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sazaesansazaesan’s diary

国語教育、教員採用試験対策、日本語教育に役立つであろう文献、サイトを紹介します。鷲田清一氏、内田樹氏の著作や青空文庫の抜き書きも多いです。

国語教育 漢文を学ぶ意義3

 

前回までのあらすじと本記事の位置づけ

漢文を学ぶ意義 - sazaesansazaesan’s diary

漢文を学ぶ意義2 - sazaesansazaesan’s diary

に続き、中学1年生向けの漢文入門講義の指導案を作るための構想メモです。

(5/15追記

辞典案内 2025 漢和辞典 - 教養学部報 - 教養学部報

高山大毅氏の記事も併読してください)

 

本記事は、中国古典研究者の古勝隆一先生のブログ

「文言」と「漢文」 - 文言基礎

にあった、

「⽂⾔」とは、漢語の⽂語で書かれた⽂章です。日本において「漢文」と呼ばれているものと、かなり重複します。

という定義の補足をしていきます。

非常にまとまりのない内容です。

間違いなどあれば、どうかご指摘お願いします。

 

漢語 

・日本語の「中国語」と中国語の「漢語」は重なるがイコールではない。

・漢語というと、諸民族の中の、漢族の言葉というニュアンス。

・漢語内でも方言の差が大きい。

 大学や語学教材の中国語とは標準語の普通話のこと。

 方言によって、漢字の読み、文法が異なり、意思疎通が難しいレベルにもなる。

・手軽に読める概説として、

千葉商科大学中国語教室目次中国の言語

 本格的に挑戦したい人はまずは、

〈中国文化叢書1〉言語 (新装版)|漢字文化資料館

 

文語

・文語と口語の区別。

・話すように書く、書くように話すことは意外と難しい。

・中国語の場合、文語(≒書記言語)と口語(≒音声言語)の差が激しい。

 例 宋代中国の朱子という有名な学者の場合。朱子語類に見える会話と、文集の文章は、同じ人の言葉と思えないくらい違う。

 

書かれた文章 

・書記言語と音声言語は違う。文言は書記言語。

・国語で読む漢文は文言。書かれた文章。口語、現代中国語ではない。

・昔は読み書きのできない人が多く、書記言語を操るのは知識階級だけ。

・知識階級にあっては、普段は方言で会話し、正式な文章を書くときは文言を使う。

朱子の場合、自分の著作や上奏は文言で書く。古代の文言で書かれた経書(『論語』など)には文言で注釈する。弟子からの質問には口語で解答し、朱子語類として残る。

 

文言の2大ルール 漢字と文法

・最大の特徴は文字。漢字だけを使用。 

=書き下しは漢文ではないが、訓点有りの漢籍は漢文なのか?

・文字や文法は文言に従う。

→変体漢文と白話はダメ。 

 

漢字だが漢文ではない文章

・変体漢文 

 日本の古い文章で、中国の文言にない用法の文法・漢字の使い方をする漢文。

 正規の漢文ではない。

 例えば、處(ところ)、候(そうろう)、如件(くだんのごとし) 

・白話

 =把~ ~を、~了 ~して など、宋以後の口語を反映した文体。

 例えば、禅僧の語録や白話小説封神演義三国志など)

 →正史の『三国志』は文言だが、『三国志演義』は白話だから文言ではない。

→逆に、

 文法に従うという条件を満たせば、書き手の属性は不問。

 

書き手の属性は不問

・どの国の人が書いても漢文。

例 マテオリッチでも明治日本人でも阮朝ベトナム人でも、ルールに従えば漢文。

・時代も不問

20世紀に書かれたものでも、ルールに則れば漢文。

清朝滅亡までの中国人は全員漢文を書けるのではないということ。

 明治の日本人が漢文を書くことは可能だが、宋代の庶民の中国人は漢文を書けない。

(5/16追記 中国的知識人との対話 - 内田樹の研究室  も参考)

 

読まれ方も不問 

・古勝先生の定義には、いかに読まれたかについて言及はない。

 おそらくそれは、文言は書き方どのように読まれてもいいから?

→例えば、

 ・漢字を中国各地の方言や、日本漢字音、朝鮮・ベトナム音で読んでもOK。

 ・お経のように上から音読みしても、書き下しのように語順を変えて読んでもOK。

・前近代の中国では、漢文以外の言葉として、官話、白話、方言があった。

 (大まかな区分)

 

民が使用

官が使用

書記言語

白話

文言

音声言語

方言

官話

官話のピジン的性格については、近代史では有名な論文

目の文學革命・耳の文學革命 : 一九二〇年代中國における聽覺メディアと「國語」の實驗 | 学術機関リポジトリデータベース

pp77-84が詳しい。

同論文p82の指摘。

清末以後の国語運動というのは、

多様で錯綜した各地方言の音韻体系を改め、

新たに音韻体系を人工的・統一的に制定する動きだった。

 

以下は国語教育寄りの話。

訓読を学ぶ理由1 訓読体を読むために訓読を学ぶ。

・国語の授業では、伝統文化である古文を学ぶ。

(古文を学ぶことがなぜ大事かはさておき)

・訓読体は、和文体、変体漢文、漢文、雅俗折衷体に並ぶ重要な文体。

・訓読体=漢文訓読のような文体

例えば、

・ことわざ ex少年老い易く学成り難し 小人閑居して~

・戦前の法律 ex大日本帝国憲法、旧民法

・戦前の文語文 諭吉、兆民

・古い中国古典に日本人が付した注釈

慶應義塾大学蔵『論語義疏』古写本の発見について - 達而録

も参考。

・和漢混交文 『平家物語』『徒然草』など 

 

教材で言えば、奥の細道の冒頭や方丈記など。

和漢比較文学では、典拠となる漢文をどのように訓読・解釈したかをふまえたうえで、中国文学のどこを日本文学が参考にしたかを確認する。

 

なお方丈記と池亭記については、

『方丈記』鴨 長明 | 筑摩書房

の注釈や

平安時代文学と白氏文集 〔第2巻〕 道眞の文學研究篇第1冊 - 国立国会図書館デジタルコレクション

の第6章以下などを参考。

 

学ぶ理由2 現代中国語を中1で習得するのは困難

毎日中国語のかね - YouTube

で独学することは可能だが、中1で習得するのは難しい。

 

・発音 四声を習得しピンインを覚える。

・文言にない文法が多い 

 詳しくは 東京外大の中国語文法モジュール 中国語 文法を参考。

  アスペクト助詞、方向補語、把構文など。

=現代中国語では文言を読むために使わない文法事項が多い。

→中学1年生に中国語を教えて、そのうえで文言を読むというのは、

 国語の時間では不可能に近い。

 

学ぶ理由3 伝統的な翻訳方法を学んで追体験(5/16追記)

はじめて漢文に接した日本人がいかにして読んだか想像したうえで、

訓読の不思議さとすごさを理解するのはどうか?

 

『本居宣長〔上〕』 小林秀雄 | 新潮社

上巻、29章p360

書物が訓読されたとは、尋常な意味合では、音読も黙読もされなかったという意味だ。原文の持つ音声なぞ、初めから問題ではなかったからだ。眼前の漢字漢文の形を、眼で追うことが、その邦語訳邦訳文を、其処に想い描く事になる、そういう読み方をしたのである。これは、外国語の自然な受入れ方とは言えまいし、勿論、まともな外国語の学習でもない。

辞書を引きながら1字1字読む(非効率かつ文法わからない)→中国語で音読(日本人としてはわからない)→訓読して見せる、

という実演を授業でやってみるか?

 

学ぶ理由4 日本語を見直す(津田左右吉をふまえ) 5/19追記 

日本人は漢字を使って日本語を表現し、訓読で漢文を読んでいる。

昔は漢文を書くことさえできた。

しかし、本来、漢字は外国の文字で、日本と中国で発音も異なる。

 

例えば、

津田左右吉全集』第4巻 (文学に現はれたる国民思想の研究 第1),岩波書店,1964. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2941352 (参照 2025-05-19)

津田左右吉全集 第4巻 (文学に現はれたる国民思想の研究 第1) - 国立国会図書館デジタルコレクション

97コマ

第4章 文学の概観 下p158で、平安初期の漢文学の流行について、

異民族の文學をその異民族の言語の表徴たる文字のみによつて摸作する一種の遊戯に過ぎない漢文學

であるとし、あまり評価しない。

 

津田氏の指摘は、少し言い過ぎとはいえ、

・そもそも漢字は外国の文字である。

・日本人は、漢字の発音を考えずに文字だけを見て書いた。(ほんとうか?)

・文字だけを見て書く=普通の外国語学習の方法ではない?

ことは重要。

 

こうしてみると、現代日本人も、中国語の読み方を気にせずに、漢字を読んで書いていることに気づく。

津田の指摘をふまえると、時代は異なっても、漢字を使うことはけっこう不思議?

 

音読と訓読の違い

音読は外国語として読むこと。

訓読は日本語として読むこと、とよく言われる。

これを中1にどう説明しようか?

 

・訓読時の脳内 

 漢字を見た瞬間に、覚えた句法を思い出して、それをあてはめる。

例 将という字を見て「まさに~す」という訓読をして読んで、瞬間的に行ったり来たりしながら読む。

・音読時の脳内 

 上から順に中国語の発音に変換。

 脳内で訓読せずに、意味をその場その場で考える。

 

・音読・訓読いずれかで意味がいつでも確定できるわけではない。

音読すれば必ず理解できるのではない。(訓読すれば必ず理解できるわけでもない)

 

訓読の問題 文語文では理解しにくい

・訓読を聞いても、現代人には意味が分からない。

例 「またよろこばしからずや」=「なんとうれしいではないか」

  「せざるべからず」=「しなければならない」

(6/4 また~ずやの解釈については、

「不亦~乎」は本当に感嘆・詠嘆を表すか? | 漢文学びのとびら:漢文学習・漢文法の情報発信、『真に理解する漢文法』『ためぐち漢文』を無料提供

を参考 このサイトは非常に詳しく、考証学の知見も使って解説している。)

 

・おそらく、平安時代の博士は訓読=口語訳だった。

しかし、江戸以後の人々にとって、訓読=昔のよくわからない文章だった。

 

訓読の利点 原文は残せる

訓点を付すだけなら、原文の文字は残せる。

・たとえるなら、

 洋画の字幕では、英語の音声を聞きながら字幕で意味を理解するように、

 訓読では、原文を見ながら訓読して意味を理解する。

 現代語訳は原文の形が残らないという点では吹き替えに近い?

(6./4追記 慣れた人なら、訓読を読んで原文を再現できるという意味では、訓読しても原文の構造を残せると言える?)

(5/16追記 松田優作と『ひよこどん』 - 内田樹の研究室 の字幕論も参考)

(5/16追記

 白文、書き下し、翻訳、中国語読みの関係の説明には、

 【中2数学】「長方形、ひし形、正方形」 | 映像授業のTry IT (トライイット)

 に出てくる、図形の諸関係を示した図を応用できないか?)

 

音読の利点 日本語にとらわれにくい

・特に意味を持たない「之」などを訳さなくていい。

・日本語で区別不能なものを区別できる。

 即、則、輒は訓読するとみな「すなわち」。

 中国語として読むなら、漢漢辞書を引き、かつ用例を集めて考える。

(6/4追記 日本語のイメージに引きずられない。

城春草木深の城を日本語の都市ではなく、「おしろ」のイメージで訳してしまうなど。)

 

訓読でも意味は考える

・訓読は句法をあてはめるだけでなく、適切な訓読を、意味を考えて選ぶ場面もある。

中国語にはない区別が、訓読では必要になる。

=中国語ではそのまま読んでいいのに訓読では区別する。

例 曰(いわく)

曰以下の内容が長いなら「いわく ~と」、短いなら「~という」と読む。

(書物)曰なら「にいわく」、(人名)曰なら「いわく」

例 6/4追記 反語か疑問か迷う場合も。

 

訓読を古典文法より前に習うことの問題? 5/16追記

例えば、不亦説を「亦た説しからずや」と訓読させる場合。

古典文法を習う前の中学生は、

なぜ形容詞に「から」が入るか、なぜ「不」を「ず」と読むかなどがわからない。

=訓読の日本語がどういう点で現代語と違うかが分からないという問題。

 

高校で習うことを知っておくと中学で習うことを理解しやすい事例としては、家庭用の電化製品が交流電流である理由も。

私の個人的な話だが、

中学生の理科の質問に答えていて、その理由が答えられなかったが、

直流と交流 | 物理基礎 | 高校講座

の 文字と画像で見る | 物理基礎 | 高校講座

を見て、かろうじてわかった。

 

おまけ 大学での訓読

高校で漢文句法を覚えて訓読する。

→文法を習ったら活用形を意識して読む。

(例 レバ則は仮定なら未然形、理由なら已然形だと意識)

→大学では、何度も読むうちに、白文を覚えた句法で訓読できるようになる。

→しかし、訓読できても、意味が分からない、読めないことはしばし。

 

・明清档案や元典章、裁判文書などの公文書は読みにくい。

なお、清代以後の公文書のほんの一部は、

中国近現代史 研究入門 - sazaesansazaesan’s diary

でふれたようなサイトでDLして読める。

 

おまけ 荻生徂徠の中国語学

歴史学 無私の日本人1 - sazaesansazaesan’s diary

とも関係しますが、徂徠は中国語で漢文を読んだ先駆者。

 

早稲田大学の古籍デジタルアーカイブ

徂徠先生学則 / 物茂卿 著

が公開中。日本思想大系の荻生徂徠に訳注あり。

 

文言の文法書はゼロではなく、江戸時代の

訳文筌蹄 - 国立国会図書館デジタルコレクション

などもある。しかし、現代中国語の文法を学んだ方が早い?

 

ラテン語と俗語の場合(5/16追記)

デカルト方法序説』はラテン語で書かれていないことについては、

図書カード:デカルトと引用精神

『物理学の誕生 ――山本義隆自選論集Ⅰ』(筑摩書房) - 著者:山本 義隆 - 村上 陽一郎による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

や 

僕が批評家になったわけ/加藤 典洋|岩波現代文庫 - 岩波書店

p114 Ⅲ批評の理由の第2節にも。