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2024年8月8日のブックマーク (5件)

  • AQMさんってどこ行っちゃったんですかぁ

    AQMさんってどこ行っちゃったんですかぁ

    AQMさんってどこ行っちゃったんですかぁ
    sisya
    sisya 2024/08/08
    この時期の映像は光量があるのでコントラストがパキっとしてて、つい撮影したくなる。
  • ほとんどの人は建設的な議論ができない

    議論とは何か。 日国語大辞典によれば、「互いに、自己の意見を述べ、論じ合うこと。意見を戦わせること。」 と定義されている。 ビジネスにおいては、もう少し拡張してもいいかもしれない。 意見を戦わせる目的は2つある。 一つは 「意見を戦わせることで、どの意見が優れているか(正しいか)、判定すること」 そしてもう一つは 「意見を戦わせることで、よりよい意見を生み出すこと」 この2つを目的とした議論を、「建設的な議論」と呼ぶことにする。 しかし。 私は様々な会社で議論を見聞きしてきたが、「建設的な議論」ができる人はそれほど多くない。 組織内における議論のほとんどは、「自分の地位を上げること」と、「相手を貶めること」に使われてしまうからだ。 議論の目的が「意見」を出したり、質を高めることではなく、人の評判を操作するだけに使われる状況。 これが「不毛な議論」だ。 例えば、こんな具合だ。 まず、A案を

    ほとんどの人は建設的な議論ができない
    sisya
    sisya 2024/08/08
    なので、自分の場合はまともな議論ができる人は他の人以上に大事にするようにしている。まともな議論ができる人となら日常のちょっとした話題でも会話の質が全然違うので、自分の思考を研ぎ澄ます助けになる。
  • 米作り助けるプラスチックが海に流出 「使わないで」では解決しない:朝日新聞

    私たちの日々の卓に欠かせないお米。その米作りの現場でも、プラスチックは活躍し、難題にもなっている。 石川県内の水田の一角を、白っぽい膜が覆っているように見える。石川県立大の勝見尚也准教授(環境化学…

    米作り助けるプラスチックが海に流出 「使わないで」では解決しない:朝日新聞
    sisya
    sisya 2024/08/08
    去年辺りに柔軟剤のマイクロカプセルを問題視している記事を見かけたが、こちらの方が遙かに古く量も多い。なぜこちらは問題にならなかったのだろうか。人体に害がないことは既に証明されてしまっているのでは。
  • スマホで調べられる時代になんで勉強なんかしなあかんのって聞いてる子がいて『目の前で人が倒れたどうすればいい』と検索するかと答えていた

    じゃいろ @gakunensyunin4 何でもスマホで調べられる時代になんで勉強なんかしなあかんのって言ってる子がいてそれに対してある先生があなたが将来自分の大事な人が目の前で倒れたときに一刻を争うとして『目の前で人が倒れたどうすればいい』と検索するのですか。人生はそういったことの連続です。知識のない人生はこわいよって 2024-08-06 21:35:18

    スマホで調べられる時代になんで勉強なんかしなあかんのって聞いてる子がいて『目の前で人が倒れたどうすればいい』と検索するかと答えていた
    sisya
    sisya 2024/08/08
    論点がずれているように感じる。記事の例で言えば、勉強というのは検索できる知識を手に入れるための作業で、基礎知識がなければ専門知識を検索することすらできないから勉強する必要がある。馬鹿では検索は使えない
  • 「それでも叱ることには意味がある」という執着をぶった斬ってくれる。脳・神経科学などの知見から、「叱る」ことの本質を理解して、別の方法を探りたい『「叱れば人は育つ」は幻想』

    正木伸城 @nobushiromasaki めちゃ面白い。「それでも叱ることには意味がある」という執着をぶった斬ってくれる。叱っても人は育たない。「叱る」を必要悪だと思っている人は多いが、間違いだ。以下の言葉はむしろ危険。①「怒る」はダメだが「叱る」は必要。②叱らないと打たれ弱い人間になる。③叱らないと学ばない――そろそろぼくらは幻想を手放すべきだ。「叱る」は想像以上に効果がない。 叱られるとぼくらは萎縮する。脳の防御システムが作動する。野生の世界ならそれが正解。命の危機にあっては、悠長にものを考える時間などないのだから。けれど、防御モードに入るとぼくらは知性や理性などの知的活動、しっかり考え・検討することができなくなる。で、結局やってしまうのは、とりあえず「言うことを聞く」といった即興反応である。「勉強しなさい!」と声を荒げられたらサッと勉強に取り組む、みたいに。 しかし、その時ぼくら

    「それでも叱ることには意味がある」という執着をぶった斬ってくれる。脳・神経科学などの知見から、「叱る」ことの本質を理解して、別の方法を探りたい『「叱れば人は育つ」は幻想』
    sisya
    sisya 2024/08/08
    叱るという行為は間違った方向に行ってしまうのを止めるためのもので、ブレーキとして必要と思っている。本文中にもそれは書かれているのだが、なぜか叱ることは意味がないとかかれている。二律背反の方がよほど悪い