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純潔のすゝめ

〜童貞と処女のための幸福論〜

満ちてゆく、落ちてゆく。

満ちてゆくものは本質です。

落ちてゆくものは本質以外です。

 

婚前交渉しなければ満ちてゆく。

婚前交渉すれば落ちてゆく。

 

これは、絶対法則です。

 

婚前交渉すれば、次の相手のレベルは落ちます。

だから、婚前交渉したら落ちてゆくという表現をしています。

 

婚前交渉しなければ満ちてゆきます。

それは大事にしているものが尊くて本当に価値あるものだからです。

 

人は一度ホンモノを理解すると、ホンモノ以外がわかるようになります。

 

例えですが、童貞や処女はホンモノです。

それは、純粋だからです。

混じり気がないという表現がしっくりくるかな。

 

裏を返せばホンモノを知らないからホンモノ以外と婚前交渉してしまうのです。

 

もし、運命があるなら運命の人に出会うまで婚前交渉しない、つまり童貞や処女でいることができる人がホンモノです。

 

それは異性と関わらないようにすることではありません。

僧侶みたいに俗世から隔離することでもありません。

 

人と関わりつつも、婚前交渉をしないことです。

 

婚前交渉しないから運命の相手に出会えるとも言えます。

 

婚前交渉しないことで運命は切り開くことができます。

 

婚前交渉しているから、落ちてゆくのです。

 

運命を掴みたいなら婚前交渉しないこと。

運命なんてどうでもいいなら婚前交渉すればいいのです。

 

よく考えて生きましょうという話でした。

 

第一志望と貞操観念。

第一志望と貞操観念の関係性について書いていきます。

 

貞操観念が高ければ、第一志望を手中におさめやすいです。

 

恋人でも結婚相手でも第一志望以外と付き合っていると、第一志望を諦める癖がつきます。

 

癖だけではなく、本当に第一志望を掴めなくなります。

 

結局、人と惰性で付き合っているとどんどん貞操観念が低くなります。

 

付き合う相手を変えたり、結婚相手以外と不倫や浮気をするのも、結局は第一志望を諦めて第一志望と付き合ったり、結婚出来なかったからです。

 

第一志望主義になれば、妥協しないので幸せに近づきやすいです。

 

ただ貞操観念が低いと、なんでも性交渉に絡めるので第一志望を掴もうという発想にいきつきません。

 

性交渉できれば、外見が良ければ誰でもいいと思ってしまうからです。

 

どちらも結局ゴールは性交渉です。

 

ゴールが性交渉だと100%うまくいきません。

 

受験も付き合ってる人は落ちるし、付き合うという選択肢を捨てられる人は受かります。

 

天才を除いて。

 

何か叶えたいことがあるなら、異性と性交渉がゴールの恋愛をしている場合ではありません。

 

そんなことしてるから夢が叶わないのです。

 

夢が叶ったあとでいいのです。

 

それを待ってたら、歳とって若い状態で結婚できないという人がいますが、何も捨てることができない人は何も得られません。

 

第一志望を追い続けましょう。

叶えたいことがあるなら、まず取捨選択しましょう。

 

第一志望は変化していいのです。

諦めてもいいのです。

 

違う第一志望を見つけられるなら。

 

貞操観念が高くなるということは第一志望を追い続けるということです。

 

童貞や処女が貞操観念が高い人に結婚相手として選ばれるのもそれこそが第一志望のあるべき姿だからです。

 

貞操観念は高く保ちましょうという話でした。

 

最初の日本人は誰なのか?

最近よく考えるのですが最初の日本人は誰なのでしょうか?

 

人間は大きく分けて白人、黒人、黄色人種など肌の色で区別する事ができます。

 

最初の彼らはどこから来たのでしょうか?

 

というのも卵が先か鶏が先か問題で、

卵が先というのは考えにくいです。

なぜなら最初の人間がいないと成り立たないからです。

人間は精子卵子が結合して生まれるため、基本性交渉が必須だからです。

 

ということは鶏が先が一番可能性が高いです。

 

元々地球に人間はいなかったのかもしれません。

 

どこかから移住してきた可能性が高いです。

なぜなら、最初の(原初)人間は誰が創ったのかについて辻褄が合わないからです。

 

地球には多くの国があります。

母国語は誰が創ったのでしょうか?なぜ国によって使う言語が違うのか?

黒人の始祖は?白人の始祖は?黄色人種の始祖は?

日本人の始祖は?アメリカ人の始祖は?

 

謎が深まるばかりです。

 

私の仮説は、地球ではないどこかから最初の(始祖)人間はやってきて移住した

説です。

 

アダムとイブを神が創った説も否めないですが、そんな人智を越えた存在が現実にいたというのは信じづらいです。

 

神がいるというよりも、高度な文明が他の惑星にいた説の方がだいぶ可能性は高いと思っています。

 

原初の人間は誰だったのか?

 

謎は深まるばかりです。

 

という話しでした。

 

 

幸せの定義。

幸せの定義とはなんでしょうか?

 

好きな人と付き合って結婚して子供ができて孫ができて死んでいく。

 

これが世間一般の幸せです。

 

その理想を叶えられる人は多いですが、幸せかといえばそうではありません。

 

みんなどこかで妥協して、その部分を受け入れて結婚などをしているからです。

 

それは比較対象がいるから、より妥協している感を感じてしまうのです。

 

婚前交渉したことないというのはそもそも比較対象がいないので、幸せになりやすいです。

 

というより幸せを感じれる感性が身につきやすいとも言えます。

 

比較対象がないというのは幸せです。

こっちの方がいい、あっちの方がいいというのはものだけで十分です。

 

もちろん、そう思う気持ちが悪いわけではありません。

その感情に支配されることがよくないのです。

 

あっちの人の方が可愛い、かっこいい、頭がいい、仕事できる、色々な比較で人は悩みます。

 

そもそも比較して悩むというのは得したいという魂胆が深いところにあります。

損得勘定で考えているということです。

 

他人は損得勘定で測って、自分が損得勘定で評価されていることには疎いというのはよくある話しです。

 

第一希望主義の人は損得勘定で判断することはあまりありません。

自分の感覚優先で、彼らが求めるものは損得勘定よりも純粋に心から出た欲しいと思ったものです。

 

そこに比較対象はなく、唯一無二のものなのです。

 

妥協ではなく、第一志望に忠実になることが幸せになるには必須という話しでした。

 

なぜだろう処女や童貞が見抜けるようになってきた。

なぜだろう処女や童貞が見抜けるようになってきた。について書いていきたいと思います。

 

最近忘年会があったのですが、そこに顔の整った、万人受けの良い可愛いと言われる若い女性が同僚でいました。

 

話しはあまりしたことな方のですが、目がギョロっとしているのが気になっていました。

 

これは持論ですが、非処女は目がギョロっとしているのです。

まるでその人以外の誰かの目が瞳の奥から覗いているように。

 

もちろんその違和感は当たっていました。

話してわかったのですが彼女には付き合っている人がいて、最近浮気されたとのことでした。

 

童貞は見抜くのは処女を見抜くより難しいです。

それは同性だからです。

 

簡単に言えば女性と話すのに躊躇しないところがあれば非童貞の可能性が高いです。

貞操観念の低い童貞にそのようなことはできないですから。それが童貞の良さでもあり危うさでもあるのですが。

 

何度も言いますが、処女と非処女は圧倒的に違います。

処女は対面している女性自身を感じれます。違和感がないという感覚です。

まさに純粋という言葉が当てはまります。

 

非処女はギョロっとしています。

対面している相手以外の視線を感じる感覚です。

もちろん非処女でも最後の性交渉から時間が経つほど、ギョロっとしなくなります。

それはしばらく性交渉していなかったからとも言えます。

 

これは私の感覚ですが、童貞は見抜くのに時間がかかります。

非処女か処女かは出会って10分くらいで大体わかります。

 

よく処女か非処女かがわかるなんて嘘だと言われるのですが、別にそれは自分自身がわかっていればいいことです。

 

自分以外がそれを信じるか信じないかなんてどうでもいいことなのです。

 

自分がわかっていればいいのです。

それが一番大事なことです。

わかってもらおうなんて無駄なのです。

 

処女でギョロっとしている人をみた事がありません。

貞操観念が高い人も。

 

ギョロっとしているかしていないかは意外と重要な要素であるという話しでした。

 

 

 

 

 

捨てる覚悟。

何でもそうですが、捨てることができる人が成功します。

 

あれもこれもは無理ということです。

 

もてないほどの宝があったとして、出口は自分の立ち姿と同じ大きさです。

 

この時点で持てる宝には限りがあります。

 

全部は持ち出せません。

 

つまりそういうことです。

 

人生も同じで全てを得ることなどできないのです。

 

結局ニ兎を追うものは一兎をも得ずです。

 

何を自分が欲しくて、それを手に入れるには何が必要か考えると、必要ではないものが分かるようになります。

 

取捨選択が人生を左右するのです。

 

幸せな結婚がしたいなら、婚前交渉を捨てるとか。

 

ノーリスクでリターンを得ようなんてむしがよすぎます。

運があれば得られるかもしれませんが、天文学的な確率です。

 

中学生や高校生で出会った人や、幼馴染と結婚した人を真似しようとしないことです。

 

彼らは運がよかったのです。

運だけは基本どうにかできるものではないのでまずは一旦諦めましょう。

 

憧れる気持ちはわかりますが、運がないと無理です。

 

ですがそれを再現できる、演出できる方法があります。

 

それは婚前交渉しないで結婚することです。

 

お互い童貞や処女ならなおよしです。

 

あなたと結婚するまで童貞、処女だったは最高のストーリーになります。

 

相手もそうならなおよしです。

 

結婚のタイミングは遅ければ遅いほどよいです。

それの価値は婚前交渉しなかった経験の蓄積だからです。

 

適切な捨てる覚悟さえあれば、適切な願いは叶うという話でした。

 

 

 

恋愛として付き合うのはほぼバッドエンドが待っている。

恋愛として付き合うのはほぼバッドエンドが待っています。

 

性交渉がゴールになっている恋愛のラストは性交渉して別れるです。

 

結婚するパターンはほぼデキ婚ですが、仮面夫婦になったり、レスになったりその後の結婚生活はこれでよかったの?というものになるでしょう。

 

恋愛して、彼氏や彼女ができた人に向けた遊園地やイベントは金になります。

 

イルミネーションだったり、ディズニーだったり、どれも彼氏や彼女がいる恋愛強者向けに作られています。

 

だから人は強者に思われたくて、頑張って彼氏や彼女(性交渉の相手)を作ろうとします。

 

しかし、彼氏や彼女ができたところで恋愛=性交渉の思想があればいずれ別れます。

 

人と人を繋ぐのは性交渉ではありません。

信頼です。

 

それは婚前交渉しないことで、得られるものです。

 

恋愛バラエティショーも、恋愛強者になるために化粧代や衣装代、プレゼント代にお金をかけさせて搾取するためのエンタメです。

 

要は本心で恋愛を推奨しているわけではないということです。

 

恋愛マーケットは男女がいる限り、衰退することはないでしょう。

 

私は恋愛は無駄だと思っています。

性交渉がゴールの恋愛に限りますが。

 

たかが性交渉です。

そこにたいした価値はありません。

 

信頼があって、婚前交渉しないで結婚して初めて性交渉に価値が生まれます。

 

性交渉がゴールの恋愛では幸せにはなれないという話しでした。