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世紀の大発見「ミャンマー琥珀恐竜」の研究が大ピンチに陥った事情

若き恐竜オタク博士に米国から非難?

好評連載「恐竜大陸をゆく」。恐竜ファンなら誰もが知っている、琥珀のなかから発見された恐竜の尾「EVA」。

だが、化石標本の入手経路をめぐってアメリカの学術組織から厳しい勧告が? 著者・安田峰俊氏の取材にも応じた経験がある中国の若手トップ研究者をとりまくトラブルの背景を緊急配信する。

近年、世界の恐竜関連ニュースのなかで一般の人にもよく知られているのが、約9900万年前の白亜紀前期の琥珀のなかから、子どもの小型獣脚類の尾の化石が生前の特徴を残したままで発見された一件だろう。

従来、恐竜の生前の姿は骨やタマゴ・足跡などの化石から想像するよりほかなかったが、琥珀のなかの尾は骨だけではなく軟組織や羽毛まで保存されており、世紀の大発見と言ってよかった。また宝石でもある琥珀のなかに封じられた尾の写真は極めて美しく、そういう意味でもメディア映えのする発見であった。

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この報告がなされたのは、2016年12月8日付けの科学誌『カレント・バイオロジー(Current Biology)』においてだ。琥珀のなかの恐竜はコエルロサウルス類の獣脚類の子どもだったとみられており、「EVA」と名付けられた。

ミャンマー産の琥珀のなかに封じ込められた小型獣脚類「EVA」の尾。羽毛が確認できる Photo by Getty Images

中国の若き恐竜オタク博士・邢立達

EVAに関する論文を発表したのは、中国地質大学の邢立達(Xing Lida)らの研究チームである。

邢立達は1982年生まれで、カナダのアルバータ大学でフィリップ・カリーの指導を受けて修士号を取得後、中国地質大学で博士号を取得。現代中国の著名な恐竜学者である徐星(Xu Xing)や呂君昌(Lü Junchang)よりもさらに若い、中国の新世代の恐竜研究者である。

2016年12月、EVAについて発表する邢立達 Photo by Getty Images

彼はもともと高校時代からインターネット上で中国初の恐竜情報サイトを運営していた生粋の恐竜マニアだけに、一般向けの「布教」にも熱心だ。本業の研究に加えて一般書や児童書も数多く手掛けているほか、2018年にはなんと恐竜と中国史時代劇をからめた歴史SF小説まで刊行している(詳しくは本人に取材したエピソードが収録された拙著『もっとさいはての中国』をご覧いただきたい)。

邢立達はフットワークの軽い人物であり、最近は琥珀化石の他にも足跡化石を中心に、中国全土で恐竜の化石らしきものが発見されるたびに現場に急行している(本連載の前回記事も参照)。

また、駆け出し時代にフリーのサイエンスライターとして生計を立てていた関係もあってか、近年の中国の恐竜関連ニュースは、実はほとんどが彼自身が書くか情報を提供したものだ(民間に膨大な恐竜ファンがいる日本と違って、中国は一部の研究者以外は恐竜の知識を持つ人が少ないのに、妙に恐竜報道のレベルが高いのはそういう理由である)。

琥珀化石の問題、浮上す

また邢立達は、白亜紀の琥珀のなかに封じ込められた化石についても、EVAの後にもカタツムリやヘビ・カエルなどの化石を続々と報告して注目を集めている。

邢立達のチームが報告を続けている琥珀の恐竜化石は、いずれもミャンマー北部で出土した白亜紀前期のものだ。

2020年3月には、14センチほどの大きさの頭部がまるごと残った恐竜(もしくは古鳥類)オクルデンタビス・カウングラアエ(Oculudentavis khaungraae)の化石を報告して大きな話題となった。

ところが最近、邢立達の研究に大きな影響がありそうな、ちょっと困った話が持ち上がっている。

2020年4月21日、アメリカの著名な学術組織であるSVP(Society of Vertebrate Paleontology:脊椎動物古生物学協会)が、「紛争地域の化石と化石に基づく科学データの再現性」と題したレターを発表。

琥珀化石の取り扱いについての懸念点をかなり厳しく指摘したのである。

アメリカのSVP(脊椎動物古生物学協会)が今回発表したレター

ミャンマー奥地の市場で琥珀を購入

EVAをはじめとした中生代のさまざまな生物の化石を含んだ琥珀が出土するのは、ミャンマー東北部のカチン州バモー郊外の山岳地帯だ。

この地域は長年にわたり少数民族カチン人の軍閥(カチン独立軍:KIA)とミャンマーの中央政府軍が衝突を繰り返してきたが、2011年ごろから白亜紀の良質な琥珀が出ることが広く知られはじめた。

エーヤワディー川(旧称イラワジ川)からバモーをのぞむ Photo by Getty Images

邢立達は2014年、昆虫化石の愛好家である友人を通じてトカゲの化石が入ったミャンマー産の琥珀の存在を知り、翌年からミャンマーの琥珀市場へ調査に通うようになった。バモー付近には山奥で採掘された琥珀を取り扱う宝石市場がある。そこで琥珀をまとめて購入するのである。

バモーの市場。段ボール箱に書かれた漢字からも、中国との深い関係が見て取れる Photo by Getty Images

私が以前に邢立達本人から聞いたところでは「毎回、たとえ不要な琥珀でも多少は必ず買うことが、商人との関係を維持するコツ」だったという。2016年のEVAの発見も、顔見知りの商人から「植物が入った琥珀がある」と声をかけられたことが契機だった。EVAの尾の羽毛は、素人目には植物に見えたのだ。

邢立達(筆者撮影)

こうして入手した琥珀の年代は、琥珀内部に他の化石と一緒に閉じ込められている既知の虫や植物の化石を参考にしたり、琥珀に付着したジルコン(ヒヤシンス鉱)を分析したりすることで確定される。

ちなみにEVAの場合は、同じ琥珀のなかに飲み込まれていた白亜紀前期のアリが年代確定の決め手になった。

中国人研究者の独壇場

琥珀が産出されるミャンマー東北部は、中国との関係が深く、古くは明朝末期から漢民族が移住している(その子孫はミャンマー国内で「コーカン族」という少数民族になっている)。

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また、国共内戦末期に国民党軍の一部がミャンマー側に越境して拠点を作ったり(現在は消滅)、文化大革命中に紅衛兵の一部がミャンマーの共産ゲリラに加入した歴史もあって、現地のワ族やカチン族といった他の少数民族も多くは中国の影響を受けている。

ゆえに、ミャンマー東北部は現在もなお、ネピドーの中央政府よりも中国とのつながりが強い。特にバモー近郊のような少数民族軍閥の支配地域では中国語が共通語になっており、通貨も人民元が使われている。

軍閥勢力とミャンマー軍が慢性的な内戦状態にあるため、治安は悪く、外国人に対する誘拐や山賊行為も横行している。各少数民族の言葉や中国語がわからない人間は容易に足を踏み入れられず、ネピドーやヤンゴンから安全に現地へアクセスすることも難しい(いっぽうで中国人が中国側から渡航するのは容易である)。

ミャンマーの琥珀化石は非常に興味深い研究対象だが、フィールドワークは中国人研究者の独壇場と言っていい状況にあったのだ。

政府軍が恐竜琥珀の発掘地を掌握

だが、琥珀が採掘されているカチン州の山岳地帯は、もともとカチン人の反政府ゲリラの支配地だったものの、2017年6月からはミャンマー中央政府軍によって制圧されてしまった。

2017年6月まで、琥珀採掘地付近を領域にしていたカチン独立軍(KIA)の兵士たち。政府軍の悪行はもちろん、彼ら軍閥軍の側も人権侵害行為が指摘されている Photo by Getty Images

ミャンマー軍は、南西部ラカイン州における少数民族ロヒンギャ人への人権弾圧が国際的に懸念されており、これは「民主化」したはずのスー・チー政権下でもあまり変わっていない。

東北部のカチン州においても、ミャンマー軍の非人道的行為はアムネスティなどから強く非難されている。ゆえに昨年春ごろから、ミャンマー軍の占領地域での琥珀化石の購入に疑義を唱える意見が、イギリスの科学雑誌『New Scientist』などで主張されるようになった。

アメリカの科学誌『Science』も、2019年5月23日付けの記事のなかで、購入というステップを踏むことで収集される琥珀の正確な地層が不明となることや、古生物学者が研究目的で琥珀を購入することで琥珀の価値を上昇させてミャンマー軍を潤してしまうこと、いくら政治的混乱状態にあるとはいえミャンマー国内の鉱物を研究目的で中国に持ち出してしまうことなどについて強い批判をおこなっている。

ついに一般紙が報じはじめた

今年に入り、この懸念は科学専門誌から一般のメディアにまで広がりつつある。

邢立達のチームが古鳥類(もしくは恐竜)オクルデンタビスの琥珀漬けの頭部について報告をおこなった2020年3月には、アメリカの『ニューヨーク・タイムズ』がミャンマー琥珀の問題について取り上げているのだ。

「これは古生物学者が直面することに慣れていない、とてもトリッキーな状況です」

「これらの化石の販売行為が、ミャンマーにおける戦争や暴力に資金を提供してしまう可能性があることを非常に懸念しています。なので最近、ミャンマーの琥珀の研究や、このテーマに関する論文のレビューを断ることに決めました」

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『ニューヨーク・タイムズ』の当該の記事中で紹介された、英国エジンバラ大学の34歳の古生物学者、スティーブン・ブルサットの談話である。

そもそも、研究サンプルとなる化石を一般の市場から購入する行為それ自体、盗掘や化石の価格高騰などの問題を招きかねないリスクがあるため、研究者のなかでも賛否が分かれている。バモーの琥珀市場で売られているのは、盗掘された化石ではなく「宝石」としての琥珀なのだが、入手経路がやや不透明であることは確かだろう。

著名学術組織からのダメ出し

今年4月、アメリカのSVP(脊椎動物古生物学協会)がレターを発表したのは、こうした報道が積み重なった結果だったとみられる。

SVPはレターにおいて、たとえ興味深い研究結果が出たとしても、このような地域で琥珀を「購入」する形でサンプルを集める行為には倫理的な問題があると懸念を示した。

さらに、レターは、たとえ民間業者が相手の取引であっても、ひいては現地を掌握するミャンマー軍の資金源になりかねない以上、すくなくとも情勢がある程度安定するまでは琥珀購入をボイコットすべきと呼びかけている。

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また、購入を通じて私有された琥珀標本は、研究者が必ずしも自由にアクセスできる環境にないとして、研究の再現性についても疑義が示された。

ミャンマー産琥珀化石の公開禁止?

邢立達たちが購入した琥珀標本の多くは、彼の故郷に設立された私設の研究所である徳煦古生物研究所に保管されている。

徳煦古生物研究所ホームページより

SVPのレターは、個人や民間組織が保有する標本には研究の再現性がないと主張しているが、おそらく徳煦古生物研究所を念頭に入れた上での記述なのだろう。

(もっとも徳煦古生物研究所は、ホームページで確認する限り、中国恐竜学のナンバーワン研究者である徐星を名誉顧問に据え、さらにイギリスの著名な古生物学者のマイケル・ベントンやマーティン・ロックリーを客員研究員に迎えている。かなり「ちゃんとした」印象を覚える施設だ。邢立達の私的な施設であるかのように言うのはちょっと気の毒な気もするのだが)

さておき、SVPのレターはこうした問題点を指摘したうえで、2017年6月以降に購入されたミャンマー産琥珀の標本の公開の一時停止を呼びかけている。邢立達のチームにとって、研究上でかなり大きなダメージを負う事態なのは間違いない。

カチン州ミッチーナーの市場で売られていた琥珀 Photo by Getty Images

続報、待たれる

正直なところ、私はこの問題について現時点ではある程度は判断を保留している立場だ。ミャンマーの琥珀化石は、すくなくとも一般人の視点から見れば大発見であるだけに、このレターによってすべての研究が停止してしまうのは残念な思いも受ける。

琥珀化石が世界のメディアの脚光を浴びて目立ちすぎたことで足を引っ張られたり、中国国内の学閥や政治的な要因が関係していたり、もしくは2019年から急速に強まった米中対立のとばっちりを受けたりといった、ミャンマー情勢とは直接関係がない別の要因がある程度は関係している可能性は否定できない。

事実、カチン州の政情不安定は今に始まった話ではないにもかかわらず、なぜ昨年からこの問題が大きくクローズアップされたのか。

2011年6月、ミャンマー中央軍とカチン独立軍の戦闘が再開されたことで、中国国境付近に逃げ出した難民たち。現地の政情は不安定だ Photo by Getty Images

また、ある程度はしっかりした学術施設に見える徳煦古生物研究所が、なぜ個人の施設のような扱いを受けたのか。と、首をかしげる点もないではない。

次回以降の記事において、機会があれば別の側面からこの問題を追いかけてみることにしたい。

【安田峰俊の「恐竜大陸をゆく」バックナンバーはこちら】

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