劇場公開中止なのがもったいない 『M3GAN/ミーガン 2.0』のジャンルレスな“楽しさ”
この世には「楽しい」というジャンルが存在する。そして『M3GAN/ミーガン 2.0』は、間違いなくジャンル「楽しい」だ。アメリカで興行収入が伸びなくて、日本では劇場公開が急遽キャンセル、Prime Videoでの独占配信に切り替わったが……正直、これは不運としか言いようがない。むしろ、あと何年か経ったら一部のアメリカの人は自慢できるだろう。「私はあの『M3GAN ミーガン 2.0』を公開当時に劇場で観ましたよ」と。
前作『M3GAN/ミーガン』(2022年)から数年が経った。殺人AI人形ミーガンの暴走を辛くも生き延びた研究者ジェマ(アリソン・ウィリアムズ)と、その姪っ子ケイディ(ヴァイオレット・マッグロウ)。ふたりの絆は深まったが、それはそれとして成長したケイディは絶賛反抗期に突入する。精神修養のために合気道を習うが、スティーヴン・セガールにどっぷりハマって、学校でイジメっ子の腕を極めた。ジェマはケイディとの距離に困りつつ、目を背けるようにAI規制の活動に没頭。しかし、新たなる殺人AIアメリアが出現し、ふたりに再び危機が迫る。そんな時、消滅したはずのミーガン(エイミー・ドナルド)が再び姿を現して……。
ミーガンの存在感がデカすぎて忘れそうになるが……前作は普通にホラーだった。AIが暴走して、人間を襲う。古典的ともいえる正統派のSFホラーである。ただ、悪役のはずの殺人AI人形ミーガンが、あまりにも魅力的すぎた。人も犬も殺すが、親友であるケイディへの愛は深い。それでいて口が悪く、機械とは思えないほどカッとなりやすく、歌って踊れる。コミカルで、クールで、キュート。その魅力は抜群で新世代のホラーアイコンとして観客のハートをがっちり掴んだ。
そんなミーガンの魅力が、本作ではたっぷり引き出されている。予告編からミーガンが木人(中国拳法の練習で使う木製の器具)を叩いて修行をするなど、明らかに様子がおかしいシーンが連発していたが、どっこい、実際に本編を観ると驚くほど丁寧な映画に仕上がっている。ミーガンは前作よりさらにクールに、キュートに、コミカルに、より魅力的なキャラクターに研ぎ澄まされている。作り手たちが完全にミーガンのキャラを掴んでいたし、観客が彼女に何を望むかも分かっていた。ジェマとの漫才は楽しいし、アクションシーンはカッコいいし、お約束のダンスシーンもあるし、ラストまで含めて完璧だったと言える。
一方、前作で4人ほど殺したうえに、親友のケイディを殺しそうになった件についても、誤魔化さず、誠実なドラマに昇華している。劇中、人間はミーガンを信用しないし、ミーガンも人間を信用しない。しかし、物語が進むにつれて人間でもAIでも必ず間違いを犯すという共通点があぶり出されてくる。その決して誇れない共通点を持って歩み寄り、両者の関係性は変化してゆく。このドラマがミーガンのキャラにも深みをもたらしているし、「人間とAIはどう共存するか?」というテーマへの回答に説得力を持たせていた。やりたい放題の物語に見えて、根底にはものすごく真面目な基礎工事がある。正直、ミーガンと人間たちのドラマパートは前作より丁寧かもしれない。
そんな真面目な「土台」があるからこそ、やりたい放題パートは本当に自由だ。新喜劇やドリフばりにコテコテなギャグが連発し、完全に映像が『ワイルド・スピード』(2001年)と化す高級車ブッ飛ばしシーンや、たぶん40歳以上にしか通じないであろうセガール・ジョーク、面白カメラワークが炸裂するアクションなどなど、とにかくいろんな要素がブチ込まれており、そのすべての味がケンカを起こさず共存している。だから「何映画なの?」と聞かれたら、具体的に答えるのが難しい。アクションであり、SF映画であり、サスペンスであり、スパイ映画であり、真面目なAI嫌いの発明家と自由奔放な殺人AIのバディ映画であり、人間関係の難しさを描くヒューマンドラマであり、思春期の女子の冒険映画であり、功夫映画であり……絞ることができない。だからこの映画は、ジャンル「楽しい」なのである。
こんなに楽しい映画が配信オンリーなのは残念でならない。とりあえず来週にも『金曜ロードショー』(日本テレビ系)でやっていい。それにふさわしいポテンシャルを持つ野心作である。