はてなキーワード: 計算づくとは
お前らはプロジェクト・ヘイル・メアリーを名作だと思ってるだろうが、あれは完全な駄作だ。
断言する。あの小説を読んで感動したとか言ってるやつ、お前らの読解力と審美眼を疑う。
作者のアンディ・ウィアーは、情報の小出しとサスペンスを演出するために、主人公から記憶を奪った。でもこれが完全に作為的で不自然だ。なぜ科学的知識だけは完璧に覚えていて、個人的な記憶だけが抜け落ちてるんだ。選択的記憶喪失にしても不自然すぎる。
しかも記憶が戻るタイミングが、ストーリー展開に都合の良い瞬間ばかり。読者が疑問に思った瞬間に、パッと記憶が戻って解決する。これを緻密な構成だと思ってるやつ、小説を舐めてる。
お前らはあの異星人との交流に感動したって言うが、あれのどこが深い友情なんだ。言語の壁を乗り越えて心を通わせる過程が、あまりにも表面的すぎる。
ロッキーの人格や価値観の描写が浅い。彼の種族の文化的背景も説明不足。ただの便利な相棒キャラでしかない。真の異文化交流を描くなら、もっと根本的な思考の違いや価値観の衝突があるべきだろう。
そして科学考証の甘さ。
ウィアーは火星の人で科学的リアリティが売りのはずなのに、この作品では科学的な無理がありすぎる。
まず、アストロファージの設定が破綻してる。太陽を食べる生物が、なぜ地球の生態系に壊滅的影響を与える程度で済むんだ。太陽の出力が下がったら、地球の軌道も変わるし、重力バランスも崩れる。氷河期どころの話じゃない。
それに、主人公が一人で宇宙船の全システムを把握して操作できるわけがない。現実の宇宙船は何十人ものスペシャリストが分業で運用してる。一人ですべてをこなせるスーパーマンなんて、リアリティの欠片もない。
記憶を失った科学者が宇宙で目覚めて、地球を救うミッションを思い出す。異星人と出会って友情を育み、協力して危機を乗り越える。最後は地球を救って帰還する。
これのどこに意外性があるんだ。プロットが教科書的すぎて、読んでる途中でオチが見えてしまう。真のSF小説なら、読者の予想を裏切る展開があるべきだろう。
そして一番致命的なのが、感動の押し付けがましさだ。
作者は露骨に読者の涙腺を刺激しようとしてる。ロッキーとの別れのシーン、地球への思い、科学への信頼。全部計算づくで、人工的な感動を演出してる。
本当に優れた小説は、感動を押し付けない。読者が自然に感情移入できる深い人間描写があって、初めて真の感動が生まれる。
主人公のグレース以外のキャラクターが、完全に道具でしかない。ストラット博士もヨー博士も、単なる情報提供装置。人間としての深みがない。
優れた小説なら、脇役にも血の通った人格がある。でもこの作品は、主人公以外は皆んな記号的な存在でしかない。
科学の力で危機を乗り越えるというテーマは分かりやすいが、それだけ。人間とは何か、文明とは何か、生命とは何か。そういった根源的な問いかけがない。
真のSF小説は、科学技術を通じて人間の本質を描くものだ。でもこの作品は、単なる問題解決小説でしかない。
お前らはベストセラーだから、評判が良いからって理由で名作だと思い込んでる。でも売れることと優れていることは別だ。
大衆受けする要素を詰め込んだ商業小説と、真に優れた文学作品は違う。プロジェクト・ヘイル・メアリーは前者だ。
もちろん、娯楽小説としては及第点かもしれない。読みやすいし、分かりやすい。でも名作と呼ぶには程遠い。
本当に優れたSF小説を読みたいなら、フィリップ・K・ディックを読め。アーシュラ・K・ル・グィンを読め。スタニスワフ・レムを読め。彼らの作品と比較すれば、ウィアーの浅薄さが分かるはずだ。
お前らがプロジェクト・ヘイル・メアリーに感動したなら、それはお前らの読書経験が浅いからだ。もっと多様な作品を読んで、本物の文学に触れてみろ。
スタンドやアルターやMPLSのような「内包する世界観を具現化させた力の自然発生」がなくなり、「自身の世界観を能力により表現」するものが増えたように思う。
これは結構な違いがあって、前者の場合はありがた迷惑というか初期は本当にただの迷惑でしかないことが多い。
また、能力の有り様についても前者はアンコントローラブルな自身の内面の表出として初期は自由にならないことが多いが、後者は最初から使い手の支配下に置かれている。
制御不能な衝動や価値観との付き合い方を学んでいくことが前者の物語には含まれるが、後者の場合は自分が自分をどう値踏みして扱うかの一部として能力が存在する。
なんというか、計算づくなんだよな。
どうしょうもない世界にどうしようもなく今あるように生まれ落ちた事実と主人公を戦わせようって意思なんてないんだ。
でも俺が漫画やラノベでみたいの、どうやって世界と折り合いをつけるかより前に。まずは自分とどう折り合いをつけるか、自分が自分のままでありながらもどうなりたいのかを探す話なんだよ。
「幼い相手とエッチするほどエロい」と「胸が大きいほどエロい」の2つが融合した結果というか、帰納法によって作られた法則を演繹法的に伸ばしていった果てにある計算づくのエロというか。
学習によって作り出された条件反射の回路に対して最も効果的に力を加えることに特化したパブロフの犬型の不自然な性癖というか。
多くの性癖が元々埋まっていたものが掘り起こされるのに対して「ロリ巨乳」というのは後付けで作られた極めて人工的な嗜好というか。
一見すると「より健康的な卵子を求める本能」と「より育児に適した伴侶を求める本能」の両立を図った当然成立しうる本能に見えるのはマヤカシというか。
それら単体では健全な交尾相手を求めているのに対して組み合わさると成長と性徴の不一致が起きている歪な個体を求めることになる矛盾というか。
やっぱホンモノを見ると違うね。
奴らの修正でホンモノを見るまで見落としていたことがあるのに気付いた。
「老害化するに連れて子供っぽくなる大人と、ACはどこが違うのか」っていう部分だ。
これは端的に言えば「本気で大人として振る舞った時の上限」が違うんだな。
子供化老害は一度ちゃんと大人になってから、権力を手にしたあとは案外パワハラが許されるぞってことに甘えて少しつずつ子供になっていく。
だから舐めたことするのを辞めたら大人に戻れるし、いざ鉄火場に放り込まれると大人の余裕みたいのを発揮することも出来る。
まあその前に鉄火場の臭いを察して駄々こねて逃げるんだけど、突然自分の足元に火の手が上がったときは意外と冷静なんだよな。
でもACはそもそも一度もちゃんと大人になったことがなく、大人としての振る舞いってものが全く身についてない。
だから鉄火場になったらギャンギャン騒いで最後には自分の願望が通らないことに泣き始める。
その上で人生経験の甘さからヤバイ状況にも平気で近寄るし、むしろそれぐらい余裕だと言っては痛い目を見ると人のせいにしてごね始める。
計算づくでガキみたいな事やってる元大人の老害と、せいぜい小学生相手にイキる中学生ぐらいの兄貴風吹かせが限界のAC。
ここの違いってのは日常でも結構出ていて、老害大人はパワハラスレスレはガンガン攻めるクズだけど、まあまあストライクゾーン外さないようにはコントロールすんだよな。
んでそれ見たACが真似するとボール1個分2個分ぐらいズレてるのに、いやいやアレがセーフなら俺もセーフだろって言い出す。
これは結局、ギリギリを計算して攻めてる状態を正しく分析せず、ゴネれば案外通る状況として誤学習してるわけだな。
ACってのは得てしてこの誤学習の集大成みたいな所があって、正しく学習を積むって技術や経験が足りてない。
家庭なり生まれつきの知能なりが機能不全だったせいで、学習は正しいパターンを学べているか検証することの積み重ねだってことを認識せず、眼の前の状況を都合くよく解釈しただけの物の集合体を学習だと思ってるわけだな。
だから大人としての経験値が全然積み上がってないという病気なんだ。
つまり、大人としての経験値を積むってのは長いスパンで学習記録を振り返ることこそがミソなわけで、ACはこのメモリの量やデフラグ能力がアカンわけだな。
そのせいで長期的な状況判断が出来ないので「文脈を積み上げることでストライクゾーンが動いていく」ということを認識できなかったり、「その場しのぎはその場しかしのげない」ということを理解できずに泣きの一回みたいなのを延々と繰り返したがるんだな。
いや本当勉強になるわ。
やっぱ本物を見るってのは大事だね。
物語の基本が「かけているもの」が最後に「満たされて終わる」ものだとしたら、そのお手本の一つがアイシールド21だといえると思う。
アイシールド21ってたくさんの試合を乗り越えながら丁寧に丁寧にアメフト部の部員全員のコンプレックスや弱点を克服したり、強みに変えたりしてたんよね。他の「より強い技を覚えていくゲーム」になりがちなジャンプ系のスポコンものとは一線を画す「物語としての強さがある」ことは高く評価できると思う。
他の名作スポコン漫画とか見ててもちょいちょい「なんかおるやつ」みたいなのが混ざってたりするけど、アイシールドは部員全員がアメフトを通じてきちんと人間的にも成長していく様が描かれていて非常に良い。
おそらく試合展開から逆算してキャラクターを作ってる部分もあると思う。こういう展開の試合、こういう展開の試合、こういう展開の試合。この試合にはこういうキャラの能力が必要で、この時点ではこのキャラは覚醒していない予定なのでこの展開は難しい等々等々。
最初から最後まで計算づくで作られている。これを連載作品できっちりやり切ったのは本当にすごい。
誰もが主役、とまではいわなくてもそれぞれがそれぞれの個性を生かして、自分でできることを精一杯やりこなして勝利をつかむ。チームプレイってものに対して誠実に作られているのもとてもよい。
がり勉の運動未経験で最後までほぼウンチだった雪光学が、選択したルートをひたすら間違いなく走ってパスをキャッチする、その一点で最強チームから得点をとるのはめちゃくちゃ熱かった。しかもこの「選択したルートをひたすら間違いなく走り続ける」ってのは「親に言われた通り成功へのルート(お勉強)をひたすら走り続けた雪光の小中学生時代」にきちんと対応している。う、美しい。
「なんでもこなしちゃう天才」が、自分が天才でないことを認めて「チームのためならなんでもやれる男」にクラスアップする展開もアツい。しかも、最後まで能力値としては中途半端な器用貧乏のままなのよね。
ほとんどの人はもう読んでると思うので今更言うことでもないとは思うんだけど、もしまだ読んでない人がいるならちょっと読んでみてほしい。最初から最後までセブンのサンドイッチばりに具材たっぷりで面白いから。
ワールドカップ編?
知らない子ですね……
数か月に一回行く風俗が楽しみだったのに、コロナで周りが自粛ムードになったこともあり一年近く我慢していた。
コロナが終息するまで外出もなるべく控えようと思っていたが、外に出るどころか、ずっと在宅で日の光も浴びる事が出来ない中、一年近く休日関係なく連絡が来るほど激務だったこともありメンタルに不調が出る始末。
先日、元コロナ患者の友人がソープいったのを知り風俗を我慢している自分がアホらしくなって、実家に帰省した際にホテヘルに行ってきた。 
現地に着いてから、チェーンの喫茶店で当初行こうと思ってた人気のコスプレ風俗をチェックしていたが、気に入った服装に合う女の子がいない事や、そもそも女の子の数が少ない為、次の予定に間に合わなくなる事を考慮して実家に住んでいたころに利用していたホテヘルに決めた。
人二人がギリギリ入れる古臭いエレベータを上がった先に受付が合って、そこでいつも通りボーイさんと一緒に女の子を決めた後、イベント割を利用した金額、100分18,000円(税込)を支払い奥の待合室に通された。本当は120分が良かったがイベント割適応外なので、しぶしぶ諦めた。
待合室には、20代前半の男の人と40代くらいのおっさんがソファに座って待機していた。20代の子は緊張しているせいなのか何度もトイレに行っていた。緊張するとトイレにいきたくなるのは何故なのだろう。
すぐ案内される予定だったのだけれど、少し待たされたので、ここのボーイがよく言う出勤したての"今日処女"の子だったのかもなぁと思っているとトイレ男の後に呼ばれた。待たされるのは慣れている。
古臭いエレベータの前で待っていたのは、パワーショルダーのワンピースが似合うセミロングヘアのドチャクソかわいいタイプの女の子が待ってた。
風俗特有のマンファーストで古臭いエレベータに先に乗り込んだ後、女の子が乗り込んできて閉ボタンを1センチくらい押し込んでエレベータのドアが閉まった。
ちなみにこの古臭いエレベータがこの店のイチオシポイントで、狭い分少し女の子と密着する事が出来るのだ。なお入店時に譲らない男がいた場合、一緒に乗る羽目になる場合もあるので、ハイリスクハイリターンなスポットなのである。
エレベータから出てからは、ホテルに着くまで、その日の天気から始まり色々話した。
話の最中で実家の近くに住んでいることが判明して笑った。女の子は半笑いだった。
ホテルに到着し、女の子がホテルの受付にホテル料金を支払うとエレベータの横にある階段から部屋に向かった。
部屋に到着すると、女の子が手慣れた手つきで店に電話する。このときから時間との闘いは始まっている。が、風俗で遊ぶときはお風呂にはこちらから誘導しないようにしている。
なぜなら風俗の女の子はコミュニケーション能力がずば抜けて上手い事が多く、自分みたいなコミュ障でも楽しくお話出来るのだ。
女の子はプレイ時間を短縮できるし、自分は楽しくお話が出来るのでWin Winの関係ってところ。
20分位たった頃、お風呂に誘導された。お互い服を脱いでいるとき、男は女の子の体を見ると誰でも自分の息子で体の好みがわかるようトレーニングされているのだが、
自分の好みゲージは70%だった。恐らく乳房と乳首の大きさと反比例するほど大きい乳輪(Apple watchの画面より大きい)にびっくりしたのが原因だと思われる。なお平均値は20%なので当たりの部類。
風呂で特に何もイベントは起きなかった。サービスの良い女の子ならここで素股とかやってくれるエロイ。
その後、ベッドの上でプレイが始まった。とりあえずヘルスプレイなので、先に攻めてもらう事にしてもらった。
上から順に色々丁寧にやってもらい、お約束のフェラに差し掛かった時に異変は発生した。
今まで彼女や風俗嬢と色々な人にフェラをお願いしてきたが、いくら好みを伝えても誰一人として自分好みのフェラにフレキシブルにアジャストできる女の子がいなかったのだ。
フェラでイケないのは自分が遅漏かも知れないだとか、普段の基礎トレーニングを強くやりすぎているのかと思っていたが、どうやらそういうわけでは無く、あまりにも強すぎる刺激が来た場合、急に息子が無感症なるのがアダとなっていたみたいである。ちなみに股ではちゃんとイける。
以前、別の店の受付のボーイさんに「フェラでイった事が無いので、フェラが上手な女の子お願いします」と伝えた所、2時間待たされた挙句、「私フェラ得意なの~」と宣った挙句、糞硬い舌でちんこの先端の周りをただ激しくトルネードするだけだったときは、一度お手本を見せてやりたかった。
そんなわけで今までフェライキ童貞だった自分に奇跡のめぐりあわせが来たのである。
ちんちんは結構凄いことになってるし、フェライキ童貞を卒業しようとしたところ、思わぬハプニングが発生した。両足を攣ってしまったのである。
無論このままでも出せる事は出せるが、せっかくの卒業式に泥を塗ってしまうことになる。自分はとっさに足首を上に反らし、アキレス健君に頑張ってもらい何とか重症化する前に修正する事が出来たと同時に発射した。めっちゃ気持ちよかった。
今までで何が一番気持ちよかったですか?と聞かれたらこの瞬間と答えると思う。
発射し終わった後、童貞を捨てた高校一年生の頃の感覚を思い出した。あの頃、自分は何でも出来ると思い込んでいたが、大人になってみると自分よりも何でも出来る人であふれていた。
でもフェラでイった時、自分は何でも出来ると思った。フェラはメンタルにも良いことが科学的に判明した瞬間である。
その後、女の子から続きをやるかどうか聞かれたが、断った。もはやこれ以上は無粋なのだ。
その後は、何故か女の子から別の客の無責任さで俺がなぜか説教されたり、会話中に女の子の本名がばれたりしてお互いワイワイ出来ていたと思う。全部計算づくだったら怖いが。
帰り際、LINEのアカウントを教えてもらいながら、次は指名で入ろうと思っていると自分の謎のジンクスを思い出した。
何故か自分が入った女の子は何故かみんなやめていくのだ。その店の所属歴に関係なく三か月くらいでやめていく。
それを女の子に伝えると何故か喜んでくれた。自分もやめられるときが来るのだと思うと嬉しいとの事。
自分のジンクスが人の役に立つのだと思うと嬉しかったが、フェライキ確定嬢が居なくなるのは自分としても辛かった為、交渉した結果やめるときは他にお勧めの女の子を紹介してくれるといったのでヨシとした。全然ヨシじゃないが。
部屋を出てからは、フェラが上手い女の子と少しだけ一緒に帰った。
残るは生中童貞だけだけど、たぶんこれは墓まで持っていく羽目になると思う。
男のメンヘラって、議論されるときに暴力型が見過ごされてる気がする。
女のメンヘラといえば地雷メイクとかいうジャンルができるほど明確にパブリックイメージあるしそれは結構実像に近い気がするが、男のメンヘライメージって鬱で覇気のない死にそうな顔したのが精々じゃん?勿論それも病んでるが、所謂メンヘラ女に近いのって短絡的な暴力振るうタイプの奴だと思うんだよね。
よく子殺しヤンキーでも女に選ばれて~って文句言ってる奴いるけど、血も涙もないサイコ野郎だと仮定したって実際連れ子殺したり大けがさせて逮捕される奴なんて頭悪い以上に精神的に病んでるでしょ。自分の将来潰れると分かってても子供を殴るのをやめられないし、コブ付きのめんどくさい女なんか捨てときゃいいのに離れられず虐待。5歳の連れ子殺した学歴コンプ野郎だってただの粗暴野郎じゃなくて、歪んだ所有欲としか思えない言動。どう考えてもメンヘラだけど、単にクソ男で済まされる。
そして暴力型メンヘラ男は何故か異性に一定の需要がある。上述した連れ子殺し事件が起きている以上それは否めないし、女殴るヒモだって計算づくの奴はそこまでおらず彼らが泣いて縋る時はマジで反省しているつもりの情緒不安定なメンヘラである。
つまり、女メンヘラの「理解のある彼くん」に該当する存在は「殴られてもお金や子を産んでくれる懲りない幸薄い彼女」なのだ。無論薄幸彼女がメンヘラだったりメンヘラ化することもあるが、ぶっちゃけ「理解ある彼くん」もかいてないだけでアレなとこがある場合も多い(ど根性ガエルの娘しかり)ので結局男女問わず「モテるメンヘラ」と「モテないメンヘラ」がいるだけなのではないか。女は体に需要ある!っていう奴もいるが、一回だけやりすてされたり妊娠させられたり暴力で奴隷みたく扱われたりするリスクのぶん考えれば得かどうかは…