シーボルト事件の新史料発見、獄死の通訳検視記録 長崎学研究所、3月の紀要に発表2019/2/22 6:34 (2019/2/22 6:34 更新) [有料会員限定記事]
シーボルト事件の新史料発見、獄死の通訳検視記録 長崎学研究所、3月の紀要に発表2019/2/22 6:34 (2019/2/22 6:34 更新) [有料会員限定記事]
江戸時代に来日し、その後国外追放になったドイツ人医師シーボルトに、日本人妻お滝が送った最も古い手紙がオランダ・ライデン大で見つかった。シーボルトへの深い愛が伝わる内容で、調査した西南学院大の宮崎克則教授は「欧州に送られた最も古い日本語のラブレター」としている。 【画像】シーボルトが愛した女性、お滝の肖像画 オランダ語訳の存在は知られていたが、日本語原本の所在は不明だった。ライデン大大学院生が同大の日本関係資料の中で発見し、宮崎教授が確認した。 シーボルトは長崎・出島のオランダ商館の医師として1823年に来日。遊女だったお滝と知り合い、後に初の日本人女医となる娘イネを授かる。だが、持ち出しが禁止された日本地図を国外に運ぼうとしていたことが発覚し、29年末に国外追放となった。 手紙は30年12月に書かれた。シーボルトがオランダに戻る途中のインドネシアから同年3月に書き送り、8月に長崎に届いた3
年の瀬、京大前の古本屋で珍しいものを見つけた。 戦前の、シリーズものの予約募集冊子である。日本史関係でいくつか買うことにしたが、まったく知らなかったシリーズものばかりでおもしろい。 たとえば、蛍雪書院なる版元の、『歴史學叢書 日本研究篇』なる企画。 全10巻のラインナップは以下の通りである。 (1)日本の文化:圭室諦成 (2)日本の政治:渡辺保ほか (3)日本の外交:高橋磌一ほか (4)日本の社会:風間泰男ほか (5)日本の経済:中村吉治ほか (6)日本の技術:遠藤元男ほか (7)日本の思想:川崎庸之ほか (8)日本の芸術:森末義彰ほか (9)日本の近代:原平三ほか (10)日本の現代:津吉英夫 だが、全国の図書館の蔵書の状況を見るに、どうやらこれは2冊しか出なかったらしい。「豫約會員にだけ頒布致します」と謳っていたのに、これはちょっとひどい。残る8冊は、誰も手に取ることのない書物となった
英語のLとRの発音、得意ですか? 江戸時代の外国語のプロ、長崎のオランダ通詞たちも苦労しました。その様子が、彼らに英語を教えた外国人の回想記に登場します。 明治維新より20年前の嘉永元(1848)年、北海道の利尻島に上陸した北米生まれの青年がいた。名前はラナルド・マクドナルド、当時24歳。 いわゆる鎖国の時代だ。日本に漂着した西洋人は長崎に送られ、出島に来航するオランダ船に乗せて国外へ。船が来るまで軟禁された。 マクドナルドも長崎に護送され、「長崎くんち」で知られる諏訪神社の近くにあった「大悲庵」の座敷牢に入れられた。 「〈通訳〉たちの幕末維新」などの著書のある、長崎大学教授の木村直樹さん(46)の案内で今年11月、その跡を訪れた。木村さんが持つ復元古地図を参照すると、今は駐車場や人家になっているあたりだ。 約170年前、ここが「英語塾」になった。オランダ通詞たちが通ってきたのだ。 当時す
神田外語大学 前野良沢「火浣布」の原典、蘭書7冊を発見 -- 11月16日に神田外語大学で特別講演会・展示会 大学ニュース / イベント / 教育カリキュラム / 地域貢献 / その他 2016.11.10 07:00 神田外語大学(千葉市美浜区/学長:酒井邦弥)の「洋学文庫」から、『諸術秘蔵』7冊が見つかった。これは、蘭学者・前野良沢(まえのりょうたく)が『火浣布』(石綿、アスベスト)の翻訳に使用した原書と推定されるオランダ語原典で、エレキテルとともに、江戸時代に「火浣布」ブームを引き起こした。今回の発見を機に、同大の附属研究機関「日本研究所」は、11月16日(水)に特別講演会「洋学文庫にみる日本文化」を開催する。 神田外語大学にある「洋学文庫」で調査を行っている、神田外語大学日本研究所の松田清客員教授は、今回の発見を報告書にまとめた。 「火浣布」とは漢名で「火で洗うことのできる布」を意
江戸時代の蘭学者の前野良沢が翻訳し、博物書として江戸時代に紹介されたオランダ語の原書が千葉市で発見され、当時の蘭学を知る貴重な資料として注目されています。 千葉市の神田外語大学にある海外の書物を収めた文庫で見つかりました。 「解体新書」の翻訳で知られる蘭学者の前野良沢は、この「諸術秘蔵」のうち、当時の日本では広く知られていなかったアスベストに関する記述の部分を翻訳していましたが、原書は見つかっていませんでした。 原書では、アスベストが岩石の間などからとれる鉱物であることや、熱に強く丈夫な性質を持っていることなどが挿絵つきで紹介されています。 神田外語大学の松田清客員教授は、「初期の蘭学者がどのように翻訳にあたっていたかを知る貴重な資料だ。翻訳としては完璧ではないが、外国の書物からなんとか知識を得ようとした蘭学者の苦労もよくわかる」と話しています。
オランダのライデン国立民族学博物館に所蔵され、作者不明とされてきた絵画6枚の作者が、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎(1760〜1849年)だったことが同館の調査で分かった。長崎市で22日にあった「国際シーボルトコレクション会議」で、同館シニア研究員のマティ・フォラー氏が発表した。西洋画の特徴がみられ、フォラー氏は「北斎が西洋の技法をよく理解していたことが分かる。非常に画期的だ」と話している。 絵画は水彩画5枚と石版画1枚で、日本橋や品川など、江戸の街並みが描かれている。江戸後期から幕末にかけて日本に滞在したドイツ人医師、シーボルトが集めた作品の一部。落款やサインはなく作者は不明だったが、シーボルトの子孫が保管していたシーボルト直筆の目録に6枚の絵のことが記録されていることをフォラー氏が確認した。目録には「北斎が我々のスタイルで描いたもの」という記述もあった。
○国立科学博物館 企画展『没後100年記念 田中芳男-日本の博物館を築いた男-』(2016年8月30日~9月25日) 企画展といっても常設展エリアの展示である。確か始まっているはずだと思って行ったのだが、館内に入ってしまったら何も案内がなくて、どこでやっているのかよく分からない。慌ててスマホを取り出して「日本館地下1階、多目的室」であることを確認し、ようやく会場を見つける。 田中芳男(1838-1916)は、幕末から明治期に活躍した博物学者・植物学者。蘭方医伊藤圭介に学び、新政府の官僚として、パリやウィーンで開催された万国博覧会に参加し、内国勧業博覧会の開催を推進し、数々の著作を残し、農林水産業のさまざまな団体、東京上野の博物館や動物園の設立にも貢献した。国立科学博物館の「設立者ともいえる人物」であるところから、没後百年を記念して、田中の幅広い事蹟を紹介すると「あいさつ」にうたわれている。
紹介 シーボルトの絵師の眼で、1800年代のNIPPONを視る! あの〈踏絵〉を描いた川原慶賀の画期的画文集。〈シーボルトのカメラ〉と称される長崎出島出入絵師・川原慶賀(1786年頃~1860年頃)による記録画が語る江戸庶民の日常。 川原慶賀の作品は、そのほとんどが海外にあり、見る機会が少なく、過去2回の「川原慶賀展」の図録があるが、一般の作品集は存在しない。本書は、シーボルトコレクションの多くを所蔵するオランダ・ライデン国立民族学博物館などの協力により、慶賀作品200点余と関連図版・写真150点を収録。 オランダ商館医シーボルト(1796~1866)が、日本の風物と日本人について、情報収集の目的で、その専属絵師・川原慶賀に描かせた絵を歳時記を軸に編集。江戸時代の人々の暮らし、産業、職人の仕事などが目でみてわかりやすく描かれている。さらに、同時代に書かれた野口文龍(地役人、国学者)による『
伊豆の国市韮山の旧代官屋敷「江川邸」(国重要文化財)で、韮山反射炉の世界文化遺産登録1周年を記念した特別展示が行われている。展示数は13点だが、反射炉築造に関する古文書8点は初公開で、貴重な史料という。 江川邸は江戸時代、韮山代官を務めた江川家の住宅。反射炉の築造責任者だった坦庵と、死後に築造を引き継いだ三男英敏も暮らした。代々伝わる古文書のうち、約3万8600点と一部の古写真約460点は国重要文化財に指定され、反射炉関係の史料も多い。 特別展示の古文書「反射炉 御取建 ( おとりたて ) 日記」には、当初、築造は下田市高馬で始まったが、寄港中の米国水兵が築造現場を発見。江戸幕府は、外国船を攻撃する大砲工場を内陸の韮山に移す必要性を感じ、築造地が変更された経緯が記されている。 英敏の描いた「反射炉レンガ型取り器具の図」は、型枠に粘土を入れ、上部のハンドルを回すと同じ大きさのレンガができる仕
大学卒業後に軍医となったシーボルト。バタヴィア(現インドネシア・ジャカルタ)へ旅立ち、後に出島のオランダ商館付の医師として、日本へ派遣されました。 オランダ本国の要請で、西洋医学などの知識と引き換えに日本を調査したシーボルト。日本の女性・其扇(そのぎ・楠本たき)、二人の間に生まれた女児いねとともに出島で暮らし、滞在中にさまざまの資料を収集しました。 第1章「日本に魅せられた男、シーボルト」 シーボルトが初来日した1823(文政6)年は11代将軍家斉の治世。徐々に変化の兆しは現れていたものの、まだ幕府の権威も強く、外国人の行動も制限されていました。 シーボルトは私塾を開設して西洋医学や自然科学を教授。門弟には課題も与え、提出された論文はシーボルトの日本研究にも役に立っています。 最初の来日から帰国する準備中に起こったのが、有名なシーボルト事件です。所持品から、国外に持ち出すことが禁じられてい
2016年7月11日(月)、千葉・佐倉市の国立歴史民俗博物館で「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」のプレス向け内覧会が開催された。 ドイツ人の医師・博物学者のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが収集した日本の資料を紹介する企画。 江戸時代後期、シーボルトは二度にわたって来日。近代的な医学を伝える一方で、日本の自然や生活文化に関わる膨大な資料を収集し、帰国後は日本を紹介する書籍を出版するほか、集めた資料の展示も行っている。 展覧会では残された資料を元に、シーボルトが行った日本展示を再現。「異文化としての日本」をどのように紹介したか、シーボルトの描いた日本像に迫る。 最近になって子孫宅から発見された、「シーボルト事件」で没収された地図の写しも、展覧会で初公開される。 「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」は国立歴史民俗博物館で、2016年7月12日(火)~9月4日(日)に開催。観覧料は
File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(本社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(本社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(本社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く