※10/9 11:54 最後に追記あり
QualcommによるArduino買収が発表されました。
Qualcommはスマホでよく使われているSnapdragon等で有名なチップメーカーで、Arduinoは電子工作用のマイコンボードとその開発ソフトウェアのメーカーです。
それだけ聞くと非常に相性が良さそうにも思えるこの組み合わせ、電子工作界隈では発表後すぐ話題沸騰となっており、しかも喜びの声よりも「えぇ~」という感じの反応が多くなっています。
これがなぜかを電子工作を知らない人でもわかるように説明します。
※電子工作界隈の人には既知の話題しか出てきません
Arduinoとは
Arduinoが指すものがいくつかあって紛らわしいので整理します。
まず企業としてのArduino。これが今回買収されました。以後、Arduino社と呼びます。後述するArduinoとArduino IDEの開発元であり、メーカーでもあります。
それからハードウェアとしてのArduino。以下、単にArduinoと呼びます。これはマイコンボードという種類の電子部品です。
現代の電子工作は、マイコンボードにセンサーやスイッチといった入力部品と、モーターやディスプレイのような出力部品を取り付けて制作するのが主流となっています。例えばマイコンボードに色がわかるセンサーと車輪付きモーターを取り付けたらライントレーサーロボット(線をなぞって進むロボット)ができますし、土壌湿度センサーとポンプを取り付ければ自動水やり機ができます。マイコンボードはその入力部品と出力部品を制御する役割をします。(厳密にいうと制御するのはマイコンで、それに周辺部品を足して使いやすくしたのがマイコンボード)
↓モノとしてはこれです
最後にソフトウェアとしてのArduino。以下、Arduino IDEと呼びます。一度マイコンボードの話に戻りますが、Arduinoにつないだ入力部品に対して出力部品をどう反応させるかはプログラムで記述でき、そのおかげで自由度の高い制御が可能です。そのプログラムを書くためのPC用ソフトウェア(開発環境)がArduino IDEです。
Arduinoはどんなマイコンボードか
Arduinoは2010年ごろからいわゆるメイカームーブメント(「ものづくりの民主化」と呼ばれる動き)をけん引した製品のひとつです(もちろん今も現役です)。要は「これまで難しかった電子工作を簡単にし、エンジニア以外に間口を広げた」画期的なデバイスでした。
Arduinoが周辺回路を内蔵していることで初心者でも簡単にマイコンを使った電子工作ができるようになり、またArduino IDEのおかげで制御のためのプログラムもC言語ではなくスクリプト言語に近い文法で書けるようになりました。これにより、職業エンジニアや電子工作ガチ勢だけでなくSTEAM教育の現場であったり、アーティストやクリエイターの作品制作にも気軽に電子回路を取り入れられるようになりました。
↓たとえばこういう使われ方ができる世の中になったのはArduinoのおかげ。
筑波大エンタテインメントコンピューティングのブースに初めて電子工作をした方が何人かいて、個人的に特に良かったのがこれ。自分の絵を動かしてみたいという夢が電気の力で叶った瞬間、自分の表現の可能性がいきなりバッと広がった瞬間を自分の初めての電子工作経験と重ね合わせてグッと来てしまった pic.twitter.com/7AKtEsm6DF
— 石川大樹/ヘボコン主催者、「雑に作る」(電子工作本)発売中 (@ishikawa_daiju) 2025年10月5日
現在は似たような用途で使えるものとして手のひらサイズのコンピューターであるRaspberry Piや、同じマイコンでもネットワーク標準搭載のESP32、いろんな部品がパッケージされたM5Stack等が出ています。その中にあってArduinoは機能面で比較的シンプルなままこれまで維持されてきました。
Arduinoの中では最もベーシックな「Arduino Uno」が、同時にArduinoの一番代表的なモデルでもあります。これは数年前のバージョンアップまでWifiも搭載していませんでした。多くのことができないぶん、初心者には理解しやすいというメリットがあったと思います。
またArduinoはオープンソースであり、他社が互換機を販売することができます。中国製のArduino互換機は数百円~と、かなり安く売られています。この印象もあってArduinoは「安くてシンプルで使いやすい」「壊れるの覚悟で雑に使い倒せる」というイメージで愛されています。*1
またRaspberry Piとの比較でいうと、Raspberry PiはOSの乗ったコンピューターであり、Arduinoはマイコンであるという点も大きな違いです。
Arduino UNO Qの登場
で、ようやく今回の買収の話です。買収の発表と同時に、Arduinoの新製品が発表されました。それがArduino UNO Qです。
これがQualcommのチップを使った「フルLinuxが動く」「AIもオッケー」なハイスペックマシンだったのが、ユーザーの動揺を招いています。いままで愛されてきた「安くてシンプルで使いやすい」「壊れるの覚悟で雑に使い倒せる」方向性、部品としての手軽さやちょうどよさと、真逆なんです。しかもそのポジションにはすでに、当初ちょっとしたコンピューターだったのが年々ハイスペック化してきたRaspberry Piがいます。UNO Qのコンセプトとしては「開発環境とマイコンボードの2つの機能が一つに(デュアルブレインボード)」ということらしいのですが、それについても別にRaspberry Piでもできるし……という話。
それを買収のタイミングで「これからのフラッグシップモデルです!バーン!」って感じでこれを出してきたことに対して、「え、Qualcomm大丈夫なの……」ってなってる人が多いわけなんですね。
個人的な意見としては、別にこういうモデルはこういうモデルであってもいいんじゃない?と思うんです。今までもハイスペック指向のモデルはあったし(Arduino Yúnとか)、Raspberry Piより格段に安いし、実際発売されて使ってみたら意外にいいかもしれないし……。
ただそれでもやっぱり心配なのは、このモデルに「Uno」の名を冠してきたことです。
先ほども書きましたが、Arduino UnoってArduinoのいちばんベーシックなシリーズで、長年、初心者が何も考えずに使えるモデルとして愛されてきたんですよね。僕も一番好きだし、いまだにいちばんよく使うマイコンボードです。
でもそのシンプル・イズ・ベストなUnoシリーズになぜか今回のハイスペックマシンをぶち込んできたのは、なんか……違うような……って思わざるを得ないんですよね。これほんとにArduinoコミュニティのことわかってる人が舵取ってるのかな……っていう。
産業向け需要を狙ってる可能性があるのでは?って意見もあると思います。個人的にはデュアルブレインのコンセプトって産業用って感じがあんまりしないんですけど、僕が知らない活用法があるかもしれない。でももし仮にそうだとして、それこそじゃあなんでUno?って疑問はやっぱり残るんですよね。
そもそもQualcommのイメージがあんまよくない
他にも今回の買収が微妙な理由はあります。さっきも書きましたけどArduinoってオープンソースのハードウェアとして生まれて、オープンソースのコミュニティとともに育ってきたんです。有用な知識や知見はシェアされるべきというハッカー的価値観に基づいていままで運営されてきたし、愛されてもきた。
でもQualcommってライセンス料を支払わないと半導体を供給しないのは優越的地位の乱用だとして米連邦取引委員会に訴えられたり、特許使用料が不当に高いとしてAppleに訴えられたり(※ただしどっちも勝訴)、なにかと特許権・ライセンス周りのやり方がえぐいイメージがある。これがArduino的なオープンソースの価値観とそぐわないのではないか、相容れないのではないか、という意見もあります。
とはいえこれまでどおりで良かったのか?
でも、ArduinoはずっとArduinoのままでいてくれればよかったのにね……といえるかというと、それはそれで微妙なところだったとは思うんですよね。
まず安価で使いやすいマイコンボードのポジションに、強いライバルとしてRaspberry PiからRaspberry Pi Picoっていうのが出てきた。これは開発にPythonが使えたり、入出力が3.3Vで今風だったりしてわりと受け入れられている。あと純正品が安い。Arduino互換機ほどではないけど、純正Arduinoよりは安い。(でもIDEはあんまりいいのがないと思う。余談。)
IoTやるにしてもネットワーク機能のついてなかったArduino Unoは力不足だったし、ちょっと前にWifi搭載のモデルUno R4 Wifiも出たけど、Wifi付きボードとしてはもう先行していたESP32やM5Stackが普及してしまっている。M5Stackの方はディスプレイもついてるし入門機としての入りやすさもすごい。
「雑に使える」という点はまだまだArduinoの優れているポイントではあるんだけど、それにしたってArduino社のArduinoではなく互換機の方がより雑に使える。
産業用という視点でもRaspberry Piのほうは大量導入とかの事例をよく聞くけど、Arduinoってそこまで聞かない。
だからArduino社を営利団体として見るとなかなか大変かもしれんなという気はするんですよね。業績までは追ってないので憶測だけれども。
Arduinoが作り出した文化的な価値の大きさ
でも、やっぱり僕はArduinoが好きなんです。それは自分の電子工作の入り口だったこと、そして長く使ってきた愛着もあるんだけど、それ以上にずっとメイカームーブメントを支えてきたこと、これまでオープンソースのハードウェアとして生み出してきた文化的な価値の大きさが、計り知れないほど偉大だと思っているから。Micro:bit も ESP32 も M5Stack も Raspberry Pi Pico も、ArduinoやArduino IDEが無かったら生まれてこなかったと思うから。(Raspberry Piは生まれたかもしれないけど)
だからQualcommがほどよい距離感でうまい感じにサポートしてこれからもオープンなスタンスのまま続いてくれるといいなと思う。
あともう一つ言っておくと開発環境についてはArduino IDEって今も強くて、さっき挙げた中ではESP32もM5Stackも結局Arduino IDEで開発されることが多い。Raspberry Pi PicoもArduino IDEでやってる人いるし。これはArduino社の強い資産なんじゃないかな。この分野にQualcommとのシナジーがあるかわからないけど。でも今後も発展を続けてほしい。
という感じで特に結論とかはないんですけど、なんとなく整理してみました。いい感じの未来になってほしいですね。
以上です。
と思ったのですが(追記)
なんか一晩経ってちょっと考えが変わったので追記します。
スイッチサイエンスの商品情報ページにこんなことが書いてありました。
AIモデルとして、顔認証、機器の異常検知、人分類、画像分類、音声認識、キーワードスポッティングなどがあらかじめサンプルとして用意されており、「最初の一歩」が「Lチカ」から「AI処理」へと進化しました。
LチカというのはLEDを点滅させることで、これは電子工作を始めた人が大抵最初にやる、プログラミングでいうHello Worldみたいなものです。これがAI処理になると言っています。
これって実はすごく夢のあることなのでは……という気がしてきたんですよね。
上でも書いたんですけどArduinoって電子工作をエンジニア以外に開放してきた歴史があります。ただそうはいっても電子工作でできることってハードウェア(センサーの種類とか)により制限されています。たとえば顔センサーなんてものは世の中にないので、ハードウェアだけで人の顔を検出することはできないです。でもクリエイターが何かインタラクティブな作品を作るときに「人間の顔に反応させたい」っていうのはあるあるじゃないですか。それがAI処理ならできる。
そしてその機能ってがんばってRaspberry PiにOpenCVをセットアップして獲得するんじゃなくて、初めからできた方がいい。なぜならArduinoはエンジニアのためではなく、万人のためのツールだから。それがArduino Uno Qならできるんです。
ほかにも画像や音声の機械学習ができていろんなものを見分けられたら、それはすごく便利。そういうのもUno Qではサポートされている。いい気がしてきました。
ちょっと反省したのは、ある技術を使える人って、なぜか低レイヤーが偉いと思いがちなんですよね。
Arduinoが普及し始めたときも「そんなのAVR(Arduinoに載ってるマイコン)そのまま使えばいいじゃん」って言ってる人がたくさんいました。そりゃそっちの方が自由度高いし、専門家ならそれができるべきなんですけど、でもマイコンボードの形であることによって使える人が格段に増えたんです。それがメイカームーブメントだった。
いま自分が「AIとかついててハイスペックすぎ」「シンプル・イズ・ベスト」みたいに言ってるのって、「AVR使えばいいじゃん」と同じことなんじゃないかと思ったんですよね。なんか老害っぽいこと言っちゃったなと思って。
顔認識なんてできた方がいいに決まってるんですよ。そしてそれはArduinoの思想から一切外れてない、むしろど真ん中なのではと思い直しました。
いままでもAI処理が得意な電子工作用のハードはいろいろあったんですけど、Arduino Uno Qはその中では比較的低価格だし、大変な環境設定やプログラミングなしで開発環境がAI処理の面倒を見てくれるっぽい。上でRaspberry Piと被ってるって書いたけど、このコンセプトなら「なんでもできる(ただし自分でセットアップすれば)」タイプであるRaspberry Piとも競合してないのでは。
とはいえM5StackシリーズとかSpresenseにもAI機能あったりするので後発ではあるのですが、Arduinoがやるならそれは意味があるかもしれない。
それに、これが次世代のベーシックです!という気概で「Uno」とつけたかった気持ちもわかる。
……とここまでポジティブに捉え直しても「それでもハードウェア的なコンセプトが違うんだからUnoじゃない方がいいのでは」という疑問は払拭できないわけですが(どうも旧Unoのシールド(拡張ボード)やライブラリがそのまま使えるという意味もあるっぽい)、少なくとも「余計な事すんな」的な批判で終わらせるのは違うかなと思い、追記しました。
とりあえずは技適通過版が発売されたら自分で触ってみようと思います。
以上です(再)。
ついでにArduinoを使った作例もたくさん入った工作動画を見ていってください。
www.youtube.com
*1:Arduino社のArduinoは正直あんまり安くないのですが。でもRaspberry Piとかと比べると安くは見える