「『任天堂で遊ぼう!』と言われたらSwitchじゃなくて硯(すずり)が来た」――このようなタイトルの記事が、X上で波紋を広げている。同記事は、Webメディア「スマホライフPLUS」が10月8日に公開したもの。これに対し、X上では「内容がデタラメ」「AIに丸投げした?」などの指摘が続出。9日時点で同記事は削除されている。
同記事では、あるXユーザーのポストを取り上げ、同ポストに添付された写真に写る“任天堂の硯箱”を紹介。ゲームメーカーとして知られる任天堂の歴史をたどっている。以下、米非営利団体のInternet Archiveが提供するWebページのアーカイブサイト「Wayback Machine」より、記事本文の一部を引用する。
任天堂の創業は一八八九年(明治二十二年)。京都で花札を製造する会社として「任天堂骨牌(かるた)」の名でスタートした。その後、戦前から戦後にかけて、トランプや教育玩具、文具類など多岐にわたる商品を展開した。今回の硯箱は、その文具事業が活発だった昭和三十〜四十年代に生産されたものとみられる。
硯箱のラベルには「小倉雲人書」と記されていた。小倉雲人(おぐらうんじん)は昭和期に活動した書家で、教育用の書道教材や墨汁のパッケージにその名が使われていた人物だ。当時の任天堂は、学校教材市場にも力を入れており、学童用の文具セットや書道具一式を販売していた。つまり、Kako(@3y&10m)さんの母と姉が持っていた“任天堂の硯箱”は、家庭や学校で実際に使われていた正真正銘の任天堂製品なのだ。
一見、もっともらしい記述だが、任天堂公式サイトの会社沿革によると、1889年に山内房治郎氏が京都市で花札の製造を始め、その後、1947年に丸福(現・任天堂)を設立。任天堂骨牌に社名を変更したのは1951年という。
また、記事で取り上げたポストの写真に写る箱には「小倉百人一首 嵯峨」と書かれている一方、記事内では「硯箱のラベルには『小倉雲人書』と記されていた」と説明している。任天堂公式サイトの会社沿革でも、1953年に日本初のプラスチック製トランプの製造に成功し、1959年にかるたの製造を自動化したとしているが、文具を手掛けていたとの記載は見当たらない。
X上でも、同記事に対して「任天堂の過去を知ってたらこんな記事にならない」「なぜかるたと硯を勘違いしているのか」などの指摘が続出。「小倉雲人って誰だよ」として、同人物も実在しないのでは、とする声も出ている。
他にも「架空の人物をでっち上げるあたりがAIっぽい」「ハルシネーション(編集部注:AIがもっともらしいうそをつくこと)か」「チェックせずに通したの?」として、AIの利用や編集部のチェック体制を疑問視する投稿も見られる。
9日正午時点で、同記事は削除されている一方、スマホライフPLUS編集部による記事内容の訂正など公式発表は確認できない。ITmedia AI+編集部は、同記事を削除した理由や、AIの利用の有無、記事のチェック体制などをスマホライフPLUS編集部に聞いている。返答があり次第追記する。
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