東日本壊滅はなぜ免れたのか? 取材期間13年、のべ1500人以上の関係者取材で浮かび上がった衝撃的な事故の真相。他の追随を許さない圧倒的な情報量と貴重な写真資料を収録した、単行本『福島第一原発事故の「真実」』は、2022年「科学ジャーナリスト大賞」受賞するなど、各種メディアで高く評価された。文庫版『福島第一原発事故の「真実」検証編』より、その収録内容を一部抜粋して紹介する。
『福島第一原発事故の「真実」検証編』連載第14回
1971年、福島第一原発1号機の試運転では、イソコンは確実に作動し、原子炉建屋を包み込む蒸気とともに安全を守っていた。しかし、運転開始後、その重要な装置は一度も動くことなく、40年の歳月が過ぎていった。なぜイソコンは再び動かなかったのか。その謎を解く鍵は、半世紀前の証言と、膨大な公的記録の中に隠されていたーー。
『「40年間動いていなかった冷却装置」があの日突如起動した…原子炉の運命を変えた“1通のメール”が解き明かす、知られざる設定変更の謎』より続く。
東京電力OBの証言
東京電力の公式見解では、イソコンは1971年3月に1号機が運転を開始して以降、事故まで一度も稼働していない。稼働したことが確認できるのは、1970年夏から翌年春にかけて行われた試運転のときだけである。この8ヵ月間で少なくとも3回実際にイソコンを動かしていたことが、当時、日本原子力学会に提出された報告書に記されている。試運転の段階では、イソコンの実動作試験が行われていたのである。
取材班は、まず、この時期に福島第一原発に勤務していた東京電力のOBを探し出すことにした。半世紀ほど前のことを明確に語れる証言者をなかなか探し当てることができなかったが、2016年暮れになって、ようやく目指す証言者に出会えた。
「本当にでかい音がします。そして、ぶわーっと雲のような蒸気が噴き出す。原子炉建屋が包み込まれてしまうほどの大きさです」
77歳になる飯村秀文(いいむらひでふみ)は、20代の若かりしときの記憶を、昨日のことのように語り始めた。1961年に東京電力に入社した飯村は、1969年から4年間、福島第一原発に勤務した。1号機の建設から運転開始までを見届け、このとき、1号機の試運転の段階で行われていたイソコンの実動作試験の様子を目撃していたのだ。