はてなキーワード: 排水路とは
産経新聞が報じているクルド人ヤードで大騒ぎ問題に関して。因みに本稿では記事や事件そのものには触れない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20240818-Q7DJ43L7IVGBVIXACY4JX5FRBY/
産経の記事では冒頭に「過積載の(解体業)トラック」の写真が掲載されている。Xでもよく同じような写真が「クルド人解体屋の過積載トラック」として掲示され「何故か警察が検挙しない!」と指弾されている。
道交法は近年改正され、車両からのはみ出しの制限が緩和された。
後方については車両長の20%以下となった(はみ出しが後方だけの場合)。これはいすゞエルフ2t積みの場合、全長が4.7mなのではみ出しの最大は940cmとなる。写真のトラックはそんなにでっぱっていない。
側方については片方10%づつの両方で20%までが可能になった。
産経の写真のトラックは上の方が広い積み方がされている。一番上に畳が2枚並んであるのでこれを基準に幅を考えてみる。
畳は地方により寸法が違うが関東で使われる江戸間だと短辺は88cmだ。これが2枚で176㎝。真ん中に間隙があり、柱も一本挟まっている。また少し斜めになっている。それらを修正すると188cmくらいか。
エルフの全幅は1.7mなので両側合わせて34㎝まではみ出し可能だ。幅は1.7+0.34=2040㎝まで積載okであるから、全然余裕である。違反ではない。
では高さは?というと、実は規制がないのだ。いくらでも積んでいい。
でも道交法では「道路を運行する車両の最大寸法」が決まっていて、3.8mとなっている。だから荷台の高さに拘らずに全車3.8mまで積める。
しかし3.8mというのは観光バスの屋根とか電車の2階建てグリーン車の屋根の高さで、とんでもない高さだ。だから平トラックでそこまで積むという事はあまり無い。で、写真のトラックもそこまで積んでいない。見たところ3.2~3.4mくらいだ。
重量は?というのは測らないと判らない。でも間隙が多い廃材なので重量はそこまでいかない。2tくらいではないだろうか?因みに木造住宅の重さは30坪2階建程度で30t強といったところ。検索すると1600kg/㎡という数字が出てくるだろうが、これは家の積載荷重と耐雪荷重を合わせた重さで、自重は半分程度になる。また壁材のモルタルや石膏ボード、漆喰を合わせた重さだから木材だけだと大した事ないのだ。
平トラックに積む場合、まずはあおりの内側にコンパネなどで壁を造る。その中で安定するようにテトリスみたいにぴっちり積んで、時にTスピンなんかも駆使して動かないようにする。
コンパネ壁の上に来たら安定する大物を外側に積んで真ん中の方に小物を積んで行く。これもテトリスっぽいな。
いい所まで来たらロープを掛けて思い切り絞り完成。コンパネと大物が押さえになって荷崩れを防止する。
多分、Xとかで騒いでいる人らは平トラックの積み方知らないのだろう。なので解体屋のトラックを見たら全てで「過積載」と騒ぐ。しかも慎重に情報を流すという動機がない。
しかも後ろからではドライバーが何人かなんて判る由もない。クルド人かどうかなんて聞かないと判らない。更に言うと撮影場所がどこかとかどこナンバーかというのも確認しないしその動機もない。
「警察はなぜ検挙しない!」ってそれは平トラックの定積載だからだ。アホやね。
ヤードっていうのは物流基地の屋根のない構内をいうのだが、特に自動車解体屋の車両置き場の事も指す。最近ではそこから建築業の資材置き場や金属スクラップ置き場なんかのことも指す。これは自動車解体屋のヤードの誤用っぽい転用だ。
で、この自動車解体ヤードは簡易な壁で仕切られて中が見えない、中で盗難車解体しているのではないか?と言われ、それもクルド人問題として語られる事がある。
だがこれは無体な論難だ。壁を建てるのは法規制に拠る。
昔の自動車解体屋はテキトーで、その辺に廃車を積み上げ、外して売り物にするエンジンやボディーパーツをその辺に積み上げていた。
だがこれだと廃油や廃冷却水がタレ流しになって土壌にしみ込んでしまう。廃冷却水は河川に流れると魚毒性が高い。
・1.廃車置き場と作業場はコンクリ打ちして排水路を作り、オイルトラップを設置せよ
・2.1が難しい場合は作業場だけコンクリ打ち+排水路+オイルトラップとしてそこで全液体を抜いてから廃車置き場に置け
・十分な高さのある塀で囲って部外者が入れないようにせよ
最後の塀は子供が入り込んでかくれんぼをしてたら転落したり、車ごとプレス機に突っ込まれてキックアスの悪役みたいな死に方するのを防ぐ為の規制だ。
増田は学生時代、金がないからマイカーは買えなかったが整備の腕は幾分あるのでバイト先の友人に駆り出されて工具箱持参で解体屋にフォークリフトで86の廃車を下ろしてもらいミッションを自分たちで外したり、シルビアのノンスリップデフを外したりして金払って帰り、それらを交換したりしていた。日産のL型エンジンは重かったな。
でも今はそういうのは出来なくなっていて、勝手にヤードの中歩いたりさせてくれないしそもそも外から見えないから在庫が判らない。つまらん。
こういう仕事は当然がっつり汚れて暖房も冷房も無いところで働くから人気が無く、外国人従業員が多くなっている。
それで色の黒いガイジン=ヤバいとなって、「中が見えない=犯罪?」と連想ゲームになるのだが、法規制ぐらい知っておけという話である。
「本稿では記事や事件そのものには触れない」って書いがあれは嘘だ。やっぱ記事の中身に触れたくなったわ。というのも地理的条件説明したいから。
記事中に「(川口)市東北部」とあるが、市の東北側には人家がまれな地域があるのだ。一つは旧見沼、もう一つが木曽呂という地区だ。
江戸時代まで川口から大宮にかけて見沼という巨大な沼があった。土木工事狂の三代家光になると、見沼の下の方に堤を造って、今の川口市~足立区を開拓する事になった。その直接指示官は利根川東遷事業や荒川西遷事業を為した治水と土木界のチャックノリス、かの伊奈忠治である。
そこで八町堤が築造され、見沼は巨大溜池となり、その南は広大な田圃となって幕府の石高を上げ、財政情況を改善したのである。
ところで荒川はそれまで元荒川を流れていたので、上尾より下流は入間川だけが流れていた。しかしこの入間川下流は今の荒川と相当に違う所を流れていた。
指扇付近からは今の荒川の西を蛇行して流れ、中浦和駅→武蔵浦和駅→南浦和駅と浦和シリーズ駅スランプラリーしてるみたいな流路を取ってから浦和競馬場に踵を返して川口市を横切り今の外環道をクロスして、川口オート→毛長川→八潮という風に流れていた。地方競馬からオートレースのはしごかよ。
で当時綾瀬駅を流れていた利根川に合流して自由に氾濫し辺りをぐちゃぐちゃにしていた。オケラオヤジの大暴れみたいな奴である。
この川も荒川西遷で廃川になったので広大な土地を開墾でき、その辺は川が無くなったから見沼の溜池で潤すって感じだ。
河川跡は出水しやすいので田んぼとし、その横に形成された微高地(自然堤防、曽根)に集落を築いていたので川跡がくっきり残ったのだな。
で享保の改革の吉宗の時代になると、見沼に泥が溜まって貯水力低下。そこで、見沼を全部干拓しちゃえという事になった。でもそのままじゃ水が足りないね。そこで見沼代用水という用水路を作るのだが、どこから取水してるというと羽生なのだ。見沼から60㎞以上あるのだ。
途中には当然沢山の川がある。そこでどうしたかというと、全部立体交差で通したのだ。江戸時代なのにちょっとイカれた工事だ。舎人ライナーに見沼代用水親水公園って駅があるが、この代用水とは見沼の代わりの用水って意味なのだな。
それ以来、旧見沼は田んぼ地帯となっていて、地盤も悪いし土地が低いから都市化した後もそこに家を建てたり開発行為をしてはならないという規制が敷かれている。
武蔵野線東浦和~東川口間、東武野田線大宮公園~大和田、七里~岩槻で突然住宅街が途切れて田園地帯や荒れ地が広がるのを見た事ないだろうか?あれが見沼なんである。
で、八丁堤の下にあたる川口市の方は開発一切禁止というんじゃなくて調整地域という形になっている。これは一般の都市計画で建築物を規制するやり方で、住宅や工場などは建ててはならない。でも例外が設けられていて、学校、病院、特養ホームなんかはokなので、家は無くそういう建物ばかりが閑散に建つという風景になっている。
建物規制なので駐車場など建物がない用途では規制されない。すると、中古車屋(事務所は移動可能なプレハブ)、解体屋ヤード、建築資材置き場などは規制されないのでそれらが集まってしまい、景色としてはあまり良くない地域になっている。
新宿のモザイク坂が先週で営業終了との事で話題になっていたが、知る人は少なかろうがあそこは実は高架道路なんである。
斜路の高架道路に階段設えたりタイル貼ったりしたのがモザイク坂だったのだな。
じゃあなんでこうなったのかというのには経緯があるのでちょいと書いてみたい。
モザイク坂は京王デパートと小田急デパートに挟まれているように見えるが、実は小田急の駅上の京王デパートに隣接した所を通っている。
1.南側が狭くなっている
という事に気付くはずだ。https://goo.gl/maps/LoyBvgAkdnU7oubeA
この斜めは何かと言えば、そう、モザイク坂の高架道路斜路が上にあるんである。
1966年に今の地下広場を擁する西口の立体ロータリーが完成するのだが、その前には大歩道橋があった。今のモザイク坂登り口横の京王入口付近から丸の内線入口付近まで続く広くて大きい歩道橋があり、国鉄駅や小田急駅に接続していた。
これは小田急、京王←→国鉄←→地下鉄や国鉄←→バスの乗換客がぶつかる事を避けて分離するためだったと思われる。ペデストリアンデッキの走りだね。
国鉄は商売下手&流通事業は基本的に認められていない為に市街活性化の為に駅ビルは民間が建てて運用する事になり、小田急は自社改札~地下鉄までの権利を獲た。
さてそこで困ったのが駐車場をどうするか。当時はモータリゼーションの途上だったが、自動車は富裕の象徴でもあった。ならば百貨店の高級イメージの為にも駐車場は欠かせない。
そこで小田急線のホームの上に高架式の駐車場を作る事にしたのである。
まずは丸の内線上にビルを建て(現小田急ハルク)、そのビルから小田急線改札までに本館を建てる。
更にホームの真ん中辺りの上空に鉄骨を組んだ人工地盤を建設して地上4階の駐車場にする。
改札上空にも鉄骨を組み建て本館と連結させる。その拡張本館と空中駐車場を繋ぐ。
そして本館横の京王デパートとの隙間を登り口とする高架斜路で駐車場に繋ぐ。また、線路を大きく跨ぐ甲州街道に出れるようにこっちにも高架道路を作る。
なんでこんな凝ったデザインにしたの?と言ったらあれですよ。当時完成供用開始された首都高速道路。あの「未来っぽさ」を模す為にわざとビルの隙間を縫う高架道路にしたんだと思われる。
それに小田急本館の横に入口を設けられるからアピールしやすい。更に完成した時は歩行者デッキがあるからそこに車入口を作っても歩行者の妨げにならない。
ところが空中駐車場が出来て数年後には西口の立体ロータリー工事が行われ、地上+歩行デッキの二重構造で歩者分離していた交通が地上+地下の二重構造になってしまう。
更に京王デパートが開業すると歩行者の通行も増えて車が歩道を斜めに渡って斜路登り口に行くのが危険になってしまう。
しかも登り口横に京王デパートの入口が出来てしまった。更に小田急線の一階改札出口の横でもあってバス乗り場にも近く、更に更に地下への階段も出来てしまった。
そんな人とバスとタクシーがひしめく所に車で斜めに入っていくなんてとんでもない。
という事でこの登り口は廃止するしかなくなってしまう。後には歩道のガードレールでも塞がれてしまい、プチ首都高の高架斜路はトマソン化してしまった。
大きい電鉄デパートの間に錆びたゲートで塞がれた寂れた廃道があるという光景である。この状態で10年以上放置されていた。
空中駐車場の方は甲州街道側から入れるからそのまま供用されていた。また、空中駐車場は二層構造になってて一階降りると荷捌き場があったようである。
小田急としても始発駅のデパートのすぐ横に「廃」なものがある状態でいつまでも放っておくことは出来ない。
そこにミロードの建設の話が持ち上がった。ホーム上空で開いている空間に甲州街道側に連結するビルを建てようという計画だ。因みに当時南口はかなり寂れており、古い跨線橋に改札があるだけで、しかも甲州街道の陸橋の真ん中に出てしまう上に小田急にも京王にも乗り換えが出来ずに不便であり通行する人も余りいないような状態だった。
そこに敢えて出店するとともに小田急線の改札も設けて人流を作ろうという計画だ。
そして放置プレイ状態の廃高架道路を通路として活用する事になったんである。
だからモザイク坂は1990年代の中頃まで「モザイク坂」とは一般には呼ばれずにミロードと呼ばれていた。
当初のモザイク坂は今の様に斜路+階段半々ではなくて全域が緩い階段になっており、坂の途中にはキヨスク形式の店というかスタンドが途中に2軒程度あるだけだった。
坂を上がった先は広くなっているがここが元の空中駐車場で、駐車場としては廃止。でも西口地下に駐車場が出来ているから問題がない。
ここの空中広場は大きなサンシェード的なテントが掛かっていたのだが、テントが掛からない切れ目が斜めに通るようにしていた。またイベントスペースとステージがあって芸能人が来たりラジオのスタジオがあったりした。
この広場は明らかにフランスや欧州の古都にある都市中庭を模していると思われる。アパート群に囲まれた地上数階の場所に広場があってマルシェやバザールが開かれている、あの宮崎アニメ的なイメージだ。
また階段途中に平べったいキヨスク的な店舗が点在するのなんかはモンマルトル的だ。多分デザイナーはフランスあたりの都市の構造を知っている人物なんじゃないかと思う。
こうしてミロードの付帯物件だったので2000年くらいまで駅南口の方に抜ける事は出来なかった。
広場の左の方にミロードへの入口があるのだが売り場に入ってしまい、更に階が違うのでエスカレータで下りる必要があった。電車に乗る時に売り場を通過するのは結構ストレスになる。
駐車場は廃止できたが、デパートでは重要な搬入口は廃止出来ない。そこでモザイク坂上の広場は結構複雑な事になっている。
広場の左側(東側)には店舗があるが、じつはこの上は荷捌き場と搬入車駐車場になっている。
最後は通り抜け出来るようになっていたドン付きの上はよく見ると面台のようにミロード躯体との間に何やらスペースがあった。
https://goo.gl/maps/aYLf6WuWewEhw2bd8
実はこれは搬入車用の道路で、甲州街道から急坂で登ってきてここでクランクを曲がって左側店舗の上で荷卸しをするんであった。
このクランクと甲州街道の搬入車入口間は急坂になっているが、この区間は高架道路である。つまりミロードの下の方は駅ホームでその上の方の端っこには高架道路があるというスカスカ構造だ。ビッグサンダーマウンテンみたいである。
2000年頃?開通したミロード通り抜け通路は登ったり下ったり構造が複雑で、特に変な出っ張りがあった。
https://goo.gl/maps/Wqd4ZQC9qPdAnWof9
こりゃなんだ?
右には高架道路が急坂で下って来ていてその真ん中へんなのだ。つまりはこれは高架道路の橋脚が出っ張ってるのを避けてるって事である。
また、旧駐車場のミロード広場が鉄骨の人工地盤、モザイク坂が高架道路という構造の為にジョイントが存在する。
広場と坂の接続部と、高架道路の橋脚の上の各橋桁間に一見、排水路やメンテナンスリッドのようなものがある。
https://goo.gl/maps/LBz4QRy4tYHpZkCd7
これらはジョイントのカバーで、大地震の際は各構造物の揺れ方が違うのではじけ飛んでしまうので危ない。地震の際には離れるべき…もう立ち入りできないけど。
またこのジョイントカバーは階段途中の店舗の中にも存在し、坂に対して直交だけでなく、それにT字に交わるものもあった。
T字になっているのは店舗の奥の方が小田急本館躯体に支持されているからと考えられる。明らかに本館に食い込んでいる店舗もあった。
また、高架道路には両側に腰くらいのコンクリ壁があるが、京王側にはそれが残っていたが
https://goo.gl/maps/dTeGpTE7c3S3KeLv6
小田急本館側は店舗の奥行きが拡大されており、撤去して本館躯体まで床を拡大する工事が途中で為されたと思われる。
利用していた人らやここで働いていた人らもここが高架道路の上とは思ってなかったんじゃないだろうか?
阪神大震災で数多の高速道路、鉄道の高架橋が落下してしまい、急遽全国的に落下防止装置、橋桁を巨大チェーンやワイヤで橋脚と繋げるあれの工事をしたのだが、モザイク坂はやってあったのだろうか?疑問である。
福島原発廃水の北斎大波風刺画をTwitterに投稿した中国外交部報道官の趙立堅氏。4月28日の記者会見で日本政府の抗議についてコメントしていた。
コメントの内容は日本でも報じられているが注目なのは、この件について、会見のトップにフジテレビに質問させて答えていることだ。中国報道官の会見で最初に質問するのは中国メディアが多い。日本の抗議の質問を日本メディアから会見の最初に受け付ける、しかもNHKや朝日新聞とかではなく産経新聞系列のフジテレビに質問させて答える、というのが何か狙ってる感じ。
日本のフジテレビ記者:日本の核廃水についてのあなたのツイートに関して、日本の茂木敏充外相は、日本側が中国側に厳粛に抗議し、あなたのツイートを削除するよう要求したと述べた。これについてコメントはありますか、削除されますか?
趙立堅:私の知る限り、これは若い中国人イラストレーターの絵です。これは、葛飾北斎の原作が中国でよく知られており、中国人が日本文化をよく理解していることを示していると思います。
この新作は、福島の核汚染水を排水路で処理するという日本政府の一方的な決定に対する中国国民の懸念と不満を反映しています。実際、それは中国だけでなく、日本の行動は多くの政府、国際機関、世界中の300以上の環境保護団体、そして日本人を含むすべての国の人々から強い反対と深刻な懸念を引き起こしました。
福島原子力発電所の汚染水には有害物質が多いと何度も申し上げました。アメリカの「科学」誌、ドイツ海洋科学研究所、ロシア、韓国など多くの国の学者は、注意深く洗浄した後でも、日本が排出する予定の核汚染水には依然として多数の放射性同位元素が含まれていると信じています。そのうち炭素14の半減期は5730年に達する可能性があります。核汚染水の排出日から、今後数十年で太平洋岸のすべての国に影響を及ぼし、それに含まれる放射性物質は数千年にわたって地球の海洋環境に害を及ぼします。
経費節減のために核汚染水を海に流すという日本側の一方的な決定は、極めて無責任である。 そもそも日本側の判断が間違っていたので、その後に抗議したのです。 日本側が悪いことをしたのに、それを他人に言われたくないというのか。 世界では一両日、抗議の声が上がっていますが、日本の一部の関係者は耳を貸さずにスルーしていましたが、なぜ一枚のイラストにそこまで怒るのでしょうか? 核汚染された水を海に流すことに対する世界の人々の抗議にもっと耳を傾けるべきだ。 日本側は自らの責任を認識し、国際的な義務を果たし、誤った決定を取り消すべきである。(※この段落だけグーグル翻訳では意味が分かりにくかったのでDeepL翻訳)
投稿を削除してお詫びするかどうかについては、このツイートを一番上に置いていることに気づいたかもしれません。イラストは、正当な世論と正義の声を反映しています。間違った決定を覆し、謝罪する必要があるのは日本政府です。
マジで俺はドラム式洗濯乾燥機を買ったことを後悔するときがある。
俺は嫁さんと子供2人と都内某所で暮らしているのだが、幼稚園のなんか服とか、絶対に明日までに洗っとかないといかんやつみたいな物が発生したとき、洗濯乾燥機に助けられたことは一度二度ではない。
でも死ぬほど最悪なことがひとつあって、それはめちゃくちゃホコリが溜まるということだ。
洗ったやつをハンガーにかけて干してるときはそれほど気にならなかったが、衣服というやつは信じられない量のホコリを出すらしい。
そして洗濯乾燥機においては、そのホコリを乾燥機のフィルターが一身に受けることになる。
ホコリぐらいと思う向きもあろうが、塵も積もれば山という諺の通りに、大量の洗濯物から出たホコリはちょっとした羊毛フェルトぐらいの量に達することもある。
いや、そう。そうなの。もちろん取説を見たら、乾燥が終わったらフィルターは必ず掃除してくださいねって書いてある。実際俺もそうすべきだと思う。思ってます。
フィルターの掃除自体はめちゃくちゃ大変というわけではない。エアコンのフィルターを掃除するのと大差ない。
しかし問題はそれが毎日毎日、洗濯のたびに発生するってことなんだ。
マジでこれ本当にめんどくさいんだ。
この前回の洗濯で出たホコリを掃除してないために、次の洗濯ができないまま放置してしまうなんてことがザラにある。
そして俺が一日逡巡しているうちに、嫁さんがやってきて洗濯をはじめる。
前回のホコリを掃除せずに洗濯をするのは、できないわけではない。機能的にはじゅうぶんに可能だ。当然のことだがそのときはホコリは倍貯まる。そして、ドラムの排水のとこにもホコリが付着しはじめる。
ホコリの掃除を適当にしたまま、数週間も使っていると、しだいにホコリは排水路を圧迫しだす。
そのうえ始末が悪いのは、水に濡れて固まったホコリが、そのあと乾燥機能によってそこで固まることだ。
これはマジでマジでマジで悪辣そのものだ。もはやエアコンのフィルター掃除なんてものじゃなく、掃除するにはもう台所の換気扇を掃除するぐらいの覚悟と手間が必要になる。
しかし、排水がそんな状況に置かれていたとしても、えらいもので洗濯乾燥機はちゃんと動く。意外と衣類にホコリがついたりすることもない。
そういう感じで、悪いとわかっちゃいるもののそこそこうまく行ってしまう、こういう状況では、人間は油断する。俺や嫁さんなどは特に油断する。最悪はすぐそこにせまっているというのに。
最悪は、ホコリが完全に排水を塞いだときにやってくる。洗濯機はかしこいので、排水ができないと知ったらちゃんと止まる。そのまま何時間でも止まる。
そして排水が必要なときというのは、基本的には洗濯なりすすぎなり、洗濯工程の序盤から中盤だ。
もし夜の11時頃から明日の準備のために慌てて洗濯を始めたりした場合、それが発生するのは12時を回った頃……
夜中に洗濯乾燥機を回す怠惰な生活に慣れた人間は、深夜に排水できないよと泣く洗濯機の訴えに気付くことはない。
あるいは、朝起きてから、子供の準備に自分の準備に慌てる人間たち。かれらが目にするのは、排水を点検しろという旨の赤い文字を点滅させ続けている洗濯機と、ホコリでビッシリのきたねえ排水フィルターだ……。
もしあんたがドラム式洗濯乾燥機を買おうかどうしようかで迷っていたら、自分が洗濯するたびにエアコンのフィルター掃除相当の掃除ができる人間かどうかってことを判断基準にしたらいいと思う。
思うにドラム式洗濯乾燥機って奴は、仕事ができるがマジメすぎる部下みたいなもんだ。なまじ仕事をキレイに仕上げてくるもんだから、まわりが勝手にコイツは大丈夫って思ってしまうようなやつ。
ほんとうは、内部にホコリだのゴミだのをためこんでいても、パッと目につくところには見せてくれない。
実際は洗濯のたびにフィルター掃除してねっていうランプを点灯させている。ちょっとボタン押したらすぐ消えてしまうが……
わかってきたことは、コイツは別にメンテナンスフリーで勝手によろしくやってくれるような奴じゃあないってことだ。一から十までやってやる必要はないが、肝心なところで周りの人間の助けを必要としてる。
長くなってしまった。
とにかく目下の心配は、さっきようやく乾燥工程が始まったこの洗濯が間に合う時間に終わるのかってことだ。もう空は明るくなっている。
https://anond.hatelabo.jp/20200731233907
上流に大量にダムを作って、嵩上げに嵩上げを重ねた堤防に守られていて、浚渫に浚渫を重ねて利根川では塩水が逆流してくる始末
自然に住みやすくなっているわけではなく、お前たちがそこに住んでること自体が超高コストのお荷物集団なんだわ
典型的なのが大東水害訴訟で、記録を読むごとにあんな危ないとこにきったねー家建てて沈んだら訴訟って世も末かよと思うわ
それをなんとかするために住道駅前みたいなことになってるんだよ
お前の地元だって例外じゃない、沈んだら絶対に大東と同じことになるって俺が保証してやるよ
ダム反対派みたいな言い方をするなら、単なる排水路以上のものではないおぞましい人工物の河川政策なんかやめて、お前の地元が事実上の遊水地になって毎年沈むことを許容してくれれば、河川環境も守られるしみんながハッピーになれるんだわ
いやさ別にお前みたいな考え方は珍しいわけじゃないよ
80年代までの建設省から県庁へ出向でやってきた連中がこういうこと地元で放言して大炎上して数年で帰っていったというのを沢山聞かされた
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=713
甲村: ダムが中止と決定した時,直轄ダムでしたが,県の部長として「まず地元へ説明に行って来い」と言われ,私が地元の水没者の方々に謝罪に行きました。すると水没者の人は「わしらは別に反対してなかった。村長が反対していた。わしらこそ(ダム中止の)被害者だ」と言うのです。「昔だったら、木を売れば金が入ってきたのに、今では木を売っても大した金にもならん。それにダムが出来るのできちんとした道路も期待した。辺りは携帯電話の電波も通じない」
こういう声が本当にあったとして平然とそれを公言しちゃうサイコ野郎だらけだから「国の政策の失敗をダムで沈めて隠そうとするつもりか!」って更なる大惨事になって下っ端が公道で土下座するような羽目になってたそうだ
あれ若手が周辺の人間が見てるような行動上でやると”効く”感じがあって良いらしいな
そういう建設省のダメなとこを表面的にせよ改めてくれたのが河川局長だった近藤徹さんだと伺っていて、いわゆる反対派という人たちは滅多クソに嫌ってるのはなんでなのか増田にはよくわからんので霞が関の事情に詳しい方は教えてください
ストレスで胃を痛めて以来、好きだったコーヒーが飲めなくなってしまった。飲むと胃の中でガスが無限に発生する感覚で、ゲップし続けないと逆流しそうな感覚になり、最終的に耐えられなくなって路上の排水路にゲロゲロピー。我ながら汚い。戻したら楽になる。
紅茶は風味が酸っぱくて飲めない、魔材は匂いだけでこれは甘すぎて飲んだらアカンやつだと察した。最近は眠気覚ましとして濃いおーいお茶飲んでるんだが、600mlは多いし130円…。カフェやレストランで戻す訳にはいかないのでオレンジジュースと水で我慢。
ミルク突っ込んでノンシュガーなのがダメなのか?砂糖入れると不味く感じてしまう。
あぁ〜コーヒー飲めるようになりてぇ〜!
誰か対処法教えて〜!