詩集『春と修羅 第一集』の5月12日の日付のついた詩「風景」(1922.5.12)を私なりの解読してみたい。
この詩は「風景」というタイトルが付いているが詩「雲の信号」の2日後でもあり賢治の恋歌である可能性が高い。つまり,詩「雲の信号」(前ブログ,2025)の続編である。
雲はたよりないカルボン酸/さくらは咲いて日にひかり/また風が来てくさを吹けば/截られたたらの木もふるふ/さつきはすなつちに廐肥(きうひ)をまぶし/(いま青ガラスの模型の底になつてゐる)/ひばりのダムダム弾(だん)がいきなりそらに飛びだせば/風は青い喪神をふき/黄金の草 ゆするゆする/雲はたよりないカルボン酸/さくらが日に光るのはゐなか風(ふう)だ (宮沢,1985)下線は引用者 以下同じ
1.「雲」と「風」について
「雲」と「風」は詩「〔わが雲に関心し〕」で「わが雲に関心し/風に関心あるは/たゞに観念の故のみにはあらず/そは新なる人への力/はてしなき力の源なればなり」とあるように,人間の行動の原動力となる根源的なエネルギー,つまり,フロイト的にはリピドー(Libido;性的衝動)のようなものである。
2.「雲はたよりないカルボン酸/さくらは咲いて日にひかり」とは何か
「雲はたよりないカルボン酸」とは国際雲図帳では下層(L)の雲(C)が無い状態であり符号(記号)で表すとCL=0と表現する。同様に,中層(M)の雲(C)が無いのをCM=0とし上層(H)の雲(C)の無い状態をCH=0と表現する。前ブログ(2025)でも述べたが,CL=0,CM=0,CH=0の特にCH=0はカルボン酸(RC=OOH)の構造式に類似している。カルボン酸のカルボニル基(RC=0)はその構造式の形から男の「性」の高まりを象徴している(前ブログ,2025)。つまり,「雲はたよりないカルボン酸」とは風景スケッチ的には「青空」で太陽がさんさんと降り注いでいる状態のことであるが,心象スケッチ的には賢治の「愛欲」や「性欲」が高まっている状態のことを言っているように思える。賢治のリビドーは決して頼りないということはない。むしろ,高まっている。
また,カルボン酸(R1C=OOH)はアルコール(R2ÖH)と反応してエステル(R1C=OO R2)を生成する。カルボン酸のカルボニル基(C=O)は,酸素(O)の電気陰性度が高く分極しているため,求核攻撃を受けやすい特徴がある。この分極により,カルボニル炭素は求核剤(アルコールの酸素ような電子豊富な物質)の攻撃を受けやすくなる。
フィッシャーが1895年に酸触媒の存在下で,カルボン酸とアルコールを縮合させる反応を第1図のようにに示す。

第1図.カルボン酸(R1C=OOH)とアルコール(R2ÖH)の酸触媒下での反応
「さくらは咲いて日にひかり」とは風景スケッチ的には太陽の光を浴びて桜の花が光っているということだが,心象スケッチ的には賢治の「愛欲」の高まりに恋人も「一層強い欲情」で応えたということである。あるいは,恋人が賢治に激しく迫る。つまり,化学式を使って説明すると,カルボン酸(R1C=OOH)のカルボニル基(C=O)は「愛欲」が高まった賢治であり,その賢治を誘惑して捕まえようとしているのがアルコール(R2ÖH)の酸素(Ö)である恋人である。捕まえるとエステルという甘い匂いのする物質ができる。つまり,賢治は女性からの誘惑を受けやすい。
賢治は詩「小岩井農場」パート9で「宗教情操→恋愛→性欲」あるいはこの逆である「性欲→恋愛→宗教情操」の可逆的な命題は明確に物理学の法則に従うと言っている。上記説明文は「性欲」と「恋愛」あるいは「宗教情操」の関係を賢治に見習って物理と化学式で説明してみたものだ。賢治は神聖なものは「いい匂い」がすると言っている。
詩「峠の上で雨雲に云ふ」(1927.6.1)では「黒く淫らな雨雲(ニムブス)よ・・・おまへは却(かえ)ってわたくしを/地球の青いもりあがりに対して/一層強い慾情を約束し/風の城に誘惑しやうとする」(宮沢,1985)とある。雨雲(ニムブス)は誘惑者として振る舞う恋人のことであろう。「地球の青いもりあがり」とは「岩頸」であり「岩鐘」であり賢治の「カルボン酸」である。
「風の城に誘惑しやうとする」とは何であろう。「城」には王とその妃がいる。つまり,「風」(性的衝動)の一つの結末である「結婚」へと導こうとする。ということであろう。少なくとも賢治はそう理解している。
3.「また風が来てくさを吹けば/截られたたらの木もふるふ」とは何か
「ふるう」は勢いを盛んにするという「振るう」のことと思われる。「たらの木」はウコギ科の「タラノキ」(Aralia elata (Miq.) Seem.)のことである。草の葉の縁にある鋸歯はナイフにもなる。「タラノキ」の幹をナイフなどで傷つけると透明な樹液がでる。出てくる量も多いらしい(shinobi.jp.2012)。破局して半年以上たったあとの詩「過去情炎」(1923.10.15)にも「截られた根から青じろい樹液がにじみ/あたらしい腐植のにほひを嚊ぎながら/きらびやかな雨あがりの中にはたらけば/わたくしは移住の清教徒(ピユリタン)です」(宮沢,1985)とある。「截られる」には性的興奮時に分泌される液体がイメージされているように思える。
「わたくしは移住の清教徒(ピユリタン)です」とは,宮沢家の祖先が西(京都)から移住してきたということを意味している。一方,恋人は先住民の末裔と思われる。2人の出自の違いが反対された結婚に色濃く影響を及ぼしている(前ブログ.2022b)。
4.「さつきはすなつちに廐肥(きうひ)をまぶし」とは何か
厩肥に纏わるものとして〔青いけむりで唐黍を焼き〕(1926.8.27)という詩がある。農学校を退職して羅須地人協会を始めようとしていた頃である。その下書稿(二)には「たのしく豊かな朝餐な筈であるのに/こんなにもわたくしの落ち着かないのは/昨日馬車から崖のふもとに投げ出して/今日北上の岸まで運ぶ/廐肥(きゅうひ)のことが胸いっぱいにあるためだ/エナメルの雲 鳥の声/熱く苦しいその仕事が/一つの情事のやうでもある/……川もおそらく今日は暗い……」(宮沢,1985)とある。
この詩を基に創作された文語詩〔厩肥をになひていくそたび〕には「熱く苦しきその業に,遠き情事のおもひあり」と「情事」の記載がある。ある女性の影が見え隠れする。「廐肥」とは,厩(家畜を飼っておく小屋)の家畜などの糞尿と藁(わら)などを混ぜて腐らせ,堆肥にしたものである。この「厩肥」を運ぶ「熱く苦しいその仕事が/一つの情事のやうでもある(あるいは遠き情事のおもひ)」とするのは,農業経験もある賢治研究者によれば,情事そのものが「熱く苦しい」身を焼くようなものであり,また賢治が鼻を刺すような厩肥の強い臭いの中にわずかに混ざっているかもしれないスペルマの臭いを敏感に感じとっているからだという(前ブログ,2022a)。賢治は嗅覚がとても敏感である(前ブログ,2021)。
つまり,詩「風景」の「すなつちに廐肥をまぶし」も単純作業であるにも関わらず,リズム感もあり,呼吸も激しくなり,「熱く苦しいその仕事」でもあることから「一つの情事のやうでもある」と思われる。
5.「(いま青ガラスの模型の底になつてゐる)」とは何か
同じものを指しているかどうかわからないが,ガラスの模型は童話『銀河鉄道の夜』(第四次稿,1931)の第一章(午後の授業)に出てくる。学校の先生がジョバンニとカムパネルラに天の川銀河を「両面の凸レンズ」の形をしたガラスの模型を使って以下のように説明する。
先生は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面の凸(とつ)レンズを指しました。「天の川の形はちゃうどこんななのです。このいちいちの光るつぶがみんな私どもの太陽と同じようにじぶんで光ってゐる星だと考えます。私どもの太陽がこのほぼ中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの中を見はわすとしてごらんなさい。こっちの方はレンズが薄(うす)いのでわずかの光る粒即(すなわち)星しか見えないのでせう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので,光る粒即ち星がたくさん見えその遠いのはぼうっと白く見えるといふこれがつまり今日の銀河の説なのです」(宮沢,1985)。
多分,詩「風景」に出てくる「青ガラスの模型」とは「両面凸レンズ」の横断面の形をしたものだと思われる。女性を象徴するものであろう。そういえば,カルボン酸のカルボニル基(C=O)を攻撃(あるいは捕まえようと)する酸素の記号(O)もその形に似ている。
もう一つ,レンズが登場するものを紹介する。詩「過去情炎」(1923.10.15)である。先に引用した詩句のあとに「雲はぐらぐらゆれて馳けるし/梨の葉にはいちいち精巧な葉脈があつて/短果枝には雫がレンズになり/そらや木やすべての景象ををさめてゐる/わたくしがここを環に堀つてしまふあひだ/その雫が落ちないことをねがふ/なぜならいまこのちいさなアカシヤをとつたあとで/わたくしは鄭重(ていちよう)にかがんでそれに唇をあてる」(宮沢,1985)とある。
「梨」は「やまなし」のことで恋人の名が隠されている。「滴がレンズ」とは滴が重力によって紡錘形になり,その断面が「両面凸レンズ」の横断面と同じ形になることを示している。つまり,上記したようにこの詩の水の「滴」もガラスの「両面凸レンズ」と同様に女性を象徴するものであろう。アカシヤを掘り起こした後にそれに唇を当てると言っている。「情炎」とは激しく燃え上がる欲情のこと。ただ,賢治は破局後半年以上経っているのに恋人のことが忘れられないようだ。つまり,後悔している。1922年12月に童話『やまなし』では短果枝に付いていた「やまなし」の果実は落下した。つまり,破局した。詩「過去情炎」では短果枝についた「雫が落ちないこと」を願っている。
5.「ひばりのダムダム弾がいきなりそらに飛びだせば」とは何か
ダムダム弾とは殺傷力を高めるため体内で留まるように工夫された鉄砲弾のことである。「ヒバリ」の雄は繁殖期に飛び出したあと雌に合図するため空中でホバリング(停空飛翔)する。ただ,詩の中で体内に留まったのは弾でもヒバリでもなくスペルマだろう。
6.「風は青い喪神をふき/黄金の草 ゆするゆする」とは何か
「風」はリピドー(性的衝動)で,「喪神」は放心状態のことである。放心状態になると草あるいは体が揺れるのであろう。
また,フロイト的な夢判断では女性を象徴するものを,その中が複雑な地形をしていることから森や岩や水のある「風景」として描写することが多い。詩「過去情炎」では「風景」を「景象」と記載している。つまり,詩「風景」のタイトルは男性を象徴する「雲の信号」(カルボン酸のカルボニル基)の対になるものである。
宗教学者の中沢新一がある対談で詩集『春と修羅』はエロチックな作品であるということを語っている。
僕は家の書棚にあった『春と修羅』をずいぶん小さいときに読んで,はっきり言って気持悪かったです。何が気持が悪かったか,それはそのときははっきりわからなかったのですけど,今になってはっきりわかります。その詩はエロチックすぎたのです。その詩全体に猥(みだ)らな感じを受けました。
僕がそんなふうに感じたのは,家がクリスチャンだったことに関係があると思います。クリスチャンは御存知のように表面的には禁欲を言います。だから,禁欲が強い意味をおびてくる。・・・・
僕はそのことを,叔母に話しました。彼女の本でしたから。そうしたら彼女は宮沢賢治の『春と修羅』は,性的な詩なんだから,そりゃそうさと言って,ますます僕を恥ずかしがらせる悪趣味を発揮しました(中沢,1998)。
賢治の詩「雲の信号」には「そのとき雲の信号は/もう青白い春の/禁慾のそら高く掲(かゝ)げられてゐた」とあった。
詩「雲の信号」と同様に詩「風景」の内容は,5月12日の眠っているときに見た夢のことを語っているのでないならば,簡潔に言えば「僕たちは愛し合ったんだ」ということを詠っている。簡単なことを難しい言葉で言うのは自閉スペクトラム症(ASD)の特性の一つである。ただ,賢治は愛し方が「田舎風」だと感じている。
参考・引用文献
宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.
中沢新一.1998.哲学の東北.幻冬舎.
Shinobi.jp.2012.広範囲に繁殖し始めた『トゲ無しタラの木』を撤去と,その後.https://surumekuu.blog.shinobi.jp/Entry/1294/
前ブログ.2021.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-幻の匂い(1)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/07/02/094155
前ブログ.2022a.賢治の文語詩「民間薬」(第2稿)-羆熊の皮は魔除けか-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/06/03/075750
前ブログ.2022b.童話『ガドルフの百合』考(第5稿)-朝廷と東北先住民の歴史的対立.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/05/07/075640
前ブログ.2025.詩「雲の信号」のタイトルの意味するものは何か.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2025/10/29/081636
お礼 ユキノカケラさん いつも本ブログ読んでいただきありがとうございます。2025.11.19.