景行天皇とヤマトタケル 『日本書紀』の垂仁天皇紀に叔父の倭彦命(やまとひこのみこと)が亡くなった時に、側近として仕えた者達を、陵墓の周りに、立つ姿勢で生きながら埋めたことが書かれています。彼らは数日昼夜泣きうめいてやがて死んで腐り、犬や鳥が死体を食べたことが書かれています。これは古くからの風習であったと書かれています。 しかし『古事記』では父である崇神天皇紀で「この王の時に、始めて陵墓の周りに人垣を立てた。」とあり矛盾しています。 また『魏志倭人伝』には卑弥呼が亡くなったときに百名あまりの奴婢(ぬひ)を殉葬した、とあります。 出雲口伝による第二の卑弥呼が豊玉姫だとすると、生き埋め(殉死)は物部…