あらゆる言葉は手垢でコーティングされている。 生まれてから数年は他人の言葉を聞き、語彙も文法も他人から学び、他人との会話で実践する。私の言葉には他人がまとわりつく。「手垢のついていない表現」などほとんどない。 使われるにつれて、意味は曖昧になっていく。簡単に通じるように、ニュアンスは失われていき、大味の意味だけが生きのこる。手垢で包まれておぼろげな姿しか見えないのだ。 この濁流の中で、流されないためには。 可能性爆発だ。言葉の組み合わせに目を向ける。文法などの枠組み、単語ひとつひとつは他人のものだが、それの組み合わせにはまだ何か眠っている。 つるつるの表現はきっとある。 たとえば比喩。別々の単…