日本国憲法は施行の日から76年を迎えた。「危機」を強調し、岸田政権は安全保障政策の大転換を進める。憲法9条の価値をいま、どう考えるべきか。日本の立憲主義の課題は何か。現状追随の風潮が広がる時代に、憲法研究者の樋口陽一・東京大学名誉教授は、「在野の構想力」が大切だといい、先人たちに学べ、と語る。
――日本国憲法をめぐる状況で、私たちは今どんな課題を抱えているのでしょうか。
「いろいろな見方は可能でしょうが、政治の世界で進んできた『《公(こう)》の《私(し)》化』という問題が深刻だと考えています」
政権の「私」に侵食される公共社会
――「『公』の『私』化」ですか。どういう意味なのでしょうか。
「『公』の領分に『私』を送り込む、という意味でのことです。近代立憲主義は、一人ひとりの個人が自分らしく生きていくために、他者とともによりよい社会=公共社会(res publica)を作っていこうとするプロジェクトです。異なる考え方を持つ人々が共に生きていくうえで、『公』と『私』の領分を切り分けることが決定的に重要なのです」
「例えば、近代立憲主義の流れをくむ日本国憲法の15条は、『公務員』を全体の奉仕者と定めています。公務にたずさわる人たちは公共社会のために奉仕するもので、『私』に仕えるものであってはならないという意味です。まさに『公』の理念が表れています」
「ところがこの10年余りを振り返ると、安倍政権下で『公』の領分に大っぴらに『私』が入りこんできました。『公』の『私』化を象徴する出来事が、森友学園への国有地売却や加計学園の獣医学部新設の問題でした。財務省の公文書改ざん事件では自殺者さえ出ましたが、全体の奉仕者としてではなく、政権担当者の『私』のために公務員が使われたことへの抗議という意味を持つものでした」
――公私の区分という、憲法の基本ルールが壊れている、と。
「そうです。もう一つ、見過ごせないのは、安倍晋三氏の後で首相となる菅義偉官房長官(当時)の発言です。翁長雄志・沖縄県知事(当時)が著書で明らかにしていますが、翁長氏が菅氏に沖縄の苦難の歴史を理解して欲しいと求めたところ、『私は戦後生まれなものですから、歴史を持ち出されたら困りますよ』と発言したというのです」
「政治の世界に身を置いているのに、『公』としての自国の歴史に対する思い入れもなければ、名誉心や責任意識も感じられない。自国の近現代史への丸ごとの無関心を平気で口にできるのは、『私』のために『公』の領分であるはずの政治を使っていることと同じで、こちらは『《私》の《公》化』でしょう。みんなの領分であるはずの公共社会が、『私』によって侵食されているのです」
抗議の意志、踏み消されず
――安倍政権は、集団的自衛権は認められないとする長年の政府解釈を変更し、容認に踏み切りました。「立憲主義に反する」として市民の抗議の動きが広がりましたが、いま、どう見ていますか。
「2014年から15年にかけて、集団的自衛権を容認した安全保障関連法案への抗議の声が高まりました。国会周辺で連日起きた抵抗の動きは、若者たちをはじめ人々の自己発生的なものでした。まわりに見知った人はいなかったことを記憶していますが、私は空き箱の上に乗り、マイクを握りました」
「ではいま、あの時の残り火…