ジュリーが映したのは体制への抵抗 体現した「女こども」の価値観

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聞き手・山口宏子
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 歌手、沢田研二、愛称はジュリー。近年はライブを中心に活動し、いまも全国ツアー中で、会場は軒並みソールドアウトの盛況です。時々に変化しながら、半世紀を超えて歌い続ける「ジュリー」が映してきたものは何か。ノンフィクションライターの島﨑今日子さんと考えます。

 ――デビューからリアルタイムで沢田さんを見続けてきた島﨑さん。昨年は60人以上に取材し、沢田さんとその時代を書いた「ジュリーがいた 沢田研二、56年の光芒(こうぼう)」(文芸春秋)を刊行しました。

 「ジュリーを通して、戦後の日本社会を考えることができると思います。沢田さんは1948年生まれの団塊の世代。67年にザ・タイガースのボーカリストとしてデビューしました。グループサウンズ(GS)の中心的な存在になりますが、大人たちは、彼らの髪が長いことで『不良』と決めつけ、『女の子』が夢中になる曲を『騒音』とみなして音楽として評価しようとしませんでした。『一過性の現象』と軽んじたのです。NHKは当時、短髪でスーツ姿のごく一部のグループをのぞいてGSを出演させなかったほど。タイガースは人気が高かった分、攻撃の標的にされました」

 「でも女の子たち、そして、少なからぬ男の子たちは、ジュリーを強く支持しました。なぜなのか。外見や歌のカッコ良さはもちろん大きな要因です。でも、それだけではないと私は考えています。ジュリーの歌や表現は、女性への抑圧と無縁だった。『男性優位主義』の対極にあったのです。そこに、家父長的な現実社会への『アンチ』を感じとったからでしょう」

規範から逸脱するカウンターカルチャー

 ――タイガースが71年に解…

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