宝永3年12月30日。寅(午前3時)過ぎ、甲斐作事奉行溝口藤蔵が年頭に屋敷に出向くと上下を着用し、僕も連れずに自ら提灯を提げて巾下新道を行くと、口から目にかけて少し切りつけられる。藤蔵は気絶し、犯人は逃げ去る。元日に藤蔵は立ち退く。徳岡道波が治療し、やがて良くなる。夕方に同僚と借金のことではなはだ口論しており、この4人の仕業だと。しかし、藤蔵があまりに不甲斐なかったので闇討ちに遭ったことにして立ち退くと。17、8日の頃、建中寺裏門あたりにある作事方が法事の道具入れた道具屋で、錠を切って中にあった道具を盗まれた。しかし建中寺はこれを知らず、訴えもしなかった。側同心頭・国用人立合が駿河町で道具を見…