黄金という絶対価値
歴史の中で多くの人々を魅了し、時に国を動かし、時代を動かし、経済を動かしてきた金属――『金』
鉄は錆び付き、銅は苔むすかのように変色し、銀さえもくすむ。
その中にあって、永遠という時間に耐える、不滅の金属。
価値を永遠に示す金属として、人々はこれに魅了された。
かつて王冠が金で作られたのも、ただその美しさあってのことではないだろう。
かつての王は、不滅の金属で作られた冠に、自身の国の永遠を願ったのではないだろうか。
そしてだからこそ、人が『金』を『通貨』として使うのは自然なことだった。
価値ある通貨を、価値ある金で作る。
通貨自体が価値の証明、これが金貨だ。
金貨は、優れた通貨だった。
その優れている点を挙げれば、なんといっても『どこに行っても通じる』という万能性だ。
金の相対的価値は、土地によって変わる。
だが、無価値になる土地はない。
聞いたことのない国が発行した、見たこともない通貨でも、それが金貨なら世界中どこに行っても価値があった。
『価値の保存』という点において、これほど優れた通貨は無かった。
――だが、その時代は永遠ではなかった。
歴史に消えた金本位制
金貨の時代を終わらせたのは、皮肉にも、その価値を支え続けてきた希少性ゆえだった、と言える。
経済は成長し、経済規模は膨らみ、貨幣需要は増える一方――なのに、金貨を増やすことは出来ない。
人類は、一度は『兌換紙幣』を使ってこれを克服した。
兌換紙幣(だかんしへい)、聞きなれない人もいるかも知れないが、これは金と交換できるという約束の『金の引換券』に、決済機能を付け、紙幣として作ったものだ。
金を持ち歩くより、手軽で、額面も分かり易く、使いやすい。
金と交換できることを約束した、金の代替品――それが兌換紙幣になる。
だがその実体は、その約束によって1gの金で5g分も7g分も通貨を発行できる、無から有を生み出す錬金術だった。
国は、『どうせ金に兌換されることはない』という事を前提に、少量の金を根拠に大量の引換券を発行したわけだ。
当時の人たちを責めることは出来ない、それは経済の発展に必要だった。
だが、誰がどう見ても成立しない、破綻するしかないこの仕組みは、やはり維持することは出来ず破綻に至った。
人々が『この兌換紙幣は大丈夫なのか?』という不安を抱いた時には、当然、そのすべての交換要求に応じることは出来なくなっていたのだ。
政府は、金への兌換を停止せざるを得ず、人々には価値の裏付けを失った紙幣だけが残された。
金本位制はこうして歴史に消える事になる。
信用紙幣への移行
貨幣は金の裏付けを失った。
だが、これは同時に『金という制限された価値』からの解放を意味していた。
金という価値の裏付けを失った貨幣を、それでも人々は使い続けた。
その貨幣で食料を買い、燃料を買い、生活用品を、家電を、車を、住宅を買い、サービスや体験も購入した。
この貨幣には、額面の価値があると大勢が信じ、この商品は、このサービスは幾らの価値がある、と値付けをした提供者が、その値段でそれらを提供した。
貨幣は金の引換券から、価値の媒介へと性質を変え、国家の金保有量から解放された貨幣は、必要に応じてその量を増やし、それまでとは比較にならないほど、広く大きい成長を経済にもたらした。
価値を媒介することに、金など必要ない。
互いの信用があれば、通貨取引は成立する。
金の時代が終わったことで、人は金の時代が始まる前、互いの信用で取引が成立していた時代を思い出したのだ。
黄金の呪い
だが――
人は自由を手に入れても、その心は黄金に囚われたままだった。
金本位制は歴史に消えた。
だが、黄金の持つ『永遠の価値』は、人の心を捕らえて話さなかった。
皮肉にも、その証明が『金から解放された信用貨幣』に表れている。
金による価値の裏付けから自由になったはずの信用貨幣、だが、食料も燃料も家電も車も、家屋さえも劣化するというのに、それらを価値の裏付けとする貨幣の価値が、『額面を永遠』に維持するのは何ゆえだろうか?
不思議な話だ。
価値の裏付けたる商品が消えても、貨幣は価値を失わないのだ。
貨幣価値の変動によって、その額面そのものの価値が変動することはあっても、額面の価値が棄損されることはない。
貨幣の価値は永遠なのだ。
国債も不思議だ。
かつては『貨幣の価値の根拠である金を集める』という役割があった。
だが、現代の信用貨幣は金の価値から解放されている。
ならなぜ、国債という『新規貨幣を発行』指示の為に、金利が発生するのか。
金を集める時代なら、『金を借りる為に、利益を払う必要があった』と説明もできる。だが、今の国債は実質『貨幣の発行指示書』に過ぎない。
貨幣には金利が付かないのに、その発行指示書を出すのに金利が発生する、これほどおかしい話はない。
何故こんな不合理が発生したのか。
それが『黄金の呪い』である。
価値は永遠である――これが、今の信用貨幣の裏付けである商品やサービスを無視して、貨幣に悠久の価値を与えた。
価値は有限である――これが、ただの通貨発行指示書に過ぎない現代の国債に、有限の価値を借りるための金利を与えた。
全て、貨幣が金の価値に支えられた時代の延長である。
金本位制は確かに、歴史の中に消えた。
だが、金本位制の時代に培われた経験と学問は、その時代の積み重ねを継続し続けた。
信用貨幣の価値の裏付けである商品やサービスは、時間の流れで劣化する。
だが、黄金に呪われた貨幣は、その時間の流れを無視して価値を維持し続けた。
こうして、黄金の呪いは制度を離れ、人々の思想に宿った。
そしてそれは、予算不足・借金国家・財政破綻――
現代経済を蝕む言葉の形で、今も私たちの思考を縛り続けている。
最後に
黄金の呪いは、経済全体を今でも蝕んでいる。
あなたが日々目にする『経済の常識』も、もしかしたらこの呪いの延長線状にあるのかも知れない。
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