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原子爆弾はどこから始まったのか…? 原点「放射線の発見」に刻まれる「ベクレルの偶然とキュリー夫妻の執念」

「凄まじい破壊力」はどこから生まれるのか?

核分裂の発見(1938年)から原爆投下まで、わずか6年8ヵ月。「物質の根源」を探究し、「原子と原子核をめぐる謎」を解き明かすため、切磋琢磨しながら奔走した日・米・欧の科学者たち。多数のノーベル賞受賞者を含む人類の叡智はなぜ、究極の「一瞬無差別大量殺戮」兵器を生み出してしまったのでしょうか。

近代物理学の輝かしい発展と表裏をなす原爆の開発・製造過程を、予備知識なしでも理解できるよう解説したロングセラーが改訂・増補され、『原子爆弾〈新装改訂版〉 核分裂の発見から、マンハッタン計画、投下まで』として生まれ変わりました。

ブルーバックス・ウェブサイトでは、この注目書から、興味深いトピックをいち早くご紹介していきます。今回は、原子爆弾前史としてして、その原点ともいうべき「放射線」の発見について、あらためて検証してみます。

【書影】原子爆弾・新装版

*本記事は、『原子爆弾〈新装改訂版〉 核分裂の発見から、マンハッタン計画、投下まで』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。

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本記事の執筆者 

山田 克哉(やまだ・かつや) 【ブルーバックスを代表する人気著者の一人】

米国テネシー大学理学部物理学科大学院博士課程(理論物理学)修了。Ph.D.。元ロサンゼルス・ピアース大学物理学科教授。アメリカ物理学会会員。講談社科学出版賞を受賞。詳しくはこちら

放射線の発見

金、銀、銅、鉄、鉛、アルミニウム、ニッケル……、これらは日常生活においてなじみの深い金属であるが、ウランは一般的になじみのある物質ではない。ウランは、金や銅と同様に鉱山から採掘して生産されるものである。鉱山から採掘されてきたウランは「ウラン鉱石(ピッチブレンド)」とよばれている。

今、ウランを1kgほど用意したとする。このウランを暗室に持っていき、写真用の感光フィルムの上にしばらく置いておくとどうなるか。暗室に置いておくのだからフィルムは感光されていないはずだが、しばらく時間が経った後にそのフィルムを現像してみるとハッキリと黒ずんでおり、フィルムが感光していることがわかる。

こんどはウランを取り去って、その暗室に新しいフィルムを置き、しばらくしてからそのフィルムを現像してみると、当然ながらフィルムはまったく感光していない。ウランが置かれていたときのフィルムが感光したのは、明らかにウランにその原因があることになる。

【写真】ウランによって感光したフィルム
ウランによって感光したフィルム。写真の上方には、ベクレルのメモ書きが残っている photo by gettyimages
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これが、1896年にフランス人アンリ・ベクレル(1852〜1908年)が偶然に発見したことである。暗室でもフィルムが感光するくらいであるから、ウランからは相当に強い(エネルギーの大きい)なんらかの「線」が出ており、この線がフィルムを感光させたと考えるしかない。

この実験は当然、何度も繰り返され、ウランからはたえず、正体不明の、エネルギーの大きなミステリアスな線が連続的に発せられているという結論が出された。

このミステリアスな線は、すぐに「放射線」とよばれるようになり、さらに、放射線を出す元素は「放射性元素」とよばれるようになった。

【写真】アンリ・ベクレル
アンリ・ベクレル。放射能のSI単位であるベクレル(Bq)は彼の名にちなむ photo by gettyimages
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電位計による計測

その頃、フランス人科学者ピエール・キュリー(1859~1906年)と結婚していたポーランド人のマリー(ポーランド語では「マーヤ」)は、このミステリアスな放射線に異常なほどに興味を抱いた。

夫のピエールは、すでに「ピエゾ効果」の発見者として有名になっていた。ピエゾ効果とは、結晶をギューッと押して圧力を与えるとその結晶に電圧が現れ、逆に結晶に電圧をかけてやると結晶の形が変わり、ゆがむというものである。ピエール・キュリーは、このピエゾ効果を利用して、電位計やエレクトロメーターを考案した。

キュリー夫人として知られるマリーは、この電位計を用いてウランから出てくる放射線を測定し、放射線の実在を確かめたのである。いちいちフィルムを感光させて放射線の有無を確かめるよりも、電位計を用いたほうがより正確で手っ取り早い。

この電位計を用いる方法によって、マリーはウランだけでなく、トリウム元素からも同じような放射線が出ていることを突き止めた。

【写真】ピエールによる電位計
ピエールによる電位計 photo by gettyimages
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新元素発見と「放射能」

しかし、マリーは1897年の後半になって、ウラン鉱石(ピッチブレンド)から出てくる放射線が、ウランだけから出ているものとするとその強度が大きすぎるのではないかと疑い始めた。ピッチブレンドにはウランとは別の元素が混じっており、その元素がウランよりも強い放射線を出しているのではないかと考えたのである。

だが、もしウラン以外の別種の元素が混じっているとしても、その含有量はきわめて少ないことが推測された。この疑いを確かめるために、夫ピエールの協力のもと、マリーは8トンものピッチブレンドを用意して、この強い放射線の原因をウラン以外の元素に求めた。

【写真】ピッチブレンド
ピッチブレンド。「ピッチ」は粘弾性のある、黒い樹脂。暗黒色の油脂光沢をもつことから、その名がついた photo by gettyimages
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マリーによるラジウム元素の発見

マリーの勘は的中した。

彼女は、8トンものピッチブレンドの中から、実に10mgというほんのわずかな量のラジウム元素を発見したのである。ラジウム元素は、それ以前の元素周期表には載っていない元素であった。新しい元素の発見である。

【写真】キュリー夫妻
実験室でのキュリー夫妻 photo by gettyimages
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ラジウムからは強い放射線が出ることに加え、「放射」を英語で「radiate(ラジエイト)」ということもあって、この新元素はキュリー夫妻によって「ラジウム」と命名された。

それにしても、8トンものピッチブレンドからわずか10mg(10gではない!)の純粋なラジウム元素を選り分けたのだ。これが簡単な作業であるはずはない。放射性元素が放射線を出す性質は、マリーによって「放射能」とよばれるようになった。

同じ頃、キュリー夫妻はもう1つの放射性元素を発見している。その元素は、マリーの祖国であるポーランドにちなんで「ポロニウム」と命名された。キュリー夫妻は、これで2つの放射性元素を発見したことになる。

つまり、夫妻は放射能を利用して新元素を発見したのだ。アンリ・ベクレルは放射「線」の発見者であって、新しい放射性元素の発見者ではない。しかし、ベクレルの発見があったからこそ、キュリー夫妻による新元素の発見が続いたのである。

その頃、一般には新元素の発見者に対してノーベル化学賞が授与される慣わしになっていたが、当時のノーベル委員会は1903年度のノーベル物理学賞を「放射能の研究に対する貢献」という理由で、キュリー夫妻とアンリ・ベクレルに授与したのだった。3人が受賞したのが化学賞ではなく、物理学賞であったことに注目していただきたい。

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