相手がどうであるかではなく、自分がどうであるかが大事!
です。
処女がどうとか、童貞かどうかというのも、相手がではなく、自分がということが大事ということです。
自分が童貞、処女でいることが大事という話をしています。
相手に求めてもいいのですが、自分がそうでないなら釣り合いません。
というより皺寄せがやってくるということです。
世の中には常にバランスを取ろうとする何かが存在していて、結局プラスマイナスぜろに終息します。
処女や童貞でないのであれば他の何かで補わなくてはいけません。
それが何を意味するのかというと、セックス以外の武器、魅力を備えなくてはいけないということです。
まとめると、セックスの魅力もしくはセックスに頼るなということです。
そうすることで幸せに近づいていくということです。
だから、処女と結婚できた、童貞と結婚できたというのは、自分がすごいのではなく、相手がすごいだけです。
処女と結婚できた自分は他の人より優れていると思うこと、処女と結婚できなかった人を見下すというのは劣等感からくるもので、自分がそうでなかったという劣等感からそのように考えてしまうのです。
処女、童貞と結婚した。
ではなく、
処女、童貞で結婚した。
というのがとても大事だということです。
自分以外の人の魅力を自分の魅力と錯覚している人は多いし、そういう人ほど、他者を見下します。
自分がそうでないことに対する劣等感から。
人は自分にないものに惹かれます。
それは性なので仕方ありません。
だからこそ、何が大事なことで、何が取り返しのつかないことなのかを理解することが重要です。
排他的な人間は必ず選民意識を持っています。
それは下の人間の立場を経験していないか、もしくはそういう経験をして精神が抉れてしまったからという理由が多いと思います。
うまくやってこれたからというのも理由の一つです。
負け組とか勝ち組とかいうのは全て劣等感からくるものです。
童貞や処女でいればそれが誇りとなって自分自身を支えてくれます。
童貞や処女に価値があると、意識的にも無意識的にも理解しているから、童貞や処女を馬鹿にする風潮が今でもたくさんあるのです。
セックスで信頼は手に入りません。
いいように扱われて、利用価値がなくなったら捨てられるのがテンプレートです。
そのことからも、セックス以外に重要なことが眠っているということがわかると思います。
自分がどうであるかはとても重要なことという話でした。