
増田にとって「社会」の中には、権力勾配を利用して性加害を受ける若い女性は入ってないわけ?
TEAMカミナリは株式会社カミナリ(Caminari Inc.)傘下の映画制作チームであり、その組織構成は明確に公開されていない。しかし、公開情報から主要メンバーを特定すると、代表取締役の伊藤大輔氏を中心に、監督の増田有美氏、そして映像制作部門のベテランスタッフが核を成す構造が浮かび上がる。株式会社カミナリは2004年12月設立の映像制作会社で、資本金300万円、主要取引先にゴールドウインや日本航空などの大手企業を抱える。
映像制作業界でのキャリアは20年以上に及び、2004年の会社設立以来、企業広告から音楽PVまで多様なジャンルの映像制作を手掛けてきた。特筆すべきは2010年代後半からインターネットメディア事業に注力し、SNSを活用したコンテンツ戦略で急成長を遂げた点である。思想的には「芸術表現の自由」を強く主張する傾向があり、2021年のインタビューで「世間の倫理観に縛られない表現こそが真のアート」と発言している。
『Already Over』の監督として名を連ねる人物。経歴詳細は非公開だが、株式会社カミナリの社員プロフィールから「15年以上の映像ディレクション経験」を持つことが確認できる。過去の作品では社会問題を風刺的に扱う作風が特徴で、2020年に制作したドキュメンタリー『虚構の街』では架空の町おこしプロジェクトを題材にメディアの情報操作を批判した。園子温監督との直接的な合作歴はないが、2019年の映画祭で互いの作品を評価し合ったという記録が残っている。
TEAMカミナリの園氏支持は単なる個人的忠誠ではなく、芸術観の深い一致に根差している。伊藤代表は2023年の講演で「社会的批判を恐れず挑戦的な表現をする作家こそ真のアーティスト」と述べ、園氏の『愛のむきだし』(2008年)を「日本映画界に衝撃を与えた傑作」と絶賛している。増田監督も自身のブログで「園監督の作品には権力への反抗精神が貫かれている」と評し、両者のアンチエスタブリッシュメント精神が共鳴している。
株式会社カミナリは園氏と直接的な業務提携歴がないものの、映画業界内でのネットワーク構築を重視している。2022年の業界レポートによれば、同社はインディーズ映画製作において新人監督の登竜門的な役割を果たしており、園氏のような既存の大物監督との関係構築がビジネス拡大に不可欠との戦略が窺える。実際、『Already Over』のエンドクレジットに園氏の名前を記載した背景には、今後の協業可能性を見据えた戦略的意図が存在すると分析される。
公式見解の欠如
TEAMカミナリは性加害問題について明確な声明を出しておらず、2023年6月の記者会見で増田監督が「作品を通じて多様な意見を提示したい」と述べたのが唯一の公式発言である。この曖昧な姿勢は、株式会社カミナリが2021年に制定した「ハラスメント防止方針」の具体性の欠如(抽象的表現に留まり実効性に乏しい)と符合する。
『Already Over』の予告編分析からは、加害疑惑を「真実か虚構か」の議論に矮小化する意図が読み取れる。特に「あれもダメこれもダメ、どれもデタラメ」という歌詞の挿入は、社会的批判を「行き過ぎた正義」として風刺する表現技法を用いている。この手法は増田監督が過去の作品で多用してきた「相対化のレトリック」の延長線上に位置し、性加害問題を単なる「意見の衝突」に還元する危険性を孕んでいる。
2025年5月の司法判断後もTEAMカミナリは園氏との関係を清算しておらず、7月1日開催の『Already Over』プレミア試写会を実施予定である。これは同チームが司法の事実認定を「創作者間の思想闘争」として捉え、芸術的立場を優先する姿勢の表れと言える。ただし、株式会社カミナリの主要取引先である日本航空がESG投資を強化している状況を鑑みると、今後の企業イメージ悪化リスクは無視できない。
映像業界の構造的問題として、テクニカルな表現能力が高いクリエイターほど「社会的責任」とのバランスに悩む傾向が指摘される。TEAMカミナリのケースは、芸術的信念と社会的倫理の衝突が先鋭化した典型例として、今後の業界全体の対応に影響を与える可能性が高い。
2018年12月設立。映画・映像コンテンツの企画・制作・配給・宣伝、イベント企画運営、俳優・クリエイターのマネージメントなどを行う会社です。
「TEAMカミナリ」はこの株式会社カミナリが運営する映画制作チームと考えられます。
オンラインコミュニティ「KULMILA(くるみら)」も運営していました(現在は終了している可能性あり)。
増田有美です。アートサイトこれやんを企画。YouTubeチャンネル「くるみらTV」 をプロデュース。
株式会社カミナリの代表取締役社長であり、TEAMカミナリの中心人物です。
記事で言及されているモキュメンタリー映画**『Already Over』では監督・プロデューサー**を務めています。
その他、株式会社カミナリが制作した作品で監督やプロデューサーを務めています。
短編ドラマ映画『コロナになりました。』(2022年):監督・プロデューサー
短編映画『シェアハウス33クラブ』(2022年):プロデューサー
映画『Floating Holidays』(2024年):プロデューサー
彼女の具体的なフィルモグラフィーや、カミナリ設立以前の詳細な経歴、園子音監督との個人的な出会いの経緯などについては、公表されている情報からは詳細には明らかになっていません。
TEAMカミナリ(及び増田有美監督)と園子音監督の関係は、単なる知人という以上に、制作活動において協力的な、あるいは園監督をリスペクトする関係であったことがうかがえます。
TEAMカミナリの第一作とされる『シェアハウス33クラブ』(2022年)は、
プレスリリースに「映画監督の園子温氏の協力のもと」制作されたと記されています。設立初期から園監督の何らかのサポートを受けていた可能性があります。
園監督の性加害疑惑が報じられた後も、TEAMカミナリが制作した複数の作品で、エンドクレジットに「スペシャルサンクス:園子温」と記載されています。
『コロナになりました。』(2022年9月公開時プレスリリース)
『Floating Holidays』(2024年2月公開)
『コロナになりました。』のプレスリリースでは「スペシャルサンクス:くるみらサポーター/園子温」とも記されており、園監督がTEAMカミナリの運営するオンラインコミュニティ「KULMILA」のサポーターであった可能性が示唆されます。これが事実であれば、単発の協力関係以上に、チームの活動を応援する立場にあったと考えられます。
『Already Over』は、まさに園監督の性加害疑惑をテーマにした作品です。これを制作したこと自体が、園監督への強い関心、あるいは何らかの意図(擁護、問題提起など)を持っていることの表れと言えます。
記事や公表情報からは、彼らが園監督を強く支持する具体的な理由(個人的な恩義、思想的共鳴、ビジネス上の深いパートナーシップの詳細など)は明確に語られていません。
園子音監督は国内外で評価される個性的な映画監督であり、その才能や作品、あるいはインディペンデントな制作スタイルに強い敬意を抱いている可能性があります。
『シェアハウス33クラブ』での協力や、「KULMILA」サポーターとしての関与など、過去に受けたサポートに対する感謝の念が強いのかもしれません。
『Already Over』の予告編の内容(「あれもダメこれもダメ、どれもデタラメ」という挿入歌、「どこまでが本当?」というテロップなど)からは、疑惑報道に対して懐疑的であるか、あるいは園監督を擁護したいという意志が感じられると記事は指摘しています。彼らなりに「真実」を追求したい、あるいは別の側面を提示したいという考えがあるのかもしれません。
ただし、これらはあくまで状況からの推測であり、本人たちが公に理由を語っているわけではありません。
TEAMカミナリの現在の態度は、記事の指摘通り、園子音監督を擁護し、疑惑を矮小化あるいは疑問視していると解釈できる行動を一貫して取っていると言えます。
予告編の表現は、園監督の疑惑を軽視し、フィクションを用いて現実の問題を否定しているかのような印象を与えると批判されています。
タイトル『Already Over』(もう終わった)も、問題が解決しておらず被害者が声を上げている中で不誠実であると指摘されています。
これらの表現は、被害者感情を無視し、二次加害にあたる可能性が懸念されています。
疑惑報道後も、最新作に至るまで園監督の名前をクレジットに掲載し続けていることは、彼らの園監督への支持が変わらないことを示しています。
『Already Over』の予告編公開後、内容に対する批判が上がっていますが、
TEAMカミナリ側からこれらの批判に対する公式な説明や釈明、あるいは被害者への配慮を示すような声明は、現時点では確認されていません
結論として、TEAMカミナリ(代表:増田有美監督)は、園子音監督と設立初期から協力関係にあり、
疑惑報道後も一貫して園監督を支持する姿勢を作品制作やクレジット表記を通じて示しています。
園監督の疑惑を題材にした作品では、疑惑を軽視するかのような表現が見られ、この態度が被害者への二次加害であると批判されています。
印象操作狙ってんの?
それとも園子温の支持者?
でなきゃ記事をまともに読まなかった?
記事を読む限り、そこまで至っていない
「この映画を通じ、業界ぐるみで有名監督という権力を利用した性加害を矮小化し、ただの恋愛を騒ぎたてた女に追い詰められた無辜の園子温監督、という印象を与えようとしている」という告発、
そしてそのような腐敗にはNoをつきつけるべきではという呼びかけだろう
それを「強要」と言い換えるのならだ、
むしろ最初に「強要」しようとしたのは園子温とそのオトモダチのほうではないのか?
映画一本作ってまで、
”ほんとうに性加害だったのかなあ?
ただの恋愛だったんじゃない?
記事という形じゃないだけだ
そして映画業界が人権侵害に対して権力者のケツを舐める者ばかりなら自浄作用など期待できない
そうなると告発するのはマスメディアの役割であり、そして映画業界とも親しい週刊誌としては看過できない事態でもある、
と言われたらおかしな内容とは思えない
園子温に対してヒハンテキだしーと言いつつ、他人が支持するなら止めないよ?と言うのは
自己中心的な動機での犯罪者(公的に事実認定)が罰せられずにのさばる社会でいてほしいから?
べきだと思うが違うのか?
性加害が事実として、それはひどいことだけど、法による刑罰を越えて自分が見たくない協力したくないを越えて社会全体でキャンセルするよう他人にもキャンセル強要するのは違うだろ。
他人にもキャンセル強要する権利があると思っているんだろうか?いったい何の権利でそんなことが言えると思っているのだろうか?
ちなみにオレは園子温に対して批判的だし、園子温の映画をわざわざ見ることはもうないだろう。ただそれで園子温の監督業を妨害する権利はないので、あとは園子温が商業的に成り立つかどうかまでどれだけ支持者を集められるか次第であるべきだと考えている。
ソロの活動に対して音楽を最上位に置くのは特になんとも思わない。
曲はいいのに本人はな〜みたいなことを言われてきたことへの反論もあると思うし。
しかしアイドルグループZOCの活動の中で「音楽がいちばん偉い」と言っていると、だからメンバーを軽視してパワハラするのか、と思われないだろうか?
「ZOCの活動を通してソロでは届けられない範囲の人に音楽を届けられるはず、まだ自分の音楽を必要としている人がいるはず」というようなこともインタビューとかでよく言っているが、この活動理念と、メンバーに対してパワハラして複数回問題になっているという事実を合わせると、メンバーのことは音楽を届けるための道具としか思ってないんじゃないか?という印象を少なからず受けてしまう…いや、流石にそんなことはないんだろうけど……
というか大森靖子の非常に熱心なファンにこういった思考の方がいて、ほかの熱心なファンもみんなこんな感じなのか?そんな考えのファンを擁する本人もこのような思考なのか?と思ってしまっている(大森靖子はファンミーティング的なイベントも多く開催しておりファンとの距離がかなり近い。また、ファンクラブ限定で口外厳禁の本音トークイベントなども行っているため、熱心なファンは私たちのようなライトファンよりも大森靖子の内面に迫って協調していると思われる)
https://x.com/necotakenemuru/status/1765717296495075604?s=46&t=rmgBUrvkMBPE1EsN8CXDTA
あの音楽を創り出せるのは大森靖子本人の不安定さがあるから(だから攻撃的になってしまうのは仕方ない)というような意見のファンも見たことがある。
昔の映画は動物が傷つくシーンで実際に動物を痛め付けたりしていたものもあったが、それと似てるなと思った。こういった意見を言うファン、園子温が性加害しまくりで、でも作品は素晴らしいよねと言われることについてはどう思っているんだろう。
ZOCは構想段階では、メンバーを流動性にして固定しない案もあったらしいが、そっちのほうが大森靖子とメンバーの距離を保てるし、多くに曲を届けるという信念にもマッチしているし良かったよねと思ってしまうね。
パワハラ騒動までは大森靖子の音楽が本当に好きだったから、今でも気になって活動を追ってしまう。
昔の曲もまだ好きだからたまに聴くんだけど、でもパワハラする人なんだよな〜〜〜とノイズが入ってしまい昔のようには聴けない…
音楽がいちばん偉いとするなら、私的には大森靖子ご本人が下から音楽さんの足を引っ張ってる状態なんだが…
せめて、自分のしたことを自覚して、1度でも謝れる人だったら良かったのに。実際には、自分が悪者でいいよとかなんとか言って被害者ズラするだけ
SMAPはスキャンダルにまみれたグループだった。内容は割愛するが。
それでも事務所の力(いやまぁジャニーズ事務所としてはSMAPあんま推してなくて飯島氏の手柄?らしいが)によって干されることはなかった。(事務所の力以外無いな)
トップアイドル中のトップアイドルになってから起きたのが草なぎの事件だっただろう。
世間は「芸能界引退か」「謹慎か」みたいに言ったが、言ってしまえば酒飲んで外で全裸になって叫んで警察にしょっぴかれただけだ。芸能界引退は大げさだ。
しかし「全裸になって」「警察にしょっぴかれた」のだ。冷静になればこれで「アイドル」を続けるのきしょすぎる。当時34歳って吉沢亮よりきつい。着衣の吉沢亮30の顔面を持ってしてもヤベーのに草なぎのビジュアルでは相当キモい。
でも国民はこの時点でSMAPを国民的トップアイドルだと認識していたから酒カスを中心に許されたし、SMAPを辞めるなんて選択はほとんど出てこなかったように思うし、戻ってくることを前提に進められていた案件だったように振り返れば思う。
草なぎの前にひき逃げメンバーもいるので「これを許さなければ過去のあれは許されなくなる」という思惑もあったのかもしれない。
まあとにかく国民の意思でスキャンダルをSMAPを見逃し続けた。自ら作った失態を「逆境」として、事務所の力で跳ね除けることを「実力」と言って、しぶとく生き残った。
結果的にSMAPのファンには「覇権厨」のような人が増えていたように思う。SMAPが誰から見てもスーパースターであることを望むあまり、SMAPへの蔑みは多少も許されなくなっていた。
小さな騒動はあった。園子温がSMAPをdisったのだ。あのときSMAPオタは園子温を討ち取るべきだったのかもしれないが、どうだろうか。よく考えればちょっと悪口言ったくらいであの騒動だ。SMAPの殿様具合がわかる。
SMAPは活動終盤、後輩グループに普通の売り方ではCD売上で勝てなくなっていた。年齢的にもとっくの昔にアイドルとしての終焉は見えていた。歌唱アーティストやダンサーと呼べるような実力はさらさら無かった。そんなもの1mmも無かったことは昨今の実力重視時代で分かるだろう。
結果的に事務所内部のいざこざで解散の形になる。が、そのときの本人たちや、ファンたちはこんな態度を取っていた。
「大人たちが悪い」
まるで十代のNewJeansが歯向かったように、四十代で大金持ちでキャリアもあればスキャンダルまみれの彼らや、そのファンは大人のせいにした。
そして事務所批判は世間を巻き込み、世間もまたそれを容認した。
理由はあれど本人たちがまともに会話できるチームワークを持っていなかったことは見ないふりをして、事務所に全責任を押し付けた。
そしてジャニーズ事務所崩壊が起こる。激しく糾弾される事務所とそのタレントたちだったが、多くのSMAPファン(というか木村以外のファン)が事務所批判に参加していたように見えた。
SMAPが事務所にされたことは一生の恨みだと言いたいように見えた。事務所の力で芸能界に残れたという感覚は一切無いようだった。
そして、事務所の力はなくなった。
SMAPのメンバーはお互いのプライベートをあまり知らないとよく言っていた。今日、香取も地図のメンバーのプライベートを最近は知らないと言っていた。
本当にそうなのだろうか。多少は耳にして、知っていて、必要最低限しか関わらないようにしていたのではないか。テレビ局員は知っているはずだ!と叫ぶならSMAPメンバーも知っていることはあるのではないか。
彼らは、そしてファンはいつまで彼らに責任を背負わせないつもりだろうかと思うが、まあもう、ファンもメンバーも後には引けないのかもしれない。