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Konifar's ZATSU

私はのび太の味方じゃないわ、悪の敵よ

実写『秒速5センチメートル』を見てきた

劇場用実写映画『秒速5センチメートル』 を見てきた。

信用しているトモダチから「お前にも見てみてほしい」的なことと言われたのがきっかけ。雑に感想を吐き出しておく。

丁寧でよかった

  • 総じてよかった。全体として素晴らしく丁寧に作られていた
  • カット割り、映像、音楽など、もう新海誠監督へのリスペクトがひしひしと伝わる内容だった
  • 完全に好き嫌いの話だが、最後が米津玄師さんの曲ってのはよいのだけれど好みではなかった。かといって『One more time, one more chance』がいいかというと違う気もしていて、これは正解がなくてむずかしい
  • このクオリティで再構成してくれるなら、言の葉の庭もやってほしいとすら思えた。イタリアから帰ってきたタカオとユキノが再会するエピローグまで頼む

救いがある

  • アニメで心をズタズタにされた人は、小説を読んで一定救われたかもしれない。実写版はさらに救いがある
  • 明里の描写が多く、当時どう感じていて、今をどう生きているかが描かれているからだと思う
  • 人によっては「野暮なことするんじゃねぇ、何がなんだかわからない"虚無の余白" が秒速の価値なんだよ」という人もいるかもしれない
  • まあわからなくはないが、ひとつの解釈として救いがあっていいなと思った。シナリオもちょうどよいくらいのご都合主義な展開が盛り込まれていて、自分は楽しめた

雰囲気の再現がすごい

  • 小学生の明里のあの独特の空気感を再現できているのすごい
  • 全体的に登場人物の "語り" が少ないのもよかった。あれは実写でそのまま映像に乗せて語らせてしまうと違和感がすごいと思う。脳内で貴樹の語りの台詞が常に流れていたのは自分だけじゃないはずだ
  • 同様に、澄田の「お願いだから、優しくしないで」も台詞にはなってなかったのがよかった。実写で再構成するにあたってどうするべきかがよく練られていて、愛を感じた

もりななーーーー!!!

  • 個人的には森七菜さんがよかった
  • 何なんだろうか、松村北斗さんもそうだが一度新海誠監督の作品に浸かると、伝えたいニュアンスが細かいところまで染み込んでいくのかもしれない
  • ちなみに「貴樹おまえ何やねん」という感情はアニメのときから変わらなかった。澄田と付き合っておけばよかったんだよお前は

終始胸がキュッとなる

  • 自分がオッサンだからというのもでかいが、心理も風景もすべての描写が胸に来る。自分は終始笑っているのか泣きそうになっているのかわからない何とも言えない表情でスクリーンを見ていたと思う
  • 1000通もメールをやりとりして1cmくらいしか近づけなかった描写も詳しすぎた
  • 自分がオッサンだからこそフルに楽しめたと断言できる。これ今の中高生の方々が見たらどう思うんだろうか。「何やこれ?何も始まっていないし何も終わってないやんけ」って思うんじゃないかな。わかるぞ

出会わなくてよかった

  • 結構再構成された内容だったし序盤からニアミスが激しかったので、「もしかしてこれ出会わせるんちゃうか...?」と少し不安になったが、最終的に出会うことなく終わってよかった
  • いや見てる時は若干出会ってくれんかなと期待してしまったりもしていた。しかし、実際に出会うシナリオになっていたら台無しで、最悪な気持ちになっていたと思う
  • このワンチャンを期待する願いは、たぶん『君の名は。』によるものだと思う。あれは出会っちゃってるからね

大丈夫

  • 「貴樹くんは大丈夫」、「明里って明るいよね」といったちょっとした台詞を覚えていて、今の自分を形作っているという感じの解釈がよかった
  • 時を経て見ると、『天気の子』のラストで「大丈夫だ」という言葉を噛みしめたのも想起された
  • ふとした言葉をたまに反芻しながら生きていくってのはいいよなあ。無意識に誰かを救っていることがあるってのは、『容疑者Xの献身』の石神を思い出したりした

Androidアプリ書いてた

  • たぶん貴樹 Eclipse で Android アプリ書いてるわ。2008年だから Android Studio が出るより前だもんな
  • BaseなんとかActivity 的な class が見えて、たしかにそういう Activity を継承する感じで書いてた時代なんだろうなと思いつつ、未来を生きる自分は「それはやめとけ」という気持ちになった
  • 貴樹の書いたコードを一瞥しただけで「無駄のないコードだ」的なことを言っていた管理職っぽい方は何者なんや
  • PCを見る貴樹の目に光が入っていない感じもよかったよね。日々失われていった心の弾力が絶妙に表現されていたと思う

こういう思い出を作ってほしい

  • 小学生時代に遊ぶ描写、高校生時代にバイクで田舎道を走る描写、すべてがいい思い出だなあと浸ってしまった
  • この感覚は、昔『もやしもん』を一気読みした時にも感じたことがある
  • 恋愛に限らず、自分の息子にはさまざまな "感情" を経験してほしいなと思うなどした。これもまたやはりオッサンの感想である

ちょっとした称賛や感謝を伝えやすくする仕組み

過度な馴れ合いになるのはよくないが、ほんのちょっとしたことでも褒め合い称え合っていくチームというのは非常に居心地がいい。

一方で、こうしたちょっとした "褒め" を伝えるのは意外と難しい。なんとなく伝えるタイミングがなかったり気恥ずかしかったりする。

これはいわゆる "組織文化" の話かもしれない。文化というのは、個々人の行動によって形成されていく。一定規模以上の組織において何かしらの行動を促すには、仕組みがあったほうがいい。

自分の経験から、ちょっとした称賛や感謝を伝えやすくする仕組みを雑に書きだしてみる。

1. 褒める場所を作る

  • チャットツールで #homeru みたいなチャネルなど、「ここではちょっとした "褒め" を雑に書き込んでいいんですよ」というハードルを下げた場所を作る
  • 「◯◯さんが◯◯してくれてよかった!」、「あの時のアレ、めちゃありがたかった!」、といったことを誰もが雑につぶやけるようにしておく
  • 特定の褒める系 emoji がついたらそのチャネルに流れるようにしておくのもよい

2. emoji をつける

  • チャットコミュニケーション特有かもしれないが、何かの発信に対して emoji をつけるだけでも感謝や称賛の気持ちは伝えられる
  • 誰でも気軽にできるので、個人的には皆が少し過剰に emoji をつけるくらいがちょうどよいしガンガンやるべきだと思っている
  • 一方で、emoji だけで済ますことに対してネガティブな意見を持つ人もいると思う。できるのであれば、称賛や感謝の内容をコメントで書いて伝えたほうがたしかによいとは思う

3. 何かを送る

  • Unipos など、感謝の気持ちを何らかのインセンティブとセットで送るのもとてもよい
  • 「サンキューカード」という手書きのカードを送るという取り組みをしていたところもあった。こういうのは送られると結構嬉しい
  • 何かの節目に手紙を渡すなどもそう。電子的であれ物理的であれ、何かを送るというのは称賛や感謝を明確に伝える手段のひとつである

4. 定期的にフィードバックをする

  • 四半期ごとの評価など、お互いにフィードバックするタイミングを作ってそこでよかったことを伝えるのもよい
  • 組織全体で360度フィードバックのような取り組みをやっていなくても、自分が所属しているチームだけで「ちょっとやってみませんか?」と提案してやってみることもできる
  • そこまで改まってやらなくても、チームごとの毎週の振り返りにおいてKPTのKeepのようなパートの中で少し意識的に称賛や感謝を伝えるだけでもよいかもしれない

5. 表彰する

  • "表彰" という仕組みは、わかりやすく称賛や感謝を伝えられる
  • 一方で表彰は両刃の剣でもある。表彰されなかった人も出るし全員が納得できないこともある。セレモニー的な雰囲気が苦手な人や、逆に白けてしまう人もいるかもしれない
  • 全体で見ればわりと盛り上がる取り組みで、継続していくことで文化にもなっていくので選択肢としては悪くはないと思う

こんな仕組みがなくても心の赴くままに称賛も感謝も伝えていけばええやろと思うかもしれない。それはそう。それが理想だと思う。

6歳の息子氏はまさにそんな感じで、嬉しい時は「ありがとう!」と言うし、すごいと思ったら「すごい!」と言う。こういう純粋な気持ちを思い出すのが大事なのかもしれない。

ただ、現実的に大人になってからそういう気持ちを思い出すには、しばらく "演じて" みるしかないと思う。演じているうちにだんだん自然とできるようになり、いつのまにか人格になっていくのである。

よい環境、よいチームを作っていくのは個々人の小さなふるまいから。組織の仕組みがあるならそれに乗っかって、気持ち多めに称賛や感謝を伝えよう。称賛や感謝なんて、なんぼ伝えてもいいですからね。

いちばん優秀な "お手本" メンバーを育成担当者にする

人の "育成" をするなら その組織の中でとびきり優秀で "お手本" になってほしい人が担うべきだと思っていて、そのあたりの考えを雑にまとめておきたい。


育成は1年後の組織全体のケイパビリティを大きく変えうる非常に重要な取り組みである。特に新卒など真綿のように吸収力の高いメンバーにとっては、いかによい "水" に触れてもらうかが重要になる。

雛の刷り込みみたいなもので、「このくらいを目指さなければいけないんだ」という当たり前レベルをできるかぎり高くするべき。そのためには、組織の中でとびきり優秀で "お手本" となってほしい人のエッセンスを吸収してもらうのがよい。

育成担当者というと、なんとなく「教えるのが上手い人」や「面倒見がいい人」を最初に想起するかもしれない。そういう人はたいてい人当たりもよく頼みやすいが、そういった適正らしきものを最初の判断軸にして育成担当者を決めてはいけない。

最初の判断軸はあくまで優秀でお手本になるレベルの人かどうか、その次に育成のテクニック面の適性があるかという順番で考えること。自分の経験で言えば、優秀な方は 仮に自身が育成に不向きという自己評価をしていても一定以上の質で育成タスクを全うできる。

ここでいう "お手本" というのは、全方位で完璧な一人の超人である必要はない。たとえば システム設計の考え方についてはこの人、データベースまわりならこの人、といった具合に領域を決めて選出してもよい。選ぶのが難しいけれど、会社のカルチャーを体現している人 とかもよいと思う。

「それはそうかもしれんが理想論やろ」と感じてしまうのは、そういう人はすでに育成以外の業務でだいぶ忙しいという事実があるからだと思う。それはそう。間違いない。

なので、長期目線で組織全体のケイパビリティを引き上げるために、そういう優秀な人にこそ育成に時間を当ててもらうことをトップダウンで決めなければならない。これは経営やマネジメントがするべき意思決定である。当然ながら、育成における貢献も適切に評価できるように整備も必要。グレードごとの評価軸のひとつにしてしまうのもいいかもしれない。

こういう長期目線での方針を意思決定するのはとても難しい。最終的にはエイヤと決定して細かく軌道修正しながら正解にしていくしかない。がんばろう。

なんかこういう話を書いていると、優秀とかお手本とか何様なんじゃ という気持ちにもなってくる。うまく気持ちを説明できないけれど、そもそも "育成" という言葉にも少し傲慢さを感じることもある。

まあそういう気持ちはありつつも、やはりある程度の規模の組織でスケールさせていくのであれば "育成" の観点は大事だし考えていく必要はあると思っていて、半ばわり切って考えるようにしている。

「教えるのが上手い」、「面倒見がよい」かどうかで育成担当者を決めてはいけない。いちばん優秀な "お手本" となる人が担当すべき。そういう人は、育成もひとつのタスクと捉えて、必要な能力もキャッチアップしつつやりきってくれると思う。

閉じたコミュニケーションの使いどころ

プライベートチャネルやDMでのやりとりは避け、ドキュメントの公開範囲もできるかぎり広くオープンな状態にするほうが一般的にはよいとされることが多い。

自分もそのほうが好みだし働きやすいと感じる。一方で、オープンではなくクローズドな "閉じたコミュニケーション" を選択するべきこともあるとは思う。

どういう時に閉じたコミュニケーションを使うのか、使いどころを雑に書き出してみる。

1. センシティブな情報を扱う時

  • 当然ながら広く公開されるべきではないことは特定の人のみでやりとりされるべき
  • 具体的には、人事情報、個人情報、家庭や身体などのプライベートな事情あたり
  • これはルールにできることなので、社のコミュニケーションガイドラインなどを作って明記するといいかもしれない

2. 個人へのフィードバックをする時

  • 相手に率直なフィードバックをする時には、一対一や少人数での閉じた場所で行うほうがよい
  • あえてオープンな場所でやりとりすることもなくはないが、初手でオープンな場所を選ぶのは避けたほうがいい
  • オープンにするなら、閉じたコミュニケーションで相手の反応を見て、合意の上でオープンに記録を残すやり方がよい
  • 逆に褒めたり称賛したりする時はオープンなところでやるべき。相手やチームによってはオープンにやりにくいと感じることもあるかもしれないが、基本的にはポジティブフィードバックはオープンに

3. 相手との関係性ができていない時

  • 入社したばかりの新メンバーでまだ文化にも馴染んでいない時などは、DMでのやりとりを完全に禁止しないほうがよいこともある
  • オープンコミュニケーションを過度に強制することで、何かを聞いたり発言したりするハードルが上がってしまうのもよくない
  • 関係性ができていない状況でオープンにコミュニケーションを取るのはコストが高くスキルも要求されるので、一定の閉じたコミュニケーションを許容したほうがよいこともある
  • なし崩し的にずっと閉じたコミュニケーションを取り続けることにならないよう、期間を明確に決めたり振り返りをしたりするとよい

4. 個別のメッセージングを重視したい時

  • チームやメンバーによって丁寧に伝えていきたい内容がある時、いきなりフルオープンにするよりもまずは個別にコミュニケーションを取ったほうがよいこともある
  • たとえば事業の現状や目標など。テキストベースで全員が見れるようにすることはできるが、ただ見れるようにするだけでは個々人がどう受け取るかわからないようなケース
  • 情報はメッセージングとセットで考えなければならないことも多い。メッセージング抜きで情報を見た時に、"テキスト以上のことを思慮しつつテキスト以上のことを邪推しない" というスキルを誰もが持っているわけではない

皆が同じレベルの情報を同じタイミングで持っているほうが、意思決定の質とスピードは上がる。そのためにオープンなコミュニケーションを取れるほうが望ましいが、皆が情報にアクセスできることと 皆が情報を同じように理解できることはイコールではない。

オープンなコミュニケーションがうまく機能するには、一定の想像力が要求される。過度な "オープン警察" にならず、「オープンにコミュニケーションを取っていないのは何らかの理由があるかもしれない」といった具合に想像できるスキルと余裕が必要。

あるいは、閉じたコミュニケーションを取る理由を明確に説明するのもいいかもしれない。コミュニケーションは双方向なので、話す側/聞く側お互いに想像力を働かせ、オープン一辺倒にならずに使い分けられるといいね。そして、次の曲が始まるのです。

適切なタイミングで情報をキャッチできていない時の対処法

マネージャーや横断チームのリードを担っていると、自然と他チームとの関わりが増える。

他チームと関わる中では、必要な情報を適切に把握しておくことが大事。それができていないと、よい意思決定ができなかったり常に周囲に振り回されてしまったりして成果を出しづらい。たとえば、「品質保証に責務を持つ横断チームなのにいつのまにか知らない機能のリリースが進んでいた」みたいなやつである。

こういう「適切なタイミングで情報をキャッチできていない」という状況はわりと発生しやすい。そういう時に情報をキャッチできるように対処するプロセスを雑に書き出してみる。

1. 役割を明確にする

  • 何に責務を持っていて何をする人/チームなのかを明確にすること
  • 役割を知ってもらう前にまず自分自身やチームの中で認識を揃えることが大事
  • 意外と役割自体がふわっとしていることも多く、その状態だと当然必要な情報も集まってこない

2. 役割の認識を擦り合わせる

  • 他チームに対して自分やチームの役割を知ってもらうこと
  • 「何に責務を持っていてどういう目的で存在しているか」、「どういうところは頼ってほしくてこういう時に声をかけてほしい」みたいな内容をドキュメントにして明確に伝えておくとよい
  • 1回で浸透することはないので、継続的に同じことを何度も話すのが大事。「また同じことを言ってるな」と思われたらうまくいってる。話す側はまた同じことを言うのもなあと思いがちだが、想像している以上に聞く側は覚えていない
  • チャットツールで定期的に発信したり、定例ミーティングのアジェンダに組み込んで定型化してもいいかもしれない。キャッチーなフレーズにするのもとても有効

3. コミュニケーションフローを見直す

  • 他チームへの意識づけだけではなく、仕組みで情報をキャッチできるようにすること
  • 自分/チームの役割を果たすために、どこからどういう情報を集めるか/集まるようにするかを考える
  • 他チームの会議体に参加する、議事録を確認する、必要なら新しい会議体を作るなど。会議をむやみに増やすべきではないが、目的が明確で適切なアジェンダと頻度が設定された定例会議は非常に有効

4. 振り返りをする

  • 定期的に振り返るタイミングを作り、役割とコミュニケーションフローをアップデートすること
  • コミュニケーションフローが機能しているかという観点での振り返りも重要だが、そもそも今の役割が適切なのかを確認することも重要
  • 自チームやまわりの状況は刻一刻と常に変化していくので、同じことをそのまま続けられるほうがめずらしい。フィードバックをもらい振り返りながら補正していくしかない
  • 振り返りはあとで適宜入れようとするとウヤムヤになりやすいので、最初から一定期間ごとに予定を入れておくのがオススメ

これらのプロセスを設計するのは、マネージャーが持つことが多いと思う。一方で、チームメンバーでも声を上げてよくしていける話でもある。

なんかうまく情報をキャッチできていないなと感じたら、たぶん 1~3 の中でどこかが抜けている。「自分たちの役割がちょっとわからなくなってきたんですけど」といった指摘をするのもよいと思うし、「たぶん役割を理解してもらえていないと思うので、いま一度全社ミーティングで位置づけやミッションを話すのはどうですか?」といった提案をしてもいいかもしれない。こういうボトムアップの意見はマネージャーやリードにとっては本当にありがたいものである。

適切なタイミングで情報をキャッチできていないと、なんだか自分やチームが軽んじられているような、存在意義を見失ったりするような感覚になる人もいるかもしれない。

実際にはそうではなくて、周囲もどう動いていいかわからず混乱しているだけなことも多い。こういうのは問題意識を持ったときが一番のタイミングで、遅すぎることはないし焦らなくていい。放置せず対処すれば必ず今より少しずつよくなるし、それでいいと思う。

強制されていないことを強制されていると思い込まない

強制されていないことを勝手に強制されていると思い込んでチョット怒ってしまい、あとで恥ずかしくて ウワアアァァァ!!!! となったことが何度かある。

今は全く発生しなくなったのだけれど、自分の黒歴史と対処法を思い出しながら雑に書いてみる。


たとえば何かのレビューなどで「ここはこうしたほうがいいと思うんですけどどうですか?」と言われたとする。これはただの指摘と確認で「直せ」と言われているわけではないし、何かの対応を強制されているわけでもない。なのに、なんだか強制力のある内容と捉えて勝手に憤って、防御姿勢を取ってしまったりする。

仕事に限らず、パートナーとのコミュニケーションでも同じ。一緒に話してすり合わせればよいだけの話を、少し相手に何か言われただけで勝手に自分の対応を強制されていると感じてムッとしてしまったりする。

こう書くとなんだか怒りっぽい人みたいだけれど、人によって程度の差はあれわりと起きがちな気がする。がんばることを強制されていると感じたりとかもそう。勝手に自分でそう解釈してしまっただけで、落ち着いてみると強制されているなんてことはなかったりする。

こうなってしまう理由は、身体的精神的に余裕がなかったり相手との関係を構築できていなかったりと色々あると思う。

自分の場合は、「基本的にあらゆることを自分でコントロールできる」というスタンスでいるようになってからあまり発生しなくなった。実際には本当に動かせない定数であることもあるんだけれど、実は自分で選択できたりうまく振る舞って変更できたりすることはとても多い。決まり切ったものだと思い込まずに、まず自分の行動で変えられると考えてみることが大事。

昨今こういう話をすると、「物理出社方針は強制でコントロールできんやろ」と思う人がいるかもしれない。それはそう。たしかに出社方針は会社で決められたルールで強制力のある話かもしれない。大事なのは「強制されていて全く動かせない」と早とちりしないことであって、本当に強制ならそれは仕方ない。出社方針について言えば、もしかしたらまだ実験フェーズでフィードバックを求められている段階で、"ずっと変わらず" 強制かというとそうではないかもしれない。そういうことを落ち着いて考えてみるといい。

何事も自分では変えられないと考えてしまうのはもったいない。自分でコントロールして選択肢を広げられると考えておくほうが精神的に楽だし幸せを感じやすい気がする。強制されていないことを勝手に強制されてると思い込んで怒らないようにしていこうな。


ここまでざっと書いてきたが、これはただのスタンスの話でスキルの話ではないのでなんだか何も言っていないような気もしてきた。スキルの話は ロジカルになりたいならとりあえず書かれてないことを読み取らない技術を身に着けろ|sumiren で素晴らしく端的に説明されているのでそっちを読んだほうがいいと思う。

任されていても頼っていい

同僚氏と1on1で話していて、「任された仕事が進められていない時、任せてくれた人に頼りにくく感じることないですか」という話になった。

「それは報連相スキルと関係性の質の問題やろ」と言われればそのとおりなんだけれど、気持ちとしてはたしかにわかるなと思ったので雑に考えを吐き出しておきたい。


任された仕事、特にどう進めていいかわからないような抽象度の高い仕事のステップが踏み出せなかったりすることはある。そういう時に早めに任せた人に相談すればいいんだけれど、「もう少し自分で何とかしよう」と考えて溜め込んでしまう。

自分で何とかしようとしてしまう理由は大きく分けて4つくらいありそう。

1. 相手の負荷を考えてしまう

  • 「手を煩わせてしまったら任せてくれた意味がなくなるんじゃないか」と考えると、たしかに頼りづらい
  • 実際にはオーナーシップを持ってもらった状態でフォローするのはあまり負荷にならないし、任せた意味がないなんてことにはならない
  • むしろ「あれどうなっているのかな?」となる前に状況を知れるのは非常にありがたかったりする

2. 自分の体裁を考えてしまう

  • 「できない奴と思われてしまうんじゃないか」と考えると、たしかに頼りづらい
  • 実際には適切なタイミングで相談してくれる人には仕事を任せやすいし、まったく悪い印象にはならない
  • これは相手との関係性にもよると思う。マネジメント側ではあれば、頼ってほしいスタンスを表明したり自分から声をかけたり、体裁を気にさせないような振る舞いをしておくべき
  • Tipsとして、定期的な会議体をセットして勝手に相談できる時間がくるようにしておくのも有効。アジェンダに "お頼りコーナー" みたいなのを入れてもいいかもしれない

3. 今さら言いにくいと考えてしまう

  • 結構途中まで自分だけで進めてしまっていたりして「今さら助けを求めるのは混乱させるし迷惑になるんじゃないか」と考えると、たしかに頼りづらい
  • そういう時はたいてい後で「もっと早く助けを求めてお願いしておけばよかった」となるんだけれど、そういう状況にしたのは自分自身みたいな考えからか切り出しにくいのかもしれない
  • 報連相を普段からちゃんとやるだけと言われればそのとおりで、今さら言いにくいと思ったことほどすぐにヘルプを求めていくしかないと思う

4. 解決しないと考えてしまう

  • 「頼っても具体的な解決策が見いだせなくて結局自分で何とかするしかないんじゃないか」と考えると、たしかに頼りづらい
  • 相談したところで打ち手の選択肢は変わらないことはよくある。が、それは頼らない理由にはならない
  • ただの自分の思い込みで、話してみるといい解決策が見つかるかもしれない。状況を伝える意味でも声を上げておいたほうがいい

仕事を任されていても、任した人に頼っていい。むしろなるべく早く頼るべき。ちゃんと頼ってくれる人のほうが安心して任せられる。

オーナーシップは方法を問わない。頼って解決することも含めて何とかすればいい。自分が逆の立場なら気にならないことを、自分ごとになると過度に気にしてしまったりするものである。

「いや何でもかんでも頼ってたらダメじゃない?」と思われるかもしれない。それはまあそうかもしれないんだけれど、そのへんの塩梅は任された側は判断しにくいんだよね。自分の体感では、頼りすぎる人の方がめずらしい気がする。

なので、「基本的にはガンガン頼っていく」くらいのスタンスでいったんは振り切って考えるほうがバランスが取れるんじゃないかな。そのうえで、必要に応じて「ここまでは自分でやって」みたいな感じで話して補正していけばいいだけだしね。