持統八年(694)−和銅三年(710)の日本の首都。 条坊制を布いた日本初の本格的都城。
ライトノベル作家兼歴史考証家。 名前は「ふじわらたかし」と読む。
1967年、神奈川県横浜市出身。 専修大学文学部卒業。 1989年、民俗学の専門出版社に入社。 1993年、ファンタジーロマン大賞を受賞。 1999年から2002年まで専修大学講師。
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藤原京のコスモス畑 藤原の 大宮仕へ 生(あ)れつぐや 処女(おとめ)がともは 羨(とも)しきろかも 単なる羨望や恋の詩ではなく、藤原京の清浄と繁栄を象徴する宮廷讃歌である。その背後には、天皇を中心とする国家の秩序と美への憧れ、そして新しい都に寄せる万葉人の誇りがある。 現代訳 藤原の大宮(藤原京)に仕える清らかな乙女たちよ。ああ、なんと美しく、羨ましいことだろう。 歌の意味 この歌は、日本で最初の本格的都城・藤原京(奈良県橿原市)の完成を背景に、新都に仕える「処女(をとめ)」たちの姿を讃えた一首である。 「藤原の大宮」とは、694年に持統天皇が遷都した藤原京の宮殿を指す。 「大宮仕へ」は天皇…
藤原京は、飛鳥の終章と奈良の序章をつなぐ、最初の本格的な都市。奈良県橿原市と明日香村にかかる場所にあり、南北の「条」と東西の「坊」という道路で区画された、碁盤構造を持つ条坊(じょうぼう)都市である。 天武天皇の后である第41代・持統天皇が都造りを進め、遅くとも西暦694年に遷都。街路が東西約5.3km・南北約4.8kmにのび、その広さは平城京を凌ぐスケール。そこまでのビッグ・シティであったことを、奈良に住む人も知らない。 藤原京は、大和平野を“平にならし”た都の心臓。政治と祭儀の場を都心に据え、寺院は宮から距離を置いて配置する。中国・唐の都城制を学び、律令国家の姿を地面に刻んだ最初の試みだった…
もう季節はがっつり秋だというのに、陽射しはまだ容赦なく、歩けば額にじんわり汗がにじむ。空気の底に残る熱気と、彼岸花の真紅とが重なって、秋と夏とが押し合いへし合いしているように見える。田の畦に揃って伸びる赤い花たちは、そんな混ざりあった季節の境目を淡々と告げている。 朝日を抱く彼岸花 ― 藤原京跡にて 藤原京は694年に持統天皇が開いた都である。唐の都を手本に、条坊制を初めて取り入れ、都を碁盤の目のように整えた。中心には藤原宮が据えられ、そこから東西南北へまっすぐに道が走った。東西5.3キロ、南北4.8キロ。乾いた数字にすると味気ないが、当時の人々には、まさに新しい国を象徴する大きさだったに違い…
藤原京跡に蓮の池があります。 ヤマサ蒲鉾の「蓮の花苑」(7月15日ブログ)の四分の一位の広さですが、大和三山が見渡せます。 花の開く朝のうちに自転車で訪れました。 遠くに畝傍山 朝日を浴びて透き通る蓮の花びらに暑さを忘れます。 ひさかたの雨も降らぬか蓮葉に溜れる水の玉に似たる見む ・・・右兵衛 万葉集 巻十六-三八三七 蓮葉(はちすば)
いい朝だった。 藤原京のハスが咲き始めたと聞いて、少しだけ早起きをした。カメラを肩にかけて外に出ると、すでに空気はぬるく、夏のにおいがした。 ハス池には、思っていたより人がいた。それぞれ黙々とレンズをのぞきながら、じっと朝日を待っている。私もそのひとりに混ざって、咲きかけの花を見つけては、少しだけいい顔になる。 香りがふわりと漂ってきて、ミツバチたちも働きはじめた。 空はまだ白っぽい。そこにじんわりと太陽がにじんできて、ああ今日も暑くなるなと思う。 家に帰って、冷たい麦茶を飲んで、ごろりと横になる。朝からいいことをした日は、もう一度眠っても許されるような気がしている。
蓮が咲き始めると、夏が来たなぁと思う。去年の7月16日、カメラをぶら下げて、朝の藤原京をぶらぶら歩いた。 あのあたり一帯は、飛鳥から遷都された「藤原京」の跡地。持統天皇が、律令国家のかたちを整えようとした時代の、いわば壮大な実験場みたいな場所だったらしい。 碁盤の目のように区画された都は、唐の長安にならって設計されたとか。そんな古代の大プロジェクトの跡地に、いまは蓮がすっくと立って、朝の光を受けている。 11種類ものハナハスが植えられているこの場所では、毎年7月中旬になると花が一斉に咲きはじめる。空は少し曇っていたけれど、畝傍山を背景に、花たちは淡いピンクのドレスを揺らしていた。 ひとつの花を…
歴史は飛鳥時代後期へ。 大化の改新、白村江の戦い、壬申の乱、藤原京、富本銭、大宝律令、律令政治、和同開珎など。 写真と動画も利用して説明。 国語は『説明文』。脳細胞は再生できないため、人間の寿命は決まってしまうという話。接続詞に注意しながら解きました。 文法プリントも実施。毎回文法練習を行うための専用プリントが用意されています。これはTOP→PASS国語科の強みです。 8番品詞の知識(自立語と付属語など)、文節相互の関係、漢文の読む順番について、動詞の活用表(研ぐ・行動する)、単語の区切り。 今回の単語の区切りに使った文→*このローストビーフ丼は一度食べたらやみつきになる。*ねえ、家庭科室の…
イワレビコ(神武天皇)は紀伊国(和歌山)の熊野を越えて、大倭国・宇賀志(奈良県・宇陀市)に入り、吉野を制圧します。 そこで霊夢により、部下に命じて大和三山・天香具山(やまと さんざん・あめ の かぐやま)の埴土(はにつち)を採取させ、丹生川の夢淵で祭祀を行います。 イワレビコは埴土で厳瓮(いつへ・壺)と、平瓮(ひらか・皿)を80枚作り、夢淵に沈めて今後の吉凶を占ったとされています。 夢淵の近くに水神宗社と名高い丹生川上神社・中社(にう かわかみ じんじゃ・なかしゃ)があります。 丹生川上神社は上社・中社・下社の三社からなり、上社は大滝ダムの近くにあります。 下社は修験道の大本山である大峰山(お…
奈良盆地の南の方に橿原市がある。そこに、古代の都、藤原京があった。694年から710年まで間、三代にわたって天皇が住まう都であった。それ以前の都は、橿原市の南東、現在の明日香村で、天皇の代替わりごとに新たな宮を造って転々としていた。藤原京は、都としての期間は現在の奈良市にあった平城京へ遷都するまでの16年間に過ぎなかったが、日本史上最初の、唐の都城に倣った碁盤状街路の計画都市だったこともあり、史的に大きな存在である。都域は推定では南北・東西約5kmに及ぶ広大さだが、当時の技術及び経済力では、この短い期間で全域が都市化したとは私は思わない。街路の計画のみで終わった部分も多かったのではないか。 大…
前回の続きです。 まずは貴族の邸宅へ。 藤原宮のすぐ南という好立地。誰が住んでいたかはわからないそうです。 敷地は東西120メートル、南北103メートル!正殿の建築面積は約300平方メートル!!はゎゎ 西から 東から 仕事中の役人。 これ描くのも仕事なんやろか。 暦。「えっ!?丸いの?」と思ったら、これは廃棄後に転用されたためで、もとは長方形の板だったようです。本来は紙に書かれた巻物で、同時に多くの役人が見られるよう板に書き写したものと考えられるそうです。 上段は干支(日にち)と十二直(じゅうにちょく・日にちの吉凶)※、下段は吉凶を示す事柄です。 ※建(たつ)、除(のぞく)、満(みつ)、平(た…