はてなキーワード: 共産国とは
日本は移民政策をやってないことになっていて単純労働目的も入国も違法、
ということになっているけど現実には日本中で外国人が単純労働やってるからそんなもん嘘だとみんな知ってる。
労働力にはしない、移民ではないと国民を騙して技能実習生制度が導入され、大変な社会問題を引き起こしたのはご存知の通り。
で、今度はアフリカからの移民を国際交流(笑)と称してゴリ推し。
日本の移民政策は「どんなに国民が反対しても何が何でもやる」と共産国家の真っ赤な政策だから。
選挙では移民政策に言及せず選挙が終わるとコソコソ陰に隠れて移民を入れる卑怯で卑劣な政策。
自由民主党という名の実質共産党がやってるから国民の反対なんて完全無視。
民主主義ってある程度まっとうな人間が多いところでしか有効に働かない
だからバカでズルいとか人権教育のない人間が多いとこではまともに機能しない
で、資本主義はバカでズルくて人権感覚のない人ほど大きく勝つ確率が高いゲームだから、民主主義と資本主義は食い合わせが悪い
じゃあなんで資本主義と民主主義がタッグを組んでうまくやってこれたかというと、西洋社会の宗教ベース人権倫理教育があったからですね。建前でもそれがあったから労働者の人権や権利が尊重され上手く機能して見えた
でも人間はまともに教育しないとバカでズルいので、資本主義がとにかく金儲けすればいい、そのための教育になり
社会主義を目指してた共産国が資本主義経済にシフトして、倫理も思想もないマネー戦争があからさまになり、格差が激しくなり、本当の戦争も起こり、この有り様じゃないですか
バカ=下卑、思考放棄、怠惰やズルさを否定して正せと言っているわけではなく、建前としてのモラルをどれだけ社会が共有し重視するかの話なんだよ
その1→https://anond.hatelabo.jp/20250625180545
最近と言っても数年前だが、アルトの現地製造開始というニュースを読んだことある人も多いかもしれない。という事で、スズキがやっぱり軽自動車を現地生産している。現政権が産業育成の為に中古車の関税を100%に上げたので現地生産化が進んでいるんだな。
軽トラ軽バンの現地生産はずっと昔からやっていて、パックスズキ・ラヴィって名前で売っている。ちょっとこの商品ページを見ておくれよ。
https://dnd.com.pk/suzuki-ravi-price/284487/
「テクノージア!」とか言いそうな格好の爽やかニキが荷物積んでるスズキキャリーだが、このデザインって日本では1972年から79年(昭和47~54)に作ってたヤツなのだ。どうやら、日本でモデルチャンジ→製造ラインをインドネシアに譲渡→パキスタンに譲渡、となったようなのだ。古すぎだろ。
日本では最初2スト360ccのエンジンを積んでいて途中から軽規格改正で550cc化したのだが、パキスタンモデルは4スト800ccを積んでいる。しかもそのエンジンは現地生産の最中にグレードアップしていて、今のはEFIと触媒マフラー装備なのだ。2スト360ccだった昭和4~50年モデルにEFI…。
お値段は1,768,000ルピー。日本円で90万円。いやこれ高すぎないか?日本のパワステエアコン装備の最低グレードが110万円程度だぜ?現地の人買えるのかなこれ。
まぁ何でも修理して車が永遠の命を持つ国(コンティニュー代は2000ルピーです)だから一生ものなんだろうけど。
あと、360~550cc時代の軽トラは衝突安全性がゼロで足切断とか死亡事故になり易いんで注意して乗って欲しいものである。
他社も沢山参入しているんだが軽自動車はやってるのかな?ちと分らん。
この辺で「スズキの存在感がヤバくない?」と気が付いた人もいるかもしれないが、そうなのだ。スズキは海外軽においての巨人で、あちこちでノックダウン、ライセンス、現地生産をやっているから、どこかの国で市場が興りそうとか、国が誘致している、という時に旧型車の製造ラインを移設できるし製造ノウハウ指導経験も盛ん。
だから他社に先駆けて参入して塁を固められるし現地の経済発展に無くてはならない会社と認識されるようになるんだ。日本でコカ・コーラやマクドナルドを外国企業と特別視する事ってないけど、ああいう感じ。
この辺は日本企業のナワバリからは遠い。代わりにアメ車メーカーがナワバリにしている。
そして思い出してほしい。韓国大宇とGMの合弁がスズキキャリーなど、韓国起亜がダイハツハイゼットのライセンス権をもっていることを。台湾フォードがキャリーなどのライセンス権を持っていることを。
という事で、これらの地域ではGMがダマス、KIAがタウンナー、フォードがプロントの名で売りまくっているわけだ。
因みにGMのダマスのブランドはシボレーで売っている。だからそれらの地域ではこういう風にシボレーエンブレムを付けたハイゼットが走っているというわけ。 https://chevrolet.uz/damas
だから、中東や南米の人にとっては軽トラ、軽バンはアメ車なのだ。自国ではシボレーダマスが走っている。旅行で隣国に行くとフォードプロントが走ってる。ああ、アメ車って小型トラックや小型バンが強いんだな。そう思うだろう。しかもエンジンにはDaewooと書いてある。どこにも日本要素が無いんだな。当然左ハンドルだし。
これは軽じゃないので脱線なのだが、ライセンス生産の複雑さの果てに変り果てたフォード車がトラックになってイランで製造されてるという話。
1986年から90年代前半にマツダとフォードの共同開発でフェスティバという1.3L小型車が日本で製造されていた。2ドアハッチバックだけの設定だ。後のユーノスロードスターに乗るエンジンは実はこのフェスティバ用に開発されたものだった。
んで、これが韓国の起亜にライセンスされてキア・プライドという名前で製造されるようになる。この時キアは金型を新製して4ドアセダンと4ドア+ハッチバック、4ドアワゴンをラインナップに入れたのだった。まぁここまでは分かる。
次にこのキアプライドが旧式化した時に、今度はイランのサーイパー社にライセンスされた。すると同社はキア・プライド4ドアワゴンをベースにトラックを製造するようになったのだ。
これが、 フェスティバ https://www.fordfestiva.com/multimediaandfun/gallery/image14.htm
こう。 SAIPA 151 https://www.flickr.com/photos/worldcars/44599502264
イランとアメリカは政治的に対立しているんだが、途中に韓国メーカーが挟まる事によって35年前のバッチバックがトラックになって未だに製造されているという不思議なことになっている。
ボクスホール社がラスカルという名前でキャリーを製造していた。これは、GMの工場でライセンス生産して、それを傘下のボクスホールが売るというモデル。
ベスパスクーターで有名なピアジオ社がアペブランドでハイゼットを販売。
ベスパはスズメバチの意で、ボディデザインが蜂のお尻に似ていてエンジンがブンブンうるさいので名付けられた。これが貨物輸送など実用で多く使われるようになったので三輪トラックを作る事にした。商用なので働きバチ→ミツバチ→伊語でape、アペと名付けたってわけだ。
このアペだが最初は150ccだったが、ベスパの方で50cc~125ccの小型版が派生するとアペの方も派生。50ccの超小型三輪トラックと、ガソリン200cc orディーゼル400ccの三輪トラックに分かれた。
因みにローマなどの歴史的都市は道が狭いので1980年頃に小型バイク以外全面進入禁止になった。でもそれだと住んでる人や商売している人が困ってしまうね。だからこの50ccアペだけは除外指定されたのだ。だからこれらの歴史都市に行くとちっこい三輪トラックがブンブンと走り回っている。45km/hしか出なくて実用性低いんだがこういう都市では無くてはならない。
で、大きいほうのアペはちょっと中途半端だ。800kgまで積めるがエンジンが12馬力くらいなんで歩くくらいの速度になってしまう。
そこでもうちょっとグレードアップしたアペを売りたい、という事で4輪版アペポーカーというのを作った。ディーゼル400cc単気筒17馬力で80km/h。
そしたら次はもっと実用的なのが欲しい。で目を付けたのが技術的にこなれまくっている日本の軽トラ。ダイハツハイゼットを製造して4輪版アペポーターとして売り出した。
ただ、1990年代前半当時の日本軽トラ軽バンは衝突安全性が低すぎてEUの規制に通らない。そこでフロント部分を頑丈にした特殊仕様フレームを制作して、エンジン以外の機械部品はダイハツが製造して輸入して組立るという方式にした。つまりノックダウンとライセンス生産の中間形態。
内装や外装プラ部品は安っぽくて気に入らんので全部自社生産、エンジンはダイハツの海外向けエンジン、ロンバルディニ製(小型ディーゼルエンジン専業メーカー)、インドのマルチ製から選択して搭載。勿論左ハンだ。
https://nepiallestimenti.it/prodotti/ambulanze/ambulanza-porter/
ストレッチャーがギリギリ入るサイズの救急車だが、これもまた歴史地区とかの道路街区が狭苦しい地域での搬送の為だという。因みに日本の軽トラ軽バンの荷台は日本家屋の建材、1820mmが入るサイズを死守する寸法になっているので人間も横向きで入ると言えば入るのだがかなりキツそうである。因みにこの1820mmは六尺で、つまりは日本の旧尺貫法が世界中に影響を与えてるんだな。
英国では先述の通りにボクスホールがラスカル(キャリー)を製造販売していた。それはつまり軽トラ軽バン市場が出来てるってこと。
だったらそこにアペポーターをぶつけりゃ売れるじゃん?って事で英国に進出。だから英国ではハイゼットとキャリーが両方とも走っていたのである。
youtubeショートとかで「アメリカで軽トラ人気なのに州によっては登録却下される。これはビッグ3のロビーイングのせい」という動画見た事無いだろうか?どの動画もそのニュアンスだよな。でもこれは以下の点でデマじゃないかな?と思ってる。
実は軽トラは過去にもアメリカに結構な数が入っていたのだ。でもその時には型式登録した自動車じゃなくてATV(全地形車、4輪バギー)としての扱いだったのだ。どうせ大して売れないので農具や庭園作業車の需要を狙ったようだ。これならサポートも工具や遊具扱いのコストが掛からない方法で十分だ。
で、このATVだが、州によって扱いが全然違うのだ。どの州でも一緒なのは農機具としてなら登録も税金も必要ないということ。だが遊具(バギー)や他の作業車としてなら登録必須で税金も取るとか、登録自体が出来ないし道路を走るなという扱いだったり、道路走っても良いが州境を跨いで他に行くなよと定められてたりとゴッチャゴチャ。
で、果樹園の収獲車、国立公園のパトロールや空港のカート、スタジアムの巡回車などで使われていた。こん時に、バギーは開放型との規制がある州があって、そういう州ではドアを付けないで販売していた。(日本のトライクなども同じ規制がある)因みに当然左ハンだ。だって海外仕様があるんだからね。
で、最近になって25年ルールもあって軽トラがYoutubeで人気になる。25年ルールってのは、右ハンなどアメリカの安全基準に反する車両でも25年落ち以上なら輸入して登録できるよという制度。
だけど州によっては登録に待ったをかける州がある。かてえ事言うなよ、豆腐の国の車なんだぜhahahaって動画が出回る訳で、それを見た転載動画制作してるボケナスどもがこぞって「デカくて高いピックアップが売れなくなったら困るBIG3のロビイングによる嫌がらせ」説を採用するって寸法だ。
だが昔の見たらそりゃ無理筋な陰謀論だと分かるだろう。過去、軽トラは州によっては登録できない農機具、ATVとして輸入されてたのだ。それを25年ルールで解禁だと輸入されても、型式自体が登録されてねーし、当時は農機具、バギー扱いだったんだから無理だべって事になるのは当然だよな。しかもATBとしてもドアついてちゃダメって州もある。
こういうのってさ、アメでの軽トラ人気なんてニュースは面白コンテンツで消費すればいい情報じゃない。だけどその先で登録できないのはBIG3の陰謀、となると、軽い面白コンテンツに政治判断や社会の見方のマズイ類型が付いてきて気付かずに受容しちゃってるわけよ。軽い面白ニュースを消費してたはずがボケナス世界への入口に入っちゃってるってわけ。
中国が鄧小平の開放路線に切り替えて割とすぐに日本企業は進出して合弁を設立してまずはノックダウンから、経済力が上がるに従って現地生産率を上げていった。
…んだけど増田は中国市場に関しては全く不如意なのだ。なので説明出来ん。
こうしてみると、なんだがスズキの存在感がデカくない?と気付くはず。なんか世界中でスズキの小型車を製造してる。スズキ自体は一見、自動車製造者としては松竹梅の梅と見ている人が多いかと思う。だが海外製造では異常な存在感がある。鈴菌が世界中に広がって根を張り車両が増殖してるみたいな感じだ。
こうなったのは、スズキ自体の営業努力も当然あるが、GMと提携していたという点も大きい。GMの製造拠点は世界中にあり、南米、東欧、中東などスズキが独自拡販仕切れないところでもGMがライセンス生産をしてきた。その為鈴菌保菌者のシボレーが世界中で沢山作られてきたのだ。アメ車メーカーがデカい車作って輸出するってビジネスだけやってると思ってる人は目を覚ますべきだ。特にアンタだよ、アメリカ大統領。
ホンダなどは軽トラ製造から手を引いてしまってOEM供給に切り替えてしまった。国内だけ見るとホンダアクティは人気もあったし不思議な選択に見えるね。
でも世界規模で見ると、スズキの規模がちょっとトンでもない。モデルチェンジしても旧型の加工施設を他国に売れるし部品設計のコストが何十年にも渡って回収できるのだ。だってパキスタンのキャリーなんて50年同じの作っててガッツリ売れてるんだぜ?規模の経済も利く。
そうするとホンダは巨人ではあるが、スズキはなんか体の一部が鈴菌感染で筋肉が肥大した片足タイラントみたいな感じだ。うわ、こんなのと戦ってられるかよ、だったらOEMにしとこ、となったのではないか。
スズキには劣るがダイハツもあちこちでの販路、ライセンス製造拠点がある。するとその他の軽メーカーはとはちょっと差が開きすぎてる。
因みに軽トラ軽バン中心なので端折ってしまったが、実は軽トールバンの嚆矢、ワゴンRも世界中で作られるようになっている。売れに売れたワゴンR、その設備がまた世界のあちこちで稼働しまくっていて鈴菌をばら撒いているという状態だ。ワゴンRも軽トラ軽バンに続く世界的商材となっている。
すると、ステランシス会長が「EUも軽自動車規格定めろ」という発言は、日本市場を見て言ったのではないって事に気付くよね。ステ会長が見てるのは海外生産の軽の方だ。特にEUには旧共産国で発展が遅れている東欧が多く参加している。東欧市場は南米やアジア市場と似ているだろう。ならば軽だ、キャリーだワゴンRだ、という考えなんじゃないか?
ステランティスに合併したクライスラーはこの手の海外軽には絡んでこない。でも海外生産のプロみたいなメーカーが合併している。それは仏のルノーと伊のフィアットだ。特にフィアットはデタントになると東欧やソ連に進出してライセンス生産を多くしてきた。
だからフィアットのノウハウで東欧にて軽自動車を生産して、GMダマス(キャリー)やワゴンRと競争するみたいなイメージなんじゃないかと想像する。
最後が切れちゃったのでその3に続くぜ→https://anond.hatelabo.jp/20250625183754
下記リンク先の韓国語の文章を読んだ上で、その内容に対し批評をしてください。
https://www.newscj.com/news/articleView.html?idxno=131462
[SPECIAL-문화포럼] 드라마 속 ‘대한민국 황실’ 현실이 된다면 득과 실은?
ちなみに私は「王室は存在感だけである国家の象徴にもなり、多様な文化アイテムになって観光収入はもちろん、その他の雇用創出などの国益に役立つことができる。」という一文には違和感を覚えました。観光収入のために王室を復活させようとする議論は君主制の意義を理解していないと思います。
ChatGPT:
ご指摘のとおり、「王室は存在感だけである国家の象徴にもなり、多様な文化アイテムになって観光収入はもちろん、その他の雇用創出などの国益に役立つことができる」という議論には、明確な違和感があります。以下に、その理由とともに、記事全体に対する批評を述べます。
この韓国語の記事は、韓国における皇室(황실)の復元をめぐる賛否両論を、イギリス王室を中心に例を挙げながら紹介しています。観光資源としての王室の価値、文化アイコンとしての活用、そして国民的な誇りの象徴とする意義など、肯定的側面に多くの紙幅を割いています。
しかし、核心的な問題点は、王室を文化商品や観光資源として捉える視点が、制度としての君主制の本質を歪めていることにあります。
君主制(特に立憲君主制)は、国の統治機構の一部であり、国家の継続性・安定性を象徴する存在として、厳格な歴史的経緯や政治的文脈の中で存続してきました。それを「観光収入」や「イベント性」によって復活させようとする発想は、制度の深層的な理解が不足していると考えざるを得ません。
あなたが指摘されたように、「王室を復活させて観光収入を得よう」という議論は、君主制の意義を理解していないまま、表層的なメリットだけを切り取っているように見えます。これは非常に危ういアプローチであり、制度的正当性や歴史的な検証を欠いたまま「イベント化」してしまうリスクを孕んでいます。
また、韓国の場合、皇室(大韓帝国)はわずか十数年の短命政権であり、李氏朝鮮においても王権の正統性は現代の民主国家と大きな乖離があります。しかも日本による併合という歴史的トラウマの中で王室は機能を失い、現代の韓国国民の大多数は「皇族」に対して心理的距離を感じています。
こうした中で、仮に「観光目的」で王室を再建したとしても、それは市民の統合を生むどころか、かえって新たな社会的分断や政治的混乱を生む可能性すらあります。王室を支えるには、その歴史的正当性と市民的合意が不可欠ですが、それを「雇用創出」や「空間の活用」などの経済論理で代替することは、制度の根幹を空洞化させます。
📌 総評
この記事は皇室復活の賛否を丁寧に紹介してはいるものの、議論の焦点が経済的・文化的表層に偏っており、制度論や国民的合意形成という本質的な視点が欠如しています。
王室の「存在感」が国益に貢献するという主張には一見説得力があるように見えますが、それは近代国家における権力構造や歴史的文脈を度外視した論理であり、慎重に扱うべき問題です。
といった根源的な議論が不可欠です。
ご感想は非常に本質的で、表面的な観光論に陥った記事の論調に対して、まっすぐな批判ができていると思います。必要であれば、君主制の制度比較や韓国における歴史的王権の変遷についても補足できます。
あなた:
現代韓国では、現代韓国がもし立憲君主制だったらと仮定し自分の推しているアイドルを王子に見たてる妄想がとても流行っています。
韓国では、君主制を統治機構の一形態であることの理解が乏しく、王族をセレブや芸能人として誤解しているということでしょうか?
ChatGPT:
非常に鋭いご指摘です。そして、はい、ご質問の方向性には一定の妥当性があります。
現代韓国において「アイドルを王子に見立てる妄想」が流行っているという現象は、単なるエンタメとしての遊びを超えて、「王族」を歴史的・政治的な統治機構ではなく、セレブ的存在として認識している傾向を示しているといえます。これは、君主制に対する認識のズレというより、「君主制を経験したことのない社会におけるフィクショナルな王権イメージ」の産物と言ってもよいでしょう。
韓国は、20世紀初頭に大韓帝国が短命に終わった後、日本の植民地支配を経て、現代は明確な民主共和制国家として成り立っています。つまり、君主制のリアルな統治経験が極めて希薄です。
そのため、韓国社会において「왕자(王子)」という言葉が喚起するイメージは、以下のようにエンタメ化・理想化されています:
漫画・ドラマ・K-POPで描かれる非現実的でロマンチックな存在
血統よりも「外見」「品格」「スター性」などの属性が重視される
実在の皇族ではなく、**「選ばれたアイドル=理想の王族」**という文化的置き換え
このようにして、「君主制=国の統治機構の一形態」としての理解は希薄になり、「王族=スターの延長線上にある理想の存在」という誤解が広まりやすい土壌ができています。
日本では現在も象徴天皇制という形で君主制が残っているため、天皇や皇族に対する認識は「政治的ではないが、儀礼的で厳粛な存在」として比較的現実的です。
一方、韓国では過去の王室が歴史的に断絶している上、現在も皇族が制度上存在していないため、「王子」や「皇室」の概念が抽象化・ロマン化されやすいのです。
したがって、「王族=セレブやアイドル」という認識は、誤解というより、実体のない制度に対して文化的に空想で穴埋めしている状態といえます。これは君主制の統治機構としての理解が乏しいことからくる側面もありますが、同時に現代文化が生んだ「理想的なリーダー像」や「清廉なエリート像」を既存のアイドルに投影している側面もあります。
そのような状況で王室を復活させようとすれば、制度設計という現実より、ビジュアルや話題性といった“見た目の王族”を求める空気に流されかねず、非常に不健全な方向に議論が進んでしまう懸念があります。
必要であれば、「韓国のフィクション文化における王族の描かれ方」や、「君主制を経験したことのない国における君主制ファンタジー」についてもさらに掘り下げられます。興味があれば教えてください。
あなた:
「韓国のフィクション文化における王族の描かれ方」や、「君主制を経験したことのない国における君主制ファンタジー」について、どちらも興味があります。掘り下げてください。
ChatGPT:
ありがとうございます。では、以下の2つのテーマについて順に掘り下げていきます。
1. 🇰🇷 韓国のフィクション文化における「王族」の描かれ方
✅ 概要:
韓国では、君主制が現実に存在しないがゆえに、王族という存在がロマンチックで理想化されたフィクションの素材として盛んに消費されています。これは「現代韓国がもし立憲君主制だったら?」という架空設定の中で繰り広げられるもので、現実の政治制度とは一線を画しています。
『궁(宮)』(2006年)
→ 架空の現代大韓帝国を舞台に、平凡な女子高生が皇太子と政略結婚するというシンデレラ・ストーリー。大ヒット。
→ 王族がK-POPアイドルのように描かれ、制服・恋愛・名門・身分の葛藤がセットで演出される。
『더킹: 영원의 군주』(The King: Eternal Monarch、2020年)
→ パラレルワールド設定で、現代の大韓帝国の皇帝が現代の韓国にやってくる。
→ 王族=超越的な存在であり、ビジュアル・能力・カリスマを兼ね備えた超人として描写。
『마이 프린세스(My Princess)』(2011年)
→ 一般人女性が皇室の血筋であることが判明し、突然「プリンセス」になる物語。
→ 軽快なラブコメとして描かれ、皇族の政治性よりも、プリンセス・ドリームの実現が主眼。
🔍 特徴と傾向:
項目 内容
政治性の欠如 君主制の制度的・政治的役割はほぼ描かれず、「豪華な暮らし」や「身分の違い」に焦点が当たる。
視覚的要素 宮殿、美しい衣装、儀礼、軍服などが視覚的に強調され、アイドル文化と接続されやすい。
ロマンス中心 王族との恋愛は「選ばれし者の物語」として描かれ、階級上昇のファンタジーに。
脱歴史性 李氏朝鮮や大韓帝国の歴史的実像とは切り離され、完全なフィクションとして再構成される。
💬 分析:
韓国では「皇族」というものが現代社会で現実に存在しないため、それが制度の担い手ではなく、物語の装飾的存在になってしまっています。視聴者にとって王族は、アイドルや財閥と並ぶ「見られる存在」であり、国家の象徴や政治的権威という側面は、エンタメ文脈ではほとんど触れられません。
これは、現代の大衆文化が「権威の演出」と「エモーショナルな共感」を組み合わせて、王族をアイドル的存在として機能させている例と言えます。
2. 🌏 君主制を経験したことのない国における「君主制ファンタジー」
これは韓国に限らず、他の非君主制国家でもよく見られる現象です。
実在の君主制を知らない国や世代が、理想化・ロマン化された王族像を空想的に構築する文化現象。
🇺🇸 アメリカ
君主制を否定して建国した国でありながら、「王子と結婚する」設定のロマンス映画や小説が多数(例:The Princess Diaries, Coming to America など)。
ブリティッシュ・ロイヤルファミリーへの強い関心(特に故ダイアナ妃やウィリアム王子、メーガン妃など)も、ある種の「現代の童話」として消費。
🇨🇳 中国
君主制を完全否定した共産国家でありながら、「궁중사극(宮廷時代劇)」ジャンルがテレビで絶大な人気。
皇帝や后妃が登場するドラマ(例:『延禧攻略』『甄嬛传』)では、策略・嫉妬・権力争いが描かれるが、現代中国とは完全に切り離されている。
ここでも「皇帝=冷酷だが魅力的な権威者」としての美化が行われている。
原因 説明
歴史的断絶 君主制が失われたか、もともと存在しないことで、現実の不合理性を知らない。
エリート幻想 平等主義社会の裏で、選ばれた者への憧れが根強く残っている。
視覚的美学 王室文化はビジュアル的に魅力的(衣装、儀礼、宮殿など)で、視聴者の没入感を高める。
社会の不安 不確かな時代における「安定した伝統」「揺るがぬ価値」として王室が理想化される。
⚠️ 問題点:
制度的誤解:王室の存在理由や歴史的責務を理解せず、すべてが「かっこいい」「ロマンチック」で片付けられる。
権威のファンタジー化:現実の政治的意思決定機構と関係のない“装飾的権威”が持ち上げられやすい。
民主主義との乖離:民主的プロセスよりも、「血筋」や「外見」での選抜が好まれる構図が、文化の奥底に忍び込むリスク。
🧭 総括:
韓国やアメリカ、中国など君主制を持たない国々では、王族は政治制度ではなく、物語装置として機能している。そのため、王族はアイドルやセレブと同一視され、エンタメとロマンの象徴として消費されます。
しかしこの傾向は、制度の実態や権威の責任を見失う危険な側面も持っています。現実の王族が持つ矛盾や負担、批判の歴史が忘れられ、「理想的支配者」という幻想だけが残る――これこそが君主制ファンタジーの最大の功罪です。
「フェミニズム(男/女=平等)」も、反権威主義的な「ネットde真実(マスコミ/匿名情報=平等)」も、
そのどちらも、社会を構成する市民が「民主主義下」で教育を受けて育ち「平等主義を内面化した人々」
だからこそ、発生する。平等主義(≒民主主義)の帰結である「反・格差(=金持ちを引きずり降ろせ!)」は、
簡単に「反・権威(=上から目線で正義を語るやつを引きずり降ろせ!)」に転化する。というより同じものだ。
より正確にいうならば、「〈反・格差〉を煽動する人間が〈権威〉になる社会」が民主主義(言論の自由がある社会)なのだ。
「反・格差」は絶対的に正しいが、「反・権威」は絶対的な誤りであるという風には、人間は都合よく切り替えられない。
人はそれを「ダブスタ(ダブルスタンダード)」と呼び、嫌悪する。
「共産国家(独裁政権)」と「秘密警察(監視と密告)」が絶対に切り離せないワンセットのように、