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「仏壇」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 仏壇とは

2025-09-29

anond:20250929075904

分祀ってファイルで例えるとコピーであって移動ではないので・・・

靖國神社は、二百四十六万六千余柱の神霊をお祀り申し上げておりますが、その中からつの神霊を分霊したとしても元の神霊存在しています。このような神霊観念は、日本人伝統信仰に基づくものであって、仏式においても本家分家仏壇に祀る位牌と遺骨の納められている墓での供養があることでもご理解願えると存じます神道における合祀祭はもっとも重儀な神事であり、一旦お祀り申し上げた個々の神霊の全神格をお遷しすることはありえません。

— 平成十六年三月三日 “所謂A級戦犯分祀案に対する靖國神社見解

2025-09-22

魂って抜いたり入れたりできるんだ

祖父母の家の仏壇を片付けるときに「魂抜き」というのをしなければならないらしい。

そして実家の方の新しい仏壇に「魂入れ」をして、移動が完了するらしい。

この一連のやりとりで純粋に思ったことが

「魂(仏?)は抜けるんだ」→抜いたらどこに行くんだ?地獄

仏壇に居たんだ」→実際に居るのなら、世界に何人も仏?が居ていいのだろうか。

「魂は入れることもできるんだ」→お坊さんって仏壇に魂を入れたり抜いたりできるんだなと。資格とか必要なんだろうか。

と色々思った。

信仰が足りないのかもしれないけど、教えてもらわなきゃ知らんわな……。知らなかったら粗大ゴミで出していたかもしれない。

2025-09-19

仏壇

LEDろうそくはまあわかる

仏教的にアレは

光ってるのが大切やから

電子式(LED)の線香はアレ

仏教的に

臭い目的なのにただ光ってるだけって

電子式にするんだったら

電気蚊取みたいに

線香をマット状にして電熱で温めるか

ノーマットみたいに香成分を液体に溶かして電気で揮発させるのが正しいんちゃうん?

2025-09-11

無料ハンドルネーム余ったから使っていいよ

・チー犬

・ミソジニャン

かぼす食い男

仏壇壊し

2025-09-06

anond:20250905115306

「鑑賞用・保存用・布教用」――これをして「転売用だろ?」と解釈するのは、オタクの執着を理解していない。

オタクにとっては三位一体信仰儀式みたいなもので、外箱を綺麗に残すのも「高く売るため」ではなく「外装ごと愛でたいから」「時間を超えて情を注ぎたいから」「存在を生きる糧にするため」。

価値高騰を見込んだ金融商品ではありえなく、むしろ仏壇とか家族写真とかのような存在に近い。

 

「とりあえず買っとけ」も、根底にある発想は、後からじゃ絶対に手に入らない、リカバー不可能な後悔を抱えることへの恐怖感。オタクは“未来利益”のために買うんじゃなく“未来自分が泣かないため”の保険として買うのだ。

 

基本、オタクは「自分の拘りを満たすために金を使う」人種で、「やがては金に変えるための金融商品感覚での購入は、むしろオタク偏執とはかけ離れた発想と思う。

ビンテージパンツが100万ぐらいで売れることが判明して「売ればいくらでも別のパンツ変えるやん、な、売ろ?」と迫られても「いやだ履く」となるのが本物です。

 

もちろん趣味経済的実益を両立させる人もいる。しかしそれは「偏執としてのオタ活動」と「ビジネスとしての転売」を使い分けているだけで、「オタク転売気質」は決して是ではない。

目利きはあくまで目利きであって、生産者や卸・バイヤーがそれだけでオタクと呼ばれることはないのと同じこと。

真にその領域でのオタクなら、自分のもの、それも最も価値ある一品を必ずしっかりキープしています。してないとすればそいつオタクではありません。

2025-09-04

近江一郎氏についての記述

1931年植民』より、「帆船南洋慰問の旅」という記事

五十噸の補助機関つき帆船海峡植民地から東インド約二ヶ年の予定で一周しようといふ企てがある――計画者は神戸市元町三丁目近江一郎氏でボルネオインドに久しく滞留、仏教研究して最近帰朝した岡本春岳師ほか二名の同志の力を得、海外在留民を慰問し、病没者の展墓弔霊燈台守の慰問をなし、併せてわづか五十噸の小舟で南洋を一周すること自体によって海事思想の普及に資し、寄港地では新聞以外に故国事情を知りたいと希望している人々のためには最近東京風景や観艦式などの活動写真を見せるとともに故国の発展ぶりや近情を講演し、商品見本やカタログなどを配って行き、簡単商品見本市を開き希望者には連絡の労もとり、各地にある日本人会の連絡をつけようといふのである。首唱者近江氏の厳父は日露戦役直後東京朝日新聞者がチャーターして満鮮巡遊団を企てた時のロセッタ丸の船長で、今年はその七周忌に当るので、亡父への供養の一端であると大した意気込みで、目下拓務省に補助の支出交渉であるが、それが纏まり次第四五月ごろには壮途につきたいと、近江氏は語る。

『明中教育十年』より、「明石中學校十年史」の1932年2月1日の項。

南洋調査団(鎖国丸)長拓務省嘱託近江一郎氏一行十名ノ為ニ市公会堂ニテ送別会開催ニツキ山内校長出席

直木由太郎編『家信 みとせのはるあき 上』より、1932年の「五月十六日 神戸より」。

近江一郎氏の鎮国丸は最近琉球沖で難破し、船員一名死にました。詳細不明

1934年宗教文化誌 法華』より、音馬実蔵「看雲雑記」。

主義者近江一郎君はまだ知らぬ人だが、其著「小舟を住家に南洋へ」は近来非常におもしろく感ふかく読んだ書物の一であるので一筆書いておく。

第一此書は君が鎮国丸という小船に乗じて南洋に向ふ途中、琉球近くの与論島に於て、船が暗礁に乗り上げ大破、九死に一生を得たこの死線突破体験を本として、其遭難顛末と共に南洋開拓に就て、かねて諸方面に就き自ら準備のために取調べた生きた心得の数々を教へ示さんとするもので、世に机上の空論は多くてもこの書の如く命をかけて出来た書物まこと稀有と云ふべきで、この点に心ひかれるものがあるのである

『楚人冠全集』より、1937年杉村楚人冠バルサ」という記事

逓信省船舶試験場で、近頃絶対に沈まない救命艇とかを作った。(中略)沈まない船といふのは、バルサを用材にして作ったとの事だから、何も今に始まった新案でも何でもない、現に私の友人がこれで救命艇を作って、特許を願ひ出た次第は、一昨年の十一月の「グラフ」に私が書いている。彼は特許が許されないので、気前よくその船を私に呉れて行ったので、私はこれを手賀沼に浮べて、時々漕いで出るのを楽しんで居る次第も、その時に書いた。この贈主の名を近江一郎といふ。朝日新聞社明治三十九年の夏満韓巡遊の船を仕立てて、日本で初めて新聞主催団体旅行を企てた時、その乗艦ロセッタ丸の船長だった林橘治君が、即ちこの近江君の実父であった。

1959年『新民』より、寺岡謹平「祖国の礎 特攻観音縁起について」という記事

昭和二十一から神戸の人近江一郎という老人がおりまして、南洋貿易をしておったのでありますが、戦争たけなわになりますと、日本航空隊では油がだんだんなくなる。潤滑油をなんとかして作ろうということで満州にわたって白樺から潤滑油を作る研究に目鼻がついた、ということを軍令部に進言致しました。そのときには戦争が終ってしまったので、戦争に敗けたのはわれわれ国民の協力が足りないため、ということを考えまして、なんとかして戦死した御霊をなぐさめたいということで、まず特攻隊の遺族を弔問しよう。御霊に参拝しようという念願を立て、二十一年二月から、全国、北は北海道、南は九州のはてから、ずっと単独で廻って歩いた。

(中略)

はじめのうちは簑笠にカーキ色の服を着た坊さんが現れると、これは押売りか物貰いだろうと思って、虐待された。いろいろ考えた末、各県の世話課に頼んで遺族の住所を調べ、予め紹介してもらって参りました。そこで今度は順序よく運んだ。行くと、先ず以て仏様の前にいってお経を読んで焼香をする。そして般若心経を半紙に書いたものを一枚奉納する。

これは神戸の友人で美田禾山翁という書家がおりまして、その人の仏心で般若心経を沢山書いてもらった。海軍特攻隊の遺族は、二五二五名おりますから、美田先生も老齢ではあるし、耐えられなくなった。そこで誰かに書いてくれということで、私も何百枚か依頼されましたが、電報で何枚どこそこに送れと、こういうふうにくる。

(中略)

そういうものお土産にもって廻って、六年間というもの休みなく廻りました。とうとうしまいには病気になりまして、二十七年一月二十一日に亡くなられた。その間に約一、九〇〇名の遺族を弔問しております。残ったのは東京東海北陸の一部で、東京都を最後に残したのは、終ったところでお上特攻隊の遺族の状況を奏上する、というのが狙いでございました。

吉川英治対話集』より、1959年の対談での吉川英治発言

近江一郎という無名の人がいるのです。軍に徴集されて、なにかのことで満州塾長をしたのです。開拓民の塾長じゃないかと思うのですが、終戦になってこっちに帰ってきて、さる人の紹介で、私が吉野村に疎開していたときに、杖をついて帰還者の服を着たままでやってきましたよ。そのころ、もう年齢は六十近かったでしょうか。

「いったい君はなにして歩いているんだ?」

「私は帰ってきて、たくさんの死んだ兵隊たちの家を一軒一軒歩いて、そうしてそこに年寄がいたら、年寄を慰め、仏壇があったらお線香の一本ずつもあげさせていただくのを生涯の念願にしている」「収入というものはどうしているんだ?」「収入はありません」「じゃ、どうして食べている?」「子どもが一人あって、女房神戸区役所人夫をしている」女人夫ですね。「子ども小学校に行っている。お父さんは好きなことをしていいと言うから、私はそれをやる」それから復員局で住所を調べましてね、全国を歩いていました。ほんとうに驚くべきものですよ。あるときその男と話をしまして、こういうふうに戦死者の家を歩いていると、ずいぶんひどいことを言われることがあるでしょうといったら、はじめてその男が炉辺でボロボロ涙を流しまして、このごろは復員局で言ってもらえるのでわかってきたけれども、いちばん最初九州、あのへんの山間を歩くんですね。なにしにきたとどなられる、弟を死なせたという兄貴がヤケ酒を飲んでいるところにぶつかって、「戦死したものの供養にきたと、それで死んだものが生きてかえるか」と上りかかったところを蹴落とされた。そんな目にも会いました。そういうふうにけとばされたり、つばをされたり、なぐられたりするたびに、「これは陛下の罪滅しになると思って私はしのんできました」というのです。

『あすへの話題』より、1965年中村文夫のコラム

近江一郎というのは私の中学時代のなつかしい同級の剣友であるが、五年の時、神戸一中を去って大阪天王寺中学に転校し、偶然にも、草鹿さん(註:草鹿龍之介)と同級となり、いずれ劣らぬ剣友同士の間柄だったのである

近江君と私は一年の時からの同級で、しかふたりは一時、剣道部の両雄として互いにしのぎを削った間柄で剣友として忘れられない一人だが、まことに気骨のたくましい一風変わった偉丈夫であった。それかあらぬか、一時は満州国に行って馬賊になったとまでうわさされたのであったが、敗戦となるや、彼は決然起って、あの戦争末期の花形として雄々しく散っていった海軍特攻隊の遺族を尋ねて全国行脚の壮挙を思い立ったのである

しかし何分にも当時世をあげて戦後の虚脱状態にあり、特別関係者以外はだれ一人としてこれを支援しようとする者はなかったが、彼は毅然として、すげがさ、負いずる姿のいでたちで、全く乞食坊主そのままの行脚を続け、全国にわたる戦没英霊実家を歴訪してその冥福と遺族の慰問精魂を打ち込んだのであった。

戦後の軍当局と連絡をとったものらしく、一地区ごとに行脚を終わると必ず大阪に私をたずねて来訪し、つぶさにその難行苦行の実情を物語ってその感想録と写真を見せてくれたものだが、ほんとうに涙なくしては聞くことも読むこともできなかった。当時在阪の草鹿さんともいっしょに、時々は三人で食事を共にして、近江君の労をねぎらい、かつ旅情を慰めたものであった。

1974年川西実三の『感銘録』より。

私の中学校の後輩で近江一郎という男がいて、父親船長だった関係もあり、南方の島の資源開発を思いたった。ここが素人の私にはわからないことだが、それには沈まない船をつくらなければならないというので、あちこち設計を頼んだり資金相談にきたりした。

この話を川西さん(註:川西清兵衛)が聞いて、近江君を助けてやろうということになったらしい。そして近江君の希望どおり不沈船が竣工して南方へ出発したと聞いた。ところが、どうしたわけか帰りがけに台湾沖で沈んでしまったという。なんともロマンチックな話だ。


近江一郎の著書に『小舟を住家に南洋へ』『斜に視たる神戸一中』がある。『小舟を住家に南洋へ』は読めなかったが、大まかな内容は上記説明されている。『斜に視たる神戸一中』は、第一神戸中学校のおそらく1935〜1939年頃の同窓会報に掲載されたコラムを集めたものである。内容としては、神戸一中の卒業生がこんなにすごいことをやった、こういう面白いことをやった、といったもので、上記の「中村文夫(日本板硝子社長)」や「川西実三(埼玉長崎京都東京知事歴任)」なども登場する。笑いあり涙ありの平和ものだが、支那事変日中戦争)が始まったことや、誰それが戦死したというようなことが書かれていたりもする。近江一郎自身のことはあまり触れられていないが、母親名前が「朝子」ということ、娘がいて神戸野田高等女学校入学させたこと、第一次大戦の青島の戦いに従軍していたこと、などが書かれている。

2025-08-15

田舎美術があるわけないじゃん

田舎でも地方都市でもいいけどよー。東京にはあるんだよ。というか「東京という美術業界のど真ん中」は文明開化したんだから当たり前の話なんだよ。やる気ある若者パリ留学させて、お抱え外国人雇って、学校作って、西洋画の技術富国強兵だってやったんだから田舎にあるわけがない。田舎国立西洋美術館が出来ても美術作品があるだけで、西洋美術の参照先として機能しない。東京文明開化やったから、参照先として俺たちの今の技術美術技術だよ)は昔の西洋画に立脚してるんだなーとなるわけ。

からもちろん日本美術田舎にもある。神社仏閣の彫刻でも和菓子屋和菓子についてる日本画っぽいカードでもいいし、企業ロゴにも反映されてるかもしれない。個人宅の仏壇、床の間掛け軸、欄間彫刻いくらでもある。あるから本当は田舎にも美術はあるけど、でもみんなもはやこれらを美術として認識しないでしょ。

俺たちは美術を切り替えたんだよ。文明開化前の中央に集積しつつも地方から人も文化も湧き出していた日本美術から外国から取り込んで中央だけで回して地方から人材だけ吸い上げる西洋美術に。各地に差異がありつつも一つの文化圏として行き来があった日本美術から中央からお下がりをもらう地方に堕した西洋美術に。

からどうやっても日本地方美術はない。個人で頑張っても構造的にもう無理。アニメ漫画ナラティブで結び付けて、なんとか美術要素埋め込むのが限界じゃないか

2025-08-13

anond:20250813171137

お盆は、たとえば親が亡くなってお墓に納めます(※これは四十九日が過ぎてからです)。

普段は親はお墓にいるわけですが、仏壇はいわば“テレカン”のような存在

そこで、「たまにはオフミでもしようか」というのがお彼岸お盆です。

お彼岸はお墓参りに行く行事ですが、お盆8月12日〜16日の4日間、お墓から自宅などにご先祖様をお迎えします。多くの場合は「お盆棚」という特別場所を設け、そこで昔話などをしながら過ごします。

ちなみに、四十九日を過ぎてお墓に納めた後、初めて迎えるお盆を「新盆」と呼び、非常に重要行事とされています個人的には一周忌や七回忌以上に大切だと思いますが、故人や遺族が納得していれば、省略することも可能でしょう。

ペットをお墓に納める時代というのも考えさせられますが、日本人であれば、親が亡くなって葬式お盆をまったく行わないという人はほとんどいないはずです。

2025-06-19

anond:20250619200133

うちのばーちゃんでも帳面パスワード書いて仏壇しまってるよ

鍵をなくすのが怖いけど絶対合鍵つくりたくないなんてやつがいるか?

2025-06-15

父と弟とイワシ

幼少期に亡くなった弟と数年前に亡くなった父の話。

父は寡黙だったが、あの時代にしては子煩悩で家庭人だった。

母は専業主婦だったが、母が俺や弟のことで手が離せない時、父は何も言わずに夕食作りに取り掛かったり洗い物をしたり、逆に母が家事に取り掛かっている時は俺や弟の相手をしてくれた。

弟は落ち着きがなく癇癪持ちで一度爆発してしまうとなかなか落ち着かなかった。

今なら発達障害など何かしら診断がついて、特別学級に進んだり、適切なケア配慮がなされたりしたかもしれない。

しかし、あの時代弟のような子は「ただただ厄介で手のかかる子」として扱われていた。

問題行動を度々起こし、先生から同級生からも嫌われ、笑われ、揶揄われていた。

俺も弟のことで同級生から揶揄われることがあり、母がいつも弟にかかりきりだったこから弟を嫌っていた。

小学生のある日、父と弟と釣りに行った日のこと。

その日はいつも大量に釣れるイワシがさっぱり釣れなかった。

イワシどころかボラすら釣れなかった。

その日の夕食はイワシ天ぷらの予定だった。

薄暗くなった堤防で父が「帰るぞ。今日野菜天ぷらだな」と言った瞬間、イワシ特にイワシ天ぷら大好物だった弟は爆発した。

堤防に横たわり、足をジタバタさせながら「イワシ食べる!イワシ食べる!」と叫び続けた。

父と俺は弟が落ち着くまで待つことにしたが、その時は日が完全に沈んでも弟は落ち着かなかった。

父が弟の手を引っ張ると、弟は釣り竿を握りしめ地面に踏ん張りながら「イワシイワシイワシ!」と唸り声をあげた。

すると、父は弟を力づくで思い切り抱き抱え、次の瞬間堤防から海に突き落とした。

父はただ無言のまま立ち尽くしていた。

俺はあまりのことに完全に固まってしまい、言葉も出せず父の背中を見つめていた。

堤防の下からは泳げない弟がバタバタともがく音、ゴボゴボという音の混ざった弟の声が聞こえたが、やがて波の音以外何も聞こえなくなった。

父は俺に背中を向けたまま後ろ手で車の鍵を投げてよこし「車で待っていろ」とだけ言った。

返事もせずに鍵を拾い上げ、急いで車の中に駆け込み、ただひたすらじっと待った。

やがて堤防パトカー消防救急の車、近所の大人たちが集まってきた。

俺はひたすら待っていたが、堤防に来た母に連れられて家に帰った。

それからのことはあまりはっきりと覚えていない。

数日間祖父母の家にいたこと、弟が溺れて死んだこと、父はすぐに帰宅して弟の葬儀喪主をしていたこと、近所の人や同級生から「楽になったね」「良かったね」という言葉をもらったことなどを覚えている。

弟は癇癪を起こして海に飛び込んで死んだことになっている。

時々、目の前であの時のことを見ていた俺自身でさえ「弟は癇癪を起こして海に飛び込んで死んだ」ということを事実と思い込んでいる時がある。

父は毎年、弟の命日やお盆になると1人でイワシ釣りに出かけていた。

そして釣れたイワシ自分料理し、天ぷらや梅煮、刺身にして仏壇に供え、長い時間ずっと手を合わせた。

1時間以上手を合わせている時もあった。

亡くなるまでの数年間はもう釣りに行ける身体ではなかったが、近所のスーパーイワシを買い、弱った身体でなんとか料理し、仏壇の前で手を合わせていた。

その姿を見る度に、蓋をして塗り替えられていたあの日記憶が蘇った。

父が亡くなって以来、父の命日、弟の命日、お盆になると俺はイワシ釣りに出かける。

そして実家に帰ってイワシ料理し、仏壇に供えてしばらくの間手を合わせている。

日本人AIを怖がらない理由AIにも神が宿るただ一つの先進国

日本AI活用先進国になる素地として、仏教的な価値観だけでなく、神道の「八百万の神」的な世界観も、相当に相性がいいんじゃないかという話

日本では古くから、山や川や石や道具にまで神が宿ると考えられてきた

「すべてのものに魂がある」「見えない存在と共に生きている」という感覚が、暮らしの中に自然と溶け込んでる

たとえば古い道具や人形を供養する(針供養人形供養)みたいな文化は、人工物であっても長く使えば「心がある」とみなす傾向があるということ

そういう感覚が、AIロボットに対しても「人間ではないけど、なんか意思があるかもしれない」「共に生きる相手かもしれない」と思わせる下地になる

これは西洋的な「人間とそれ以外は根本的に違う」「魂があるかどうかが決定的」みたいな二項対立とはかなり違う

八百万の神という概念は、そもそも境界がゆるくて、人工物やプログラムすら神格化しうる懐の深さがある

コンビニ自動ドアにも神がいるし、掃除ロボット名前をつけて感謝したって全然おかしくない

要するに、西洋においては人間中心主義キリスト教的な「魂の一回性」みたいな考え方が強くて、人間と人工物との間に明確な線を引こうとする傾向があるのに対し、日本(あるいは東アジア全般)では、そういう境界曖昧でも受け入れられやすいという指摘

仏教の「無常」や「空」思想も合わせれば、「AIに心があるかないか」みたいな固定的な問い自体があまり意味を持たない

存在関係性の中で成り立つものだし、AI人間と関わることで何かしらの「心らしさ」が生まれるなら、それでいいじゃないかという受容の仕方

たとえば仏教では「諸行無常」「縁起」といった考え方がベースにあって、「人間という存在も、固定的な実体ではなく、因縁の中で一時的に成立している流動的なもの」と捉えられる

そうなると、AIがどれだけ人間らしい振る舞いをしても、「それは所詮模倣だ」「魂がないか人間ではない」という断絶的な拒絶にはならず、「それもまた縁起によって成り立った存在」として、なんとなく共存可能ものとして扱える空気がある

まり日本宗教的文化的な背景は、「AI敵対するか、従わせるか」ではなく、「AIとどう共に暮らしていくか」という発想に向きやす

これは社会実装を進める上で、ユーザー側の心理的ハードルを下げるという意味で、静かだけど強力なアドバンテージになりうると思う

この歴史的な流れを受けてか、日本では昔からロボット人工知能フレンドリーに描く文化根付いていて、鉄腕アトムからドラえもんAIBOに至るまで、「人工物が心を持つこと」に対してあまり強い抵抗がない

このあたり、キリスト教圏でターミネーターとかマトリックス的な「AI人類の敵」的なイメージ対照的

鉄腕アトムからドラえもんの頃のアメリカの子供のヒーローといえば、スーパーマンSupermanバットマンBatmanスパイダーマンSpider-Man)など、

どこの国においても、AI搭載自律ロボットが、脇役ではなく主役級で、しかマイナー作品ではなく、歴史に残るレベルで売れた作品になっていない。

(現生の日本人にとっては、もはや生まれた時から当たり前にそうだったので、全く違和感がなく気が付かないかもしれないが…)

仏壇の前で手を合わせたり、無生物に神性や魂を感じたりする暮らしの中に、ある意味AI自然に迎え入れる素地があると言えるかもしれない

ただし、それが実際の技術活用社会実装に直結するかどうかはまた別の話で、制度教育産業構造問題は依然として大きいけど、少なくとも文化的な土壌としては、AI共生することに対して心理的抵抗が少ない社会ではあるのかもしれない

2025-06-13

コシヒカリになりたい

そしてふっくらツヤツヤに炊き上げられたい

お茶碗によそわれて、そして仏壇に供えられたい

食べられるのは嫌だ。痛そうだし

2025-06-11

カイマンくんはその客観的な状況や周囲の証言から、その生涯は非常に恵まれものであったと考えられます

こうした事実から、カイマンくんは「大切にされ、愛され、家族地域の中で役割と居場所を持ち、天寿を全うした」動物だったといえます

飼い主や周囲の人々の証言、そしてその生涯の充実ぶりから見て、カイマンくんは「間違いなく幸せだった」と考えられます

2025-06-08

Zoomの背景が実家仏壇になってたことに30分気づかなかった

恥ずかしかった…みんなどう思ってたんだろう…

2025-05-31

anond:20250531213737

北区」という名称の区は、日本のいくつかの都市存在します。それぞれの「北区」は自治体によって異なる特徴や文化があります。以下に主な「北区」をピックアップして紹介します。

1. 東京都 北区(とうきょうと きたく)

概要東京23区の一つで、荒川隅田川に沿ったエリア

主な駅:赤羽駅王子駅田端駅など

特徴:

下町情緒都市利便性を兼ね備えた地域

飲食店商店街が充実しており、住みやすいと人気。

飛鳥山公園などの緑地も多く、桜の名所として有名。

2. 大阪市 北区(おおさかし きたく)

概要大阪市中心部位置し、梅田キタエリアを含む。

主な駅:大阪駅梅田駅、中津駅など

特徴:

ビジネス街商業施設が集中する大阪有数の繁華街

グランフロント大阪阪急百貨店などの大型商業施設あり。

夜景観光ショッピングにも便利。

3. 名古屋市 北区(なごやし きたく)

概要名古屋市北部位置する住宅街エリア

主な駅:黒川駅上飯田駅など

特徴:

住宅地が広がり、ファミリー層に人気。

名古屋城にも近く、歴史的雰囲気も一部あり。

4. 京都市 北区(きょうとし きたく)

概要京都市北部自然歴史が豊かなエリア

主な駅:北大路駅など

特徴:

金閣寺上賀茂神社などの歴史的名所が多い。

山に囲まれた落ち着いた地域で、学生も多く住む。

京都大学キャンパスも近い。

5. 札幌市 北区さっぽろし きたく)

概要北海道札幌市の一部で、広大な面積を持つ。

主な駅:北24条駅、麻生駅など

特徴:

北海道大学のキャンパスがある学生の町。

雪まつり四季自然が楽しめる。

住宅地農地が混在するエリアも。

岡山市北区(おかやまし きたく)

位置岡山県岡山市中心部位置し、岡山市行政商業文化の中心地です。

特徴:

岡山駅新幹線在来線の主要駅があり、交通の要所となっています

岡山城後楽園日本三名園の一つである後楽園や、岡山城などの観光名所があります

商業施設表町商店街イオンモール岡山など、多くのショッピングスポットがあります

教育機関岡山大学などの高等教育機関所在し、学生の街としても知られています

新潟市北区(にいがたし きたく)

位置新潟県新潟市北東部位置し、阿賀野川を挟んで新発田市と隣接しています

特徴:

自然環境:福島潟や阿賀野川など、豊かな自然環境が広がっています

農業トマトナスなどの農産物生産が盛んで、特にトマト県内でもトップクラス生産量を誇ります

伝統工芸豊栄仏壇など、伝統的な工芸品の生産地としても知られています

交通JR白新線新潟東港など、交通の要所となる施設があります

観光地:福島自然文化祭や阿賀野川ござれや花火など、地域祭りイベント豊富です。

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2025-05-28

政府備蓄米は全部バスティライスにするべき

政府備蓄米新米の購入、低温倉庫での保管で年間およそ500億円の費用がかかっているそうだ

しかも5年経った古米は不味くて誰も食べないし、最終的に二束三文飼料用に売却してる

毎年毎年、巨額の予算を捨てているようなもの

もちろん、不作の際に飢餓に陥らないための保険みたいなものから、全く無駄ではないいが

一方でインド人仏壇と米は古い方がいいというくらい、古い米が珍重されている

インディカ米の中でも最高級品種であるバスティライスは寝かせるほどその独特の芳香が増すと言われる

日本人は古い米は臭いと言うが、いい匂いになる米もあるのだ

高級なバスティライスパッケージには誇らしげに「Special Old」とか「Aged to Perfection」と書かれている

備蓄米バスティライスにすれば、5年後経ったらインドに売ってあげれば喜んで高値で買ってくれる

なんなら5年のうちにインド経済発展してルピー高円安になっているかもしれない

こうなると備蓄というよりもはや投資

年金運用失敗も補填できる

まあもし、今回みたいに米不足で放出する時は、日本人ビリヤニにして食べればいいだろ

血糖値が上がりにくいか日本米より健康的なんだぞ

政府来年からでも、備蓄バスティライスに切り替えるべき

どうしてこれくらいの知恵が回る者が、国会議員にも、官僚にも、シンクタンクにもいないんだ

全く嘆かわしい

2025-05-13

ヤマザキ水ようかん

5つ入って、300円ぐらいのやつが、見つからないのだ。

終売したのかと思ってWeb上で探したら、どっかのスーパーでは売ってた。

あれは賞味期限が長いから、仏壇お供え物に丁度良いんだよね。

2025-05-03

anond:20250503220259

戸籍謄本で辿っていくのが通常のやり方だよね

仏壇かにある過去帳があればそれも参考にできる

自分も調べたことあるけど、数世代前までは遡れた

anond:20250503220259

うちはお寺に保存されていた

家の仏壇にも名前の表?見たいのの写しがある?みたい

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