新刊はアガンベンと『日月両世界旅行記』のみ。それらの他は七〇円〜二百円で求めたもの。例外は『書物を焼くの記』五〇〇円。しかしその価値はあった。日中戦争下、日本軍に占領された上海での知識人の暮らし振りを描いたエッセイ群で、表題作は占領軍に摘発されそうな書物や手紙類を泣く泣く焼いたことを指している。 《わたしたちは、敵が一軒ごとに、やさがしをするといううわさ[三文字傍点]をきいた。一、二冊の本や新聞をもっていたためにつかまった、といううわさ[三文字傍点]をきいた。それから、無数のおそろしい、奇怪な、悲惨なはなしをきいた。 ひとびとは妙にいらだってきた。「書物」のあるひとは、とくにそうだった。かれらは書物のゆえにこそ、わざわいをおそれ、そうかといって、捨てるにもしのびなかった。それとて、売りもならず、ーー売りにだしたって買おうというものもなかったろう、ーー友人たちは、毎日、本にむかって、ためいき