有田・下津地域で受け継がれてきた「石積み階段園」など伝統的なミカンの栽培システムが27日、世界農業遺産に認定された。国内では17例目。栽培システムの維持や保全のほか、販路拡大や観光誘客などが期待でき…
落ち葉を堆肥に利用する循環型の農法が江戸時代から続けられている埼玉県三芳町などがFAO=国連食糧農業機関から「世界農業遺産」に認定されました。 「世界農業遺産」は、伝統的な農業などに取り組む地域をFAO=国連食糧農業機関が認定するものです。 埼玉県三芳町や川越市などの武蔵野地域は、江戸時代から栄養分の少ない土地に木を植えてその落ち葉を堆肥として利用し生産性を向上させてきました。 農林水産省などによりますと、都市近郊でこうした循環型の伝統的な農法が継承され、地域の景観や動植物の生育環境を維持してきたことなどが評価されたということです。 三芳町でサツマイモなどを栽培している農家の伊東蔵衛さんは「現地調査が行われた時に大丈夫だと思っていましたが正式に発表されて喜んでいます。首都圏の農業という地の利を生かして、観光農業などにもつなげていきたい」と話していました。 これで日本で世界農業遺産に認定され
剣kenn @hskenncutter 1938年にヒトラー・ユーゲントの代表団が来日し、3か月ほど日本各地を訪問したことがある。このときユーゲントの団員が日本で米と麦の二毛作が行われていることを知り、大変驚くと同時に日本の肥沃さを羨ましがったという逸話が残っている。 pic.twitter.com/SqhrmI8KhD 2021-04-03 14:10:00 剣kenn @hskenncutter ヨーロッパ、特にドイツなどは寒すぎて稲作ができないこともあり、秋に麦の種を播いて初夏に収穫し、すかさず同じ場所で稲の田植えをして、秋にはまた米を収穫するという、日本の米麦二毛作などヒトラー・ユーゲントには全く想像もできないことだったのだろう。 2021-04-03 14:14:00
土の元気を取り戻そうと、「耕さない農業」にいま世界的な注目が集まっています。人類は耕すことで自然を改変し利用してきましたが、農業の歴史の中で不耕起栽培はどのように位置づけられるのでしょうか。農業史・農業哲学が専門で「トラクターの世界史」などの著書がある、京都大学人文科学研究所の藤原辰史准教授に聞きました。 ――耕すという行為はそもそも、人類にとってどのような行為だといえるのでしょうか。 耕すという行為は農業の基本で、人類が農業を始めてからずっと続いてきたものです。狩猟・採集とは異なり、みずから自然に働きかけて、自分たちに有用な植物の育ちやすい環境を整えていきます。 耕すことで土壌の構造をふかふかにし、水がたまりやすいようにして、人間が飼いならした植物を自然の厳しさから守っています。耕すことは、人類の文化の基本であるといえます。 ――人類の文化という点で考えると、20世紀の農業の機械化がもた
関東平野には全国の野菜畑の約4分の1が分布し、都市近郊型農業が盛んだ。しかし関東平野、特に武蔵野台地などの丘陵部は、火山性の物質からなる「関東ローム層」が覆うために耕作には適さない。広大な台地は不毛の荒地であった。 江戸幕府五代将軍徳川綱吉は、急激な人口増加に対応するために野菜の栽培を進めなければいけなかった。当初は、荒川や江戸川沿いの低地や、武蔵野丘陵を刻む河川の谷沿いなど、肥沃など土壌が堆積した場所で「江戸野菜」の栽培を奨励した(将軍綱吉の火山性不毛地帯「関東ローム層」との闘い:江戸野菜の栽培)。 しかしこれだけではとても江戸の人々に十分に野菜を届けることはできなかった。そこで綱吉は、不毛の台地を畑作地へと変貌させるために土壌改良に着手した。 不毛台地の開墾関東ローム層が耕作に適していない理由は、作物に必須のリンを鉱物として土中に固定してしまうために、作物が吸収できないことにある。だか
にいがたさくら@小話する人 @monkey_across 明治維新によって日本は変わった。 農学もイギリスからお雇い外国人を招き革新を図ったが、日本の主要農作物はコメ。 水田の知識がない彼らは役に立たない。 そこで、日本各地で在来農法や優秀な品種を受継いでいた「老農」たちを集結させ、技術交流を図ることに。 ちなみにイギリス人は解雇された。 2022-06-01 20:45:32 にいがたさくら@小話する人 @monkey_across 江戸時代は藩が境目で、人の往来も制限されていた。せっかく編み出した農法も、農書という書物にはできたが、教え広めることはできなかった。 老農たちが集まる農談会では、種籾の交換や農具の改良情報が積極的に行われ、地域を超えた人材交流も進む。 なおイギリス人に代えて雇ったドイツ人は活躍する 2022-06-01 20:47:03 にいがたさくら@小話する人 @mon
近年、健康志向の高まりに加え、菓子やアイスクリームなどへの用途が広がったことから、抹茶の人気が国内外で高まっています。また、我が国からの緑茶の輸出はここ10年で約4倍に増加し、2021年は約204億円に達しましたが、その大きな要因の一つは、海外でも抹茶のニーズが高まっていることが考えられます。抹茶は"Matcha"としてその名前は世界中で知られるようになったものの、「抹茶とは何か」という国際的な規格がないため、例えば、"Matcha"と称する製品でもルイボスティーや紅茶を粉末状にした製品が流通しているなど、様々な製造方法や品質のものが含まれているのが現状です。 抹茶(図1)は、日本でその栽培技術や製造技術が開発され、「茶の湯」の文化とともに世界に伝わった日本発の茶の種類と言えます。本来の抹茶の価値を正しく世界中に周知し、国際市場を適正化するため、農研機構を中心として抹茶の国際標準化をすすめ
有機農業運動が動き出した70年代初頭、巨大開発に抗して「農地死守」を掲げて国家に真っ向からの闘いを挑んだ農民闘争がありました。三里塚闘争と呼ばれるこの闘争に記者であり支援者でもあるという中途半端な形で関わり続けて今に至っているのですが、この闘いの中から、”もう一つの三里塚闘争”とも呼ぶべきうねりが生まれたことはあまり知られていません。 農家の後継ぎの青年たちが集まった青年行動隊は、実力部隊として存在感を発揮していましたが、その中から有機農業運動が生まれたのです。その中の一人、石井恒司に「どうして」と聞いたことがあります。 「国と命がけで喧嘩しているとき、暮らしを支える農業が国が進める近代農業ではつじつまがあわないだろ」というのが答えでした。当時、彼らは刑務所と田畑を往復する日々でした。 「(刑務所の中では)時間があるから、戻ったらどんな百姓をしようか考えるわけだよ。その中で国家とは縁を切っ
はじめに言っておきますが、「中世ヨーロッパの収穫率(播種量→収穫量の倍率)が3倍程度だった」というのは資料上確かな事実であり、これ自体を否定する気は一切ありません。 しかしながらここから「ヨーロッパの農民は常に少ない収穫に苦しんでいた」だとか、「30倍にもなる稲は麦より優れた作物だ」なんて話に進んでいくのを見ると、それはちょっとおかしいぞと思います。 今回はそうした状況を生じる要因について見ていきながら、この数字のトリックを暴いていきたいと思います。 ■灌漑に関する話 農業の大きな区分として「天水農業」と「灌漑農業」があります。 これらは作物に対する水の供給方法の違いであり、前者は基本的に降雨からのみ、後者は河川等から人為的に引き込む方法をとります。 日本がどちらかといえば完全に後者が多く、代表的なのは言うまでもなく水田稲作でしょう。 また学校教育の世界史なんかでも、文明成立=灌漑農業とし
『説文解字』に「穀を樹うるを田という」とあり、漢字圏では田を「穀物を栽培するために区画された農地」の語義で使用することが一般的である。現代中国語においても「田」は区画された農地一般を指し、「水田」に限らず、日本語における「畑」も含まれる。「畑」は日本の国字であり、同様の農地を中国の普通話では「田地(tiándì)」と言う。 日本で単に「田」「水田」というと特に湛水(たんすい)して稲を栽培するため水平に整備された稲田(水田)を指すことが多い。 しかし「水田」は「灌漑(かんがい)水をたたえて作物を栽培する耕地」の意であり[13]、それゆえそれに該当する形式で栽培されるのであれば、稲以外の穀物や芋類、根菜類の圃場も「水田」と言い得る。 穀物では稗は畑と並んで水田でも盛んに栽培され、特に稲の栽培に適さない冷水しか供給されない水田では重要な作物であった。 また、栄養生殖によって増殖される芋類、根菜類
弥生時代の木製農具は水田を耕すことができたのか──。山形大などの研究グループが、弥生時代と古墳時代の復元農具を用いた実証実験を始めた。それぞれの時代で異なる木刃と鉄刃の農具を用いて耕作し、生産性などを比較する。稲作が伝来した当初から耕起が行われていたとする通説が覆る可能性もあり、注目が集まっている。 実証実験は山形大の他、東京都立大、静岡大、岡山理科大など各地の教育機関などが協力する全国規模の研究の一環。 山形大の白石哲也准教授(考古学)によると、一般的には稲作文化は弥生時代(紀元前8~3世紀ごろ)に中国・朝鮮半島から伝来し、耕起などを含む完成された形でかんがい農法が導入されたと考えられてきた。しかし近年の研究によると、その後の古墳時代(3~7世紀ごろ)と比べ弥生時代は農具を使用した跡が不明瞭な場合が多く、不耕起栽培で稲作をしていた可能性があるという。 そこで、弥生時代に使われていたとされ
自宅でリモートワーク、からの~、オンライン飲み会!が日常になりつつあるテリ子。自宅でのワイン消費率もバンバン上がってきています! そんな中、最近、ワイン売り場でよく見かける「オーガニック」の文字や「BIO」のマークがなんだか気になっていました。なんとなく体によさそうで、地球にもやさしそう。どうせならオーガニックワインを選んだほうがいいかしら?と思うのですが、他のワインとの違いは何なのでしょう? そこで、国内大手のワインメーカー、メルシャンのマーケティング部輸入グループ・澁田翔平(しぶた・しょうへい)さんに聞いてみました。なかなか深~い世界がありそうで……。 オーガニックワインのこと、テリ子が正しくお伝えします。 ――澁田さん、はじめまして。テリ子です。 早速ですが、そもそもオーガニックワインとはどういうワインなのでしょうか? 「オーガニック」とは「有機」という意味で、オーガニックワインは有
第二次大戦末期、食糧不足解決のための国策として遂行された「満洲報国農場」(https://gendai.media/articles/-/69535)。多くの若者たちの命を奪ったその政策を推進した官僚・政治家・農学者たちは、いかなる戦後を生きたのか。そして今まさに盛んな「有機農業」の歴史的始点における“踏み誤り”とは何であり、農本主義者たちの思想との不可視化された連続性とはどのようなものであるのか――。東京農業大学教授の小塩海平氏が問題の核心に迫る。 農本主義者たちの戦後農業報国に尽瘁していた農本主義者たちは、数多くの開拓団や報国農場隊を満洲に送り出してきた。彼らは、予想されるさらなる食糧難に対処するため、自分たちが満洲に送り込んだ人々の悲惨な状況をもかえりみず、敗戦後、寸暇を惜しまず東奔西走した。 例えば、一部が報国農場隊として満洲にも派遣された食糧増産隊は、1945年11月からは「開拓
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