「情熱的な音楽、まだまだできた」黒柳徹子さん、小澤征爾さんを悼む
飾らぬ人柄で、音楽の枠を超えて幅広い交流を重ねた小澤征爾さん。死去を受けて、芸能界、芸術界などからも悼む声が相次いだ。
俳優の黒柳徹子さんは、バイオリニストだった父を通して家族ぐるみの交流があった。「自由な方でした。ものの考え方や話もおもしろい。音楽は非常に情熱的だった」と振り返る。
長男征悦さんが俳優になると決めたときには、小澤さん自ら黒柳さんの楽屋へあいさつに来たという。「『息子が俳優になるって言ってるから、よろしく頼みます』ってお願いされました。『わかりました。大丈夫だと思いますよ』ってお答えしたら、安心していた。子煩悩なのね。人間味があって、親しみやすくて、飾らない方」
「なかなかあれだけの指揮者はいない」とたたえる。「だからすごくもったいない。小澤さんならまだまだできたのに。悲しくて残念な思いでいっぱいです」と人柄をしのんだ。
自宅が近かった美術家の横尾忠則さんは、「込み入った仕事の話などはしたことがない」としつつ、「そば屋でご一緒になることがありましたが、世界的な指揮者なのに、すごく自然体で開けっぴろげ。庶民的な方でした。とても元気な大食家でしたが、最近は相当弱っておられるようで心配していました」と話した。
20年にわたって交流がある建築家の安藤忠雄さんは、「大きな星がなくなった」と嘆息した。
10年ほど前、京都で食事をともにしたとき、小澤さんは「安藤さんもオレも元気だから、これからも色々とやらなければ」と話していたという。「その後、私も小澤さんもがんになりましたが、お互い元気で長生きしましょうという感じできました」
「日本は経済だけでなく、芸術や文化、音楽の力で信用を得てきた。音楽でずっと新しいことに挑んできた小澤さんは、その信用のシンボルだった」と言い、「自由奔放、そして優しい人で、その自由さが多くの人を引きつけたと思う。音楽が人を引きつけたのと同様、人柄も人を引きつけた。こういう魅力のある人は、世界を見渡しても今は少ない。もうちょっと待ってくれよ、と言いたい」と存在の大きさを悼んだ。