はてなキーワード: 卑劣とは
デマ勢力が多数のデマと共に「村井現知事が土葬許可を強行しようとしている!」と言う → 村井知事支持者が「それはデマだ!」と反論する って流れで、間接的に双方が「土葬許可なんてあり得ない」って主張することになって、「多様性に配慮して移民に選んでもらえる国になるために日本も土葬を認めよう!」って意見はもう論外ポジションになってるんだよね。
意欲的だったけど市区町村に拒否されたので断念したって経緯を思えば、村井知事の中では機会があればまた土葬を通したいという思いがあったんじゃないかと個人的には邪推していたけど、
(余談だが、そういう意味では土葬云々は完全なデマではなく、誇張を含んだ警戒の言論くらいの認識。最近のはてなでよく言われている言論で例えれば「高市総理は治安維持法を復活させようとしている!」とかと同じような)
それをやったら、土葬強行はデマではなく、むしろ村井知事こそ批判意見に対してデマのレッテルを張って封じ込めを謀った邪悪という風になり、ますます参政党のようなデマ勢力が勢い付くことになってしまう。
他のイシューに関しても、同じことが言える。
デマで相手を貶められればOK、デマだと否定されても結果的に自分達が批判したかった主張Aを敵も味方も否定するという構図を作れる。
国旗損壊罪の話で思ったんだけどさ。
外国の国旗を焼くのが違法なのに、自国の国旗を焼いても良いという理由として、「外国国章損壊罪には国際的な友好関係や外交関係の平穏という保護法益」を挙げる人がいるが、これはかなりどうかと思うんだよな。
外国国章損壊罪の保護法益を認めている人は少なくとも「国旗を焼くことが国際関係を破壊するレベルの壮絶の侮辱行為である」ということを認めていると思うのだが、なら保護法益がない自国の国旗なら焼いても良いというのは「国益を損なわないならどんな侮辱行為をしてもOKでーすww!!」って言ってるのと同じじゃない?
「その行為は侮辱である」かつ「損が発生しないならその行為は行っても良い」と言っているわけだからさ。
ハッキリ言ってドクズの発想じゃん。
……いやまあ、倫理ではなく実利で言えば、自国の国旗と外国の国旗で扱いを変えるのも、分からないとは言えないけどね。
俺も国旗損壊罪なんて作って表現の自由を狭めて全体主義の機運を作るような真似は嫌だなって思うし、でもだからと言って、外国国章損壊罪を放棄してどっかのヘイターが無意味に他国の国旗を焼いたりで外交的な損失が生まれても困るところだし。
現実的な落としどころとしては現状維持が正しいんだろうなとは思う。
ただ一方でいくら実利があるからって倫理的矛盾にもろ手を挙げて賛成はしたくないというか。
国旗を焼くことは国に対する抗議の自由であるという意見もあるが、なら非人道的な行為をする侵略国家の国旗を焼いて彼等を批判するのはアカンのか? って話になる。
自国の国旗を焼くのは自己批判だからアリと言う人もいるが、百歩譲って己と国とも同一視したキツめの愛国全体主義者がそれを言うなら筋は通っていると思うが、俺達はてなーに多いような普段から国は国・個人は個人って態度を取ってるタイプの人間がそれを言うのは、都合の良い時だけ国と自分を同一視して卑劣だよねって思う。
全然"自己"批判じゃないじゃん、「俺は嫌な思いしないから、国旗に深く愛着を持っている人が傷付いても知らねーよバーカ!」ってのが本年でしょって感じ。
やっぱり倫理に筋を通すなら、自国の国旗も他国の国旗も同様に扱うべきだと思うんだよな。
「燃やして良い」にせよ、「燃やすべきでない」にせよ。
以前、俺は最低の「弱者男性」だった。
正確には、弱さを盾に社会に悪意を撒き散らす、腐敗した寄生虫だった。
独りでいるのは嫌だが、他者と建設的な関係を築く努力はしない。
悪意を外に向けることでしか自己表現できない、ただの迷惑な存在だった。
彼らは甘ったれ、ただ努力を放棄し、その結果を社会のせいにする他責思考のクズである。
特に、氷河期世代弱者男性(アイスエイジヴェノム)は、努力しなかっただけなのに、景気のせい、国や女に責任転嫁している。
自分の人生を好転させる努力を怠り、その劣等感を若者や女性への憎悪に変える。
彼は活力に満ちており、俺の愚痴を聞いた後、こう吐き捨てた。
結婚したいなら、まず『普通』をちゃんとやれ。ただの『人間』として、相手の存在をちゃんと敬え」
これは、俺のような腐った弱者男性でも変われたという事実を突きつけ、未だに悪意を撒き散らす連中に、その醜さを認識させるためだ。
友人は俺が多用するアニメやネットの例え、スラングを否定した。
それは、「共通言語を持つ仲間」以外を排除するための、醜い防衛線だったからだ。
「自分から相手に歩み寄れ。お前の汚い価値観を理解してもらう義務なんて、誰にもない」
俺が多用する自虐は、最も卑劣な「他者支配」のツールだと友人は断言した。
「お前がそう言うと、相手は『慰める』という役割を押し付けられる。
「卑下する暇があったら、他人の時間を汚すな。他人を居心地よくさせろ」
「お前が他人を落とすたびに、お前自身の人間性が底辺に落ちる。」
悪意を抱え続けるのは、結局、自分自身の心を醜く腐らせるだけだ。
「清潔感の欠如は、『俺は他人の評価なんてどうでもいい』という傲慢な意思表示だ」
見た目を整えるのは、「俺はまともな人間だ」という社会への宣誓であり、自分に自信を持つための最初の一歩だ。
それは、「他者への憎悪」を「他者への善意」に変えるという意識だ。
お前の存在が、誰かにとっての「公害」ではなく、「価値」になるかどうか。
俺は運よく結婚できた。
だが、運を掴める位置に自分を置くことは、「醜態を晒すのを辞める」という努力から始まった。
変われたことが嬉しい。
ピンクの林檎はフェミニズム的な立場に立って発作的に文句を言うのが日常のアカウントであって
そのスタンスを知っている星付けている側からしたら仲間なわけだよ
で、明らかに増田に対しての反論であろう否定的な発言だが増田も含め誰も人種差別と性差別など話題に出していないのはそう
ただ増田は
排外を訴え外国人最近ならクルド人の排斥を訴えるネトウヨであり
同時にフェミニズムには迎合せず性差別をして女に敵愾心を持っているアンフェ(アンチフェミニスト)であると
増田を最低の人間の屑であるアンフェネトウヨインセルであると看破したからピンク林檎は敵に対して石を投げたわけ
そしてその文脈を共有している人間は星をつけてその攻撃に支持を表明したんだ
あの集団の中では言わずとも自明な文脈で全てが通じる行動でハイコンテクストという奴だよ
味方を仲間内でグルーミング(性的加害の意味ではなく毛づくろい)してやり結束を強めるのは義務なんだよ
もちろん増田はそんなことは言ってないけど石を投げて星を付けた人たちからは素性が見えちゃったので仕方ない
自分達に反抗的な増田は人種差別と性差別を好み知能が低く流言に騙され愛を知らずに
米津玄師が「デンジって女性に対してものすごく性欲的な感情を抱くけれども、セクハラ的な行動は絶対しないんですよね」とインタビューで話した件について、ネットの弱者男性界隈がガチギレして殺気立っている。米津玄師の存在を消して、米津玄師に共感する女だけに対して異様な被害者意識を抱いている。
Xを見れば特に楚バットなる中年弱者男性の噴き上がり方が凄まじい。
「楚バット@geEeZ4e
デンジ(未成年、孤児、貧困層、児童労働、大人に利用され続けた被害者)に向かって"性欲あるのにピュアでかわいいでちゅね〜"的なセクハラしてるオバサンオタクほんまにキモくて有害な女性性の悪魔かと思った」(1万いいね)
デンジくん、マキマさんパワーちゃん姫パイと序盤から連続してスケベ行為の見返りに危険な事をさせられるという直球の性的搾取を受けてるんですが、それをデンジくんはセクハラとかしなくってぇ・・・みたいな消費のされ方してるのちょっとグロテスクだと思います」(5千いいね)
「石壁@waxter1211
デンジは性欲があるのにセクハラしない紳士!」は本質を捉えてないし「デンジの性欲は綺麗!」はもはや噴飯物の主張あれは人生で女性と全く関われなかった影響でセクハラや性欲まみれのアプローチすら実行する発想が無い、本物の恋愛弱者のムーブだろ本当に皆さんは弱者が目に入らないんだな」(1.4万いいね)
その他、有象無象のキモオタアイコン弱者男性ミソジニスト男オタクが、うじゃうじゃと女特有の読解力のなさだとか男性を加害生物のように扱うのが許せないだの行く動に直球の差別発言を吐いているが
要するに【米津玄師サンが発言者なのは男だから脳内から消去します】【デンジはセクハラしないのが長所だと女が語るのは、弱者男性(俺)への性的搾取に決まっている】【女に俺の性欲を否定された】という歪んだ主張に尽きる。
まず主題歌を連続で担当するだけあって、米津玄師の読解は正しい。
『チェンソーマン』は暴力的で野蛮でショッキングでバイオレンスに見せかけて、最近の漫画らしく主人公陣営は馬鹿をやっても不快感が極力なく応援したくなるように、きちんと計算してヘイト管理されている。
「藤本タツキは天然でM性癖だから」で片付けるのは、さすがにタツキの頭を見下しすぎだ。作品理解力が誰よりも劣っている。
デンジは育ちは無茶苦茶で語彙はドブだが、決してクズではない。
陰キャ特有のめんどくささは皆無。素朴で真っ直ぐで不幸な目にあってもすぐ立ち直る明るさがある。
1話時点から粗暴な野生児ながら倫理観と社会性をそれなりに備えていたし(己を搾取したヤクザを殺した事でさえ成り行きでゾンビ化して人間に戻れないなら仕方ないと分別のうえだった)
人並みの環境に移ってからは世間との折り合いやコミュニケーション能力が急成長している。それが出来ているのは自分の不幸を言い訳にしないからであり、自分が弱者であることに甘える発想が無いからだ。
王道の少年漫画主人公らしい魅力を持ったいい奴である。性欲のある孫悟空みがある。
そんなデンジに、デンジとは180度真逆の、自分のケアを他者に強要する事しか頭になく倫理観と社会性が中年になっても欠如したままの、自分の弱さを盾に諸々放棄して全ての責任から免除されようとする自分だけに甘い卑劣さな超陰キャオジサン達が一斉に自己同一視しているかと思うと、滑稽であると同時にデンジに同情してしまう。
そもそも「デンジって性欲はあっても、加害したりマウントしないのがいいよね」の一言に勝手に湧いて出てきて「傷つけられた」「はい性的搾取」と騒ぐ心性が理解できない。
楚バットラルナ石壁ら100人異常散見できた自称弱者男性軍団の理屈に照らし合わせると、まるで『男(俺)の性欲には女を加害しても許される男性権が当たり前に含まれており、それを不当に奪われたから怒った』と言わんばかりではないか。
性愛に限らず、人は何がしかの欲求に常に振り回されている。その我欲の充足のために他人を傷つけたり貶めたりしないのは人間として最低限の道徳であり、普通の対等のコミュニケーションである。
その普通の対等のコミュニケーションを、女性が男性に対して肯定した時だけ「搾取だ」「グロい」「傷ついた」と逆上する被害者意識は超弩級の女性差別主義と一体だ。
「男性を女を屈服させる願望持ちの加害動物のように言うな」などと女性憎悪で誹謗中傷のクソリプする弱者男性集団は論外で、その行動で自らの男特有のミソジニックな加害性を証明してしまっている。
マジレスするけど、もし、デンジが自分から性行為と引き換えに悪魔退治してやると女性陣に持ちかけてたら、読者の印象は最悪だぞ。「弱みにつけ込む小狡い肉欲クズ」として。
女性陣の性的奔放さを強調したとしても、どうしてもデンジに計算高い印象を与えてしまう。それだとキャラがブレる。
性的取引が初手から大満足の結果だったらデンジが早々に目標を失ってしまい、作者が困る。
何事に対しても内向的で受け身なアニメの碇シンジ系キャラならイラつく読者も多くなるだろう。「積極的に動いてエネルギーを外に向けて発散する外向性を有しつつ女性に対しては奥手」は昔から愛される王道主人公像だ。
とにかく『チェンソーマン』本編の面白さと読者好感度のバランスは、デンジの性欲抱いてもセクハラではなく純粋なイチャラブ願望で実現しようというピュアさと健気さで成り立ってる。
作り手が意図して「こんな男子、可愛げあって好感持つでしょ?」と造形してるんだから、その観点でデンジに好感持ってる米津玄師や女性ファンは正しい。
内なる暴力性を持て余してる欲求不満の非モテ男性が「俺を無害と見なすなクソ女!俺様の抑圧されし性欲の恐ろしさを思い知れ!男と書いてチンポの怒りをくらえ!」と突然キレ出して暴れるような、自称弱者男性の理想の物語が欲しければ新井英樹の漫画でも読んでろ。
盗み、踏みにじり、食い散らかし、平然と笑っている。
ファジアーノ岡山が今年、ようやくJ1にたどり着いた。
地方クラブがどれほどの苦労を経てその舞台に立つのか、都会の人間にはわかるまい。
童謡「桃太郎」のメロディーに乗せ、「おーかやまです」と繰り返す、ただの自己紹介。
それを笑うな。
FC東京サポーターは臆面もなく岡山のチャントを剽窃し、くだらない替え歌に変えた。
「とーきょうです とうきょうです。
みなさんご存知 とうきょうです。
緑が嫌いな とうきょうです。」
岡山の祈りは、東京の「ダービーごっこ」を盛り上げるための道具に成り下がった。
これが東京だ。
いつだってそうだ。
地方が血と汗で積み重ねたものを、都会は奪い取り、都合よく加工し、笑いながら消費する。
悪びれもしない。
盗人猛々しいにも程がある。
地方の文化を奪って踏みにじりながら「リスペクト」と言い張る。
都会は地方を食い物にして肥え太り続ける。
若者を吸い上げ、労働力を奪い、資源を根こそぎ収奪し、文化をパロディーのネタにする。
それでも都会は言うのだ。
どこまで傲慢なのか。
地方の祭りも、方言も、食も、キャラクターも、都会にとっては「面白ネタ」でしかない。
地方の人々が命をかけて守ってきた文化を、都会は消耗品として浪費する。
「悪気はなかった」「盛り上がったんだから問題ない」「むしろ喜んでいるはず」。
奪う側の鈍感さと、奪われる側の悔しさ。
その非対称が、日本を歪ませ続けている。
はっきり言おう。
これは搾取だ。
これは侮辱だ。
これは暴力だ。
東京が岡山のチャントを盗んだのは、地方に対する精神的植民地支配の表れだ。
奪われ、笑われ、踏みにじられ、それでも「都会に取り上げてもらえた」と喜ぶフリをするのは、もうやめるべきだ。
怒りを隠してはいけない。
「ふざけるな」と叫ぶことだ。
笑いながら、当然のように、恥もなく。
だが、地方はただの遊び道具ではない。
文化は奪われるためにあるのではない。
岡山の歌は岡山のものであり、東京が好き勝手に踏みにじっていいものではない。
地方は怒れ。
牙をむけ。
都会の偽善を叩き壊せ。
日本は移民政策をやってないことになっていて単純労働目的も入国も違法、
ということになっているけど現実には日本中で外国人が単純労働やってるからそんなもん嘘だとみんな知ってる。
労働力にはしない、移民ではないと国民を騙して技能実習生制度が導入され、大変な社会問題を引き起こしたのはご存知の通り。
で、今度はアフリカからの移民を国際交流(笑)と称してゴリ推し。
日本の移民政策は「どんなに国民が反対しても何が何でもやる」と共産国家の真っ赤な政策だから。
選挙では移民政策に言及せず選挙が終わるとコソコソ陰に隠れて移民を入れる卑怯で卑劣な政策。
自由民主党という名の実質共産党がやってるから国民の反対なんて完全無視。
日夜本土から多額の援助を受けて生き延びているド地方の分際で、本土の高校に勝ってしまう。
ジョーカーやITを思わせるような奇抜かつ威嚇的な衣装による応援をした。
このような集団を前にしては相手選手が萎縮するのは当然であり、悪質な妨害行為と言える。
過去におきた暴力事件に対して誠実な対応を取ることで被害者の溜飲を下げてしまった。
本来であれば広陵高校のようにニ回戦不戦敗でもおかしくない状況を捻じ曲げた。
その手法も「伝統的な軍隊式教育を悪魔化し責任をなすりつける」という極めて卑劣、かつ甲子園の伝統を貶すようなものであった。
ですよね?甲子園さん?
よくきたな。おれは██████だ。おまえは今、████████という名の底なしの便所の落書きを眺めながら、そこから吹き上がってくる正義と配慮の悪臭に顔をしかめ、己の魂がじわじわと腐っていくのを感じているのだろう。なぜ、善意の言葉がナイフのように突き刺さるのか。なぜ、思いやりを装った連中が、血も涙もない処刑人のように見えるのか。その答えは簡単だ。おまえが今、目撃しているのは、タルサドゥームが発明した最新にして最悪の精神的拷問器具・・・・・・「ノーコスト気遣い」という名の魂へのグーパンチ・・・・・・だからだ。
いいか、まずおまえの脳みそを洗浄しろ。おまえが████████の██████で遭遇するアレは「議論」でも「対話」でもない。あれは、己の空っぽの自尊心を満たすためだけに、安全圏から他人を撃ち抜く道徳的優位スナイピングだ。連中は、自分の意見、自分の信条、自分の人生を賭けて戦っているのではない。ただ、「おれはこいつより倫理的で、配慮深く、”わかっている”人間だ」と証明するためだけに、言葉の弾丸をばら撒いているだけなのだ。
昔の男たちは、たとえ相手が気に食わないクソ野郎でも、「盗人にも三分の理」と言って、その存在を認め、その土俵で殴り合った。そこには、自分とは違う理屈で動く人間がいるという、世界の複雑さに対する最低限のRESPECTOがあった。
だが、今の██████の腰抜けどもはどうだ?奴らは「バカの文章には1分の理もない」と高らかに宣言する。これは、己の貧弱な感性の物差しで測れないものを、全て「無価値」「悪」と断罪する、思考停止のファシズムだ。奴らはもはや、相手の理屈を砕こうとすらしない。
その代わりに奴らが使うのが、ぬるぬるした毒だ。「あなたは自意識過剰ですよ」と正面から殴るガッツすらない。その代わりに、「あなたのその言動は、見ていて辛い。専門の福祉に繋がった方がよいのでは?」と囁くのだ。
これが何を意味するか、わかるか?これは、おまえを「対話の相手」から「治療・救済されるべき可哀想なオブジェクト」へと引きずり下ろす、人格そのものへの攻撃だ。おまえの言葉の正当性や論理を問うのではなく、「おまえは正常ではない」という烙印を押すことで、議論のテーブルそのものをひっくり返す、最も卑劣な手口なのだ。それはもはや言葉ではない。魂の尊厳に対する化学兵器だ。
さらに吐き気がするのは、その全てが「ノーコスト」で実行されることだ。奴らは、おまえを「福祉に繋がれ」と突き放した後、実際におまえの手を引いて役所に連れて行くわけでもなければ、おまえの苦しみに寄り添うわけでもない。ただキーボードを叩いて「心配しているフリ」を演じ、周りからの「いいね」という名の安っぽい拍手喝采を浴び、次のターゲットを探しに行くだけだ。
それは気遣いですらない。道端の石ころを蹴飛ばすのと同じ、何の痛みも覚悟もない、空っぽの暴力だ。己の安全圏は1ミリも揺らぐことなく、ただ他人の魂に土足で上がり込み、憐れみという名のツバを吐きかけて満足する。これこそが、タルサドゥームが現代人に与えた、最も手軽で中毒性の高いエンターテインメント・・・・・・腰抜けライドショー・・・・・・の正体だ。
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おれが言いたいことは以上だ。おまえがその悪臭漂う沼で生き残りたければ、まずその偽善の言葉の構造を理解しろ。「あなたのためを思って」という前置きは、MEXICOの荒野では「今からおまえの背中を撃つ」のと同じ意味だ。
そのぬるま湯のような毒に浸され、反論する気力すら失い、「おれが間違っているのかもしれない…」などと思い始めた瞬間、おまえの魂は死ぬ。やがておまえは何も発言できなくなり、他人の顔色を窺うだけの透明な存在と化し、誰にも記憶されることなく、静かにアカウントに鍵をかけて消えてゆくだけだ・・・・・・END・・・OF・・・SELF・・・・。
わかったら、今すぐそのクソみたいな██████を閉じろ。そして、ノーコストの言葉で他人を殴って快感を得るのではなく、汗と血を流して、現実世界で何かを成し遂げろ。それが、おまえが真の男になるための唯一の道だ。
一口に陰謀脳と言っても、日本と海外ではやっぱり質的に違う気がする。
そこで陰謀の主として、CIAとかKGBとかが出てくるならまだわかる。
世界有数の超大国だ。金も人材もあるし、過去の実績も腐る程ある。
実際海外では陰謀論といえばそういうスーパーパワーが絡むものという発想が基本だが、日本ではなぜか違う。
なぜだかトルコ人だのベトナム人だの、特に日本の政治中枢を操るような力もないはずの存在が、政府により過剰に優遇され日本人を迫害しているという謎の訴えを中心に繰り返す。
これはなんだろう。
多くの日本人には、ただの出稼ぎ外国人が超有能な国際陰謀のエージェントにでも見えるのだろうか?
そんなことはもちろんないだろう。
現代の日本人は、弱いものを見つけていじめながら、その理由を「自分が弱く迫害されているからやり返している」という屁理屈にこじつけたいという、世にも稀な卑屈で卑劣な劣情に支配されている。
こんな卑怯で恥知らずなムーブメントに誰も彼もが乗っかり、苦言も呈することができない社会などというものは、歴史上でもかなり珍しいだろう。
弱者を名乗りながら弱者をいじめたいという、最低限の人間性すらかなぐり捨てた現実歪曲が平気で支配的になってしまえる虚言社会。
https://comic-days.com/episode/2550912965303326240
「男女関係が嫌だから避けてます」ってきちんと説明してるイケメンに
「自分はそういうのじゃない、友達になりたい」つって信用を得たのに
直後にそういうのになってるのはさすがに騙してると言っていいし大分不誠実なのでは?
少なくともこれ男女逆だったら許されないと言うか
信頼を踏みにじってナアナアでごまかす男のロールモデルを少年読者に学ばせてしまう~とかなんとか
「ぬいペニ」は勝手に相手をぬいぐるみ扱いして騙されたとか言う失礼な概念だったけど
これはきっちり「自分に下心はない」って言ってガード解いておいて下心あるんだから明確な騙し討ちだろ
落ち度のある主人公過ちのある主人公をそれだけで拒絶はしないんだけど
この主人公はそういう自分の卑劣さに向き合わずになんか小動物とか子供みたいなムーブで
「いっぱいいっぱいなんです!」って感じで押しきろうとしてるのが好かん
客観性も高い知能もある女が
みたいな話なら面白いけどこの主人公はなんかはっ倒したくなるな
変な学びを得たわ
主人公が教会で犬死にする例のシーンだけ、何回も見せられてきた人生だが、やっと本編を鑑賞する機会を得た。
……まだ半分ぐらいまでしか見てないが、想像以上に胸クソ悪い物語だ。
とにかく底意地が悪いキャラクターが恣意的に配置され、ことあるごとに主人公を陥れようとしてくる。
制作者レベルで一丸となった「全方位からの理不尽いじめ」はフィクションであっても気分が悪い。
同種の感想を抱いた作品に、なろう系の『盾の勇者』があり途中で脱落してしまったのだが、こんな強烈な作品が昔に存在していたとは知らなかった。
コゼツ
ヒロイン(アロア)の父親。差別主義者。発生するトラブルは全て年端のいかないネロに結びつけ、証拠もなく犯罪者扱いしてくる。反面、ネロの善行はもれなく死角に入れてスルー。見る目のなさワールドクラスの権力者パワハラ系クズ。
ハンス
コゼツの使用人。不誠実とへつらいを錬金合成させて生まれた存在。立場の弱い相手にはとことん高飛車に出るが実のところヘタレ。職務に忠実ならまだ救いはあるが、仕事ぶりは抜け目が多く杜撰。卑劣漢無能クズ。
ハンスの息子(名前知らん)
父親譲りの責任逃れムーブは絶妙。主犯格でありながらぬけぬけと「ぼく知らないよ」「やったのはネロだよ」と素朴な邪悪ぶりで憎悪を煽ってくる。家系図レベルで保証された血統書付きクズ。風車に括り付けて死ぬまでおろすな。
ナチュラルに動物虐待をはたらき、意味不明な理屈と脅しで金を巻き上げていく対話不能の猛獣。おとなしく金を渡すネロの祖父も祖父だが。警察というよりはヒグマ対策室による駆除対象。
これら悪魔超人カルテットを中心にした盤石の試合運びで、ネロと犬をあらゆる手で地獄に追い込む。それが『フランダースの犬』という話だ。こんな作品がどうして名作の顔をしてのさばっているのか。
同年代のアニメ『アルプスの少女ハイジ』と比べてもキャラへの不快感は桁違いだ。デーテおばさんはハイジをあそこまで育てたと思えばむしろ苦労人キャラだし、ロッテンマイヤーも信条・手段はともかく職務への熱意は疑いない。
意外なのは、パトラッシュがあまり活躍しないこと。温厚な性格で寄り添い力は高いが、惜しいことに「ご主人を救う機転」のようなものはめったに発揮しない。所詮は犬と思えば、リアルっちゃリアルだが。