はてなキーワード: 団体競技とは
学生時代からスポーツや、それを楽しんでいる人々に対してうっすらネガティブな感情がある。
自分は幼少期小児喘息を患っていて、幼稚園〜小学校の頃が一番ひどかった。
それを心配した親は自分に一切運動をさせなかった。幼稚園の朝のかけっこを免除してもらうくらい。
いま考えるとこれはちょっと過保護すぎで、たぶん喘息でも適度に運動して免疫力をつける方向に持っていったほうがいいんだろうと思うが、当時はそんなこともつゆ知らず、大人しく部屋で本を読むしかなかった。
ただ中学入って少ししたあたりで喘息はほぼ完治して、そういう縛りはなくなったのだが、その頃にはもうスポーツ全体に対する苦手意識がしっかり植え付けられていた。
当然体育の成績も振るわず、団体競技は苦痛でしかなかった。体力もないので個人の長距離走などもできず、あるときのロードレース大会では学年全体で300人いるなかでビリをとったことまであった。
幸い読書習慣が身についていたおかげか、学業成績の方はまぁまぁよくて、そこそこの進学校を経由して国立大学の工学部を卒業し、某大手メーカーで設計のエンジニアをやっている。
そんなわけで高校以降は似たような境遇の連中とつるみ、ご多分にもれずオタク趣味を身につけた。
勉強優先の進学校だったおかげで、友人にも運動が苦手なやつが多かったし、学校としても体育の授業は気晴らしくらいの扱いだったから、やっとスポーツから開放された!と喜んでいた。
当然部活も文化部。その調子で大学まで行き、オタクサークルでゆるっと遊んで卒業した。
体格も所謂ヒョロガリの類のまま、健康診断では低体重で怒られる始末。ちなみに親がそこそこいい体格なので、大人になるとみんなあれくらいになるんだろうなと無邪気に思い込んでいたら、全くそうはならなかった…。
ところが。社会人になってスポーツに対するネガティブ意識が再燃した。
理系ばかりの職場で、気質が近い人は多いし、そういう意味では過ごしやすい。ただ、オタクだけどウィンタースポーツバリバリやってましたとか、筋トレガチ勢です、とか、なんかこう文武両道な人の割合が高くて、勝手に裏切られた気持ちになっている。
もちろんお前がそういう人種と知り合わなかっただけだろと言われればそうなので、本当に身勝手な気持ちなのだが、一人だけ置いていかれた寂しさは、ある。
仕事はデスクワークメインだけど、それなりに残業もあって、体力に不安を感じるときもしばしばある。
今は年齢が若いからなんとかなってるけど、いい加減ちゃんと運動の習慣をつけないとヤバいんだろうな、と危機感だけはあるけど、本当にどうすればいいかわからないのだ。
この前も職場の友人からスノボやらない?初心者多いよ?と誘われたのだけど、なんだかネガティブな気持ちが先に立って断ってしまった。
正直に言うと、学生時代体育の授業で散々恥をかいた経験や、ひたすら体力的に辛かった経験が頭をよぎって、この年になって職場の人間関係で恥をさらしたくないとか、いくら初心者ばかりでも自分だけあまりにも失敗してたら目立つよなとか、そういう保身的な感情が拭いきれない。
何より、高校以降得意なこと・好きなことだけやってきたような人生で、それはとても恵まれているけど、辛いことに本気で立ち向かったような経験が薄い自分が今後挫折せずに生きていけるのか不安。
そういう経験がスポーツだけで得られるとは思わないけど、スポーツ経験のある人からはそういう芯の強さを感じることが多くて、そこも引け目に感じる。
親からも少しは運動しなさいよとか言われるんだけど(今更かよとは思わんでもない)、本当に運動習慣がなさすぎてどこから始めたらいいのか全然わからない。
あと、自分は少食で体格がヘボいので、周りからもっと食べろよーとか軽く言われることが多いのだけどこれも率直に言って苦痛。
もちろん心配して言ってくれてるのはわかるんだけど、普通に生活できるくらい食べてるし、そもそも胃の容量が決まってるんだから食べられる量増やせないだろとか、もやもやしっぱなし。
太り気味の人に痩せろというのはタブーなのに、なんで逆はOKな風潮なのか全然わからない。
こんなこと言ってる間にランニングしてこいとか、部屋でスクワッドからやれよとか言われるのは重々承知だし、お前の甘えだろと言われれば返す言葉もない。
加害者はレギュラー、一軍クラスの部員であり、被害者は補欠、三軍クラスの部員であるからだ
当然、レギュラークラスの加害部員をいちいち退部させてたら戦力ダウン→高校野球なら県予選早期敗退につながりやすくなり、部全体で実質的に連隊責任を負わされることになる。
被害部員を穏便に退部→退学させるのが最大多数の最大幸福の観点ではベストな手段だ。
なお、「学年は上だが補欠クラスの部員」が加害者になることはない。何様なんだと周りから責められて被害者ポジションに移される。
またこの構造は野球部に限った話ではなく、吹奏楽部、サッカー部など団体競技の部活動全体に言える話である。サッカー部なら「使えない部員にタマ舐めさせる」はよくある話だし、吹奏楽部なら「使えない部員の股間を太鼓のバチでいじくり回す」などがある。
20代30代にモテる男性にするにはどういうルートを通るのが良いか?
トップ選手ならモテるだろうがバランスが難しくなるのでそこまでいかなくてもいい
得手不得手はあってもよい、1個何か得意なものがあればこの目標は容易い
子は親のセンスを見て学ぶ所が大きい
基本的に男児、少年は外見への意識が薄く、20代になってから強くなる人が多いと思うが
どうにかして興味を持ってもらう
ナルシストにはならないように注意
音楽が一番良いが、それ以外でも良い
しかしやりすぎるはよくない、鑑賞できる程度で十分だと思う
一番いいのはそういう家や環境を作ることだが、苦手ならそういう施設に連れて行くか、習い事をちょっとだけさせる
一通りやらせる
全部やってあげるとモンスターが誕生する、そういう時代ではない
放っておいてもどうせハマるので、抑制する程度で丁度いい
全体を通して
・やりすぎると傾倒し始めてバランスが壊れるから、エンジョイ勢に留める
・親のセンスを過信しない
まあこうやって並べると、金持ちほどやりやすそうだなって感じはしちゃうね
はてなでは体育の授業に対する不満の声が多く見られる。その理由の一つとして、「協調性」が求められるほぼ唯一の授業であることが挙げられる。
一般的な科目、例えば数学や国語は、基本的に個人の理解度や努力が結果に直結する。
一方で体育は、団体競技や集団行動が含まれるため、クラス全体での協力が不可欠だ。
運動が得意な生徒とそうでない生徒の間に格差が生まれやすく、チーム分けや競争がストレスの原因になりやすい。
さらに、体育の授業では「できないこと」が目に見えやすく、他者と比較される機会が多いため、苦手意識を持つ人にとっては精神的な負担が大きい。
また、体育の授業では、個人の努力だけではどうにもならない場面が多い。団体競技では協調性が重視されるため、運動能力が低いと責任を感じたり、周囲からプレッシャーを受けたりすることもある。こうした環境は、特に内向的な性格の人の多いはてなーらには大きなハードルとなる。
割と幸せに過ごしていたが、少し暗雲が立ち込めた。
昨日の今日なので、この状況の変化にもじきに慣れて安定する可能性はある。
原因は、未来の楽しみの実現が2つ遠のいた。あるいは叶わないしれないと感じたこと。うまく環境に馴染めなかったこと。
面白いのはいすれのケースにおいても、自分自身の能力や状況に変化が生じたわけではないことだ。形而下における私は何一つ失っていない。
失われたのは「希望」「自己肯定感」といった概念、つまり頭のなかだけで起こっていることだ。
つまるところ「何かいいことが起こりそう」という未来への甘い算段をテコにして幸福感を得ていたわけだ。バカほど幸せなのはこういうことだろう(自分のことです)。
間違った認識だろうと本気で信じているうちは事実のように人間の脳は扱える。
私が比較的幸福を感じながら生きられているのは、単純に性分ゆえ未来への不安が少ないからだろう。
私はニーチェの言うところの牧人だ。何も志さず、平穏で楽しい人生を送れればそれでいいと思っていた。
しかし、気付かないうちに、その楽しみを得るためには、何かを犠牲にして挑まねばならないところまできてしまった。
彼らにに認められ、椅子を得るためには努力や苦労が必要となる。私は無欲で無趣味ゆえ、そうまでして何かを得たいと思ったことはこれまでの人生なかったのだが、厄介なことになったものだ。
趣味が高じて私の数ある楽しみのなかで特別な地位を占めた。それが団体競技だったがゆえに「他人に認められる」という容易に自己肯定感を揺らがせうるプロセスが組み込まれている。厄介だ。
どうしたものかな。
諦めるかやるかの二択だ。
今のところやる気でいる。
いつまでやるのかわからないが。
私は未来の計画を立てるのは苦手だが、本当は期限があった方が努力にも身が入るものなのだろう。
まあ短期にテストが予定されてるので、そこで実力が試される。それを目標にしていけばよい。残り一ヶ月と少し。三日坊主の私には丁度いい。
楽しく過ごしていたというのに。
当たり前のことだ。
心が上を向いているか、下を向いているかは現実の座標よりも幸福感に作用するものだろうか。「今」も大事であるが。
いずれにせよ、私も欲張りになったものだ。
それがいいことか、悪いことかは今の私にはわからないが。
自分の音をどう稼ぎに変えるかを専門的に教えてくれそうな学校って、ヴァイオリンとかのクラシック系の楽器向けにはなさそうなのが残念。
エレキやベース、ドラム、キーボードといったポピュラー系の楽器だと、完全プロ志向の専門学校はあるっぽいんだけど。
ちなみにクラシック音楽系専門学校の世界最高峰はジュリアードとかコンセルヴァトワールとか、ああいうのね。
「音大があるじゃないか」というけど、音大はあくまでUniversityであってCollegeではないので、そんな就職予備校まがいのことを求めるのは根本的にお門違い。
実際、ほぼ全ての有名どころの音大はソリスト志向で表現を高めることに特化していて、卒業した後でどう食うかは自分で考えろって立場でしょ。
同時に、卒業生全員がソリストで食えるわけじゃないというか、ほとんどがアンサンブルメンバーや指導者として食いつないでいる現状があると。
このギャップにより、音大は今も昔も数年に一度レベルの天才を除けば「入るまでも少なからず大変、でも出た後はもっと大変」とか「お金持ちのお嬢様の嫁入り道具にしかなってない」とか揶揄されるわけで。
もちろん同窓・同門のつながりで仕事を貰う、人脈という意味で有名な音大を出るメリットは計り知れないと思う。
でも逆に言えばそれくらいしか、音楽で食っていく目的で音大に行くメリットがなさそうなのがなんとも。
あとは芸大の別科か桐朋のソリストディプロマがあるくらいだけど、これはもうガチソリスト志向の中の、本当に上手い人じゃないと入れないので、それ以外の音楽のお仕事に対応しているとは言い難い。
まあ別に音大がUniversityであることを堅持して潰れようが知ったことではないけど、もう少しソリスト志向以外にも対応した、Collegeになるような学校があってもいいのでは?と思ってしまう。
伴奏ピアノとか、オケや室内楽とか、そういう他人との共同作業前提の団体競技はソロとは別の奥深い世界があるというか、それはそれできちんとした教育が必要なわけで。
もしそういう学校でソリストの才能を見出されたとしても、卒業後に音大に中途編入する仕組みがあれば、大きな問題にはならなさそうだし。
まだまだ新米
学力もぼちぼちくらい
授業も座って聞けるし、毎日登校もできる
えらいね〜
でも、ボクは確信してるんだ
適当な大学に適当に入って、適当な飲みサーで、インカレの女子大の学生を酩酊させて集団でレイプするだろうなーーってね
でもね、最近ボクはそいつはレイプより前に殺人するかもなーとも思ってる
殺されるのはボクってわけ
ボクは野球は全然興味ねぇから知らねぇけど、そいつはまぁまぁ上手いらしいよ笑笑笑笑
チームメイトに対しても選抜外の生徒をバカにしたりしてたんだって
顧問いわく、結局団体競技だからチームの輪を乱す奴はいらないんだってさ
でね、そいつ、レギュラー外された時期からクラスで大人しいヤツを攻撃するようになったんだ
お前が死ねばいいのにね〜
あと、少しでも気に入らないこととか面倒なことがあると、学校とか担任のせいにするようになったんだ
で、ボクはそいつの言動を毎回注意してたんだけど、その攻撃がボクにも向きだしたんだ
キモいとか頭おかしいとか、黒板描いてる最中に大声で言われてるよ
ぜんぶぜんぶぜーーんぶボクが悪いんだって
ここのところ眠れてないよ
病院は暇がなくて行ってないけどねー
野球部の顧問は超ベテランで、奴の素行が悪いことはわかってて、なんでも相談してくれって言ってくれてるんだ
今まではたまに報告くらいだったけど、
今回は本格的なSOSを出したってワケ
顧問はじっと聞いてくれて、奴と話をするって言ってくれたよ
やったね
でも、ボクは思ったわけだ
ボクは知ってる
義務教育修了までで「反省」とか「感謝」を学ばなかった人間が高校でそれを得ることはまずないって
いつだって奴にとって悪いのはボクだ
で、レギュラーから遠ざかった奴は、またボクのせいだと思うだろうな、と
実際ボクがチクってるわけだし、奴の生活態度についてもボクへの攻撃についても、ボクがチクる以外にないんだけどね
で、ボクを恨んだ奴はボクを殺しに来るってワケ
東京都内在住で長男が中学一年生。今のところグレてなくて優しい良い子。
公立小学校から公立中学校に進学。東京東部だけど荒れてるという雰囲気ではない。
交友関係はすごく仲の良い友達が2人でそこそこ仲の良い友達が数人。
部活は運動部。小学生の頃は運動があまり好きそうではなかったけど
中学生になって友達と誘い合って運動部を選んだらしい。団体競技を選んでくれたのは嬉しい。
子供の頃の習い事はよくある水泳や公文とか一般的なものだけ。トップを目指して多大な努力をするようなものではない。
勉強は学校で教わる水準は理解できているみたい。小学校低学年から毎朝ドリルで自主学習している。
自主学習は5年間ぐらい継続しているので本当にエライ。親からみても尊敬できる。おれはムリだったし今もムリ。
中学年で進学塾にも入ったが、親が受験に本気になれなかったので1ヶ月ぐらいで辞めた。
親としてはこのまま公立中学で過ごして高校受験をして大学まで進んで欲しいと思っている。
中学生になったので塾に通うつもりだが、放課後の大半をつぎ込むような進学塾は考えていない。
ただ、ネット上で親である自分と同じような属性・収入の人達の話を読むとほぼ全員、子供を私立に進学させているので少し心配している。
仕事で会った子持ちの人と話をしても私立中学に進むことが前提になっているようで
中学受験しないことを伝えると「あ、そうなんですね(失礼しました)」みたいな微妙な雰囲気になることが何度かあった。
また、受験に力を入れていない家庭もあるにはあるが、そういう家庭は野球やサッカーでプロを目指すような家庭だったりする。
パラリンピックで体の欠損がある選手が頑張っているが、体の欠損箇所や欠損具合によって水の抵抗や身体に掛かる負担が違うように見える。団体競技の場合、個々人の違いが影響ないようにルールが作られているように見えるのだけど、個人競技の場合、クラス分けはされているものの、個々人の違いが順位に影響を与えてる気がする。
1位の選手と8位の選手の違いが、努力の差でも環境の差でも無く、欠損の影響による空気や水の抵抗の差だった場合、1位と8位という順位に意味が無いのではないだろうか。
どちらの選手も努力したのは事実だろう。本人が変えられない事柄で8位だったのなら1位と比較する必要は無く、素晴らしい選手と言えるのではないだろうか。
選手は自己ベストを目指すだけでなく一つでも良い順位を取るために努力をしていると思う。ライバルがいるから努力をする、勝ちたいから努力するというのは間違いではない。
人間賛歌のような全員が素晴らしいなどと言い、順位をつけなくなったら、今までと同じだけ頑張れる選手は少ないのではないだろうか。
周りと比較するのは人の性だ。だが、努力で得られた成果は周りとは関係ない。(ライバルに勝つために100の努力をした場合と自分を追い込むのが好きという理由でライバルと関係なく100の努力をした場合で体に付く筋肉や計測される記録に違いはないだろう)