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「軍馬」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 軍馬とは

2025-05-25

お前らが知らなそうな雑学あげてく

1. カプセルホテルカプセルは4つくっつけるとコンテナとほぼ同じ規格になる

なのでカプセルホテルカプセル搬入はとても楽。

カプセルコンテナ内のミニコンテナとしても使えるので、中に荷物がつめられることもある。

逆にカプセルの大きさからコンテナの大きさも想像できるので便利。

当然規格外のものもあるので全部が全部そうではない。

2. “ねぎま”の語源は“ねぎウマ”

戦後、肉不足で馬肉ねぎを使った焼き鳥屋熊本闇市流行した。不要になった軍馬を使ったり。

もともとねぎウマと言われていたが、途中から訛ってねぎまになった。

鶏肉不足が解消して馬肉を使わなくなり、ねぎまという言葉けが残った。

3. 平成中期までの100円硬貨ギザギザの数は100個

偽造防止のためもあるらしい。

詳細は詳しくないが、造幣局資料によると覚えやすいというので全会一致だった様子。

今の100円硬貨は128個になっているらしい。なんで128個なのかは知らん。

4. レジ袋の取っ手の部分は女性の肩幅をメインに設計された

レジ袋の取っ手はあの輪っかが非常に大きいと思うが、あれは平均的な女性の肩幅より少し大き目に設計されて導入された。

昭和の中頃の話。主婦が買い物のときに便利になるようにということらしい。なので現代ならもう少し大き目にすべきかもしれない。

5. バブル期名刺の右上を折ると秘密符牒になった

バブル期限定だが、違法風俗違法賭博に行く人は名刺の右上を軽く折ることで社会の目を掻い潜りながら情報交換していた。

右上が折れている者同士は「あれっ、名刺の右上折れてますね〜!」とお互い牽制し合いながら客探しや店探しをしていたとか。真偽は噂レベル

2025-01-21

競走馬はわかるけど軍馬ファンタジーだと思ってる

俺が馬なら人間見捨てて逃げる

牛やヒツジだってそうする

肉食獣じゃねーんだから

2024-12-06

家畜の生きる道

メジャー家畜と言えばなにが思い浮かぶ

三大食肉である、牛、豚、鶏がまず浮かぶよね

他は?と言われると、馬、羊、山羊、あとは、アヒル?くらいのもんだろう

基本的にはどれも食うために飼われている

牛豚鶏はまさにそう

牛は乳も、鶏は卵も食われる

ヒツジは毛を採るのが大きな目的だが、最後は食われる

ジンギスカンうめえ

山羊はあまり食わないけど、沖縄では山羊汁を食うらしい

乳はチーズに使われたりするのをよく見る

異質なのは馬だ

馬も食うけど、生産される馬の大部分と食われる馬は結構品種が違う

食われない馬は何のために生産されるかと言えばもちろん、人が乗るためだ

乗れなくなった馬が処分されて食肉になるが、コンビーフドッグフードなど加工品、または動物園の肉食獣の餌になる

でもそれは副次的もので、世の人が誰も馬に乗らなくなったら、馬を育てる意味なんかなくなり、おそらく牛豚で十分となるだろう

いつかそんな世の中になっても不思議はないよね

しかし、だ

馬って素晴らしい生き物で、有史以来人類パートナーだったわけだ

今の世の中での、トラクタートラックトロッコベルトコンベア乗用車、高級車、スポーツカー自転車、このようなものの代わりを馬が務めていた

馬がいなければシルクロードでの輸送なんか起きなかったろうし、物流は格段に都合が悪くなっただろう

山中での果樹山菜採取木材採取なども、馬によって運び出せなければ生産効率は悪かったろう

炭鉱石炭を運び出すのも小型の馬が活躍した

戦争でも軍馬活躍した

元の騎馬軍団武田の騎馬隊、色々思いつく

そして何より大事なのは、それらの馬の世話、手入れ、飼育と、馬具、馴致、調教、乗り方にも全て技術があるということだ

野生の馬を捕まえてきたら誰でもすぐ乗れるみたいなことはなく、現実ポケモン世界みたいではないのだ

しかし、人はどんどん馬に乗る必要がなくなり、数千年改良し続けた技術が将来滅びてしま可能性を感じる

個人的には、これらの技術が失われ、馬の多様性が失われるのはすごくすごく惜しい気がしている

現在馬に乗るのは、観光農園の他には、馬術競技をする人と、競馬関係者くらいだ

そして競馬は、誰でも馬券を買うことはできるものの、その内側に関わることは、それを生業にする人以外はいない

観光牧場に遊びに行くのは誰でもできるものの、しょっちゅう行くわけではないし、牧場経営も、それこそ生業にしなければ無理だ

となると、我々一般人が馬事文化の維持、振興に関われるとすれば馬術競技しかない

馬術競技とまではいかなくとも、乗馬をたしなむことは誰でも趣味でできる

現代人には、もっと身近に乗馬をたしなんで欲しいと思っている

パリオリンピックでは日本銅メダルを獲得するくらい、日本馬術レベルは高い

我々の生活もっと馬は身近であるべきと思う

歌舞伎を見たり、伝統工芸品を珍重するなら、それと同じく馬事文化の保存と継承にも関心を持って欲しい

そう、乗馬を習おう

乗馬って大型二種免許とるくらい、すごい技術習得なんだと、シルクロードに思いをはせながら感じて欲しい

それが馬がこの先生き延びていく道だと思っている

乗馬が上手になれば馬術大会にでよう

これはもう、リアルポケモンバトルだ

ポケモン好きなら最高の瞬間だよ

2024-09-22

anond:20240921235501

人類AIの飼い猫みたいにのんびりした暮らしができるとどうして思えるんだろう?

グロ画像タグ付けを延々とさせられるゴーストワーカーとか、延々とamazon倉庫仕分けしたりとか、低賃金の悪い環境仕事にはりつけられる人が増える可能性が圧倒的に高そう。現代人間人間をどう扱ってるか考えてみてほしい。

他の動物比喩でいえば、人間軍馬とかサイボーグ昆虫かにさせられる可能性の方が高そう。

2024-01-14

戦場騎兵が使われなくなった理由ウクライナ戦場戦車活躍しない理由

騎兵は長らくの間、戦場重要役割果たしてきた。

しか戦争の道具が発展し機関銃が装備されるようになるとその役割は終わった。

騎兵が無くなった理由は、戦場において機関銃の絶好の的となったからだ。

歩兵のように匍匐前進も出来ない騎兵戦場においてその機動する空間を失ってしまった。

それでも当時特権階級支配していた軍隊においてはその出自騎兵である上層部によって騎兵尊重され即座に消えてなくなることはなかった。

とはいえ戦場においてただ機関銃になぎ倒される存在になるわけにもいかず、騎兵戦闘中には下馬して歩兵としての役割を果たすこととなる。

さら軍隊モータリゼーションの波が及ぶと軍馬育成のコスト削減のため騎兵は完全に消滅することとなる。

現在ウクライナ戦場において戦車活躍する場がないと言われている。

その理由ドローンなどの徘徊兵器比較的低空で活動する戦場では戦車は格好の的となり、その機動するスペースが存在しないからだ。

これは騎兵機関銃によってその活動制限されたことと似ている。

この状況が即時戦車無用との結論を得ている訳では無いが結局はそのような結論に達する可能性はある。

戦場ドローンのような徘徊兵器を一掃する兵器が登場しない限りは戦車はその役割を大きく変化していくことになるだろう。

2023-10-24

アラブ作らなくなった今でも軍馬自衛隊の儀仗部隊とか?)の育成事業の建前ってあるのかなJRA

2023-09-12

奈良県桜井市古墳から見つかった、大量の鏡の破片

古墳軍馬の放牧に使われていた軍事施設

邪馬台国は牛馬を使わなかった

卑弥呼渡来騎馬民族鮮卑惨敗し、100枚の鏡を奪われ、奈良に持ち去られたか

大陸での鮮卑の展開と古墳時代は一致する

2022-10-09

競馬って不名誉だよな

たとえばプロ野球公営ギャンブルにするって言ったら絶対反発買うだろ

ギャンブルの要素絡まれる時点で純粋ファンにとっては不名誉に感じるんだよな。なんかそのスポーツ地位が下がった(スポーツ神聖性を侵されたような)気分になる。

まあ競馬中世とかからあって明治昭和日本血気盛んになったころに軍馬育成のために賭博化されて、一時的賭博じゃなくしたら一気に誰も競馬に関心持たなくなったって歴史があるそうだから、いまさら賭け事じゃない純粋興行としての競馬を作るのは採算とれるか恐ろしくて無理なんだろうねえ

サッカーtotoみなく興行としてのものもあるけど、賭博もできる、みたいなのじゃなくて賭博しかないって状態はやっぱり悲しい気もするね

輓馬とか馬術競技はあるけど、もっと西洋の馬で速さを競った、しかコースもカーレース並みにある程度凝った形状のやつで賭博じゃないのができたらいいよねえ

2022-06-11

anond:20220610202444

地続きの帝国としては人類史上最大版図を誇ったモンゴル帝国原動力となった馬たちの眷属なんだから軍馬として劣っているわけではないことには留意

2022-06-10

anond:20220610202444

一時期「戦国時代の馬はポニーだったから騎馬隊とかは嘘」というガセが流れていたが

サラブレッドデカすぎて現代的な基準だとポニー扱いになるというだけで

世界史的にも軍馬といえばそのくらいの大きさが普通であり

戦国時代の騎馬の能力特別劣っていたとかそういう話ではない。

というところまで含めて戦国ファンに知られている。

2022-04-25

anond:20220425200238

本邦では軍馬育成のため。

軍用に向いてるのはサラブレッドよりもアラブだったので、アラブメインで競馬に金を出して育成させてた。

戦争終わって要らなくなったら種ごと滅ぼされたがね。死ねばいいのに

2022-01-18

カトリックという宗教アイルランド僧侶コルンバヌスが

フランク貴族ウァルダレヌスの庇護を得て広めたやつで

その貴族庶家の一つがハプスブルク家になった

アイルランド軍馬産業といいカトリックも軍需絡みの宗教だったのだろう

プロテスタントのほうは印刷業と造船業繁栄

幕府幕末カトリックフランス系の軍を持っており

プロテスタント英米が襲って来て明治維新になり靖国神社ができたということは

靖国プロテスタント系の神道神社であると言えよう

2021-08-09

続:世界大戦争芸術

anond:20210809040759

続き

3.ガウガメラの戦い

 ガウガメラの戦いは、紀元前331年ヨーロッパ東方ペルシアにおいて、当時のアケメネス朝ペルシャの本軍と、アレクサンドロス率いるマケドニア軍が激突した戦いである。

 これまで取り上げている二つのいから分かるように、戦争芸術定義は「圧倒的な戦力差、戦略的不利を、指揮官の機転によって打破する」ことにある。このガウガメラの戦いはそのような意味合いで、戦争芸術極致と言える。


 当時ギリシャの一小国に過ぎなかったマケドニアは、アレクサンドロスの父であるフィリッポス二世の尽力によって急速な軍事政治改革を遂げ、瞬く間にギリシャ全土を手中に収めると、フィリッポス二世の死後マケドニアの実権を握ったアレクサンドロスの指揮下、紀元前334年ボスポラス海峡から小アジアへと渡り、東の大国アケメネス朝ペルシャに対し征服戦争を仕掛けた。これが世に名高い東方遠征である

 その後十年の長きに渡って続いた戦いは、アレクサンドロス企図した、アレクサンドロスによる、アレクサンドロスのための戦いであった。

 アレクサンドロスは紛れもない西方世界英雄であり、破壊者であった。当時アレクサンドロス破壊し、虐殺・略奪を行った都市は数多に渡って存在している。


 アレクサンドロスの猛進を前に、時のペルシア王ダレイオス三世ペルシア西岸イッソスにて、王自ら率いる五万以上の軍勢をもって決戦を挑み、敗北した。数的優勢に立ったペルシア軍は川を挟んでマケドニア軍に対峙し、防衛を試みるが、果敢にも渡河を遂げたアレクサンドロスを前に有効機動戦法が取れず、壊走したのである。ダレイオス三世自身が率いるペルシア本軍敗北の衝撃は余りあるものであり、敗戦の後、ダレイオス三世は堪らずアレクサンドロスへと講和を願い出ているものの、アレクサンドロスはこれを一蹴している。

 それから二年、ダレイオス三世アレクサンドロス本隊を壊滅させるべくイッソスの戦いを上回る規模の軍勢招集し、ガウガメラ荒野にてアレクサンドロス軍を迎え撃とうとしたのであった。これがガウガメラの戦いである。


 この一戦のためにダレイオス三世はありとあらゆる準備を重ねた。

 第一に、(当然のことながら)数的優位を築くこと。マケドニア軍五万弱に対して、この時ダレイオス三世招集した軍勢傭兵を含む十万以上であり、つまりアレクサンドロス軍の二倍以上に当たった。この規模の軍隊は当時の兵站で維持可能な最大レベル軍隊と言え、当時におけるペルシア軍の威信の程が推し量られる。

 また、彼らの戦いの数百年の後に行われたカンナエの戦いにおいて、勝敗を分けたのは騎兵戦力の優劣(とハンニバルの用兵)であったことは先述の通りであるが、マケドニア騎兵七千に対してペルシア騎兵の数は一万を超えており、質はともかくとして量においてはペルシア軍はマケドニア軍を圧倒していた。ここにおいても油断は無かった。

 更にダレイオス三世は当時最新鋭の兵器の一つであった戦車チャリオット)を陣中に大量に配置した。これは複数軍馬によって牽かれる戦闘用の馬車のようなもので、車輪の左右には鋭利刃物が取り付けられると共に、車上には弓兵が配置されており、通常の歩兵戦闘において絶大な威力を発揮する筈であった。ダレイオス三世はこのチャリオットの突進力によってマケドニア軍を圧倒しようとしたのである

 また、ペルシア軍は戦場の整備をも欠かさなかった。チャリオットの機動を阻害する石や木の根などの障害物を、決戦の事前に排除しておき、イッソスの戦い(ペルシア軍は閉所にて有効な機動ができず壊滅した)で舐めた辛酸を繰り返すまいとしたのである

 相手に倍する軍隊、奥の手としての秘密兵器駄目押しにその秘密兵器の機動を有利にする戦場整備、限りなく万端に近い準備の上で、ダレイオス三世は決戦の時を待った。


 紀元前331年10月1日ペルシア軍とマケドニア軍の双方はガウガメラの地にて対峙し、戦闘を開始する。

 この時、マケドニア軍の司令官であるアレクサンドロスの立てた作戦シンプルものだった。それは、緒戦から防衛に徹し、敵の隙を見て騎兵突撃させ、敵の本陣を陥れるというものであった。

 言うは易しだが、何しろマケドニア軍とペルシア軍の数的差は一対二であり、言い換えれば、敵軍には五万以上の余力があった。そんな状況で、本来であれば隙など生まれる筈はなかったのである

 開戦直後、アレクサンドロスは全軍を緩やかに右斜め前方へと斜行させる。本来であれば軍隊の斜行は自陣に綻びを生む可能性の多い行動であり、採用されることはまず無かったものの、アレクサンドロス自軍の機動に合わせてペルシア軍の不用意な機動を誘った。案の定、折角整備した戦場から離脱されることを恐れたダレイオスは、三方(正面、右左翼から雲霞のごとき兵数を動員し、マケドニア軍を包囲しに掛かった。


 その大軍王道とも言うべき用兵に対抗するべく、アレクサンドロス自軍純粋な横列ではなく、左翼右翼を折り曲げた弓状に変形させており、この鉤状になった右翼左翼を持ってペルシア軍の猛攻を受け止めようとした。

 しかし兵数の差が決定的であったこから、持久戦となればマケドニア軍の敗北は自明であった。左右のいずれかを突破され、後方にペルシア軍の進撃を許した時点で、マケドニア軍の崩壊は決定づけられる。更には、マケドニア軍正面にはペルシア軍の虎の子であるチャリオット隊の猛攻が迫っていた。


 とは言え結論から言えば、このチャリオット隊の猛攻をマケドニア軍は退ける。

 曰く、マケドニア軍は軍馬というものの持つ本能――顔面鋭利物体(槍など)を突き付けられると足を停めてしま本能や、チャリオット特有の旋回能力の低さを突いたと言われている。つまりチャリオット突撃部隊の散開によって躱し、その後方から弓などの武装によって攻撃を仕掛けたのである。恐らくは事前の情報やこれまでの戦闘からマケドニア軍は対チャリオット戦術を磨き上げており、どのような場面においても遅れを取ることはなかったのであろう。

 これらの柔軟な対応によって、マケドニア軍に対する有効戦果を挙げることのできないままチャリオット隊は壊滅することとなる。


 さらには、マケドニア軍両翼はその圧倒的な数差にも関わらず極めて堅陣であり、容易に抜かれることは無かった。強いて言うならば、アレクサンドロス本人が率いる右翼騎兵に比べ、左翼を指揮するパルメニオン将軍は劣勢を訴えていたものの、それでもペルシア軍の猛攻をひたすら受け止め続けていた。

 ダレイオス三世の予想に反し、戦況は膠着状態に陥る。ダレイオス三世本来であれば本陣防衛に充てるはずであった予備兵力騎兵を動員し、マケドニア軍両翼の騎兵に対する圧迫を増大させようとした。短期決戦によってマケドニア軍を壊滅させようとしたのである


 この決戦から二千年以上もの時が流れた後では詮無い事だが、この時ペルシア軍が持久戦に徹し、その両翼での戦闘を維持し続けていれば、ガウガメラの戦いにおける帰趨は逆になっていたかもしれない。

 しかし、ダレイオス三世はその判断を逸した。

 アレクサンドロス超人的な直感によりペルシア軍の崩壊予知した。右翼防衛に当たっていた自ら率いる騎馬隊を突如ペルシア軍正面へと転換させ、両翼へと予備兵力を割いたために手薄になっている、ペルシア本陣のダレイオス三世を狙ったのである。当時、マケドニアの率いる騎兵部隊、いわゆるヘタイロイ騎兵世界においても有数の練度を誇っており、その突進力は歩兵にとって純粋な脅威であった。ヘタイロイ騎兵の突進により、ペルシア本陣のダレイオス三世位置を告げる軍旗が大きく揺れる。ペルシア軍を支える精鋭である親衛隊は敢然とその侵攻を阻もうとするが、アレクサンドロスの猛進は止まることはなかった。

 やがて、ダレイオス三世本陣の上に翻る軍旗は逃走を始め、アレクサンドロスはその追撃へと移った。ガウガメラの戦いの勝敗はここに決したのである


まとめ

 諸君、私は戦争が好きだ。

 この地上で行われるありとあらゆる戦争行動が大(ry

 参考文献:ttps://www.youtube.com/channel/UC5dzkTCM0Jxnc5widb8arDw

2021-05-21

いちばん有名な馬(個体)って誰なの?

まず競走馬だとハルウララトップだと思う。

早い馬の場合は早いことに一切興味がない人に届かないけど、そこ以外で強みがあったら皆に届く気がする。

軍馬なら赤兎馬圧勝

アニメだとマキバオー

歌ならコウタロー

ユニコーンケンタウロス種族なのでノーカン

王子様の白馬も応じの数だけ馬がいるのでノーカン

2021-02-21

anond:20210221075542

温和なユニコーンさんが、助走をつけてファランクスを組む勢い・・・軍馬?あれ、ユニコーンさん、野生じゃなかったの・・・

2020-12-06

日本競馬史上の重要事件並びに記憶されるべき事件(画期となる出来事) 1854-1980

https://anond.hatelabo.jp/20201219095651

出来事

1854 日米和親条約締結、下田函館開港

1856 日米修好通商条約締結

1859 函館横浜長崎開港

1860 横浜外国人居留地において、競馬が行われる(居留地競馬

1867 大政奉還王政復古

1868 明治改元戊辰戦争開始

1869 戊辰戦争終了

1870 東京招魂社(現・靖国神社)において、初めて洋式競馬が行われる(招魂社競馬1898年まで)

1874 台湾出兵

1877 西南戦争開始~終了

1894 日清戦争開始

1895 日清戦争終了/馬匹調査会設置

1904 日露戦争開始/臨時馬制調査委員会設置

1905 日露戦争終了

 桂太郎内閣による馬券発売の公認(黙許)(公認競馬中央競馬ルーツ

 馬政第一計画の制定(第一期:1906年1923年、第二期:1924年1935年

 帝室御賞典(横浜)創設(当初の名称皇帝陛下御賞盃)

1906 内閣総理大臣直轄の機関として馬政局が設置される

 帝室御賞典(東京)創設

1907 小岩井農場種牡馬インタグリオーと20頭の繁殖牝馬小岩井農場の基礎輸入牝馬)をイギリスより輸入する

1908 馬券発売の禁止馬券禁止時代の始まり

1909 ウラジオストックにおいて日露競馬会が行われる

1910 韓国併合

 馬政局陸軍省外局となる

 改正競馬規程(閣令)を根拠として、産牛馬組合による競馬が開催されるようになる(地方競馬ルーツ

 主要競走に騸馬(せん馬)が出走不可に。芦毛、月毛、河原毛が出走不可に(毛色の制限1928年まで)

 帝室御賞典(阪神)創設

1911 優勝内国産馬連合競走(連合二哩)創設(ラングトンが第1回の勝馬となる)

1912 大正改元

 宮崎競馬場において、商品券付き勝馬投票実施される(事実上馬券)。1914年までに全ての競馬倶楽部実施するようになる

1914 第一次世界大戦開始

1918 第一次世界大戦終了/シベリア出兵1922年まで)

1922 帝室御賞典(札幌)創設(1937年秋まで。1922年1924年は春のみ。1925年1937年は秋のみ)

 帝室御賞典(福島)創設(春のみ。1922年春~1937年春)。帝室御賞典(函館)創設(秋のみ。1922年秋~1936年秋)

1923 関東大震災/旧競馬法制定(馬券発売再開)/馬政局廃止

 帝室御賞典(函館)創設(春のみ。1923年春~1937年春)。特殊ハンデキャップ競走創設

1925 濠抽混合創設(当初の名称は各内国抽籤濠州産馬混合競走。1932年より目黒記念

1926 昭和改元

 下総御料牧場が2頭の繁殖牝馬(種正・稙道)をアメリカより輸入する

1928 横浜特別創設(1943年秋まで)/連合二哩(牝馬)創設(1928春~1941秋)

1931 満州事変

 下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星旗・星若・星友)をアメリカより輸入する

1932 東京優駿創設(1950年より「日本ダービー」の副称が付く。ワカタカが第1回の勝馬となる)

 下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星濱・星谷・星富)をアメリカより輸入する

1934 中山大障害創設

1936 二・二六事件

 旧競馬改正

 馬政局再設置/馬政第二次計画実施1945年まで)

 各地の競馬倶楽部統合し、日本競馬会発足

1937 日中戦争開始

 天皇賞(帝室御賞典)創設(連合二哩並びに各競馬倶楽部で行われていた帝室御賞典を統合。当初秋2600m、春2700mで施行され、第3回から春秋共に3200mで施行ハツピーマイト(ハッピーマイト)が第1回(1937年秋・東京)、ハセパークが第2回(1938年春・阪神)の勝馬となる)

 連合二哩はこの年限りで廃止。各地の帝室御賞典はこの年春限りで廃止

 ヒサトモ牝馬として初の東京優駿制覇

1938 軍馬資源保護法制

 菊花賞京都農林省賞典四歳呼馬)、優駿牝馬オークス)(阪神優駿牝馬)創設

 ヒサトモ牝馬として初の天皇賞(帝室御賞典)制覇

1939 皐月賞横浜農林省賞典四歳呼馬)、桜花賞中山四歳牝馬特別)創設(五大クラシック競走が成立)

1941 太平洋戦争開始/セントライトが初のクラシック三冠を達成

1943 クリフジクラシック三冠(変則)を達成

1944 競馬開催の一時停止。この年の競馬能力検定競走として施行される(戦前競馬はこの年限りで終了)

1945 太平洋戦争日中戦争終了/日本占領/馬政局廃止

1946 競馬再開/地方競馬法制

1947 天皇賞再開(この年春は「平和賞」の名称施行

1948 新競馬法制定。日本競馬解散国営競馬時代の開始

 2歳(旧3歳)競走が競走体系に加わる

1949 朝日杯3歳ステークス1991年から牡馬及び騸馬(せん馬限定レースとなる。現・朝日杯フューチュリティステークス)創設

 阪神3歳ステークス(1991年から阪神3歳牝馬ステークスとして牝馬限定レースとなる。現・阪神ジュベナイルフィリーズ)創設

1951 中央競馬における重勝馬券の発売(1961年廃止

 トキノミノルが無敗で二冠を達成

1952 日本独立占領時代の終了)

1954 高度経済成長の開始(1973年まで)

 日本中央競馬会(略称1986年までNCK。1987年からJRA)発足(国営競馬時代の終了)

 啓衆社(競馬予想紙を発行)が啓衆賞を設け、各年に活躍した競走馬表彰することを始める(1972年から優駿』(日本中央競馬会の機関紙)の主催による優駿賞、1987年から日本中央競馬会の主催によるJRA賞となる。最初年度代表馬ハクリヨウ(ハクリョウ))

1955 日本中央競馬会が英国ジョッキークラブとの間に騎手に対する制裁相互実施協定を締結する(国際交流の始まり

 東京大賞典(秋の鞍)創設

1958 ハクチカラ戦後日本調教馬として、初めて海外遠征する

1956 有馬記念中山グランプリ)創設(メイヂヒカリが第1回の勝馬となる。八大競走成立)

1962 日本中央競馬会が優駿誌上でフリーハンデ公表

1963 中央競馬において8枠制が導入される

 メイズイとリユウフオーレル(リュウフォーレル)の2頭が年度代表馬に選出される

1964 東京オリンピック。東海道新幹線開業

 シンザン戦後初のクラシック三冠を達成

1965 シンザン天皇賞秋・有馬記念を制覇し、五冠を達成(当時牡馬が出走できる大レースを全て制覇)

 シンザンが2年連続年度代表馬に選出される

1967 栗東トレーニングセンター開場

1968 中央競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される

1969 競走馬輸入自由化

1970 大阪万博

 スピードシンボリが初めて有馬記念を連覇し、1967年以来2度目の年度代表馬に選出される

 競馬ブックより「合同フリーハンデ」が発表される

1971 ニクソン・ショック

 地方競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される

 貿易自由化に伴い国内生産者への保護政策実施されたことにより、持込馬有馬記念を除く八大競走への出走権を失う

 トウメイ天皇賞秋・有馬記念と連勝し、牝馬として初の年度代表馬に選出される

1972 沖縄返還

 地方競馬における騎乗速歩競走はこの年限りで廃止される(中央競馬では戦前限り廃止

1973 第1次オイルショック高度経済成長の終了)

 ハイセイコー中央競馬移籍し、好成績を挙げ、国民的人気を集める(1974年有馬記念2着(勝馬タニノチカラ)を最後引退

1974 単枠指定制度の導入(1991年10月5日廃止最初指定馬は同年の皐月賞におけるキタノカチドキ最後指定馬は1991年セントライト記念におけるレオダーバン

1977 テンポイント有馬記念トウショウボーイとのマッチレースを制し、年度代表馬に選出される(3着はグリーングラス

1978 美浦トレーニングセンター開場

2019-08-20

俳句番組増田見たよ他見出す真美軍馬食いは(回文

おはようございます

こないだテレビチャンネルを回しながらいろいろ見ていたのよね、

俗に言うザッピング

さらに言うとチャンネルを回すという表現は今じゃ、

おまえはおまえは!って言われてチャンネル回す警察に取り締まわれそうなんだけど、

でもさ、

あれ本当にアナログガチャガチャ回す物理チャンネルが逆に今あったら面白いと思うのよね。

昔はそうだったらしいじゃない。

だって現にリモコン上下チャンネルが変わるボタンしか使わないじゃない、

あの上下ボタンじゃ情緒がないわよ情緒が。

あれも結局ぐるぐる回すって意味では回ってる訳だしさ。

話を戻すけど、

でねその時、

ホスト界の帝王なのか帝王界のホストなのか

それとも北銀河の界王なのか。

私は悟空界王拳元気玉を教えた界王様は凄いと思うのよ。

だってあれ要所要所でトドメの技で悟空が使うじゃない。

スーパーサイヤ人界王拳盛りってもはや反則よね。

スーパーカップ1.5倍ワカメ大盛りどころの比ではないわっ!

でもさ

きっと界王様はずっと色々な技の研究をなされてて、

理論では完成された技だったけどご自分では体現出来なくて

そんで悟空なら出来る!って具合でいろいろ伝授教えたんだと思うのよ。

から結構私は北銀河の界王様勉強家で研究熱心だったんじゃないかなとも思うの。

まあ真相は分からないけどさ。

何の話しだっけ?

うそう、

何界の帝王栄養ドリンク界のユンケル黄帝液なのか

私はよく分からないって話しだったわね。

でそんときたまたま見た番組

ローランド俳句やるってよ」ってのをやってて、

最初何のことだかよく分からなかったんだけど

元ネタの桐島から桐島ローランドさらローランド

もう原型が分からないほどのクオリティー。

そんな俳句番組があって面白かったわよ。

漫画パタリロの作者さんの漢字がソラで書けないように

魔界の夜の覇者的な、

とりあえず「魔」は入ってそうな名前

うそ生姜みたいな名前ってそれは姜尚中さん!

調べたら魔夜峰央さん、

そう書くのねって自分史上初めて手で書いてみたわ、

魔夜マックス!感その迫り来る漫画から青赤メガネをかけなくても飛び出そうな

ローランドさんの画力しかりだけどあまりに歯が白すぎて、

もう金グリルしてるラッパーの白版!みたいな。

街のみんなが考えて投函してくれた俳句を詠むのが全然入ってこないのよね。

結局すっごい歯の白い人!って印象しかなく、

私もしっかり歯磨きしなくっちゃ!って

全然俳句関係ないじゃないって

きっとローランドさんは歯科衛生週間で一山きそうな気がするわ!

でもさ

せっかくだからちょっとでも俳句のことをと思って、

季語辞典全五巻を引っ張り出してきたのよね!

四季なのに全五巻?っておかしいと思ったでしょ?

一巻まるまる新年季語のことをぶっこんでる巻があるのよ、

新年で一巻の尺を使うとかお正月にかける情熱って凄いわよね。

私はその情熱歯磨きにかけるわ。

でもあれひょっとして白グリルかもしれない、

だとしたらちょっとガッカリ

リンゴ囓れるのかしら?って思っちゃった。

うふふ。


今日朝ご飯

おにぎり買ってきたので

明太子おにぎりよ!

久しぶりのそう言うおにぎりは美味しく感じるわ。

海苔パリパリ気合い入ってるし

イタリアで食べてもパリパリね!

シャンゼリゼを思い出すわ。

デトックスウォーター

輪切りキウイイチゴと白いドラゴンフルーツ

緑赤白ときゃわわな感じがいいと思います

涼しげな色を演出して夏を乗り過ごそう!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2017-09-28

日本総街ぶら増田番組軍馬堕す間螺淵舞う損保に(回文

最近本当に街ぶら番組多いわよね

内田洋行クールファイブでお馴染みの

前川清さんですら街ぶらってたわ。

そんなんだから

いま日本全国どこでもロケしてるんじゃない?

というかさ、

こないだ私も見ちゃったのよ。

そんな街ぶらのロケ模様的なものを。

このみかんの花咲く丘公園駅前も

そうやって紹介されるのは嬉しいわね。

その後になんか追っかけか何かのファンというか

そういう人たちがずらっとついて行ってたわ。

の子そこのけそこのけお馬が通るって

大名行列のようよ。

でさ、

なんか和菓子屋さんがスゴい行列が出来てたの、

きっとみかん大福がお目当ての人たちなんだわ。

しばらくはその行列で賑わいそうよ。

普通に紹介される前から好きで買ってる人から見たら、

行列出来て買いにくくなっちゃうから

たまったもんじゃないけどね。

うふふ。


今日朝ご飯

ピザトースト、出来たてはチーズがとろとろで引っ張ったら伸びるの。

それがヤミーよ。

美味しいわ。

デトックスウォーター

この時期はやっぱり窓開けっぱなしは

もうちょっと寒いわ。

冷えてきたので、

早速ホッツ白湯ウォーラー昆布落とし。

ちょっとアレンジしてみました。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2014-07-27

統合リゾート(カジノ)は、妻子同伴で行動する欧米上流文化大前提

日本人イマイチ統合リゾート」が理解されないのは、例えばビジネスマン研究者などが海外出張する際に、

「妻や子供出張に同行する文化が全くない」からだと思う。

欧米では、例えば研究者他国の国際会議に参加する時などは、パートナー(妻、同棲相手。場合によっては同性)を連れて行く。

で、連れて来たパートナーは、会議後のレセプションパーティーに参加したりする。その為に連れて行く。

しかし、会議のものは、研究者しか参加出来ないし、パートナー会議の間は「ヒマ」。

からパートナーのヒマ潰しアイテムとして、アミューズメント施設、つまりカジノ必要になってくる

イギリス競馬場などは紳士淑女の社交場で、パートナー必須

一方日本競馬場は、オッサン一人。夫婦とかカップルほとんどいない。

日本人カジノと聞くと「日本のすさんだ競馬場」をイメージするが、世界的には「社交場」。

そもそもイメージ面でボタンの掛け違いが生じている。

東京外人向けの広いホテルが少ない」と言われる。

日本人感覚だと「出張とかで、そんなに広いホテル不要でしょ?」と感じる。

一方、欧米エグゼクティブは、出張にもパートナーを同行させる。

パートナーアメリカの自宅並みのスペースがある客室で、自宅同様のゆったりした「生活」を東京でも要求

ここでもイメージ面でボタンの掛け違い。

から統合リゾートカジノだけ作るのは片手落ちで、

「奥様向けのスパエステ」とか、「託児施設」なんかも必須な訳だが、そういう解説記事は見かけないなあ。

要は「ダボス会議みたいのを、ジャンジャン東京に誘致しましょう」な話で、カジノはその為の手法に過ぎない。

でも多くの日本人は、「ダボス会議って、何?」「ダボス会議を誘致する意味あるの?」レベル

から、その手段であるカジノも、短絡的に反対されてしまう。

からカジノ賛成派は「ダボス会議とは何ぞや」とか「欧米エグゼクティブ出張は、妻子同伴が当たり前」と言うレベルから

まずは説明をスタートさせなければならない

でも「ダボス会議とは何ぞや」とか「欧米エグゼクティブ出張は、妻子同伴が当たり前」と言うレベルから説明始めたら、

説明時間がいくらあっても足らない。説明を聞く側が我慢出来ない。

からカジノ賛成派」は世論工作に失敗する。

あと、変な話だが、日本では「エグゼクティブ高額所得者ほどギャンブル嫌い、ギャンブルをしなくなって」る。

そんなことじゃ、ギャンブル慣れした世界エグゼクティブと会話が合わせられるのか、心配

例えば日本グローバルエリートは、

英語は喋ることは出来ても、ポーカーとかブリッジが出来るんですか?」と言う話。

「向こうのグローバルエリートと一緒にポーカーブリッジが出来なきゃ、グローバルエリートコミュニティに入れないでしょ?」という話

から東大教養過程の授業に「ポーカー」とか「ブリッジ」を設けるべき。

バブル期社畜、もといエリートサラリーマンが、接待ゴルフ社会人人生をかけ、自腹でゴルフ練習場に通ったのと一緒。

グローバルエリートは自腹で「ブリッジ練習場」に通うようになるかも。

多分、日本欧米では競馬ルーツが違うんだろう。

ヨーロッパでは、貴族自分の馬を自慢する場が競馬場。だから上流階級の社交場になった。

一方、日本競馬場は、戦前軍馬育成目的戦後は国・自治体財政目的。そもそもが上流階級と無縁でスタートした。

コミュニティは、一旦「金持ちコミュニティ」になってしまうと、貧乏人は気後れして寄り付かなくなる。

欧米競馬場がこれに該当。

一方、一旦「貧乏人のコミュニティ、もとい、溜まり場」になってしまうと、

金持ちが気持ち悪がって寄り付かなくなる。日本競馬場がこれに該当

から日本カジノも「出だし」が重要

「出だし」で金持ちが沢山来るようになれば、自然と金持ち最適化された雰囲気になり、ますます金持ちが寄りつく。

「出だし」で貧乏人が沢山来てしまったら、貧乏最適化されてしまい、軌道修正は極めて困難になる

から統合リゾートカジノを「成功」させるには、「カジノ金持ちの社交場」と言うブランディングが肝心。

上品宣伝必要であり、間違ってもスポーツ新聞なんかに宣伝を載せてはいけない

日本版カジノ金持ち向けにブランディングさせたいなら、

金持ち志向」「専業主婦志向」「見栄っ張り志向」「お受験志向」が明白な「雑誌プレジデント」に企画記事載せればいい。

「お子さんにポーカーブリッジを教えないと、将来グローバルエリートコミュニティに参加出来ません」な記事。

まあ、「金融資産1億円以上じゃないと来場不可」「年収1000万円以上じゃないと来場不可」みたいな仕切りにすれば、

カジノ自然と金持ちサロンになるわな。

但し、メンバーセレクションしちゃって、売上高を達成できるか?

から、「小さく作って、大きく育てる」ことがカジノには必要

最初は来客数千人でも採算が合うレベル建物規模に止め、来客が急増したら追加建築する、と言うやり方が正解。

最初から大きな建物作ってしまい、客が来ないから、と大衆化させてしまったら失敗する。

2014-05-07

常識成立の時代背景を捉えよ

★今読んでる「帝国陸軍本質」という本が実に面白い

 旧陸軍は、現場東京無視して独断専行して進軍し、満州さら支那戦線拡大して、挙句自滅した。

 「帝国陸軍本質」の筆者は、その理由を明治初期の陸軍大学校教官メッケルの教育内容にある、と看破。

★メッケル教官は、明治陸軍士官タマゴたちに、

 「場合によっては、大本営の命令を待たず、独断で行動すべし」と教育した。

 その教育があって、帝国陸軍現場勝手に行動する軍隊になった。

 しかし、メッケルがそのように教育したのには、それなりの理由があった

★メッケルは19世紀半ばのプロイセン軍メソッド日本移入

 プロイセン軍は最強の軍隊で、ドイツは統一するし、フランスも破った。

 当時のプロイセン軍は、独断専行「だから」強かった。何故か?

★19世紀半ばは、まだ無線電信が発展してなかった。

 ⇒現場軍と大本営とは、軍馬とか伝書鳩とか、アナログ方式で命令を伝達するしかなかった。

 だから大本営の命令を待ってたりしたら、行動が大幅に遅れて致命傷になる。

 だからプロイセン軍現場判断で独断専行するようになった

帝国陸軍士官タマゴたちは、メッケルから独断専行するように」と教育されたとき

 「なぜ独断専行すべきなのか?」を深く考えなかった。

 考えていたら、無線電信技術が発達した20世紀の戦争で、独断専行無益有害であったことに気付いたハズ

★これで思い出した話が、草加市教室天井高論争。

 小学校教室天井高は、文部科学省省令で事細かに決められているのだが、

 草加市が(コスト削減のために)

 「省令より低い天井高にしたいと思います特に教育に支障はないと思いますが、いかがですか?」と

 文部科学省にお伺いを立てた。

★因みに、なぜ天井高の規定存在するか?と言えば、

 以前の薪ストーブ石炭ストーブ教室暖房行っていた時代の名残で

 「教室内の換気の関係」で、天井高を高く確保していたらしい。

 薪ストーブ石炭ストーブもない現代では、あまり意味のない規定

★そうすると文部科学省

 「天井高を高くすることで、教育効果がある」として

 草加市の申請を拒否した。

★「教育効果」という文部科学省の言い分に疑問を感じた草加市は、自ら実験実施

 天井が高い教室と、低い教室児童を入れ、それぞれ「どっちが学習やすいか?」を聞いてみた。

 ⇒結果は「天井が低い方が、心理的に落ち着く」という、文部科学省赤っ恥な結果になり、

 文部科学省草加市の申し出を認めざるを得なくなった、というオチ

・・・ことほどさように「常識の成立した時代背景を探らなきゃならない」という教訓

 
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