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後房雄『日・伊共産党の「民主集中制」格闘史』

「みんなで話し合あってみんなで決める」が民主集中制なのか

 民主集中制を議論する際に日本共産党はどのようにこの組織原則を説明するだろうか。例えば2024年の入党の呼びかけではこう説明している。

暮らしでも平和でも、希望がみえる新しい政治へ あなたの入党を心からよびかけます/日本共産党

私たちは、民主的な議論をつくして方針を決め、決めたことはみんなで実行する――民主集中制を大切にしています。民主集中制を「悪者」のように言う議論もありますが、国民に責任を負う近代政党ならば当たり前のことではないでしょうか。

 副委員長である市田忠義も、やはり「党を知るつどい」で同じように説明する。

 市田氏は、共産党民主集中制に「異論を認めない」などの批判があることについて、「事実とまったく違う」と否定し、「共産党がめざすのは、国民多数の合意を得て階段を一段上がり、また『いいですか?』と確認し、もう一段上がる、多数者革命だ。みんなの幸せのためというだけでなく、みんなの力で変える。国民自身が社会を変える主人公だ」と説明。「みんなで決めてみんなでがんばることが大事。社会を根本から変えようという党がばらばらでは、支配勢力にとって怖くも何ともない。今行われているのは、共産党を骨抜きにしてやろうという攻撃だ」と強調しました。(2024年3月3日しんぶん赤旗

 もっとも市田のこの説明は、党内原則である民主集中制と、社会の原則とを、混同させて語っていて、民主集中制があたかも今後の社会の原則であるかのように受け取られるという「誤解誘い水」になっている。たぶん共産党の説明としても「失格」だろう。

 

 いずれにせよ、このように民主集中制を「みんなで決めてみんなで実行」というふうにまとめて語ることが非常によくある。特に、この「入党の呼びかけ」や「党を知るつどい」のような何も知らない人に「民主集中制を簡単に説明する」というシチュエーションではこのようにまとめられることが多い。

 

「分派の禁止」こそが民主集中制の核心

 しかし、後房雄は、本書で「みんなで決めてみんなで実行」という原則は民主集中制でもなんでもなく、それ自体は民主主義一般のルールであると指摘する。

 後房雄は、本書の中で民主集中制=民主主義的中央集権制の最初になったロシア社会労働党の1905年の決議が示した4つの原則、そして日本共産党の1973年規約で挙げられている「民主集中制の原則」を引用した上で、「単なる民主主義のルール」「『近代政党のメルクマール』と言われても誰にも違和感はない」「党内の民主主義的運営についての標準的ルール」と指摘する。

 ちなみに1905年のロシア社会民主労働党の示した4原則は

  1. 党内の全ての指導機関を選挙で選ぶ
  2. 党機関の党組織への定期的報告義務
  3. 少数者の多数者への服従
  4. 下級機関の上級決定への絶対服従

である。3.や4.は批判されることは多いが、それ自体は「民主主義」の一般ルールであるとする。

 後房雄はこのような民主主義的原則に民主集中制の特質があるのではない、とする。

しかし、共産党における民主集中制とは、決してこうした常識的ルールにとどまるものではなく、(1973年当時の規約の)前文において別個に規定されている「分派活動」の禁止と一体のものであるという点に問題の核心がある。(p.9)

以上の事例からみて、民主集中制の核心が分派の禁止であり、その克服は、異論の公開、指導者間、党員間の横のコミュニケーション、党内での潮流の容認を経て「組織された潮流」の容認に至ると言う道筋をたどると結論することができるであろう。(p.296-297)

 共産党はよく「他の党から派閥がないと言ってうらやましがられる」という自慢をするけども、日本において「近代政党で、分派や分派活動を規約で禁止している政党は共産党以外にほぼないだろう」(p.10)と後は断じる。

 

民主集中制をめぐる議論の混乱を解く交通整理

 後房雄民主集中制をめぐる議論の混乱は、(1)民主集中制の原則として挙げられている民主主義としての一般的ルールと、(2)民主集中制のメルクマールである「分派の禁止」とが区別されずに議論されていることにあるとする。

 (1)は中央集権的に強調されるきらいがあるもの、例えば「下級の上級への服従」「少数の多数への服従」などはそれ自体は民主主義的なルールだという。

 確かに、ここには少数意見の尊重や、決定プロセスの民主性、反対意見のフィードバックなどの問題はあるものの、多数決で最終的に全体がそれに従う、ということ自身は民主主義的な原則であると言える(繰り返すが、「従う」のレベル・中身はさまざまであろう)。

 後房雄が本書の冒頭で見せている交通整理は見事である。

 1905年のボルシェビキもメンシェビキも同居していた社会民主労働党における民主集中制の原則、そしてボルシェビキ共産党)になった後でも民主集中制原則には「分派の禁止」は入っていない。そしてロシア革命の内戦期である1921年に分派禁止が行われるがそれは規約ではなく、一時的な措置の決議として行われ、しかもその時の報告(ブハーリン報告)でさえ、「党内にあれこれのグループが存在すること」自体は認められていた。ソ連共産党規約で分派禁止が入るのは1934年になってからであり、その時でさえ、民主集中制の原則は先に挙げた4原則であって、分派の禁止はそれとは別の事項だったことを後づける。

 このように民主集中制は民主主義的な4原則として語られ、それと別個に分派の禁止が規約化されていった歴史は他の共産党にも引き継がれていった。そのことが民主集中制の語り方に混乱をうむ原因となっていると後は指摘する。

 これは全くその通りであろう。

 ただし、この別個に定められた原則が民主集中制の核心をなすようになり世界の共産党に広がっていった経過・原因そのものについては、後は十分に触れていない。ぼくはおそらくソ連トロツキー追放から大量粛清に至る過程で定着したものだと思うのだが、p.39で後はそのことに少し触れている程度である。それは実証的な積み重ねをせずにそれを断ずるわけにはいかないという後のストイックさの表れなのだろうと思った。

 

日本とイタリアの共産党の格闘の違い

 その上で、後房雄は本書で日本共産党イタリア共産党の党内民主主義の拡充、「分派禁止」をどう扱っていくかという格闘の違いを後付けていく。本書の大半はこれに費やされている。

 簡単にそれをまとめてしまうと、イタリア共産党は早い時期から、党内で少数意見をたたかわせて反映させるということを形式的にではなく実質的にどう保障するかを議論してきた。つまり党員が意思決定に実質的に参加するにはどうしたらいいかを模索してきたのである。そのため党内で異論(特に指導者層間の異論)をどういう形で公開するか、横の連絡・意見交換をどうしていくべきか格闘してきた。固定した潮流・組織化された潮流=分派は、「共産党」というあり方をやめてしまう1989年の最後の最後まで認めなかったが、それを徐々に緩和してきた歴史であったと言える。

 他方で、日本共産党は、党内民主主義の拡大、つまり党内の少数意見を形式的にではなく、指導部が代わることまで意識しながらの実質的な保障に踏み込むという問題意識はほとんどなかった。「大会決定を全党で討議している」という形式をもってそれは保障されているということにしてしまった。代わりに組織問題の大半を占めたのは「党建設」、つまり決定したことをどうやって現場にやらせるか、ということばかりで、意思決定に実質的にどう党員が参加するかという問題意識は非常に希薄だった。そのため、企業や会社のような姿に非常に似てきた、と後房雄は指摘する。

 

本書に学んで民主集中制の発展方向を提起する

 ぼくは後房雄のいうことに同意できる部分もあるが、そうでない部分もある。

 特に結論として分派(固定化された潮流)を認めることはできないと考える。

 というのも、やはり固定化され組織化され、独自の政綱と独自の規律を持つグループが形成される(ぼくは「分派」をこのように定義する)と、そのグループへの忠誠や維持が自己目的となり、自由な討論によって得た結論に素直に従うことができなくなってしまうと思うからである。学会で、組織された学派などを作ってしまったら自由な討論ができなくなるのと同じである。

 他方で、「横の連絡」「党内の意見の可視化」ということが現状の民主集中制ではあまりにも不十分であって、その探究はイタリア共産党に(その全てを肯定しないにせよ)学ぶ必要があると感じる。

 「言論の自由」「出版の自由」「集会の自由」「表現の自由」「結社の自由」をそのまま党内に持ち込まない理由について、かつて共産党は「利害が決定的に衝突し、結局力対力でしか解決しない階級社会=一般社会には必要だが、同じ綱領と規約で結ばれた共産主義者の結社内では、討論によって一致に達することが可能であり、不要である」という理由で否定(制限)されてきた。

 しかし、果たして「言論の自由」「出版の自由」「集会の自由」「表現の自由」「結社の自由」は、「利害が決定的に衝突し、結局力対力でしか解決しない階級社会」だけにしか必要ないものであろうか。

 そこには、このような自由が持っている近代民主主義としての役割に対する著しい軽視があるように思われてならない。

 例えば、共産党の中で次のような「言論の自由の規制」が行われていることは一般やメディアでもほとんど知られていない。

 

  • 自由に無制限に討論できるのは「支部」の中のみ。支部を超えて訴えることは禁止されている。
  • 支部を超えて訴える場は、地区委員会総会・地区党会議(地区大会)などだが、そもそも地区委員会総会に出るには役員に選出されねばならないし、地区党会議に出るには代議員として選出されなければならない。そして仮に選出されても、発言時間は数分しか許されない。
  • 大会決議案の討議では全党に自分の意見を臨時に発行される討論誌に発表できるが、1200字で1回だけである。

 

 これで果たして、路線そのものを大きく変えるような議論ができるであろうか。議案を「修正」するとしても字句の修正、せいぜい部分的な戦術しか直すことはできない。

  • ある意見を研究して同じような人たち・あるいは同じ問題意識だが意見を異にする人たちと集まりや学習会を持つ。
  • そういう人たちと研究をする冊子を発行する。
  • 他の人たちに自分たちの意見を知ってもらう機会を設け、自分たちの研究会や集会に誘う。

 そんなプロセスがなければ、言論は大きく育たないのではないだろうか。つまり組織の中のメンバーと自由に横に連絡を取り合い、言論を育てる機会を設けなければ、民主主義的とは言えない。一方的に現在の指導部からの言説だけをシャワーのように浴びるのに、それと対抗する意見は数分の発言か1200字の原稿を数年に一度出すだけでは、非対称性があまりに甚だしいではないか。事実上、現在の指導部の路線以外は認めないということになってしまう。

 つまり横のつながりを認めて、「言論の自由」「出版の自由」「集会の自由」「表現の自由」「結社の自由」を、党内でも一定のルールのもとに大幅緩和することが必要になる。「結社の自由」は、上述のように固定した政治グループ(独自の政綱と独自の規律を持つ)にならない範囲で研究体として認めるようにすべきである。

 松竹伸幸の裁判で明らかにされている通り、そもそも党として分派を何ら定義せずに、党幹部が自由勝手に分派規定できるようにしている現在のありよう自体が、民主集中制の一般原則(民主主義的制度部分)を破壊していると言える。

 

 具体的には、党内限定のイントラネットなどを作って意見交流できるようにし、また、上述のような研究グループを作って党内で交流できるようにすべきである。党内で支部を超えて異論を自由に公開し、討論・交流できるようにすべきだ、ということである。

 これは本書で明らかにされた、民主集中制の核心である「分派の禁止」を維持したまま、やはり本書で明らかにされた「意思決定への党員の実質的参加の拡充」を図るというイタリア的な格闘に学んだ提案である。つまり民主集中制の否定ではなく民主集中制の発展であり、民主集中制の発展の探究をうたった日本共産党第29回党大会決定に完全に合致するものだ。

 加えて、ネットでの投票が簡単にできるようになった今、党の中央委員会決定への賛否を全党員に問うて明らかにすべきであろう。党規約では大会決定だけでなく、自分は形式上も決定に参加していない中央委員会決定についても党員は読了義務を負い(第5条)、支部は討議・具体化の義務を負っている(第40条)。このような義務を追わせる以上、党員がどれくらい支持しているのかを党内で可視化させることは必要なはずである。 

 「歴史的」と党幹部が自賛している6中総ですら支部指導部の読了は半分程度しかない。一般党員がそもそも読まないという「サボタージュ」をしながら実際に支持しているのはもっと少ないだろう。どれくらいいるのかを恐れずに明らかにすべきだと思う。

京都でよく見る「とびだしこぞう」

現場及び党中央の劣化

 実は、ぼくの裁判の支援集会に来ていた党員が教えてくれたことだが、党内では支部会議では異論は述べてはならない。異論を述べていいのは大会決定の討論期間だけである」という指導を地区指導部がしているのだという。それは党中央の公式見解なのだという。

 これはもうめちゃくちゃな運用である。事実上の異論の禁止だ。

 そんなことを常識的な民主主義感覚があれば言えないはずなのに、文書に残らないと思って平気でそう言っているのである。

 もうこれは現場指導部及び党中央の劣化という他ない。

 これ以外にも「党指導部は指導部会議以外の会議で異論を述べてはならない」などの運用もある。

 他方でそうではない運用をしている地域もあり、「そんなのはデマだ」と言ったりすることになる。「デマだ」と言っている本人は真顔でそう思っているのだろう。

 党幹部はそのようなずさんな運営を放置し、公式見解を出さないことで、そうした実態を「デマだ」と現場党員に言わせることができるのである。

 民主集中制の改革とか廃止とかいう以前の問題として、このような劣化は、共産党の運営における「官僚的な組織破壊」ともいうべき事態であり、早急な解決を望む。