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reviewと横浜に関するwhaleboneのブックマーク (4)

  • 沢木耕太郎『一瞬の夏』を読む - 関内関外日記

    松影町2丁目の交差点を石川町駅方面に向かって曲がる。直進して、京浜東北線の高架の下をくぐる。さらに直進して右折、左手にファミリーマート、右手にドラッグストア、その先におれのいきつけのスーパー「品館あおば元町店」がある。 話を巻き戻そう。高架の下をくぐった先のビル、一階に薬局、二階にボクシングジムがある。ジムの名前はE&Jカシアス・ボクシングジム。Eはエディ・タウンゼントのE。Jは純一のJ。純一のフルネームは内藤純一。現役時代のリングネームはカシアス内藤。『一瞬の夏』のカシアス内藤。エディ・タウンゼントはカシアス内藤を「ジュン」と呼んだ。このジム開設にあたって、沢木耕太郎はカンパをつのったらしい。 と、おれは毎度ジムの明りを見ながら思う。「いつか『一瞬の夏』を読まねば」と。そうだ、おれは『一瞬の夏』を読んでいなかった。内藤律樹が東洋太平洋チャンピオンになったとか、その動向をひそかに追いなが

    沢木耕太郎『一瞬の夏』を読む - 関内関外日記
  • 『ある都市のれきし 横浜:330年』を読む - mmpoloの日記

    先日紹介した万城目学・門井慶喜『ぼくらの近代建築デラックス!』(文春文庫)に、門井が横浜の街なみの歴史ではこのが良いと薦めていた。 横浜の街なみの歴史に関しては『ある都市のれきし――横浜・330年』(北沢猛作、内山正画、福音館書店)がすばらしい。1985年刊の古だし、子ども向けの絵だし、たった39ページしかないけれど、私はこれ以上よくわかるを知らない。大人の愛読をお勧めします。 門井が言うとおり、これは『月刊 たくさんのふしぎ』という小学生向けの絵シリーズの1冊だが、江戸時代から横浜が港を中心にしてどんな風に発展してきたのかよくわかる。最初は細長い砂州に囲まれた入江だったのだ。明暦2年、1656年の横浜村の戸数は数十戸だった。入江が埋立てられ、交易のために港が作られ、明治25年にはもうびっしりと家が立ち並んでいる。大正11年には波止場も整備され、現在の横浜の地形がほぼ出来上がった

    『ある都市のれきし 横浜:330年』を読む - mmpoloの日記
  • 横浜富貴楼お倉 鳥居民 **** - 意思による楽観のための読書日記

    幕末から明治初めにかけて料亭の女将として横浜で料亭富貴楼を経営、当時の政治家や経済人を集め一世を風靡したといわれる「お倉」とう女性の話をとりまとめたもの。江戸一番のいなせな男で遊び人だった斉藤亀次郎に惚れて、一生養ったお倉は、もとは新宿の女郎屋豊倉の遊女だったが、そのときに亀次郎と知り合い新宿から品川に河岸を変える。しかしちょうど江戸幕府が瓦解、官軍の江戸入城があり江戸の町は火が消えたようになったため、亀次郎と二人で大阪に行きます。そして明治2年に横浜にきて、芸者を始めます。そのころ井上馨と知り合い、明治4年駒形町にあった松心亭を買って料理屋を始める。井上の知り合いの陸奥宗光は横浜の知事、その年から世界旅行に出かける伊藤博文も顔を出すようになる。店を尾上町に移した頃からは大久保、大隈、松方など政界の大物も顔を見せるようになる。なぜこうした政治家たちが東京ではなく横浜の富貴楼に集まったのか、

    whalebone
    whalebone 2013/03/10
    『できたばかりの汽車に乗りたかったのですよ』
  • iPhoneアプリで横浜の時を遡る体験 ー横濱時層地図ー | 地球のココロ:@nifty

    今、自分がいる場所が、過去にどんな風景だったのか?と想像してみる。そんな時に手助けとなるiPhone用の地図アプリがあります。そのアプリの名は「横濱時層地図」、横浜の明治初頭から現在までの7つの時期の地図を、瞬時に切り替えて見比べることができるという優れもの。一昨年にリリースされた「東京」版に続き、今年夏に姉妹アプリとして発売が開始されました。 今回はこの地図アプリとともに、開港以降大きく変貌を遂げた横浜の街を巡ってみました。 「時層地図」とは? 「時」の「層」を成す「地図」という文字が示すように、様々な時期の古地図や地形図を重ね、同位置同縮尺で切り替えることができる「横濱時層地図」。 2012年7月に(一財)日地図センターよりリリースされました。 収録されている地図は、 ・文明開化期(明治14ー15年) ・明治の終わり(明治36-39年) ・関東地震直前(大正10ー昭和2年) ・昭和

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