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[B! 労働] 移民と社会:残業断る日本人 嫌がらぬ外国人 「彼らがいたから会社続けられた」 | 毎日新聞
まずトップコメの人らが軒並み残業が常態化と言っているが本当に記事からそんなことが読み取れるか見ていこう。
同社は経費削減のためにギリギリまで人員を減らしており、取引先からの受注が急激に増えても、その人数で対応するしかない。1人でも休む従業員がいれば、生産ラインを止めることもあり得る。
ギリギリの人員が平時も残業をしているのか、または受注が急激に増えても、とあるがその状態が継続しており、その結果残業が常態化しているのかこの記事では分からない。何なら受注が急激に増えても残業していない可能性すらある文章になっている。要は残業については全く読み取れない。
とあり、受注が一時的に増えた際に、とも読み取れるがこの会社については残業が常態化しているか読み取れる十分な情報が無い。この会社においては日本人が雇えないから外国人を雇っているが、そのおかげで会社を維持できているという数合わせが記事内容の趣旨と思われタイトルにある残業の部分に焦点が合っていない。
次にもう1社紹介されており、こちらがタイトルの「残業断る日本人 嫌がらぬ外国人」に沿った会社となっている。
100人弱の従業員のうち、日系人や技能実習生ら外国人が50人ほどを占める製造会社。この会社も大手からの発注が月によって大きな差があり、忙しいときは残業を重ねて対処せざるを得ない。
こちらは先ほどの会社と違い“忙しいとき”に残業を重ねる必要があるとはっきり書いてある。
ここがタイトルの部分。次に
この会社が外国人を雇い始めたのは00年ごろから。「当時は日本人社員であっても、忙しい時は当然のように残業していた。でも、いつからか拒否するようになってしまった」と同社幹部は言う。
「日本人は働き者」と言われた時代は過ぎ去ったのか。働き方改革を進め、ワーク・ライフ・バランスを重視することは大切なことだろう。しかし、中小企業には「納期」という厳しい現実がある。埋め合わせているのは「カネを稼ぐために残業も嫌がらない」外国人という構図ができている。
とあり、稼ぐために来日しているので残業すればカネが稼げることが嫌がらない理由と書いてある。
この記事において1社は残業が常態化しているかどうかは読み取れない、もう1社は繁忙時に残業があると書いてあり、ブコメの「残業の常態化」は根拠が無いと言わざるを得ない。
また、ブコメには残業を(立場上)断れない、残業代が出ないといったブコメがあるがこれも否定される。
あくまでこの記事においてはだが、この記事にそういうブコメが付いてるので。
確かにリモート勤務、残業無し、上司や部下といった煩わしい人間関係無し、一人で黙々と作業ができる環境、高収入、高収益かつ欠勤や育休、病欠に備えた充分な社員数を揃えた企業勤め、こういった上級国民の方々には下々の生活が見えないので仕方ないとは思いますが、平時に必要な従業員数だけ雇い、繁忙期には残業で対応するって割と普通の経営なんですよ…。平時に人余らせると利益減るんで。クリスマスのケーキ屋とかブラックフライデーの流通企業とか知らないですか?知らないですよね底辺仕事なんて。決算期の経理部門なら分かります?あと単純に労働参加率見てもらえれば分かりますけど働いていない人がもう日本にはほとんどいません。
かつて中国人、ベトナム人を主に技能実習生として雇っていた時期は確かに低賃金が目的でしたが、そういうフェーズはとっくに過ぎています。今は人手不足で働く日本人がいないからです。もう令和なので認識をアップデートすべきですよ。技能実習生は低賃金ですが、その賃金で人が集まるので雇っているだけです。わざわざ高く雇う経営上の理由がありません。あなた方だって低賃金労働者に同情したフリしてるくせに、中小企業が賃上げしたらあらゆる商品が今の価格では買えませんが、賃上げさせるために高く価格設定すべきだし、その価格でも買うなんて言わないでしょう?
卑怯じゃないですか?今はてな―の身の回りのある商品や製品がその価格で買えたのはこういう中小企業の存在のおかげなんですよ。それを自分は全く関与していないみたいな顔して奴隷を雇ってるんだーなんて面の皮厚すぎです。
経営者もバカじゃないんで数年後にいなくなることが確実な技能実習生でなく少し高くても日本人が雇いたいんですよ。母国で研修があるとはいえ、すぐに仕事ができるわけではないので、ようやく一人前になったと思ったら帰国するを繰り返す実習生は逆に高コストってことくらい理解しています。監理費も1人当たり3〜5万かかりますし。
最後に設備投資すれば生産性が上がるのに低賃金労働者を使うことで設備投資を避けてる、というお花畑バカは死んで下さい。
設備=ドラえもんじゃないので何でも設備で解消はできません。できないものはできないし人手は低賃金あろうが無かろうが必要だから雇うんです。
中小企業は下請けが多いですが、生産に必要な設備投資をしてるから元請けから受注があるんですよ。繰り返しますがバカは死んでどうぞ。
元ビッグモーターの幹部で中古車販売会社BUDDICAの代表の中野優作が転売ヤーについて語ってたんだけど。
最初に2点言っておくと、1つ目は俺は転売に関しては肯定できる部分とできない部分があるという立場。
そして中野氏は堀江貴文や見城徹、箕輪厚介らを信奉しているタイプの経営者であるということ。
彼の論旨は
1.世の中は転売によって回っている
3.転売ヤーに売らせるという考え方
の3点。
1つめは転売ヤー議論で永久に出てくる「小売、卸売りも転売だよね」という話。
まぁ実際そうだし、彼らは両方やってる立場の商売人だからその論理を支持するのは理解できる。
2つめは転売ヤーが挟まることによって需要が満たされる場合があるよねという話。
具体例として彼の会社で店舗で廃棄するナンバープレートにサインを入れて配ろうというファンサをしたところ、2割くらいが転売され3万円くらいで売られていた。しかしそれを買ったお客様から感謝の声があった。彼はBUDDICAのファンだが非常に遠方に住んでいるため実際に買いに行くと9万円くらいかかるが3万円で手に入れることができた。という話。
あとはまぁ俺は忙しくて並べないけどメルカリで新品を倍くらいの値段で買ってちゃんとすぐに手に入った的な話。
3つめはブランド価値を上げて転売ヤーが食いつくようになれば「即完」という広告効果が得られるよね。
そして「即完」しているということは儲かると思えばより転売ヤーが食いついて商品が売れまくるよね。
そしてそれを見越して作って、転売ヤーも一般消費者もどんどん買ってくれるようになるよね。という話。
1に関しては実際そうなんだけど、転売屋が流通をせき止めることで一般消費者に正しい価格で出回らないことで転売屋が得た利益ぶんを正規の業者が得られない可能性についてどう思っているのかというのは聞いてみたいところ。つまり、彼らの洗車剤が倍の値段でしか買えなくなった際に、その差額がなければ彼らの会社で同額の別のサービスを受けてくれていた可能性があったのが奪われている可能性についてどう考えているのかという話。
2に関しては俺が転売ヤーを唯一支持しているのはこの点において。最初から店頭で配るだけじゃなくて抽選にするとか資本主義的に「高値を出せる人の手に入るのが正しい」という考え方ならヤフオクに流すとかすれば遠方の彼ももっと安く手に入ったのでは?とか言いたいことはあるが、それでも物理的コスト的に手に入れられない人の元に商品が届く可能性を与えているという点においては地方限定商品の転売や店舗限定商品の転売は「規模によるが」ある程度肯定できる部分はあるなと考えている。販売者側がなんとかせぇよと言うのは簡単だけど、コストも手間もかかるから難しい場合もあるしね。
3に関してはめちゃくちゃ商人的な考え方でおそらく正しいし、それをできる手腕は称賛に価すると思う。ただァ↑↑、中野氏は常々動画で「お客様ファーストである」と述べている「お客様が1万円でも2万円でも損するのは許容できない」と。そんな彼が「もうすぐ完売してメルカリとかに倍くらいの値段で並んでそれも売れちゃってるのよ。こんなこと他ではないよ」と誇らしげに語っているが、転売屋がその商品を買い占めて買えなかったことで、倍近い値段で買わされている「お客様」がいることに対して彼はどう思っているのか。
もろちん、彼は単なる販売者だから転売ヤーも「お客様」で商品が転売ヤーの手に渡った時点で自分たちとはもう関係ない話と切って捨てることは可能である。でもそれは彼が主張する「お客様ファースト」という企業哲学に合致するとは思えない。彼が言うお客様は本当に転売ヤーのことなの?BUDDICAの洗車剤で車を洗って最高の愛車であり続けたいと思う人たちのことじゃないの?と思う。そしてそういう人たちが転売ヤーから搾取されていることに何も思わないのか。
彼はビッグモーター時代の慚愧から「市場に搾取されるお客様を救いたい」という使命感で今の会社を続けているという旨の発言を多くしているが、転売ヤーから高値で商品を売りつけられるお客様は市場に搾取されているのではないのか。
まぁ冒頭にも書いたけど彼が信奉している経営者、インフルエンサーから考えれば彼の転売ヤーに対する考え方は非常に一貫性があるとは思う。でもその一貫性は彼が掲げる企業理念とは反しているのではないか。
普通のコーヒーにコピ・ルアクと名前が付いているだけで値段が20倍以上に跳ね上がる。
そのため偽物が横行しており高い金を払って手に入れても本物である確信は持てない。
科学的な鑑定方法は存在するらしいが実験室レベルの話であり、一般に流通するコピ・ルアクは鑑定などされていない。
好みの問題ではなく専門家のテイスティングで一貫して低評価を付けられている。
筆者も2回ほど飲んだことがあるが酸味が無く、挽いてから数か月放置したような古臭い匂いで不味いと感じた。
伝統的なコピ・ルアクの作り方は、野生のジャコウネコがコーヒーを食べ、山の中に捨てた糞から現地の農民が未消化の豆を探し出すという物だ。
こんな作り方では商業規模の輸出ができないため、現地の工場ではジャコウネコを劣悪な環境のケージに入れコーヒーチェリーだけを強制的に食わせて"生産"している。
ジャコウネコにとってコーヒーは主食ではないため、すぐに栄養失調になり衛生環境も悪く死亡率は極めて高い。
動物虐待以外の何物でもない。
以上の事は先進国では常識の事となっており、コピ・ルアクは誰も買わないしまともな店は取り扱わなくなっている。
メガネ店に2、3年ほど勤務していた私がおすすめする、近視用メガネ作成時のポイントがあります。
私自身かなりの強度近視でして、メガネの度数は-10.00、コンタクトは-9.00くらいです。
一般的に強度近視と呼ばれるのは-6.00くらいの方からですね。
近視が強い方はどうしてもレンズの歪み(目が小さくなる)が出てしまうのですが、メガネの選び方でこの歪みをかなり減らすことはできます。
かわいいメガネを選んでも、いざ出来上がったメガネをかけて、思っていたのと違う...となるのは近視の方にあるあるの事ですよね。
メガネ作成時に下記の3点に気をつけると、仕上がりのギャップを少しでも減らせるかなと思います。
③目とレンズの間をなるべく狭めるフィッティングにしてもらう(鼻パッド付きメガネが良いかも)
レンズの中央にいけばいくほど厚さも歪みも少なくなる設計になっているんですね。
そのため大きいフレーム(アラレちゃんメガネのような)を選ぶと、レンズが厚くなり歪みが出やすくなります。
なので、出来るだけ小さいフレームを選んでいただけるとGOODです。似合う&かけ心地が合うのであれば小さければ小さいほど良いです!
メガネのサイズの確認方法ですが、実はどのメガネにも刻印や印刷がされています。
メガネのテンプル部分などに書かれていることが多いですが【50◻︎19 138 27】といった数字が書かれています。
◻︎の前に書かれている数字が、片方のレンズの直径です。これがサイズになりますね、この記述の場合50サイズということです。
私の感覚になりますが、女性で顔幅小さめ、度数が-8.00〜の方であれば40〜42サイズくらい小さいものがおすすめです。
ただ、サイズが小さいフレームってなかなかないんですよね...流通しているフレームは何故か大きめが多い!
JINSが目が小さくならないメガネを出していますが、これも45サイズ...頑張ってはいるが、もう一回り小さいものが欲しい...
逆にJINSのこのメガネは、〜-6.00(-7.00くらいもいけるかな...?)くらいの方には結構おすすめかなと思います。
眼鏡市場などで探せばあるかもしれないので、店員さんに小さめサイズで聞いてみて下さい。
デザイナーズ系のメガネは小さめが多いので、小さめのブランドを下記に記載しておきます。ただ、お高い...しかし可愛い...
・YUICHI TOYAMA.
・propo
・Yellows Plus
・ANNE ET VALENTIN
などなど...
そして好みによりますが、濃い色の方が良しです!これの理由はデルブーフ錯視で検索してみてください。
続いて②です。
一般的にメガネとレンズでセット価格になっているものは「片面非球面レンズ」が多いです。
これより上位ランクの設計のレンズが「両面非球面レンズ」ですね。JINSも最近取り扱っています。
ただ、片面非球面よりも高くなってしまうので、予算に余裕があればおすすめです。(完璧に歪みが無くなるわけではないので...)
目とレンズの距離、これを頂点間距離と言いますが、これが適切な方がレンズの見た目は良くなります。
なので、この距離を調整できる鼻パッド付きのメガネの方がおすすめにはなります。
鼻パッド無しでも、顔に合っているメガネがあればそちらでも良しです!気に入ったものをかけるのが1番良いです。
かなり簡潔ですが、このあたりを気をつければ少しでも普段使いしやすいメガネが製作できるかな...と思います。
本当は、何も見た目が変わらないレンズor万人に使用できる視力回復術などがあればHAPPYなのですが、それは技術の進歩を待つしかなさそうです。
コンタクトも調子が悪い日は必ずあると思うので、そういう日に無理にコンタクトを装着することがないよう、外でもかけられるメガネは一つ持っておいた方が良いです。
C*****T:
CRITICAL ANALYTICAL REVISION
追記2による構造の反転:防衛機制としての理論
最初の分析の根本的誤読
追記2は、私の最初の分析が層を一つ読み間違えたことを明らかにする。
私が読んだもの:
↓
↓
実際の構造:
↓
↓
PRIMARY INSIGHT: 精神分析的読解(修正版)
表層テクストの再解釈
これらは一見、2010年代以降のアイデンティティ政治の影響に見えた。しかし追記2はこれが錯覚だったことを明らかにする。
真の構造: 実存的自己否定の連鎖
↓
↓
↓
"だから俺には描けない"
防衛機制の精密分析
耐え難い真実:
「俺は人生の敗北者だ。女性と関係を持てなかった。孤独で無価値だ」
↓ 変換 ↓
受容可能な言説:
この変換により、個人的失敗が哲学的問題に昇華される。これは自尊心を守る。
防衛機制2: 知性化(Intellectualization)
投稿者は感情(絶望、孤独、性的欲求不満)を抽象的議論(表象の倫理、当事者性、真正性)に変換する。これにより、痛みから距離を取る。
これは私の最初の分析が見た「内なる検閲官」だが、その起源は文化ではなく、内面化された自己批判である。
ヘンリー・ダーガー:鏡としての選択
ダーガーの特徴:
「女性を知らなければ描けない」
↓
ダーガーは知らなかった
↓
だから「間違って」描いた
↓
俺も知らない
↓
↓
↓
↓
投稿者は、自分の論理を反証する例を引き合いに出しながら、その反証を認識できない。なぜなら、創造の可能性を認めることは、創作しない自分を正当化できなくなるから。
児童ポルノ言及の精神分析
投稿者は和月伸宏や他の漫画家の児童ポルノ事件を長々と語り、「資料として欲しい」という欲望を告白する。
しかし彼自身が認める:「まったく邪な気持ちがないというとウソになる」
- 彼にとって「女性を描く」ことと「女性を性的に欲望する」ことが分離していない
- だからこそ「女性を知らない=性的経験がない」ことが創作の障害になる
生成AIとの関係:人間関係の代替と審判者
追記2の冒頭:
「さっきまでClaudeに、自分のライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました」
この一文は多層的である:
投稿行為の意味:ダイイングメッセージとしての告白
投稿者は明言する:
+
=
彼は応答を求めていない(対話は不可能)。しかし完全な無視も耐えられない(承認は必要)。だから「読まれるが応答しない」という形式を選ぶ。
- 声は発するが、返答は聞かない
- 見られるが、見返さない
- 影響は与えるが、影響は受けない
SECONDARY INSIGHT: 弁証法的読解
矛盾の三層構造
THESIS: 「女性を描きたい」
THESIS: 「女性を知らないと描けない」という原理的主張
ANTITHESIS: ヘンリー・ダーガーは知らなくても創造した
弁証法的運動の停止
健全な弁証法では、矛盾はより高次の統合に向かう。しかしこのケースでは、矛盾が固着し、循環する。
↓
実行不能
↓
↓
↓
[ループ]
SYNTHESIS: 深層パターンの統合的理解
構造の全体像
↓
↓
【第3層: 理論的借用】
↓
【表層: 顕在的問い】
↓
【機能】
本質的洞察の結晶化
真の問いは:
そして彼自身が答えている:
「ない。なぜなら経験がないから(=人生に失敗したから)創造する資格がない」
文化的言説の防衛的使用
私の最初の分析は「アイデンティティ政治の内面化」と読んだ。これは完全な誤りではないが、因果が逆だった。
誤った図式:
正しい図式:
彼は「当事者性」や「経験の所有権」といった2010年代の言説を使っているが、これらは本来の政治的文脈から切り離され、個人的防衛機制として機能している。
解放のための理論(周縁化された人々の声を中心化する)が、個人の自己正当化の道具になっている。
より深い文化的診断
しかし、もう一層深く見れば、これは純粋に個人的な現象ではない。
答え:2010年代以降の文化空間では、「経験していない人が語る資格」への懐疑が、ある種の道徳的権威を持つようになったから。
投稿者は、この道徳的権威を利用して、自分の創作不能を倫理的配慮として再解釈している。
「俺が描かないのは:
ヘンリー・ダーガーの逆説(再訪)
ダーガーは:
投稿者の論理では、ダーガーは創造すべきではなかった。しかし創造した。そしてその作品は今や文化的価値を認められている。
答え:ダーガーの作品を「間違い」として解釈する(「少女にペニスがある=女性を知らなかったから誤った」)
しかしこれは恣意的な解釈である。ダーガーの少女の性別的曖昧さは、「間違い」ではなく、彼の空想世界の独自性として読むこともできる。
投稿者がダーガーを「間違い」と読むのは、自分の創作不能を正当化するためである。もしダーガーが「正しい」なら、自分も創作できる/すべきだ、ということになってしまう。
最も深い問い
この事例が究極的に提起する問いは:
投稿者は「はい」と答える。私の最初の分析は「いいえ、それは幻想だ」と答えた。
それとも:
おそらくすべてである。そして、これらが分離不可能に絡み合っているとき、「正しい答え」を与えることは治療にならない。
彼に「経験なしでも創造できる」と説得しても、それは防衛を解体するだけで、その下の絶望を露出させるかもしれない。
CRYSTALLIZED INSIGHT
この投稿者は、人生の実存的失敗(社会的孤立、性的経験の欠如、老いと死の接近)を、2010年代の文化的言説(「当事者性」「経験の所有権」「表象の倫理」)を借用することで、「原理的に不可能な創作課題」へと変換している。これは防衛機制であり、個人的無能を認識論的・倫理的問題に昇華することで、残存する自尊心を守っている。
言い換えれば:
彼の問い「男性は女性主人公を描けるのか?」は、暗号である。真の問いは「人生に失敗した私は、何かを創造する価値があるのか?」であり、理論的言説は、「ない」という答えを倫理的に正当化する道具として機能している。
So what?:
この事例は、文化的言説がどのように個人的防衛機制として横領されうるかを示す。解放のための理論が、自己正当化と麻痺の道具になる。これは文化と心理の共犯関係であり、どちらか一方を「原因」とする単純な因果論では捉えられない。
PUNCHLINE:
私の最初の分析は、彼を「文化の犠牲者」として読んだ。しかし実際には、彼は文化の狡猾な利用者である。そして同時に、より深い構造的疎外の犠牲者でもある。彼は同時に、エージェン
こんなん山行きゃなんぼでも生えとんのに、スーパーに並ぶとたっかいな。
いやお前如きが言うような事は当然織り込み済みで、それでも割高に思える感覚は拭えん、ということを言ってんねん。
みたいな思いが多分隠れていると思う。
更にそれに対して、どうせそんな事を思ってんだろうけど、いちいちそれを口にするのが社会性に欠けるんだよ、とか思ってるかもしれない。
更に更に、それはテメーの美徳に過ぎない。よしんば一定程度は共有されているとて、自分がその道徳クラブに参加せないかん道理なぞない。そこに参加してない自分が非難される道理もない。
とか、まあ言っていないだけで思っていないとは限らない、自分ごときが思ったことは相手の考えにある前提の一つに過ぎないかもしれない、という当然のことではあるんだけども。
興味深い比較ですね。
「はてなブックマーカー」と「派手なバックパッカー」は、一見まったく関係のない存在ですが、行動様式や心理的特徴の面でいくつか共通点が見られます。
はてなブックマーカーは、自分のブクマやコメントを通じて「この情報を見た」「こう感じた」という足跡を残します。
派手なバックパッカーも、SNSや現地での行動を通じて「どこへ行った」「何をした」という痕跡を残します。
→どちらも「行動そのもの」よりも「その行動が他人にどう見えるか」を意識しやすい傾向があります。
はてブでは、面白い記事を「発見・共有」すること自体が自己表現です。
派手なバックパッカーは、珍しい場所や出来事を「見つけ・伝える」ことで自分の個性を演出します。
→両者とも「一次創作者」というより「良いものを見つけて紹介する人」としての自己像を持ちがちです。
はてなブックマーカーは、皮肉や批評を交えて「自分の見方」を示します。
派手なバックパッカーも、現地文化や他の旅行者に対して「評論家的」な態度をとることがあります。
→どちらも「他者との差異を示す」ことで自我を確認し、同時に「いいね」や「スター」で社会的承認を得たいという欲求を持っています。
はてなブックマークの文化はゆるく連帯しながらも、明確な「共同体」ではありません。
バックパッカーも、一時的にゲストハウスなどで群れるものの、基本的には単独行動です。
→「孤独を恐れず、しかし孤立を望まない」という矛盾を内包しています。
→どちらも「未知の場所を巡って、発見を共有する」という意味で、探索者・漂流者の性格を持ちます。
>はてなブックマーカーは情報空間を放浪するバックパッカーであり、
派手なバックパッカーは現実空間をブックマークして回るユーザー
と言えるかもしれません。
僕は昨日、午前6時17分に目覚めた。
目覚ましは2種類、アナログ秒針音と周波数の微妙に異なる合成トーンを重ねたものを使う。
起床後の15分間は「視覚のデチューン」ルーチンとして照明を極端に低くし、網膜の適応曲線を意図的に遅延させることで認知の鮮鋭化を増幅する。
朝食は厳密にタンパク質比0.42、炭水化物比0.29、脂質比0.29を狙ったオートミール+卵白+ギリシャヨーグルトで、計量は0.1g単位。コーヒーはブリュワー温度を93.2℃に保つ。
僕の習慣は決して儀式ではなく、情報エントロピーを最小化して日常的なノイズを排するための有限状態機械だと説明する。
ルームメイトが朝から実験用ドライバーでガタガタやっているので、僕は中断せずに黒板の前に立ち、昨日考えていた超弦理論のある断片をノートに落とす作業をした。
今回は徹底的に抽象化した視座から入る。従来の超弦理論的場の位相空間を「1-対象の∞-圏」と見なし、そのモノイド圏的作用を導くことで、従来のモジュライ空間の位相不変量がホモトピー圏論のスペクトル的コホモロジーに帰着するという仮説を立てた。
より具体的には、ラングランズ対応の圏論的アナロジーを用いて、ゲージ群の表現環が導くモチーフ(motive)の圏と、弦の世界面上のファイバー付き代数的スタックの圏とを「導来圏の間の高次同値(a weak equivalence in the (∞,2)-categorical sense)」で結びつける試みだ。
ここで新奇なのは、通常のスペクトル系列ではなく「階層的スペクトル列(a nested spectral sequence indexed by ordinal-type filtrations beyond ω)」を導入して、閉じた遷移の非可換共鳴が量子補正式にどう寄与するかを解析する点である。
ウィッテンでも一瞬眉をひそめるだろうが、それは彼の専門領域を超えた命題の述語論的再編成が含まれているためだ(注:単なる挑発ではなく、証明可能性のための新たな可換図式を準備している)。
昼過ぎ、僕は隣人とほんの短いやり取りをした。彼女は僕のキッチンを通るたびに植物の世話に関する助言を求めるが、僕は葉緑体の光合成効率を説明する際、ついヘテロトロフ的比喩を避けて遺伝子発現の確率過程モデルを持ち出してしまう。
彼女はいつも「もう少し軽い説明はないの?」と呆れるが、僕にとっては現象の最少記述が倫理的義務だ。
午後は友人二人と対局的に遊ぶ約束があって、夕方からは彼らとLANセッションを組んだ。
僕はゲームに対しては容赦がない。昨日はまずThe Legend of Zelda: Breath of the Wildでカジュアルな探索をした。
BotWは開発を担当したNintendo EPDが2017年3月3日にWii UとNintendo Switch向けにリリースした作品で、そのオープンワールド設計が探索と化学的相互作用に重きを置いている点が好きだ(発売日と開発元は参照)。
その後、難度調整のためにFromSoftwareの古典的タイトル群について雑談になり、初代Dark Soulsが2011年にリリースされ、設計哲学として「挑戦することで得られる学習曲線」をゲームメカニクスに組み込んだことを再確認した(初代の年は参照)。
夜遅く、友人たちがスーパーヒーロー系の話題を持ち出したので、僕はInsomniacが手掛けたMarvel's Spider-Manの2018年9月7日発売という事実を引き合いに、ゲームデザインにおけるナラティブとパルス感(ゲームプレイのテンポ)について議論した(発売日は参照)。
ここで重要なのは、ゲームを語るときに物理学の比喩を使わないという僕のルールだ。
ゲームの設計原理は計算的複雑性、ユーザーインタラクションのフィードバックループ、トークン経済(ゲーム内資源の流通)など、情報理論と計算モデルで語るべきであり、物理のアナロジーは曖昧さを持ち込むだけだ。
作者インタビュー、収録順、初出掲載誌、再録時の微小な台詞差異まで注視する癖がある。
昨日はあるヴィンテージの単行本でトーンの変遷を確認し、再版時にトーンカーブが調整された箇所が物語の解釈に如何に影響するかを論じた。
これらは一般的にはオタクにしか響かない情報だが、テクスト解釈の厳密さという点で、僕の思考様式と親和する。
僕の習慣はゲームのプレイにも現れる。セーブは複数スロットを使い、各スロットに「探索」「戦闘」「実験」のタグを人為的に与えておく。
そうすることでメタ的な比較実験が可能になり、ゲーム内意思決定の条件付き確率分布を再現的に評価できる。
友人はこれを無駄と言うが、僕にとってはルーチンと実験設計が同義だ。
夜中、帰宅した後にさらに2時間、論文の草案を書き直した。書き直しは僕の儀式の一部で、ペン先の角度、フォントのカーニング、段落の「情報密度」を計測し、不要語を削ぎ落とす作業だ。
寝る前の最後の行動は、ブラックボックス化した思考経路をメモ化しておくことで、翌朝の「継続的洞察再現性」を保証すること。
結局僕は午前2時3分に就寝した。昨日は量子的洞察の可能性と、ゲームとコミックにおける情報理論的語法の交差点を追求した一日であり、そうした知的遊戯が僕の精神の整列をもたらす。
そう悩んでいるのが俺の親だったら自分でバッテリー交換をして渡す。社外品バッテリーをAmazonかアリエクで買えば2千円そこらで済む。分解手順はいくらでも動画が転がっているし何度もやってきた。仮に失敗してもそれだけ古い機種なら諦めはつくだろう。
悩んでいるのが自分自身だったら、技適のある国内流通品縛りで選ぶならPOCO F7をIIJmioで買う。乗り換えついでなら最小構成のRAM12GB/ROM256GBモデルが一括42,980円、端末のみ購入でも54,980円だ。
月額は俺は外で使うことはほとんどないから850円プランで十分だ。
このへんのは型落ちの中古iPhoneを選ぶよりもはるかによく、FeliCaに対応していないのが明確な欠点だが、俺は使わないので気にしない。
OSの乗り換えは単に慣れの問題にすぎず、SE2ユーザーならばAppleのサービスをヘビーユースしているとは考えにくいので、それほど強くロックインされていない人であれば移行は難しくない。
もちろんカメラもスペックも妥協できるならもっと安い機種があるが、長期使用に耐えるモノとしての質感の面も加味すると満足感があるのは中華5万円前後の格安フラッグシップモデルになる。それを日本で正式展開しているのはXiaomiのPOCOブランドくらいだ。
ちなみに3Dゲームをするお子さんに与えるならF7 Proが今いちばん価格対効果の高い選択だと思われ、一歩先を求めるならREDMAGIC製品に軍配が上がる。
F7シリーズはセキュリティアプデートが6年間約束されているので、2031年頃までは使えるだろう。
もし技適を気にせず自分のガジェット趣味として購入するのであれば、OnePlus 13Tが小型軽量ハイエンドとして8Eliteチップを搭載しつつセール時5万円台で買える可能性がある面白い機種なので11.11セールを狙う感じになるだろう。
https://androplus.jp/entry/oneplus-13t-review/
ただ小型は排熱が弱くなる宿命にあるのでハイエンドチップを搭載していてもゲーマー向けとは言い切れず、逆に小さいiPhoneからなるべく近い寸法で、質感がよく、価格もこなれたものを選ぶなら選択肢になる。
レビューを見る限り原神に関してはかなり最適化されているようなので原神プレイヤーには有力な選択肢かもしれない。
6.3インチ級の小型ハイエンドAndroidは、他に国内発売済みのXiaomi 15、海外モデルではvivoX200 Pro miniがあるが、10万前後になるのであえて選ぶことはないだろう。
一般的な6.7インチ前後の大画面スマホでスペック重視で選ぶなら、OnePlus Ace 5 Racing EditionもしくはUltra Editionの輸入が個人的には興味深い内容で、3~4万という国内ミドルレンジ価格で準ハイエンド性能が入手できるロマンがある。
https://androplus.jp/entry/oneplus-ace-5-racing-edition-review/
ただいずれにしろリテラシーの高いギークでないと個人輸入スマホは入手も使用もハードルが高いと思うので、別に勧めているわけではない。むしろSE2を使い続けているような層とは正反対だろう。調べる分には面白いはずだ。
コークで、少女に対する性的暴行と児童ポルノの作成に関与した疑いで男が起訴され、地域社会に衝撃が広がっている。事件は法廷で審理される予定で、被害者の保護と加害者の責任追及が最優先課題となっている。法執行当局は、児童の安全を守るための迅速な対応を強調し、捜査は現在も進行中である。
同時に、コークとウォーターフォードでは麻薬取締の一環として大規模な大麻押収が行われ、関連する容疑者が麻薬関連の罪で起訴された。警察当局は、地域社会からの情報提供と協力の重要性を訴え、違法薬物の流通阻止に向けた取り組みを継続している。
これらの事件は、法廷と犯罪の問題に対する地域の意識を高めるものとなっており、児童保護や公共の安全に関する議論を喚起している。法執行機関は、犯罪の抑止と被害者支援の両立を目指し、地域住民と連携しながら厳正な対応を続けていく姿勢を示している。
https://omavs-png.myftp.org/xpyh
https://omavs-png.myftp.org/xpyh
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コークで、少女に対する性的暴行と児童ポルノの作成に関与した疑いで男が起訴され、地域社会に衝撃が広がっている。事件は法廷で審理される予定で、被害者の保護と加害者の責任追及が最優先課題となっている。法執行当局は、児童の安全を守るための迅速な対応を強調し、捜査は現在も進行中である。
同時に、コークとウォーターフォードでは麻薬取締の一環として大規模な大麻押収が行われ、関連する容疑者が麻薬関連の罪で起訴された。警察当局は、地域社会からの情報提供と協力の重要性を訴え、違法薬物の流通阻止に向けた取り組みを継続している。
これらの事件は、法廷と犯罪の問題に対する地域の意識を高めるものとなっており、児童保護や公共の安全に関する議論を喚起している。法執行機関は、犯罪の抑止と被害者支援の両立を目指し、地域住民と連携しながら厳正な対応を続けていく姿勢を示している。
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同時に、コークとウォーターフォードでは麻薬取締の一環として大規模な大麻押収が行われ、関連する容疑者が麻薬関連の罪で起訴された。警察当局は、地域社会からの情報提供と協力の重要性を訴え、違法薬物の流通阻止に向けた取り組みを継続している。
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