あるプロの声優(俳優)さんの「舞台の授業が嫌なら、他の仕事へ☺️」(※要約)
自分にも身の覚えがある甘えを指摘された図星をつかれた…という部分も多いにあると思う。
でも、この言葉を受け入れることは到底できないと思った。
ツイートの趣旨としては、『声優を目指す学校で舞台の授業を嫌がって休む人は、他に合う仕事があると思う』というものだった。
内容だけ見れば正論だと思う。
声優・俳優の世界は厳しくて、舞台を避けていては基礎が育たない。
そういう現実を知っている人ほど、甘い気持ちで夢を見る若者に苛立つのもわかる。
文末に添えられた「☺️」笑顔の絵文字は、一体どんな顔をして笑っているんだろう。
優しい笑顔を添えたその一文は、
実際には、「あなたはこの世界には向いていない」と排除しているのに
“あなたのためを思って”という仮面をかぶっているようにしか見えなかった。
「厳しさ」や「覚悟」は誰かを追い出すためのものじゃなくて、“自分を支える”ための言葉がいい。
それって、たとえ動機が軽くても、根っこは“好き”という純粋な衝動だと思う。
ミーハーでも、あまっちょろくても、
“好き”を持ってこの業界に足を踏み入れる人がいること自体が、業界の活気じゃない?
成功する人はほんのひと握りでも、
それを“努力が足りないから排除”という形で切ってしまうのは、文化の裾野を削っているように思う。
舞台が嫌いな子が、いつか演じることの面白さに気づくかもしれない。
あるいは「私は舞台はやらないけど、アニメだけを突き詰めたい」と異様な才能を発揮するかもしれない。(大別すれば歌わない声優さんと同じ考え方だと思う。もちろんこの方は舞台もしっかり取り入れていらっしゃるだろうけど)
企画から自作すれば、自分の好きなキャラクターや世界観だけで生きていくことも可能だし。
それぞれの形で“表現”に関わることはできる。
だから私は、「逃げる人には向いていない」とでもいうような言葉に、どうしても冷たさを感じてしまう。
そしてなにより、その言葉を口にする側が
“逃げない自分”を誇示するために、他人を引き合いに出しているように見えてしまう。
声優として演劇を学びたい、上手くなりたいなら舞台から目を逸らすべきではない――
これが本来伝えたかった本質だったのなら、こんな風に感じることはなかったと思う。
声優の心得だとか舞台の大切さ、魅力の方に焦点を当てていないことが、ただただ上から目線の傲慢な考えに見えてしまった。
でも、正しさの中に温度がなければ、人は育たない。
明らかに向いてない奴を甘やかし続けた末路も悲惨なものではある でもうまいこといいポジションに収まっちゃうヤツもいるし決まった答なんて出ない話なんだろうな