年を重ねるにつれて、私は政治のことばかり考えるようになった。
若い頃は、政治なんてくだらない、どうでもいいものだと嫌厭していたのに。あの頃の私は、自分の才能と努力だけで世の中をうまく渡っていけると信じていた。
しかし、歳月は残酷だ。気がつけば体は衰え、頭は鈍り、得意だったはずのことも、できるかどうかさえ怪しくなる。昔取った杵柄も生かす場所がない。生活は苦しくなる一方で、もはや自分ひとりの力では何もできやしない。情けない。実に情けない。
そんな時、ふと政治家の演説が耳に入ってくる。「皆さんの生活を守ります」ああ、なんと甘美な響きだろう。私は飛びつく。まるで溺れる者が藁をも掴むように、政治家の言葉に縋りつく。
恥ずかしい。こんなに恥ずかしいことがあろうか。若い頃あれほど嫌気していた政治に、今度は自分が救いを求めている。自立していた頃の誇りはどこへ行った。ふとしたときに、情けなくて涙が出そうになる。
若い頃の私は、投票所の長い列を見ては鼻で笑っていた。「時間の無駄だ」「あんな茶番に付き合っていられるか」と、素通りしていたものだ。しかしあの頃は時間がいくらでもあった。無限にあると思っていた。
それなのに今の私はどうだ。投票所の列に、まるで信心深い信者のように黙々と並んでいる。三十分も、下手をすれば一時間も、じっと待っている。ひざは痛いし、足は震えるし、とても情けない気持ちになる。
おかしな話ではないか。若い頃は時間が有り余っていたのに並ばなかった。今は老いて残り時間が少ないのに並んでいる。論理的に考えれば逆であるはずだ。貴重な時間を、なぜこんなところで費やしているのか。
いや、わかっているのだ。年を取った私の生活には、政治によって左右される部分があまりにも多いことに気づく。年金も、医療も、介護も、すべて政治の匙加減ひとつだ。
だから並ぶのだ。残り少ない時間を、この列で費やすのだ。若い頃の自分が見たら、きっと軽蔑するだろう。「あの老人は何をやっているんだ」と。
ああ、情けない。でも、これが現実なのだ。人は年を取ると、若い頃には見えなかったものが見えてくる。そして、見えてしまったが最後、もう後戻りはできないのだ。列に並び続けるしかないのだ。
仕方がないのだ。これが人間というものなのだ。強がっていても、結局は弱い生き物なのだ。政治を語る老人たちを馬鹿にしてはいけない。私たちはただ、生きていくのに必死なのだ。
ああ、情けない。
AI作文かなぁ