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はてなキーワード: 藤沢本町とは

2025-02-08

神奈川県藤沢は魅力的な街だよ

今まで住んできた街はこんな感じ

幼稚園~小6夏:福岡県香椎

・小6~中学中央区豊海

中学高校練馬区光が丘

大学千葉県西千葉

社会人1年目:兵庫県神戸市深江

社会人2年目:埼玉県和光市

社会人2年~3年目:東京都江東区東陽町

社会人4~6年目:東京都新宿区早稲田

社会人7~9年目:東京都港区白金広尾恵比寿らへん(具体的な場所でいうと、北里大学のすぐそば。)

社会人1011年目:東京都江東区木場

無職社会人12年目:神奈川県鵠沼海岸江の島あるとこ)←※今回はこの話

今まで住んできて1番好きな街かもしれない

1番の魅力ポイントは、やっぱ海と公園だね。

藤沢には大きな公園が多い。(まぁ海側にだけど)、湘南海浜公園辻堂海浜公園はめちゃ広いから、散歩やすくて最高。今の時期とか凧揚げとかしてる人多い。

海がすぐ近くにあるのは非常にポイント高い。気軽に海に行けるって、やっぱいい。2年住んだけど、海と富士山景色全然飽きない。サーファーとかビーチバレーやってる人も沢山いるから見てて退屈しないし。ぼーっと眺めてられる。

休日かに、とりあえず海に散歩に行くだけで充実した1日を過ごした気分になれるから、「今日は何もしてないな~」ってことがあんまりない。

藤沢駅ってちょいどいい

ちょうどいい規模感なんだよな。

特に何かあるわけじゃないけど、かといって「何もない」って感じでもなくて、必要ものはひと通り揃ってる。

藤沢駅にはジュンク堂ビックカメラもあるしね。

飲食店基本的チェーン店はだいたいあるし、困ることはない。

文化的な所でいうと、僕は服にはあんまり興味ないけど、いくつか古着屋があって雰囲気よさげから、まぁそれなりに退屈はしないのではないか?(わからないけど)

ひとつ隣の辻堂駅に行くと、テラスモール湘南っていうちょっと高級感のあるショッピングモールがあるし、辻堂藤沢中間地点にある湘南モールフィルっていうショッピングモールは安めな店が多くて、気軽に買い物できる。ホームセンターあるの地味に嬉しい。

というか、こんなに近くに2つのショッピングモールがあるのおもろいんだよな。でもそれなりに成り立ってるってのを見ると、人口が多いんだろうなぁと思う。

僕はあんまり飲みに行かないから、ちょっと見当外れかもしれないけど、

夜の藤沢駅周辺は、地方都市にしては明るいし、遅くまで飲める店もそれなりにある。

藤沢飲食店

ボージャンインドカレー屋さんなんだけど、僕結構カレー屋色々と巡ったけど、個人的には日本で1番美味しいと思う。まぁ藤沢っていうか茅ヶ崎だけど

ラーメン屋結構充実してて、

藤沢駅のヌードルワークス:豚骨ラーメン。安くて(790円)めちゃ美味しい。

・鴇(とき):淡麗系の醤油ラーメンで、すごく丁寧に作られてる。美味しい。

ラーメン二郎 藤沢本町店:ラーメン二郎もある。

・じげもん:野菜たっぷりちゃんぽんが840円でコスパ良し。かなり美味しい。

・うずとかみない:藤沢から江ノ島側へ1駅の本鵠沼にある名店。ベーシック醤油ラーメンもあるんだけど、創作ラーメン結構スパイスが効いてる系)があってそっちがかなり好みだった。

ハンバーガー屋も多くて、下の2つが特におすすめ

・MOKICHI:藤沢駅。酒蔵がビールもつくってて、その流れでレストランもやってるお店。ランチハンバーガーセット(1900円)は内容考えたらめちゃ安い。最高。サラダフライドポテトにザワークラストデザートもあるし、コーヒーちゃんと美味しいコーヒー出してくれるの凄い。

・クッカーズ グリル辻堂駅にある店。美味しいね。お店の雰囲気がかなりアットホームな感じ(個人的にはこういう雰囲気は苦手だけど)。ゴルゴンゾーラハニーバーガーが一番おすすめ

その他

・喜びの里(藤沢駅)っていう、ちょっと名前なんとかならんかったのか?っていう居酒屋は、690円で唐揚げランチ味噌汁ご飯おかわり自由)出してたけど、最近800円になってコスパが落ちた。

・幸庵(藤沢駅):ちょっとした記念日に使える懐石料理やさん。こういうお店もあるのが嬉しい。ただ味は美味しいがずば抜けては無い。

スイーツ事情

スイーツちょっと微妙かな。

・葦っていうお菓子屋さんは、美味しくて手が込んでる感じ。ただ、めちゃくちゃ美味しいって感じじゃなくて、コスパが良い感じ。

鎌倉のレザンジュは微妙だった。おすすめされてたかクッキー缶も試してみたけど、期待ほどではなかった。モンブラン普通…。

パン屋東京のほうがレベル高いけど、藤沢にもいいお店はある。まぁこんだけあればもうええでしょ。

・プルクワデザートデニッシュがめちゃくちゃ美味しくて、安い(300円くらい)の最高!!!

・PINY(パイニー):まぁそんなに飛び抜けて美味しいって感じではなくて、安定感のある昔ながらのパンって感じなんだけど、朝食セットは1300円で、パン3つ、サラダドリンクソーセージがついててお得。

マダムルージュ:高いけど、ちゃんと美味しい。

住宅事情

家賃東京より全然安くて、築15年55㎡で10.3万くらい。ヘーベルハウス系の2階建てアパートヘーベルメゾン)。

東京木場)だと築35年50㎡で14万円はする。玄関のドアがあの鉄でできたバコンッ!って閉まるタイプの家。

藤沢コスパの良さが際立つ。

海側の雰囲気

スケートボードパークもあって、海側ではサーフボード自転車の脇に積んで走る人とか、上裸人もめちゃくちゃ多い。

日焼けするために寝っ転がってるおっさんがうじゃうじゃいてちょっとおもろい。みんな真っ黒。

・犬もめっちゃ多くて、小型犬はもちろん沢山いるんだけど、大型犬も沢山いる。大きい家に住んでるんだろうなって思う。

鵠沼ってところは、結構お金持ちが住んでるエリアで、住宅街歩いててもかっこいい家が多くて楽しい

鎌倉も近いっちゃ近い

鎌倉までも自転車で40分くらいで行けるから、割と気軽に行ける。ただ正直、鎌倉ってそこまで面白くないねぇ笑。

でも、人が少ない奥のほうのお寺は意外と楽しめた。

杉本寺:苔のある階段は映えてた。

浄妙寺お茶が飲める所あって、人が少なくてオススメ

ちなみに銭洗弁天は、お金洗うために30分くらい並ばないといけなくて、ディズニーランドみたいで笑えた。行かなくてもいいと思う笑

まとめ

ショッピングモールが中心になってる地方都市あるあるみたいなのと、個人店もあってちょっと雑多な都会っぽい雰囲気もあるし、海とかの自然もあるっていう結構バランスよくまとまってる街だと思う。

住みやすいからみんな来なよ!(仕事は無いかもしれないけど笑)

2014-03-09

首都圏の主要道路の変遷メモ

明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。

■今昔マップ on the web 首都圏編

で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。



【おもな放射道路編】

東海道国道1号・15号)

池上通り

中原街道

綱島街道

  • 1900ごろ時点で綱島~六角橋の区間が原型存在。現在では旧綱島街道としてほぼ残っている。
    • 綱島以北は現ルートに相当する道はなく、代わりに、矢上を経由してガス橋通りに相当する道と、高田・子母口へ通じる県道106号に相当する道に分岐していた。
  • 丸子橋~綱島間は1940ごろ開通。ちなみに東横線開通のほうが先で1930ごろ。
  • 大豆戸~菊名間の新道は1940ごろ開通。菊名~浦島丘間は1960ごろ開通。

目黒通り

駒沢通り

国道246号方面(青山通り六本木通り・大山厚木街道

世田谷通り津久井

甲州街道国道20号



【おもな環状道路編】

内堀通り

  • 1900時点から現在と同じ道が存在している。
  • ただし二重橋前地域は、1970ごろ以前の地図では道路なのか広場の一部なのかがはっきりしない。

外堀通り

  • 淡路町鎌倉橋間に道ができたのが1930ごろ。それ以外の区間はほぼ全線に渡って1900時点で市電が走る道路だった。

外苑東通り

外苑西通り

明治通り

  • 古川橋渋谷区間。1900ごろ時点でほぼ原型あり。広尾付近は1930ごろに市電開通とともに1本の道として整備。
  • 渋谷~新宿区間。1900ごろ時点では、明治神宮前代々木付近に若干道があるのみでそれ以外は道らしき原型はなし。
    • 渋谷駅付近は、1960ごろに宮下公園東側が開通するまでは山手線西側の道につながっていた。
  • 神宮前新宿区間は1940ごろまでに開通。
  • 新宿~池袋区間は、1950ごろに開通していてそれ以前は道らしきものはほとんど無し。
  • (以東は省略)

山手通り

  • 北品川~大崎区間は、1920ごろに開通。1950~1960ごろにかけて大きな道へ整備。
  • 大崎~五反田間は1900ごろにはすでにあり、大崎駅の陸橋は1920ごろに陸橋化されて、その後何度か形状改良されている。
  • 五反田~大橋間は1950ごろまでに開通。
  • 鑓ヶ崎~神泉の現「旧山手通り」区間は、1900ごろ時点で現道と若干異なっているが原型が存在し、1920ごろにほぼ現道のルートで開通している。
  • 神泉~熊野町の区間は、1940~1950にかけて、もともと道がなかったところに一気に開通。
  • 渋目陸橋・菅刈陸橋ができたのが1960ごろ。それまでは、初台方面から南下すると現「旧山手通り」にのみつながっていて、中目黒目黒方面とは直結していなかった。
  • 熊野町~仲宿区間は1960ごろに開通。

都道420号

  • 現在進行形で今も絶賛整備中のこの道路。1900ごろ時点で存在するのは下記区間。
    • 戸越~五本木(現在と多少異なり武蔵小山を経由)、下馬~三宿~大山(北沢)、中野駅付近、哲学道~大山(板橋)
    • ルート上に「大山」という地名が2箇所あるため、ここでは「大山(北沢)」「大山(板橋)」と記述する。
  • 大井町付近は、1920ごろの大井町線敷設以降に徐々に整備。仙台坂トンネル開通は1990ごろ。
  • 戸越小・戸越公園の一角は、1950ごろまでの地図は「三井邸」と記されている。この下にトンネル開通させて大井町駅方面へ直結させる計画が2010時点着工中。
  • 国道1号中原街道目黒通り間の現道が開通したのは1960ごろ。
  • 目黒通り駒沢通り(=五本木)間は現在2014年時点で新道着工中。
  • 五本木~下馬区間は2000ごろ開通。
  • 下馬~三宿区間は、1960ごろに既存道路を拡幅・延伸して整備。
  • 三宿~大山(北沢)区間は、現在420号指定されている狭隘道路は1900時点ですでに存在する。拡幅&新道の計画があり、拡幅工事は現在着工中だが新道についてはまだ未整備。
  • 大山(北沢)~笹塚区間は2010ごろ開通
  • 笹塚~中野五叉路区間は1960ごろに開通。
  • 中野五紗路~新井付近1930ごろ現道開通。
  • 新井付近~哲学道区間の開通が1960ごろ。
  • 哲学道~大山(板橋)区間は1900ごろ時点から道があり、徐々に整備されている。

環七通り

環八通り

府中街道大師道・南部沿線道路・川崎街道

尻手黒川道路

  • 1900ごろ時点で原型が存在するのは、末吉橋およびその周辺、矢上~梶ヶ谷~清水台区間、柿生黒川区間。
  • 川崎駅末吉橋区間は、何度かルート変更されたのち、1960ごろに現道完成。
  • 末吉橋~子母口区間は1940~1960ごろに現道完成。
  • 子母口~梶ヶ谷~清水台区間は1960~1970ごろに現道完成。梶ヶ谷貨物駅完成が1970ごろ。東名川崎IC完成が1970ごろ。
  • 清水台~稗原区間開通が1980ごろ。稗原~王禅寺ヨネッティ付近は、神木本町方面からの道路として1960ごろ先に開通。
  • 王禅寺~山口台区間は1980~2000にかけて開通。
  • 山口台~津久井道区間は2010開通。
  • 津久井交差点から黒川方面へ直結させる短絡ルートが2010現在事業中。
  • その他、2006に元住吉付近で東横線と立体交差を逆にする工事実施

横浜麻生道路

  • 1900ごろ時点で、多少現道と異なるが全線で道路が存在。柿生から先は鎌倉街道府中方面・八王子方面へ直結していた。
  • 1930ごろ、東神奈川六角橋間の現道完成。当時は市電が走っていた。六角橋北側の一部区間の現道完成は1960ごろ。
  • 1960ごろ、津久井道交点が現在のようなT字路に路線変更
  • 1970ごろ、新川向橋付近の現道完成。
  • 1980~2000にかけて、池辺町~市ヶ尾間の新道完成。
  • 2000ごろ、市ヶ尾~鉄町間の新道完成。

国道16号八王子街道・町田街道方面



【その他、概況】

地形・丘陵

河川

2013-05-05

手を握って

初夏の日差しの中、右手相模湾の絶景を眺めつつ、国道134号線鎌倉に向かって歩いていた。

きっかけは知人宅に泊まった後、流れで裏手の高台伊勢公園に登ったことだった。湘南高校の奥、江ノ島と光輝く海を見て、近くに寄ればあの海のすべてを手中に一瞬でも収められるかもしれない。ちらっと浮かんだ妄想に惹かれて、背後の旧軍の慰霊碑に後押しされるように、別れた後で足は藤沢本町を通り過ぎ、自然江ノ島へ向かっていた。

国道467号線を歩き、歩き、歩き通した。携帯で位置を確認する迷いも、渋滞に捕まり別の道を探す煩わしさも必要ない。ただ道なりに歩けば着くのだから。時折、潮風が自転車とともに私を追いこしていく。汗ばんだシャツにしみが出ないよう、時折バッグを担ぎ直して歩みを進めた。

そして藤沢市街地を通り過ぎ、境川渡り、江の電が市中を走る交差点までやってきていた。ここを右に渡れば江ノ島なんだ。初めて止めた歩みに飛び込んできたのは、市街地ではない、行楽地としての江ノ島だった。

偶数法則が行楽地には存在する。偶数とは、右手左手が手を繋ぎ飽和する関係だ。男も女も若いのも年老いたのも手を繋ぎ関係性を演出するに相応しい数。

例えば、足を止めた線路の反対側に家族がいた。子どもを呼び止めて繋いだ母の左手は情愛に溢れていた。一方で母の右手は父の手と付かず離れずを繰り返す。まるで手と手が性愛してるのかと思うほどの仲睦まじさがそこにあって、気づいた私は立ちくらみを起こしたほどだった。

例えば、狭い歩道を譲り合う老夫婦がいた。顔は全く違うのに、雰囲気があまりにも似ているものから、同じ時間を長く過ごしたのだろうと何も聞かなくても分かるような、成熟した関係。対面から歩いてきた私に、嫁が最初に気づくと、お父さんと自然に彼の手を握ってすれ違えるようスペースを開けてくれた。ありがとうございます。お礼を言うと頭を下げるタイミングまで一致していた。

そうして、人と人との関係を知ってきた。笑ってる口元じゃない、本人も意識していない手元に現れた形から

ごみの中でたくさんの、握られた手と手を見てきた。手の持ち主が辿ったこれまでを想像しながら。

この時期としては若干涼しめの湘南の風は暑過ぎる仲を適度に冷ますために吹いていたに違いない。

江の電が、人が乗り過ぎて窒息死に至りそうな走りを見せていたので、鎌倉までさらに徒歩で帰った。手持ち無沙汰の両手からどうやったら力が抜けるのかわからない。ギクシャクと腕を振りながら、太陽に手のひらを翳してみる。友達なら誰でもいい。今だけは手を握っていたかった。

 
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