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religionとmatsunagaに関するhatayasanのブックマーク (12)

  • 「ことのは」・夏の終わりに - BigBang

    朝から日差しがきついが、気がつけば今日は8月31日だ。夏休みも今日で終わり・・と、東京にいる僕などは連想するが、もともと北の地方ではとっくに学校は始まっているのではないかな。東京でも最近公立の小学校が早めに始まる地域もあり、夏休みの終わりというのが正確にいつを指すのかはわからない。でもまあ、旧例に従えば9月1日はもう夏ではないのだろうな。 というわけで、久しぶりに「ことのは」のことを書く。で、「夏の宿題」だけに縛られると話が端的になるので、ちょっとまだ書いていない最近の話あたりから書くことにする。 7月の終わりに、psycho78氏からメールをもらった。ちょうど、例の誕生日問題の後で、こっちも血が上っていたときでもあり、また届いたメールのトーンが、(漢字交じりとはいえ 笑)まさにさいこたんだったので、コノヤロと思い正直あまりとりあわなかった。ところが、はてなを巻き込んでばたばたしている間に

    「ことのは」・夏の終わりに - BigBang
  • オマ頃#10 「1995X」 - くらやみのスキャナー

    ■[1995][etc]オマ頃#10 「1995X」 「オウマーだったあの頃」シリーズ最終回は、1995年にオウム真理教を巡って書かれた文章・発言を集めてみた(例によって強調はkataru2000による)。内容そのものよりむしろ、こういった文章が書かれ、読まれた11年前の時代の気分とか空気を感じてもらえたらと思う。読んでいただけるとわかるけど、2006年の今だったらこの内容をこういう言い方で書いても通用しないだろうなあと思われるものも、今だったらもっとストレートに書いても通じるよというものもある(もちろん別に違和感を感じないだろうものもある…爆笑問題のやつとか…)。あらためて1995年を境にして、世の中の潮目が変わったんだなあと思う。そして地下鉄サリン事件は確実にきっかけになっている。 潮目が変わったのならば、やり方を変えないと釣果は上がらない。現在30代以上で肩書きのある人が、11年前と

  • アレフブロガーの時代

    ここは、宗教団体アーレフ(オウム真理教)元信者の松永英明氏と、それに関わり、なぜかオウム真理教のプロパガンダを踏襲する人々の発言を追う、まとめサイトです。 「ブログ」は、インターネット上の日記サイトで、「ブロガー」はその著者です。「アルファブロガー」とは、特に人気・実力・影響力のあるブログを書く人々を指します。 2005年に「論壇系ブロガー」としてアルファブロガーの一人に選ばれた松永英明氏。彼は、宗教団体アーレフ(オウム真理教)の現役信者でした。アルファブロガーであると同時に、いわば、「アレフブロガー」でもあった訳です。 現在でも、その潜在的危険性がゼロではないオウム真理教。 松永英明氏は、過去、オウム真理教の政治宣伝を担っており、また、「河上イチロー」という名義で、ナチスドイツの宣伝大臣ゲッペルスに傾倒した「Der Angriff」というサイトを構築していた人物でもありました。 そんな人

  • われわれがオウム事件で忘れていること: 歌田明弘の『地球村の事件簿』

    オウム信者を非難するのに熱心で、 彼らが何を考えているかわかっていない。 そう気づかされるインタヴューがネットで公開されている。 ●終わっていないオウムの事件 オウム真理教(現アーレフ)の事件は、松智津夫被告の東京高裁への控訴が棄却され、死刑確定の可能性が高まる一方で、上祐史浩代表がオウムを出て新教団を設立するといったことが報じられている。 前回書いたように、最近までオウム内にいて精力的にブログを書き続けていた出家信者・松永英明氏のインタヴューがネットで公開された。ブログの記述によれば、松永氏の教団との関わりは次のようなものだという。 数々のテロ行為発覚後しばらく「教団の別の小グループとして存在」していたものの、上祐代表が出所し、教団に復帰した2000年にふたたび出家信 者として戻った。アーレフの刊行物の編集などにかかわり、関連を出している東山出版社の社長を務めるなどしたが、03年半ば

    hatayasan
    hatayasan 2006/06/12
    「インタヴューを読むと、世間のオウムに対する見方からすれば、松永氏の罪の意識が乏しいと感じられるかもしれない。けれども、世間に謝るというポーズがないぶんだけ、教団関係者の有り体な思いが表われてもいる」
  • われわれはみな「隠れオウム」の容疑者: 歌田明弘の『地球村の事件簿』

    有力ブロガーがオウム真理教の信者だとわかった。 その人物への4時間にわたるインタヴューが、 ネットに掲載されて、話題を呼んでいる。 ●暴かれたオウム信者のブログ 松永英明氏は、オウム真理教内で編集の仕事にかかわり、オウムの出版社の社長を務めたりしながら、その事実を秘して精力的にブログを書き、有力なブロガーの一人と見られていた。一般の出版社からも何冊もを出している。 そのうちの一冊は私も読んでいた。きちんとしたで、有能なライターのように感じられた。 それだけに、フリージャーナリストの野田敬生氏の追及で、オウム真理教の信者だったとわかったときにはびっくりした。 暴かれたその素性は、ネットのディープな情報に通じている人々にはさらに驚くべきものだった。 松永氏は、96年から2000年まで「河上イチロー」という名前で、公安や内外の政府の諜報活動について異様に詳しいサイトを作っていた伝説的な人物だ

    hatayasan
    hatayasan 2006/06/02
    「有力なブログの書き手が現われ、強力な言論の場になっていけばいくほど、思いがけない書き手が思いがけない発想や意図からネットを利用する、ということは起こるだろう」ニャー速の仕掛人はその一例か
  • サイト半跏思惟 僕はなぜオウム真理教に出合って歓喜したか

    このページの更新状況 第2部・家族編をアップしました。2002.06.11. まずは仏教編Part6まで。以後、続きます。. 僕はなぜオウム真理教に出合って歓喜したか ~~入信するまでこんなことを考えて生きてきた ♪やっと会えたんだ 巡りあえたんだ ずっと探してたものに 「あなたはオウム真理教にどうして入ったんですか」とよく聞かれる。 僕がオウム真理教と格的に出合ったのは、1991年11月、京都大学での講演会だった。そこで僕は、この教えこそ、自分がずっと探していたものだったということを確信した。 では、なぜそう思ったのだろうか。それを説明しようと思えば、自分が生まれてからどのような環境で育ち、どのようなことを考え、そしてどのような経験を重ねてきたのかということと切り離して語ることはできない。 一人の、平凡じゃないかもしれないけどやはり日人としてこの国に育った僕が、どうしてオウムに入った

  • イチネタ そういうことだったわけですね

    ⇒■一連の疑惑について 07:13 ・ 過去の経歴の部分については、野田さんの公表されたとおりです。 これ以上騒ぎが広がらない時点で公表されてよかったと思う。 一般論として旧オウム信者が「旧団体代表への信仰心は現在ありません。」というとき、それをどう社会が受け止めていくのかは難しい。それは思想信条が裁かれるという意味ではない。過去に為したことをその主体が現在がどう受け止めていくか、それを社会はどう受け止めるか。後者は我々の課題。旧オウム信者が差別されている現状もその課題に含まれるという意味。 ⇒GripBlog 〜私がみた事実〜 : オウムとは無関係です 民主党の懇談会に参加した時のことを振り返っても、雑誌に取り上げられたような問題があったとは思えないし、大切なのは今だと考えていますので、松永さんとは、これからも変わりなくお付き合いさせていただくつもりでいます。それは、仮に過去オウムとの繋

    イチネタ そういうことだったわけですね
    hatayasan
    hatayasan 2006/03/16
    「ただ、こうした問題、自身の生活感覚に引き戻して問わないとあまり意味はないんじゃないかなと思うのですよ。つまり、憲法とかの議論ではなく、ふつうの生活人としての生活感覚のなかで問うということです。」
  • http://d.hatena.ne.jp/yama_r/20060316/1142434855

    hatayasan
    hatayasan 2006/03/16
    「オウムに影響されて育ったオウマーとしては、オウム時代の回顧記事みたいなののを書いてくれた方が嬉しいんだけどなあ」うん、これ本音。
  • 早く人間に成りたーい。right - 『自分と世界』と共に『自分と日常』

    新江ノ島水族館と鎌倉覚書日記 先日江ノ島と鎌倉を旅行した。江ノ電が走っているので移動しやすいのが助かる。雨の日に行ったのだが、波が高くてもサーファーと観光客の足は海へ向かうのだろう。電車から見える道は車が渋滞していた。そして海岸線の事処はどこも混んでいたのは盲点だった。 時折強…

    早く人間に成りたーい。right - 『自分と世界』と共に『自分と日常』
  • オウム憎んで人憎まぬために : 404 Blog Not Found

    2006年03月14日13:13 カテゴリPsychoengineering オウム憎んで人憎まぬために だからこそ、松永氏を「元河上イチロー」として扱ってはいけない。 BigBang: 「ことのは」の背負ったもの----許さなければならないこと。許してはならないこと。 私たちが許してはならないものは何か。それは二度とこうした惨事を私たちの社会に引き起こすあらゆる可能性を排除することである。残念ながら当時の思想をほとんどそのまま残しながらこの団体の趣旨を引き継ぎ活動している者の数は十人や二十人ではない。ここで松永氏、と書いたが、これは「元オウム真理教信者の誰でも」と言い換えてもよい。 オウムのような「大社会に害を成す小社会」に対する方法というのは、基的に二種類しかない。 弾圧と統合、だ。 弾圧メソッドの日本代表は織田信長だろう。彼は文字通りまつろわぬ者を鏖し(みなごろし)にした。彼の後継

    オウム憎んで人憎まぬために : 404 Blog Not Found
    hatayasan
    hatayasan 2006/03/15
    「弾圧する覚悟もなく、しかし受け入れの準備もせぬというのであれば、違和感に耐える位は当然の報いとでも言うべきではないのか。」
  • [R30]: 言葉の磁場

    以前のエントリにも書いたことがあるが、93年にタイで出家していたことがある。その理由は、1つには高校時代のホームステイ先のホストマザーを喜ばせたいということだったが、もう1つはこちらのサイトで彼が書いているようなこととそっくりな理由だった。彼が91年、そして僕が93年だから、京都と東京という違いはあれど、あれはちょうどあの時代の共通な空気だったのかも知れない、と思う。僕はたまたまタイで出家ができた。彼はそれを日でやりたいと考えた。違いはそれだけだったのだろう。 僧侶だった間、僕はずっと自分と世界とのかかわりの法則について考えていた。当時の僕の頭の中は、マルクスとかデカルトとかカントとかヘーゲルとかヴィトゲンシュタインとか、そういうものでいっぱいだった。そして、タイで先輩僧侶に向かって「マルクスはこう言っている」とか「ヴィトゲンシュタインはこういう説を述べている」とか、つたないタイ語で必死

    [R30]: 言葉の磁場
    hatayasan
    hatayasan 2006/03/15
    90年代論。自分史。
  • ネットを利用したプライバシー権侵害の一実例

    あるブロガーがどのような宗教に過去帰依していたのかということは、人が積極的にそれを開示しているのでなければ、周囲がとやかく言うべきものではありません。特に、その宗教に帰依していたということが社会的にネガティブに評価されやすい場合はなおさらです。まして、そのブロガーとしての活躍にけちをつけるために、そのブロガーが過去に帰依していた宗教を明らかにするというのは、最低の行いといえます。 そういう意味では、ある宗教に過去帰依していた者に対して、社会復帰のためのハードルを勝手に高く設定し、そのハードルを満たさない者の過去を暴き立てる滝太郎弁護士のやっていることは大いに非難されるべきことだと言えます。彼のような存在は、その宗教の信者がその宗教団体を離れて自立して生きていくことを妨げ、過去にその宗教の信者だった者を再びその宗教団体に戻らざるを得ないところに追いつめる役にしか立たないことでしょう。 結

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