第二次世界大戦中の1942年8月から1943年2月まで、南太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島沖では、米国を中心とする連合国軍と旧日本軍の海軍との間で激しい戦いが繰り広げられた。太平洋戦争における転換点となった「ガダルカナル島の戦い」は、7回の海戦と、3回の陸上での大規模な衝突により、両軍合わせて2万7000人を超える死者を出した。
戦場となったガダルカナル島沖のサボ海峡は、「アイアン・ボトム・サウンド(鉄底(てってい)海峡)」と呼ばれるようになった。100隻を超える鉄でできた軍艦が海底に沈んだためだ。船の残骸は、残酷な戦争の歴史を後世に伝える証拠として、今も海底に横たわっている。とはいえ、水深600メートルの海底は、人間のダイバーが簡単にたどり着けるような場所ではない。
2025年7月、沈没船ハンターで、ナショナル ジオグラフィックのエクスプローラー・アット・ラージ(協会付き研究者)でもあるロバート・バラード氏とそのチームは、探査船ノーチラス号に乗り、最新の海中技術を使って鉄底海峡に眠る13隻の沈没船を調査した。そのなかには、沈没後初めて確認された日本の駆逐艦「照月(てるづき)」や、米重巡洋艦「ニューオーリンズ」の艦首部分も含まれていた。(参考記事:「ギャラリー:写真で見る世界の沈没船 7点」)
ノーチラス号は、バラード氏の非営利団体「オーシャン・エクスプロレーション・トラスト」が運営し、調査は主に米海洋大気局(NOAA)海洋探査プログラムの資金援助を受けて実施された。バラード氏のチームに加えて、米国、米海軍、ソロモン諸島、オーストラリア、日本の研究者が調査に加わった。
照月と「トーキョー・エクスプレス」
駆逐艦「照月」は、1942年12月12日の夜、ガダルカナル島への物資を輸送する艦隊を護衛中に、米軍の魚雷攻撃を受けて沈没した。当時日本軍は、島の部隊に物資を補給するために「鼠(ねずみ)輸送」と名付けた夜間輸送を数カ月にわたって実施していた。米軍は、これを「トーキョー・エクスプレス」と呼んでいた。
バラード氏によると、米軍による空からの攻撃があるため、日中に物資を運べなかったという。当時はまだ戦闘機にレーダーが搭載されておらず、夜なら連合国軍の攻撃を心配する必要がなかった。





