・餅 ・数の子 ・黒豆 ・ぜんざい ・寄せ鍋 ・おでん ・肉まん ・チーズフォンデュ ・甘酒 ・焼き芋 ・メルティキッス
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Vtuberのコラボグループで家族っぽくするやつにおいてママ役をしてる人のソロ配信を見に行ったら意外とキャピキャピしててママの意外な一面見ちゃった…みたいな気分になった
2年ほど前に「実の親じゃないっていつ言おう…」って相談していた増田です。 今更すぎて誰も覚えていないと思うけど、少し前に子どもたちにようやく伝えられたから、色々とアドバイスをいただいたお礼もあって報告にきたよ。 なかなか伝える勇気が出なかったけどどんなに遅くても下の子の受験が終わったら伝えようと思っていて、この程無事合格してくれたのでようやく腹を括った。「大切な話がある」と伝えてちゃんとしたレストランで子どもたちに伝えることにした。 一応、緊張しても大丈夫なように手紙も用意してたんだけど、いざとなったら意外と全部口で話せた!というか、逆に手紙なんか読んだら泣いちゃって無理だったかもしれん。 2人とも思ってたよりも冷静に聞いてくれて、ちょっと驚いた感じだったけどわりとすんなりと受け入れてくれた。 どうやら2人で大事な話が何なのか事前に予想していたらしくて、その候補の中に「実の母親じゃない」も
ゲーム会社から販売されているゲーム機、PCともに性能があがり、ここ数年で一気に数を増やした印象のあるオープンワールドゲームについてSwitch2発売が決まった今、オープンワールドが肌に合わない自分のぼやきを言語化しておこうと思う。 ※この記事はオープンワールドゲームがなぜ自分の好みや性質にあわないかの理由を考えて言語化しているものであり、オープンワールドゲームを販売する会社や好んでプレイしている人たちを否定する意図はないのであしからず。※ ※また、オープンワールドゲームとひとまとめに言っているが自分はブレワイ、ポケモンSVくらいしか触れたことがないので狭い視野偏った見方になっていることもあらかじめご留意いただきたい。※ 理由:無加工感に慣れていない/興味の対象が物語・世界観>>ゲームの操作性 長らく自分の身の回りに存在した娯楽は、どれも時間をかけて加工されて世に出されているものばかりだった
当方、40代男性。キャバクラには行かない。 ずっと何が楽しくて、お金を払って、女性に話を聞いてもらうんだろうと思っていた。 性的なことをしてすっきりしたいという気持ちはわかるので、まだ風俗の方が理解できた 今から20年ほど前、増田が大学に通っていた頃、研究室にある陽キャの助教授(すでに准教授の呼称に変わっていたかも)がいた 学会などの出張のたびに、教授がやめろと言ってるのに学生を連れ回して飲み歩き、 最後には学生をキャバクラに連れて行っていた。自分もそれで一度連れて行ってもらったが、全く楽しみ方がわからず、 椅子に座って岩のようになっていた。 一応、大学の先生の名誉のために行っておくと、当時ですら上記のような先生は少数派であり、 おそらく現在の大学で、学生をキャバクラに連れて歩くような先生は絶滅危惧種だと思う 増田はその後、とあるIT企業でエンジニアとして働いていた。 仕事は楽しかったし、
半年くらい前に車で家の近く走ってたら超デカい犬とおばあちゃんがうずくまってて、犬がそうしたいからそうしてんのかな〜と思ったが何か違うような気がして話しかけたところ、散歩中にいきなり犬が痛がって歩かなくなっちゃったとのこと。 本来だったら専用のカゴに入れてタクシー呼んで獣医連れてくんだけど取りに行くには離れなきゃいけないし…と大変困っていそうだったので、じゃあってことで自分の車に乗せて(このときジムニーのトランクに困り顔の犬がミチミチに詰まっているのが面白かった)獣医さんまで送って行った。結石ができていて早めに連れて行かないと結構危ない状態だったらしい。 しばらく後に無事退院したというので頂いていた連絡先に犬を見に行ったら、まあ犬のほうは元気そうにしていて良かった。が、今度はおばあちゃんのほうがだいぶ落ち込んでいて、2年ほど前までは旦那さんがいて車も出してくれていたけど今はそれもできないし、
理由はわかってて、その子がいつも愚痴を言ったりオタクトークをしていた男性社員が先日退職したんだよね で、そいつの次にそういう話題をふっかけやすいのが俺だったと 正直言って仕事の邪魔だが、部署の数少ない若手社員なので懐いてくれて嬉しい気持ちもある ただ、強がりではなく、全く浮かれるような気持ちにはなっていない 彼女は自分が話したいことをウンウンと相槌打ちながら聞いてくれれば誰でもいいんだろう それが明らかすぎて、便利に使われてるなーと毎日ウンウン言って聞き流している こういう人たまにいるけどよくわからんなと思う 性別問わず、話を聞いてくれそうな人に自分が話したいことや思考の整理のためのおしゃべりを一方的に話して去っていく人は意外と多い 大学の頃にサークル活動で知り合った友人にもそういう男がいた そいつは4年間にわたって一方的に話し続けたが、自分が何を話したか全然覚えてなかっただろうと思う で
(追記) マサカドのことすっかり忘れてた。そりゃもう文句なしにガブリエルoutでマサカドinですわ。 天使がいなくなってしまったけどしょうがない。 それとイザナギは天津神というのもその通り。 まあ要するに日本の神様と言いたいんだなコイツはって補完してほしい。 1. ロキ 「デジタル・デビル物語 女神転生」で最初に召喚された悪魔という意味ですべての始祖。 その後の作品でも重要な役からチョイ役まで幅広く様々な役回りを演じる。 仲魔やペルソナとしてのレベルはだいたい中の上から上の中あたり。 2. ルシファー CHAOSサイドの首領。多くの作品でちょっかいかけてきたり意味深なことを言ったり、たまにラスボスになったりする。 暇つぶしやこちらの力量を測るという意図で戦うことも多く、負けてもまだ余力を残してる雰囲気で大物感をキープ。 ペルソナ以外で味方戦力となることは多くないが基本的に最上位。 3. ジ
今日は巷では【推しの子】の最終回の話題で持ち切りで、以前から連載を追っている一読者である自分も最終回まで読んだ。 とてつもなく悪いとは思わなかったものの、例によって「あれはどうなったん……?あれはなんだったん……?」という疑問が解消され切らなかったモヤモヤ感は残っている…… ただ、思えば、【推しの子】の最終回が物凄く悪かったと非難したいというよりは、「最終回というものそれ自体が期待する割に大抵面白くないもんなんじゃね?」と思い始めている。 なにしろ「最終回文句なしにめっちゃ良かったなぁ~」という所に遭遇した記憶があまりないからだ。 有名どころで言えば呪術廻戦だって賛否両論だったし、王道シンプルな進行でストーリーを閉じた鬼滅の刃も最終回については蛇足としばしば言われる始末だ。 最終回が良かった作品ってなんだ?進撃の巨人とかか……? 増田の皆さんにおかれましては最終回面白い作品があったら教えて
1. 吉備真備(日本囲碁の始祖)中国で囲碁を学び、日本に伝えたとされる。 大宝律令の中に碁に関する項目があること、隋書倭国伝に「好棋博、握槊、樗蒲之戯(囲碁、握槊、樗蒲(さいころ)の競技を好む)」との記載があることから、実際にはさらに以前から伝わっていた説もある。 2. 本因坊算砂(初代本因坊)囲碁四家の筆頭・本因坊家の始祖。 信長・秀吉・家康等に仕え囲碁を指南する。 後の幕府の保護に繋がる礎を築いた。 初代碁所であると同時に初代将棋所でもあった。 3. 徳川家康(囲碁の保護)本因坊・安井・井上・林の四家を召し抱え囲碁を庇護した。 幕府の庇護のもと囲碁に専念する職業棋士が誕生し四家の互いの切磋琢磨により日本での囲碁の技術が飛躍的に向上、多くの名手が生まれる土壌が整えられた。 朝鮮通信使で来た囲碁の名手と日本の棋士との差は3子であったという。 近世囲碁の発展、振興に絶大な貢献。囲碁殿堂表彰に
格ゲーでプロを目指すのは諦めることにした。 1年間、ほぼ毎日スト6をプレイし続けた。(771時間) 目標はマスターに到達することだったけど、到達することができなかった。 5キャラでダイヤ1を達成という結果に終わった。 この1年間、「格ゲー」という新たな世界にのめり込んでいた。 積極的に参加したわけではないが、外からみていても格ゲー界隈は楽しく、憧れは日に日に強くなっていた。 格ゲー界隈には様々な伝説があり、大逆転の試合や緊張の1戦を見ると思わず涙が出てしまうくらい心が震えた。 この感覚は久しく味わっておらず、この1年は楽しかった。 でも、それと同時に苦しいこともたくさんあった。 デバイス周りのトラブルや、全く上達を感じないことへ焦り、初めて数ヶ月でマスター到達したという投稿や、格ゲープロに教えてもらうVTuberに嫉妬の嵐。 今振り返ってみても、とても酷いものだった。 思い通りに勝てない、
幼少期に両親が離婚。 母の地元に引越し母と二人暮らしをしていたが、小学校高学年の頃に病死した。 再び幼少期を過ごした父の家に戻る。 父は離婚後すぐに再婚して異母弟妹も生まれており、継母と弟と妹とは打ち解けられなかった。 中学生の頃に父方祖母が体調を崩した。 父は仕事があり、継母と弟妹は祖母との関係が悪かったため、祖母宅のある地方に引越しそこの中学校に転校した。 祖母は喜んで可愛がってくれたが、中学卒業間近に倒れ以後介護なしでは生活ができなくなり、家の近くの介護施設に入所した。 見舞いなどもあるため父の頼みで祖母宅に残り高校進学を迎えた。 高校在学中に祖母が亡くなり、大叔母宅で高校卒業を迎えた。 祖母の自宅を整理したお金を父から貰い、大学進学のために上京。 上京と言っても東京都内ではなく首都圏内の国立、所謂駅弁だったため4年間の家賃と学費にバッファを設けて計算してもわずかにお金が残った。 そ
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